TS守り神   作:RK

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 操縦する魂が違うだけでも、身体の動きは段違いに変わるらしい。

 

 弥助は自分が普段の倍ほどの速さで走れていることに驚愕していた。神社の石段をあっという間に駆け下り、あぜ道を疾駆し、軽やかに柵を飛び越えていく。

 

「すごい」

 

 感嘆の声をもらすと、弓弦彦は少し申し訳なさそうに言った。

 

『感心しとるとこ悪いが、少々反動がある。数日ほど全身が痛くて動けんくなるだろうから覚悟しといてくれ』

 

 神の身体能力を前提とした動きをごく普通の少年の身体で再現しているのだ。無理が生じるのは当然といえば当然だった。

 

『身体がしっかりしていればこれくらいなんでもないのだがな。次に己を呼ぶときまでに身体を鍛えておけ』

 

「……わかりました。『次』があればそうします」

 

 弥助が答えたそのとき、村の奥の方から女たちの悲鳴が聞こえてきた。そちらへ急行すると、腰を抜かした女が何人か道の傍でへたりこんでいた。

 

 弓弦彦は近くにいた女に話しかけた。

 

『化け猫を見たのか?』

 

「うん。……弥助、あんた弓なんか使えたっけ」

 

『ちょっとはな。化け猫はどこにいる?』

 

「な、名主様の屋敷に……」

 

『分かった』

 

 化け猫の行き先が分かるや否や、弓弦彦は走り出した。

 

『日野家か。……これは、単なる野良妖怪ではないな』

 

「どうしてそう思うんですか」

 

『野良なら無差別に殺すだろう。晴仁を殺してすぐ日野家の方に行くのは、村の要人を狙っているとしか思えん』

 

 弥助ははっとした。化け猫は弥助や今の女を殺せたにもかかわらず、何もしなかった。あれは気まぐれではなく、殺害の優先度が低いから見逃しただけなのだ。

 

『計画を立てたのは別の奴だろうけどな。晴仁殺しを見た感じ、化け猫自体は道具だ。命令を遂行するために襲う相手を選ぶくらいの頭はあるが、山の方に若い衆を引き付けて、こっちで要人を殺すような計画が練れるとは思えん』

 

「一体だれがこんなことを?」

 

『さあ、分からん。分かるのは、とりあえずバケモノ退治が終わってから考えるべきだってことだな』

 

 日野の屋敷の戸が破られていることを確認すると、弓弦彦は目を細めた。敵は既にこの屋敷に侵入しているらしい。

 

「中に入りますか?」

 

『……いや、中に入る時間はない。外から壁抜きをやる』

 

「屋敷の中が見えないんじゃしょうがないですよ」

 

『屋敷の中の様子は分かる。そもそも己の力は、生き物の気配を感じる力だからな』

 

「弓じゃないんですか」

 

『己の技術は自前だ。おっと……どうやら、ヤツは目標を見つけたらしい』

 

 ちょうど、壁の向こうから悲鳴が聞こえてきた。千歌と忠秋の声。千歌は唯一の医者だし、忠秋は秋康の後を継いで長になる。狙われるには十分すぎる理由があった。

 

 狙われているのがあの二人だということを知り、弥助は思わず足を止めた。動きを掣肘された弓弦彦は、いぶかしんで訊いてくる。

 

『どうした?』

 

「……」

 

 魔の一瞬。

 

 あの二人を見殺してやろうかと弥助は思った。千歌と忠秋、どちらも弥助にとっては因縁のある相手。これは二人をまとめてあの世に送るよい機会なのだ。

 

(俺が今、意志をもって抵抗すれば……弓弦彦は動けないはずだ)

 

 つまり、二人の命は自分の手のひらの上にある──弥助はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「……姉上、もっと後ろに!」

 

 そのとき、忠秋の声が聞こえてきた。千歌をかばっているらしい。化け猫の静かな威嚇をかき消すような絶叫が響きわたる。

 

「来るな!バケモノ! ぶっ殺してやるぞ!」

 

 声が震えている。しかし千歌を守ろうという意志だけははっきりと感じられた。

 

(……これ、どこかで)

 

 弥助は影切の攻撃からオカラシサマを守ろうとしたときのことを思い出した。あれと同じだ。あいつはクソ野郎だが、誰かを守るために命を張っている。

 

