憑依者はスタイリッシュなマッドサイエンティスト 作:社畜戦士
これから幾つかサブキャラの話を挟んだら原作編に突入します。
なお、あるキャラの名前が原作では未設定の為独自の名前を付けましたが本筋には影響がないのでご容赦ください。一応独自設定ですので。
――夢を見ている。
私が今迄焼いてきた人々の亡霊に詰られ、襲われ、貪り食われる悪夢を。
私は常々自分が分不相応な程に幸福な男だと自負している。
帝国軍の鼻つまみ者である焼却部隊の隊長。
慈悲も容赦も躊躇いも持たずに時として自国の生きた人間をも焼き尽くす非情の部隊、その長。
ソレが私、ボルスという男の肩書であり、その役職の重みに違わぬ外道である事を否定する気はない。
汚れ仕事を担う私たちは、市民はおろか同僚である他の軍人にも理解されず、忌避される事がままある。
ソレを不満に思う訳も無く、寧ろ当然の話だと私は思っている。
何せ、本来は守るべき対象である帝国臣民ですら、場合によっては容赦なく燃やしに行くのが私たちの職務だ。
そんな外道が、後ろ指を指されずにのうのうとお天道様の下を歩き続けるだなんて贅沢が許されていい筈がない。
きっと私も最後には地獄に堕ちる。
此れはもうほぼ確定した事実だ。
私の両手は、赤く、紅く、血に染まっている。
私の歩いてきた道は、堆く積み上げられた黒焦げの焼死体で築かれた死体の山で埋まっている。
死山血河を往く私が何時か報いを受けるハズだというのは、世の道理であり、真実であるべきだ。
恐らく私が死ぬときは戦場で、路地裏で、独房で、処刑場で、街角で、必ずや他者の手によって殺されるに違いない。
真っ当な死に方が出来ないであろうという事実だけは確信を持っている。
何れ自分よりも遥かに強大な敵と戦い敗れて惨殺されるだろう。
嘗て恨みを買った顔も知れぬ誰かの復讐の為に闇討ちをされるかもしれない。
政争に巻き込まれ投獄されて獄中で不審死を遂げるかもしれない。
何時の日か必要とされなくなった焼却部隊が全員切り捨てられて処刑されるかもしれない。
暗殺者の手によって誰にも気付かれずに街中で衆人環視の中討たれるかもしれない。
その事に不満を持つ事は無い。
私はやるべき事をやったという部分に関しては悔いる事は無いし、ソレで何時の日か報いを受けるであろう未来に抗う心算も無い。
そんな私だが、現状では心苦しいくらいに幸福な日々を過ごしている。
愛する妻と娘。
家族三人で生活し、こんな外道でも家庭を持ち幸せに暮らしている。
妻、マリアは気立ても器量も良く、私には勿体ない程の素晴らしい女性だ。
優しく美人な奥さんだと近所でも評判で、献身的で聡明で物腰柔らか、まさに良妻賢母の言葉が相応しい。
そんな彼女と結ばれた事は私の人生で一番の幸福であり、奇跡とも言える。
娘、ローグは目に入れても痛くない程に愛しい、優しく人懐っこく天真爛漫に育った自慢の子だ。
母に似て可愛らしい顔貌で、他者を慈しみ憂う事が出来る温かな性根の子供に育った。
私のような外道の血を引いているとは思えない程に、娘は人として真っ当で美しい心根を持っている。
彼女達がいるからこそ、私は死ぬ事が出来ない。
こんな外道でも、愛する家族の為に、まだ死ぬ事を許されていない。
ソレが度し難い贅沢だと言われても、私は何を言われようとも家族の為に意地汚くも生き残る事を諦めたくはない。
情けも容赦も持たずに国家の従僕として人を焼いてきた私だが、そんな外法を平然と行う程の精神的強さなんて持っていなかった。
そんな私が今日のこの日まで壊れずに済んだのは、偏に愛する家族の存在を心の支えにしていたからだ。
