東方闇魂録   作:メラニズム

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第七話

 夜を煌々と照らす篝火は、闇が深くなればなるほどその眩しさを増す。

 

 その光を背にしながら、騎士は山の建物……社へと戻って来ていた。

 

 祭りに向かう時、騎士と入れ違いに数人の村人が社に向かったため、既に騎士の嫌疑の沙汰は村人にも伝わっている。

 故に、村の大人達に謝られるなどしたものの、騎士は何事も無く祭りを楽しむ事が出来た。

 どうやらモリヤ神は社に騎士を泊める事まで村人に話していたらしく、己の家に泊まれと言う子供達を大人が窘めていた。

 

 騎士が社に戻ってきた時、モリヤ神は社の軒先に目を瞑って座っていた。

 つられ、騎士も眼を閉じる。

 

 響く太鼓の音、祭囃子の声。闇から響く虫の音。

 祭りの中で散々聞いたはずの音は、聞けば聞くほど深みを増して感じる。

 

 そう感じるのも、彼女がそれらに対して抱く思いの深さ故か。

 瞼の裏の闇に、騎士は目を瞑り音を聞く彼女の姿が焼き付いて見えた。

 

 いつまでそうして居ただろうか。

 

「上がりなさい、旅の者。食事は用意できている。

 それとも、風呂の方が先かな? 長い事立ち呆けで、体が冷えているだろう」

 

 その声に眼を開けると、モリヤ神が居た。

 目を瞑る前に座っていた軒先ではなく、社の扉から顔だけを出して呼んでいる。

 

 その声に従い、騎士は社の中へと入って行った。

 先ほどまで香っていた、鬱蒼とした森の香りが、人が住まう木特有の香りへと変わる。

 そして、その中には芳しい料理の香りが混じっていた。

 

 自然と、胃が声を上げる。

 元より物を食べる事を必要としない不死人であるが、人としての機能は残っている。

 食べずとも死なないだけなのだ。

 

 物言わぬ口よりも口数の多い腹に赤面する騎士。

 モリヤ神は、威厳と暖かさを感じさせる笑みを浮かべる。

 

「先に食事にした方がよさそうだな。

 付いて来ると良い、旅の者。私が言うのもなんだが、この社は広い」

 

 丁寧に加工された床板は足触りがよく。微かに軋む音を立てながら、住人を受け入れる。

 モリヤ神に連れて来られた部屋には、既に二つの膳が用意されている。

 膳の上には白米と味噌の汁に、大きい川魚が二匹乗せられた皿がある。

 

 自然とよだれが出て来そうになるのを抑え、膳の前に座る。

 招かれ、馳走して戴く側なのだ。先に食べ始める等以ての外である。

 芳しい香りを騎士としての誇りで耐えながら、騎士はモリヤ神が食べ始めるのを待つ。

 

 しばしの沈黙が流れ、モリヤ神が笑い出す。

 

「生真面目な奴だとは思っていたが、そこまで生真面目とはな」

 

 と言うと、モリヤ神が食べ始める。

 それを見てから、騎士は平手を合わせ、箸を揃えて両親指に挟み、膳に向って礼をする。

 

 一年間、永琳達と過ごすまでの間、箸を使う食事での作法を騎士は身に着けた。

 戴きます、と本当は言わなければならないのだが、騎士は舌が切られており言う事が出来ない。

 己に食べられる食物達への感謝の祈りなのだ、という事を聞いていた騎士は、その分真摯に祈る事を己に課している。

 

 その祈りを見て、驚くような顔をしてから慈しむ眼で騎士を見つめていたモリヤ神だが、祈っている騎士は気付かない。

 

 祈り終えてから、騎士は箸を持ち、味噌汁の椀を持った。

 置かれていた事により出来た上澄みが、持たれた事により多少味噌が浮き上がる。

 

 口に含むと、強烈な味噌の香りが一気に鼻まで突き抜けてくる。

 しばし、味噌の香りを楽しんだ騎士は、湿った口内に白米を放り込む。

 

 炊き立ての米の蒸気が、鼻まで登ってくる。

 それは決して不快では無く、むしろこれこそが米の香りなのだと騎士は思った

 味が解らない騎士にも、食感は分かる。

 艶めいていた白米は、群で放り込まれる事によりその弾性を顕わにする。

 これで味が解れば、何も無しで盛られた白米を食べ尽してしまったかもしれない。

 噛んでいけば仄かな甘みが出るのだ、と聞いているが、どんな旨さなのだろうか。

 想像するだけで、解らぬ米の味を感じる気がした。

 