(……見殺すのはだめだ)

 

 心の隙間に忍び込んだ悪鬼の囁きを振り払うように、弥助は首を振った。

 

「弥助、どうした?」

 

「なんでもない。早く助けよう」

 

 この二人を見殺すわけにはいかない。弥助の言葉にうなずくと、弓弦彦は矢筒から一本の矢を取り出した。

 

 流石に弓の達人といえど、壁の向こうにいる相手に当てるには集中力がいるらしい。壁に向けてぎりぎりと引き絞り、限界に達したところでぴたりと止め、矢を放つべき瞬間を測っていた。

 

 吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。

 

 そして三度目。息を吐いた瞬間、弓弦彦は矢を放った。

 

 矢は壁に吸い込まれるように飛んでいき、こぉんと小気味の良い反響音とともに木壁を貫いた。直後、げぶっ、と水でいっぱいの皮袋が破れたような音が聞こえてきた。

 

『手ごたえあり』

 

 戸に回って中に入ると、小さい血だまりの中に化け猫が倒れていた。弓弦彦の壁抜きは肋骨の間を抜け、正確に化け猫の心の臓を貫いたらしい。

 

 壁を貫くだけの力、急所を射抜くだけの技術がなければ到底不可能な技。弥助が舌を巻いていると、倒れている化け猫の向こうから声が聞こえた。

 

「……弥助?」

 

 壁際に追い詰められながら、千歌をかばうようにして立つ忠秋がいた。少しでも来るのが遅ければ、二人仲良く挽き肉にされていただろう。

 

 忠秋は弥助が持っている弓を見て、目をみはった。

 

「お前がやったのか」

 

「俺は、弓弦彦様に身体を貸しただけだ」

 

 忠秋はそれを聞いて複雑そうな表情を浮かべていた。だが、やがてきっと唇を引き結ぶと弥助に頭を下げた。

 

「助かったよ。来てくれなかったら……俺も姉上も死んでた。ありがとう」

 

「………」

 

 誰よりも嫌い合っていたはずの忠秋にそんなことを言われ、少し戸惑った。それに一瞬とはいえ忠秋を見殺しにしようと思ってしまったので、弥助はまともに彼を見ることができなかった。

 

「……礼なら、弓弦彦様に言ってくれ」

 

 自分は礼を言われる資格などないから。内心でそう付け加えたそのとき、弥助はひどい眠気に襲われた。

 

「なんだ? これ」

 

 まぶたが自然と下りてきた。いやに空腹で、全身が疲れ切っているような感じもする。弓弦彦はとくに驚いた様子もなく、その疑問に答えてくれた。

 

『大丈夫だ。疲労が限界に来ただけだ。安心して眠るといい』

 

「そうですか。じゃあ、遠慮なく」

 

 駆け寄ってくる千歌と忠秋の顔を見上げながら、弥助はそのまま昏倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、弥助は自分の部屋に寝かされていることに気がついた。額には濡れ手ぬぐいが載せてあり、ぬるい雫がこめかみを伝って枕に落ちていた。

 

 弥助が半身を起こすと、こちらに背を向けて、こっくりこっくりと船をこいでいるオカラシサマが目に入った。彼女の脇には水の入ったタライが置いてある。どうやら弥助を介抱してくれていたらしい。

 

「……オカラシサマ」

 

 そう呼んだ瞬間、ぴんと狐耳が立ち上がり、勢いよく振り返った。彼女の顔には、深い安堵が浮かんでいた。

 

「よかった! やっと起きて……本当によかった」

 

 彼女はクマのできた目をぐしぐしとこすった。

 

「俺は、どれくらい眠ってたんですか」

 

「丸一日。弓弦彦を降ろした反動だっていうのは聞いたんだけど、途中すごい熱が出てて……君も死んじゃうんじゃないかって……すごい心配したんだよ」

 

 体力が落ちたせいで、病魔にやられやすくなっていたのかもしれない。

 

「心配かけてすみません」

 

「本当にね。弥助まで死んでたら、私は……私は……ッ」

 

 オカラシサマはそう言うと、弥助を抱きしめてきた。ふわりと甘い香りが鼻をつき、柔らかい胸の感触が当たる。弥助は高鳴る鼓動を抑えながら、抱擁を返した。

 