家族の為なら、私はどんな苦痛にも耐えられる。
何れ応報されるのが定めだとしても、今だけは此の幸福の中で微睡んでいたい。
私が望むのは、ただ家族の安寧だけ。
そう願う傲慢が、度し難い程の悪徳だとしても。
疫病の疑いがあると上に言われて、疑う事無く村一つを焼き滅ぼした。
後になって、本当は過剰で莫大な年貢を払えずに滞納した事への見せしめとして命令された、私が殺したのは何の罪もない筈の人々だったと知った。
逆に、本当に疫病の発生への対処として派遣された事もある。
しかし、私に出来るのはただ焼き尽くす事だけだ。
疫病の患者も、そうでない健康体の人々も、彼らを救おうと必死に治療に当たっていた医師達も、抗おうとした人々も、逃げ出そうとした人々も、命じられるまま一切の区別なく燃やし尽くした。
賊徒や異民族を焼いた事もある。
抵抗した人間も、命乞いをした人間も、人も、建物も、動物も、何もかもを焼却した。
生きたまま焼け死ぬ苦しみを味わわせ、帝具故の圧倒的な火力で以って幾人もの人々を消し炭に変えた。
罪のある人も、無実の人も、抵抗した人も、無抵抗な人も、上に命じられるがままに唯々諾々と、区別する事なく燃やしていった。
其処に感じ入るものが無い筈も無かったが、私にも公僕としての矜持が在った。
『誰かがやらなければならない仕事』がコレだとするのなら、ならば私がソレを担う事に後悔は無い筈だった。
だから、覚めぬ悪夢に連日魘され、段々と憔悴していく事すらも報いだと受け止めていた。
眠る事が恐ろしくなり、何時しか起きているのか寝ているのか判別がつかなくなる程に錯乱していても。
――それで、乱心して家族に傷を負わせてしまったのでは、何も意味が無いと悟ったのは夢から醒めてからだったが。
亡者の群れが私に纏わり付く。
悪夢の中には帝具も無く、消し炭になった真っ黒な亡者達に群がられる事に碌な抵抗も出来ない。
亡者は泣き叫び、齧りつき、掴みかかり、引っ掻いてくる。
黒く窪んだ眼窩からはとめどなくどす黒い血涙を流し、窪んだ口腔からは掠れたような怨嗟の叫喚を吐き出す。
食らいついた亡者の咢は冷めぬ熱を持ち、熱と痛みで此方を削り取ってくる。
掴みかかる手足はすぐにボロボロに崩れるが、それでも骨身だけでも此方の肉を抉り取っていく。
狂乱の中で振り回す手指が、引き裂く形で此方の肉を千切り取る。
延々と繰り返される痛み、熱、恐怖、絶望、悔恨の連続。
夥しい数の亡者に集られるが、不思議と狂う事も死ぬ事も気絶する事も出来ず、唯々痛みと狂気に飲まれながらも蹂躙されるままだった。
毎夜眠る度に此の悪夢に誘われるが、私の中途半端に弱い心が発狂する事も克服する事も許してくれない。
ほら、今も五体がバラバラになった筈の私の肉体が、それでも意識が漂白されそうな強烈な痛みに苦しみながらも時を巻き戻すかのように繋ぎ合わされていく。
亡者はまだまだ数えきれない程の数が居る。
居る。もう目は見えないが、私へ復讐をしようと集まった亡者はまだまだ沢山居る。
聞こえる。もう耳は聞こえないが、悍ましい阿鼻叫喚の調べが侃侃と木霊する。
熱くて見えないのに、痛くて聞こえないのに、アレらがまだ居る事を知らせてくる。
あの白くて冷たい炎と、黒くて丸い風が骸の身体に突き刺さる。
……いや、あの炎は青くて苦かったっケ?
風も赤くて賑やかだった。
だったらまだ此のどす黒い海も飲み干せない。
ならば急いでワタシの指を折り、耳を削ぎ、炎を吸わないと。
ほら、今も12本脚の蜘蛛の群れが私の骨の欠片を何処かへ運んでいる。
ふんぐるぅい、むぐるなぐ、うたぐなぐ、ふが、いsdw?
いあいあdhじゃks!!