 騎士は米の柔らかさを堪能した後、川魚に手を付ける。

 その身に箸を入れると、皮が快音を立てて切れ、透明な汁が溢れ出す。

 身を解しながら骨を取り、今もなお汁が溢れるその身を口に運んだ。

 瞬間、口内がえもいわれぬ芳しい香りで満たされる。

 恐る恐る身を噛み締めてみると、その身が含んでいた汁が更に溢れ出す。

 魚特有の滑らかな油は、舌の無い騎士を持ってして魅了する。

 

 最早、騎士は考える事を止めた。

 一心不乱に、目の前の恵みを平らげる事に全神経を注ぐ事にしたのだ。

 

 

 

 気が付けば、騎士の前の膳には食べられる物は残っていなかった。

 我に返る騎士に、モリヤ神が話しかける。

 

「よくもまあ、そこまで旨そうに食べる物だな。

 旅の話でも聞きながら食おうと思っていたが、口を差し挟む間も無かったわ」

 

 騎士は申し訳なさ気に頭を下げるが、よい、お前の食べる姿も充分面白かったからな、と微笑むモリヤ神。

 しかし、そもそも騎士は口が訊けない。

 知らせぬままでは今後も差し障りがあるだろうと、騎士は口を開きモリヤ神に見せる。

 口の中を見ると、モリヤ神は会得がいったように頷いた。

 

「成程な、あの時子供らにも黙っていたのは、そもそも口が訊けぬからか」

 

 まあ良い、少し待っておれ、と言い、モリヤ神は姿を消した。

 やがて、二つの銚子を持って現れる。

 

「口が訊けぬなら、これ以上口も固くはならんだろう。

 お前の旅の話の代わりに、私の話を聞いていろ」

 

 と言い、二つの徳利に酒を注ぎ、モリヤ神は話し始めた。

 

「お前も、あの稲穂の海を見ただろう?

 元は、ここは不作の地だったのだよ」

 

「民はその日食う物にも困り、それを私はただ見ていた」

 

「ある日、私は地より水を湧かせた。元よりそういう力があったのだ」

 

 特殊な能力を持った妖怪を、騎士は知っている。

 それと似たようなものだろうと、騎士は会得した。

 

「私が水を湧かせるところを、ある村人が見ていた。

 稲に与える水に困っていた村人は、私に地に頭を擦りつけ、水を湧かせてくれるよう頼んだ」

 

「その時は気紛れでな、水を湧かせてやった。

 ほんの少量の水でも、崇める様にありがたがった」

 

「痩せ細っているのに、その村人は山菜を取って来て私に差し出したのだ」

 

「その姿が哀れに思えて、それからたまに水を湧き出させ、水を村人にやるようになった」

 

「ある時、酷い日照りになった」

 

「元から水に悩んでいた村人は、ばたばたと死んでいった」

 

「そして、最初に私に頼んだ村人が、地を這って私の元に来たのだ」

 

「"最早あなたに差し出せるのは死にかけたこの命しか無いが、水を湧かせてくれないだろうか。村を救ってくれないだろうか"」

 

「そう言って、動かなくなった」

 

「それからは覚えていない。気が付けば、あの湖が出来ていて、痩せ細った村人が私の周りで頭を擦りつけて感謝していた」

 

「……私は、あいつから、何も受け取る事が出来なかった。

 その時、神としての力を感じた。」

 

 だというのに。

 これまで感じた事も無いような強大な力を持ったというのに、胸が締め付けられたように痛かったのだ。

 そう呟き、酒を呷るモリヤ神の姿に、見た目相応の小ささを騎士は感じた。

 

「……彼らは私を崇めてくれてはいるが、私は水を湧き出させてしかいない。

 これだけの稲が生えるまで、努力したのは彼らだ。私ではない」

 

「私は、まだあいつから受け取っていない。

 私は、まだ彼らに返していない」

 

「最早、受け取れるかも、返せるかも解らない私には、せめて彼らを守る事しか出来ない」

 

「……小童達の歌を聞いたか?旅の者よ」

 

 蛇がどうのこうの、という歌を歌っていた事を騎士は思い出し、頷く。

 

「近々、遠くの大和の神が、ここを攻めてくるそうだ。

 私もこれまで村を襲う者を斃してきたが、それが奴らの耳に入ったらしい。

 豊かな土地と、そこを治める神が居る、とな」

 

「旅の者よ。悪い事は言わない、早い所ここを出て行った方が良い。

 あの剣も、明日には返す。だが、あの剣が有ったとしても、戦場に巻き込まれては危険だ」

 

「……おや、もう銚子が一本尽きたか。

 私はもう眠るとしよう。風呂はここから突き当りまで行って右にある。着替えの服も置いてある」

 

 そう言い捨て、消えるモリヤ神の背中が、儚げに見えた騎士だった。


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