「晴仁だけじゃない。いっぱい人が死んだんだ」

 

 それから、オカラシサマは山での顛末を語った。村に現れた化け猫と山の方にいた化け猫は別の個体だったらしく、山にいた方は彼女の手で退治された。

 

 だがそれまでに出た犠牲は決して少なくはなく、4人もの死者が出たのだという。オカラシサマが口にした死者の中に冬蔵の名があり、弥助は驚いた。

 

「あいつも?」

 

「うん。でも、彼のおかげで化け猫を早く仕留められたんだ」

 

「……そっか」

 

 助平だけどいい奴だった。弥助は、何とも言えないやりきれなさを覚えた。

 

「今、死んだ人たちの葬儀をまとめて手配してるんだ。美琴が頑張ってる」

 

「それは……大丈夫なの?」

 

 美琴だって肉親──晴仁を殺されている。無理して仕事をしているのではないか。弥助の考えを読み取ったようで、オカラシサマは目を伏せた。

 

「ううん。だから私も、後で手伝いにいく。弥助はここで休んでていいから」

 

「いや、俺も手伝うよ」

 

 そう言って立ち上がろうとした瞬間、全身に激痛が走り、ばたりと倒れた。

 

「ぎっ……」

 

 筋肉や骨の節々が悲鳴を上げている。まるで物見櫓(ものみやぐら)から落ちて地面に叩きつけられたかのような痛みだった。

 

「まだ神を降ろした反動が残ってる。安静にしてて」

 

「……くそっ」

 

 オカラシサマは布団を優しく掛けると、弥助に笑いかけた。

 

「聞いたよ。千歌と忠秋を助けたんだってね」

 

「あれは弓弦彦のおかげだ。俺は何も……」

 

「見殺しにしなかった」

 

 弥助は驚いてオカラシサマの方を向いた。あの魔の差しかけた一瞬も見抜かれていたのだろうか。

 

「あはは、本当にそんなこと思ってたんだ」

 

 オカラシサマは弥助の反応を見て苦笑していた。

 

「……鎌をかけたんですか」

 

「ごめんね。でも君はそうしなかったでしょ」

 

「別にあの二人を助けたかったわけじゃないです。晴仁から頼まれたから……」

 

 弥助の言葉を聞いてオカラシサマは少し呆れたようだった。

 

「君はほんと、ああいえばこういうね……まあでも、君がいなかったらあの二人が死んでたことは事実なんだ。君は十分に頑張ったよ」

 

 そう言ってオカラシサマは立ち上がった。

 

「今はゆっくり休んでて」

 

 薄くほほ笑むと、彼女は障子を開けて部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、化け猫たちをこの村にけしかけた者の正体は掴めなかった。何のためにこの村を攻撃したのかすらとんと見当がつかないのだ。当然といえば当然だった。

 

 村の寄り合いでは緒乃家の間諜ではないかという意見も出されたが、緒乃家は現在さらに東にある四条側の領主と戦をしているそうで、そんなことをする余裕はないだろうと一笑に付された。

 

 秋康は皆の話を聞いて何か考え事をしているようだったが、やがて「この件については日野家が調べておく」という言葉で締め、黒幕についての論争は終了した。

 

 そして今回の事件の犠牲者たちの葬儀は美琴が中心となって執り行い、死体は火葬された。死体が焼かれていく時の煙の臭いには、鳥の肉を焼くときには出ない独特の臭気が混じっていた。あれが俗にいう、死の臭いというものなのかもしれない。

 

 そんなこんなでとりあえず手続きとしての葬儀は終わり、化け猫襲撃事件はよくわからないまま終わりを告げた。

 

 だが、残された生者には終わりはない。大事な人のいない日々が始まるのだ。

 

 葬儀が片付くと、美琴はふさぎ込んだ。今まであまりにも普通にしていたため触れてこなかったが、彼女の母親は病死しているらしい。残った肉親である晴仁も死んだため、加茂家は加茂美琴ただ一人になってしまったわけである。

 

 彼女はふさぎ込むと逆に仕事に打ち込むタイプだった。晴仁のやっていたあいさつ回りや記帳、神社のもっている土地の管理、新年の儀式の手配などをガンガン進めていった。だが、一日の仕事量が俺たちとは比べ物にならないほど増えてしまっていたので、流石に心配になってきた。