――悪夢は、まだ覚めない。
「――ハァッ、ハァッ、ハァッ…………!!」
焼けつくような喉の渇きに目が覚めた。
飛び起きた視界には薄暗い病室が映り込む。
微かに月明かりだけが差し込む病院の一室と思われる部屋。
上手く回らない頭で此処が何処で何故自分が此処に居るか考えたが、その答えに辿り着く前に病室の戸がノックされた。
現在自分が如何なっているのかも判別がつかず、逡巡している間に扉は開かれてしまう。
「――あら、起きてるじゃない」
明かりを付けながら病室に入ってきたのは、私も良く知る人物だった。
Dr.スタイリッシュ。
技術者としても医師としても、経営者や軍人等でも著名である優秀な人物だ。
焼却部隊の教導で新種の武具を供給して頂いている関係で、私も幾度となく会話した事がある。
その時の印象では、言動がエキセントリックな割に、挙措も思想も至って真面な、それ故に却って不気味な人物である、というものだった。
いや、心象は兎も角、何故ドクターが此処に居て、私は病室で寝ているのだろうか。
「ふぅん? その様子じゃ、何も覚えていないようね?」
「え、あ、あの、私は……」
「まあいいからコレでも飲んでなさい」
「え、あっ」
当惑する私に構わず、ドクターは何かの容器を投げて寄越す。
「アイスティーしかなかったんだけどいいわね?」
「あ、はい」
受け取ってみると、最近になって軍に支給されるようになったペットボトル飲料だった。
軽くて丈夫な此の容器のおかげで、行軍で最も重要で確保が難しかった水分を各人で楽に携行出来るようになった帝国軍は、軍の派遣が容易且つ迅速に行えるようになった。
給水タンクとしてもしなやかで軽く頑強な新種の合金を用いた物が配備され、戦地で水源の争奪戦をせずに済むようになったのも大きい。
その立役者であるドクターだが、自身も手勢を率いて従軍する程の歴戦の武人としての側面も持っている。
そんなドクターだが、困惑している私を他所に脇に挟んでいた何かのファイルを検めている。
聞きたい事もあったし、何か焦燥感のような突き動かされるモノも感じている。
しかし、喉の渇きを感じていたのも事実。
実際、手に飲み物を握った事で、その渇きは抑えがたい程に高まっている。
その渇求に抗えず、蓋を開けて中に入っていた飲み物を呷る。
驚く程にキンキンに冷やされた紅茶が、五体に染み渡るように浸透していく。
仄かに甘みの付けられたソレは、憔悴していた身体に僅かな活力を与えてくれる。
500mlの容器に入っていたアイスティーを、一息に飲み干してしまった。
人心地付いた事で、自身を顧みる余裕が生まれる。
しかし、記憶は靄がかかったように曖昧で、一体何故自分がこうして此処に居るのかが杳として知れない。
先ほどから感じていた焦りに似た感傷が堪えきれそうにない程に膨れ上がった所で、ドクターが此方に目を向けた。
「――ハイ、じゃあ時間がちょっとアレだけど、まずは問診を始めるわね」
「……問診、ですか?」
ドクターの口から出たある意味でこの状況にそぐわない言葉に、暫し固まってしまう。
しかし、考えてみれば『気が付いたら病室に居て、前後の記憶が定かでない』……そんな状況ならば確かに医師の対処も必要だろう。
夜半のこの時に行うものではないという点に目を瞑れば。
ドクターから型通りの問診を受け、痛みはあるか? 意識ははっきりしているか? 等の質問に受け答えをする。
自分としては記憶の混濁と精神的な焦燥感以外には特に意識して何かを感じた部分は無く、それもはっきりと言った。
しかしプロの医師から見れば違うのか、問診の最中に手元のカルテらしき物にしきりに何かを書き込まれている。
その事に不安を感じないでもなかったが、努めて心を落ち着けておく。
体感時間では長い間話していたように感じたが、実際には数分程度で問診は終了した。
暫くドクターがカリカリとカルテに何事かを書き込んでいく時間だけが過ぎ、数枚に渡って長々と何事かを書き込んだ所でペンを置いた。
そして私と相対し、気不味そうな顔で何を言おうかと迷っている。
…………うん、コレは、良くないものだ。
ドクターの
何故か“その顔”をして、私の病状なりについて話そうとしているらしい。
……まさか、また何か
「まあいいや。えー、アナタの症状だけど、取り敢えず記憶の混濁と、精神的に不安定だと。これは間違いないわね?」
「……ハイ」
「あー、じゃあ結論から言っちゃうと、アナタのソレ、アタシの所為なのよね」
「……ハイ?」
……やっぱりか!?