 

 

 

 

「オカラシサマ。お茶をおもちしました」

 

 ある日の昼下がり。俺が農業関係の書物を読んでいると、美琴がお茶をもってきてくれた。

 

「ありがとう。美琴、朝から働きすぎだよ。少しは休んだら」

 

「父上のやっていた分もやらないといけないので」

 

「私が少し手伝おうか?」

 

「オカラシサマは力の実験をしてから、山城の普請も見ているのでしょう。……それに仕事は私が好きでやってるんです」

 

 俺はため息をついた。仕事に打ち込みすぎるのも考えものだった。俺は就職する前に死んだから本当のところは分からないが、ブラック企業がこの世界に来たら、喉から手が出るほど欲しがりそうな人材だ。

 

「算術の心得があるから、記帳は私でもやれる。そういう系のは私に回してよ」

 

「しかし……」

 

「これは神様としての命令でーす。だいたい、無理して倒れられるのが一番困るんだよ。なるべく私と弥助にも仕事を振って」

 

 美琴は不承不承といった様子でうなずいた。

 

 彼女が出ていくのを見送ってからしばらくすると、ごめんくださーい、と社の方から声が聞こえてきた。

 

「……千歌?」

 

 俺は驚いた。今まで彼女は、弥助に会うと気まずいからと言う理由で神社には来ていなかった。それがどういう吹き回しでここまで来たのだろうか。

 

 千歌は社から出て来た俺に、ぺこりと頭を下げた。

 

「どうも。ここを訪れるのは初めてですねえ」

 

「うん……それにしても、今日は珍しいね」

 

「この時間、弥助が弓の練習のために神社を空けていることは知ってますから」

 

 千歌は境内を見回しながらそう答えた。確かに、弥助は神降ろしに耐えられるくらいに身体を鍛えるために外へ出かけている。しかしそんなことを知っているのは、俺と美琴くらいだと思っていたが。

 

「あー……美琴から聞いたの?」

 

「いえ。弟からです」

 

「忠秋?」

 

 意外な名前が出て来て聞き返すと、千歌は少し笑った。

 

「最近は、()()()()練習の場がかぶるのだそうですよ」

 

 訊いてみると、どうも弥助と忠秋はお互い憎まれ口をたたきながら一緒に森で弓を練習しているらしい。仲がいいとは言い難いが、まあ悪すぎるというわけでもないようだ。

 

「たまたまね……」

 

 彼のわだかまりは氷解しつつあるのかもしれない。俺は千歌につられ、笑みを浮かべていた。

 

「それなら、弥助の方はあんまり心配いらないのかな」

 

 俺の言い方に引っ掛かりを覚えたのか、千歌は片眉を上げた。

 

「美琴さんの方は心配なんですね」

 

「……鋭いな」

 

「前もって弥助の話を忠秋からまた聞きして知ってましたからねえ。今日はその関係でお話をと。できれば美琴さん本人もいればよいのですが……」

 

「とりあえず私が用件だけ聞いとくよ」

 

「わかりました。では、美琴に伝えておいてください」

 

 そう言うと、千歌は紙の束をどすんと床に置いた。

 

「そろそろ身を固めるようにって。こちらは婿候補です」

 

「婿候補って……それがなんで美琴のためになるの?」

 

 千歌はため息をついた。

 

「素敵な殿方と結ばれるのがためにならないわけないでしょう。ほら、オカラシサマも祝言でドキドキしたでしょう?」

 

「したけどさ……あれは結婚しないと殺されるって状況だったからね」

 

 まあ娯楽が少なく、仕事もたいして変わり映えしない村の女性にとっては、夫選びというのは重要なイベントなのだろう。要するに千歌は、結婚の話で美琴を元気づけようと言いたいのだ。

 

「そんなにうまくいくもんかな……」

 

「たぶん大丈夫ですよ。それにどちらにせよ、こういう話は早めにしとかないといけないんです」

 

 千歌は当然というように答えた。

 

「神様が二人もいる神社の神主の席が空いていたら……誰だってそこに座りたいと思うでしょうからねえ」

 

 

 

 

 

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