また何かやらかしたんですか、この人は!!
「いや、言い訳になるけど、原因ブツこそアタシが関わってるけど、今回の件に関しては完全に大臣の陰謀だから。其処は勘違いしないで欲しいわ」
「……? どういう事ですか?」
意味が分からない。
言い訳と仰るが、またぞろ実験の失敗で被害を撒き散らしたわけではないだろうか。
「あのね、抑々の話になるけど、大臣の依頼で『無味無臭無色高純度の毒薬』を発明する事を命じられていたのよ、アタシ」
「はぁ」
……別におかしな話ではない。
ドクターが稀代の天才発明家の側面も有しているのは周知の事実だし、ウチの部隊の武具のように帝国の依頼で様々な物品を開発して配備させているのも衆目の知る所だ。
例え『無味無臭の毒薬』などという、明らかに悪巧みに使われる事が必至の危険物だろうが、依頼主が大臣なら仕方ない。
「まあ天才のアタシの手にかかればそんなプリミティブな薬品なんて赤子の手をひねるように創れちゃうの。だから幾つか種類を豊富に製造して献上したんだけど……」
そう言って申し訳なさそうな、それでいてどこかふてぶてしいかのような、曖昧な表情で此方を眇める。
「………………え? まさか此処で私ですか!?」
「うん、残念ながらそうね。アナタ、アタシが作った毒薬を仕込まれてたわよ」
「ええッ!?」
ど、どういう事!?
「いや、つまりアナタが大臣一派の標的になったって事よ」
「はッ!? え、どういう事ですか!?」
「あー、もう、落ち着きなさいよ。ほら、お茶もう一本あげるから」
そう言って何処に持っていたのか、またもやキンキンに冷えたアイスティーのペットボトルを放って寄越す。
目の前に飛んできたソレを思わず受け止めると、その隙にカルテを捲りながらドクターは続きを話す。
「まあ、今回使われた毒薬の中身はアレよ。『継続して服用させる事で徐々に錯乱させ、最後には意識が混濁して発狂する』って代物ね。……暗殺よりも謀殺に向いてると思わないかしら? で、どうも屯所の昼食で仕込まれていたらしいわ。有効薬量は成人男性なら僅か0.05mg。食事に混ぜられたら誰も気付けやしないわよ」
衝撃的な事実を告げるドクター。
しかし、まだ衝撃は続く。
「直接の下手人はアナタの所の副隊長。動機は隊長の座が欲しいのと、どうもアナタの奥さんを狙っていたらしいわ。……隊長殺しても奥さんは手に入らないのにね? そして裏で糸を引いていたのが大臣で、此方の思惑は正確な所は分からないけど……以前にアナタの事を『焼却部隊の長には相応しくない』みたいな事を言っていたから、多分ソレ系ね。…………此処までで何か分からない点はあるかしら?」
「…………ハッ!? ちょ、ちょっと情報量が多くて……」
「ああそう(無慈悲)。で、毒で徐々に精神の均衡が崩れて情緒不安定になっていた所で、遂に自宅で錯乱して暴れたアナタが病院に担ぎ込まれたのよ。その際に奥さんも若干の手傷を負ったようだけど」
「ッ!!? そ、そんな!! 妻は!? 妻は無事なんですか!?」
「心配しないでも軽傷だから大丈夫よ。痕も残らない唯の打撲ね」
「そ、そうですか……」
……いや、無事だったのは嬉しい。それは本心だ。
でも、結局は私が彼女を傷つけた事に変わりはない。
こんな……こんな、愚かしい真似をしては妻に合わせる顔が無い……。
私はなんてみっともない存在なんだろう……。
もう、彼女の夫と名乗る事など――「チェスト!」ひぎぁっ!?
「な、何するんですか!?」
「いや、ウジウジ腐ってたようだから、喝を入れてあげたのよ」
「だからって目つぶしする人がいますか!?」
「此処に居るじゃあないの?」
――あ、ダメだ。
この人話通じない。
ああ、此の人の本質はやっぱりエキセントリックで豪放磊落な部分にあるんだな、としみじみと痛感した。
普段のオーバーリアクションでありながら飄々とした常識的立ち振る舞いは猫を被っているというか、ただ常識的に行動しようと努めているに過ぎないようだ。
そのペルソナを使いこなすだけの悪辣な知性が今、私に牙を剥いている。
即ち此れは知の暴力……ッ!!
「……まだ汚染が抜けていないようね」
「――ハッ!? また意識が飛んでいた」
「――で、何をネチョネチョといじけているのかしら?」
「ネチョネチョ!? い、いえ、別に……」
「医者に患者が隠し事なんて出来ると思わない事ね。どうせ奥さんに手を出してしまった事を悔いているとかそんな所でしょ」
「ッ! ……はい」
……流石は医師としても神域の技能を持つとされるドクターだ。
私の拙い隠し事程度、簡単に洞察出来てしまうらしい。
「じゃあメンタルケアも今からやっちゃうから。ほら、吐き出したい事全部曝け出した方がいいわよ」
「………………」
……そんなおざなりなやり様で前向きに取り組む患者なんているのだろうか。
…………だが、誰かに私の胸の内を明かしておきたかったのも事実。
これくらいに気安い方が、聞いてもらうにもありがたいのかもしれない。
……なるほど、という事は此の、一見すれば不適切に見える態度も、それなりに意味があるのだろうか。
……まあ、意味があってもなくてもどうでもいい。
誰にも相談が出来なかった話を、今此処でしようと思う。
気が付けば私は、自分の罪深さと犯してきた罪業を、洗い浚いドクターに打ち明けていた。
罪なき帝国市民を焼いてきた事を話した。
今の私のように心を病んだ部下を焼いた事も話した。
革命軍に物資を提供していた村を焼いた事も話した。
政争で敗れた清流派を粛正する為に焼いた事も話した。
それら全てに国の為、家族の為と言い訳をしながら、心を痛めつつ生きてきた事を話した。
罪、罪、罪、罪、罪。
犯してきた罪悪に押しつぶされそうになりながら、それでも妻にすらも相談が出来なかった自分の心の奥底に秘していた筈の大罪について、とめどなく口から言葉が紡がれ続ける。
不思議とドクターにはすんなりと総てを話す事が出来ていた。
意外と、と言っては失礼かもしれないが、ドクターは話しやすく聞き上手だった。
嗚咽に詰まりながらもそれでも話し続ける私に、決して急がせず、決して否定する事無く、最後まで話を聞いてくれる。
それだけでもとても有難い事なのだと気づいたのは、大分後になってからだったが。
「――必要か?」
「……え?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、ドクターを呆然と見上げる。
話すべき事は最後まで話し切り、ただ私の嗚咽だけが室内に響いていた後。
私の話に暫し考え込んだドクターが口に出したのは、私の想定していたものとも、そして普段のドクターの言動とも大分異なる言葉だった。
「赦しが必要か、と聞いている。悔恨の過去を賛美すれば満足か? 絶望の人生を憧憬に変えれば納得か? 悲嘆の未来に光明を照らせば十分か? 諦観の果てを希望で満たせば充実か? その全てに赦しを与えたら、それでオマエは本望なのか? ワタシはそう聞いている」
見た事がないような鋭い眼光で、ドクターが私を睥睨している。
その視線の強さに、思わず背筋が冷える。
殺意にも似た重厚なプレッシャーに言葉を失い、ただ白痴のように口を開け閉めしていたら、ドクターが尚も言い募った。
「赦しが欲しければくれてやろう。悔恨も、絶望も、悲嘆も、諦観も、その総てをワタシが赦し、ワタシが導いてやろう。オマエの罪科は余すことなくワタシが受け止め、ワタシのモノとなる。……オマエは何も考えるな。人間は得てして考えるから不幸になる。オマエは唯、愛する者を傷つけた痛みだけを覚えていればいい。そうすれば、幸せが待っているぞ?」
「な……なに、を……」
「――だがソレではオマエが得心しまい。餌を待つ雛鳥のように誰かに何かを与えられる事を待つだけで、何かが変わるものかよ。ましてや、オマエがソレを良しとするようには見えん」
ドクターが朗々と告げる。
ソレは嗤うように、讃えるように。嘲るように、敬服するように。謡うように、叫ぶように。叱咤するように、称賛するように。
「――さあ、選択の時間だ。全てを投げ捨てて何もかもを他者に委ねるか。はたまた、幾度も傷つき何度も死にたくなるような境地に至りながら、それでも生き足掻くのか」
「ッ!!」
どろり、と。
昏く濁った双眸で此方を見据えるドクターの視線の強さに肝が冷える。
まるで魂の奥底までを見透かすような深く力のある瞳だ。
「選べよボルス。人生は選択の連続。今、此の瞬間こそがお前にとってのルビコンの対岸なのだから」
否定は許さぬとばかりに力強く、されども何処か飄々と。
ドクターは憂うような苦みのある表情でそう告げた。
選択、選択だと……。
「わ、私は……ッ!!」
私の選んだ道は………………。
その後の話をしよう。
私は次の日の朝にはすっかり体調を回復して退院していた。
あの日以降はあれだけ連夜魘されていた悪夢も、すっかり見なくなっている。
心身共に健康そのものであり、体調面で不安な点は一切見られない。
特に何か劇的な処置を受けた覚えは無かったが、プロの観点からは何かしらの有効打を打っていたのだろう。
退院後、真っ先に行った事は妻への謝罪だった。
妻の好きなケーキと花束を買って帰り、帰宅後即座に謝罪する。
何と罵られようと甘んじて受ける気であったし、離婚を切り出されたのなら粛々と受け入れる心算でもあった。
……しかし、予想に反して彼女からは逆に心配されて謝罪までされてしまう。
私の病状についてはドクターからの説明を十全に受けており、それ故純粋に私の事を心配していたそうだ。
それでなくても心優しい妻の事だ。
日々憔悴していた私を見ていた事で、逆に私の心労を取り除いてやれなかった事を悔いていた程だという。
……本当に私には勿体無い程に出来た妻だ。
結局、お互いが謝罪合戦になり始めた事で何方ともなく笑い出し、其処でその話は終わった。
あの日以降私が錯乱する事は無く、「いい父親」である事を違えた事は無い心算だ。
ドクターからも『耐性が出来てるでしょうし、今後は今回作ったの以上の効能のは世に出さないから、アナタが再び発狂する事は無いでしょうよ』とお墨付きを受けている。
また、今回の事で引け目を感じたのか、また何かドクターの発明品で不利益を被った場合はアフターケアをして頂く事も確約して頂いた。
ドクターの発明品に関しての是非は兎も角、私は私で色々と考えるようになった。
これまでの事、これからの事。
犯してきた罪業、今後も行うであろう非道。
私の事、家族の事、部下達の事。
兎角様々な事を考えたものだが、私が最後に考え付く事は決まって一つの結論に帰結した。
私は、これからも罪を犯す。此れは確実な未来だ。
ソレを国の為、家族の為、誰かの為と言い訳をしながら、見て見ぬ振りをするのはもうやめた。
私の牙は、私の志は、そして何より私の正義は一人の方に預けてある。
顔も知らない誰かの為に泣く事はきっともう無い。
その代わり、私は顔も知らない誰かの為に任務に邁進する。
いつか必ず地獄に堕ちるのだとしても。
私は、今の此の時を、かけがえのない愛する人たちと生きていく。
そう、心に決めたのだから。
というわけでボルス主役回でした。
普通に死にそうなくらい死亡フラグ立ってますねクォレハ…。
いや殺しませんけどね?
ボルスの奥さんの名前がどうも未設定らしいので勝手に名前を振りました。
独自設定ですのでご容赦ください。