TS守り神   作:RK

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 一番最初に見えたのは、家の隅から視線を投げかけてくる二対の目だった。

 

「喉が渇いた」

 

「近うよれ。近うよれ」

 

 両親の声。弥助は自分が水の入った茶碗をもっていることに気づいた。そうだ、俺はお父とお母に水を飲ませようとしてたんだ。

 

 そう思って近づこうとしたとき、月に照らされ二人の姿が見えた。

 

 頭が異様に大きい犬のバケモノだった。バケモノはよだれを垂らしながら、肥大した瞳孔でじっとこちらを見つめている。それに気づき、弥助は足を止めた。

 

「どうした? 喉が渇いてしょうがない。水をくれよ」

 

 両親の声をまねておびき寄せようとしている。それに気づき、弥助は悲鳴をあげて逃げ出した。

 

 しかし戸を開けると、行く手をふさぐように日野の女が立ちふさがった。栗色の髪を振り乱しながら叫ぶ。

 

「焼き尽くせ! 病魔の元は断ち切らねばならぬ!」

 

 女は松明を投げ、家を火の海に代えた。火のまわりは獲物に飛びつく蛇よりも速く、弥助の身を焼こうと迫ってくる。

 

 気狂い女の横をすり抜け、炎の舌に舐めとられないよう逃げ回っていると、こつん、と頭に石が当たった。そちらを見ると、人間のように着物をまとった黒い狒々(ヒヒ)が何匹も現れ、歯をむき出して嗤いながら石を投げてきていた。

 

 弥助は何とも言えないおぞましさを感じ、叫んだ。

 

「近寄るなぁ!」 

 

 しかし、走っても走っても魑魅魍魎は追って来る。ついに疲れて足を止めると、たちまち狒々たちに両足を掴まれ、引き倒された。

 

 ころせ、おんしらずめ、いぬがみがうつる。

 

 そんなことを口走りながら、狒々たちは持っている石で弥助を殴りはじめた。腕や足が折れても蛮行は続く。

 

 

 そして最後の一振りが脳天に落ちる直前──

 

 

「うわああああ!」

 

 

 弥助は目を覚ました。

 

 

 

 

 

 

 

 朝。弥助は社務所の座敷で加茂晴仁とその娘、美琴とともに食事をとっていた。

 

「ウチの暮らしには慣れたかい」

 

「はい。仕事もだいたい覚えました」

 

「よかった。この調子で頼むよ」

 

 数日前に日野家とオカラシサマの間で何か話し合いがあったらしく、弥助は神社に引き取られることになった。正直なところ、日野家での生活には限界が来ていたので弥助にとってはありがたい話だった。

 

 神主一族の加茂家──晴仁と美琴は、急な話にもかかわらず温かく弥助を迎え入れてくれた。もっともタダで飯を食わせるほどの余裕はないらしく、神社の雑務を手伝うことが条件になったが。

 

「弥助。食事を摂ったらオカラシサマのところに供物を運んでね。私は境内の掃除してくるから」

 

「わかりました」

 

「あと、神社の一員なんだから、いい加減オカラシサマには敬語を使いなさい。いいわね」

 

 美琴はけっこう細かいことに厳しい。オカラシサマに対しては甘々だが、晴仁や弥助がやっつけ仕事をするとすぐに察知し、小言を言ってくるのである。

 

「……ま、飯食わせてもらってるから文句は言わないけどさ」

 

 食事を終え、言われた通りに食膳を運びながら弥助は独りごちた。少なくとも、日野家にいたときと比べればだいぶ精神的には楽だ。

 

 オカラシサマの部屋の前に来て障子を開けると、膨らんだ布団から白い狐耳がぴょこんと飛び出していた。かすかに動いてはいるので、起きてはいるのだろう。

 

「オカラシサマ。食事をもってきましたよ」

 

「まだ眠いんだけど……神の眠りを邪魔した罪は重いぞ~……」

 

「はあ、なんでもいいですが早く起きてください。ご飯冷めますよ」

 

 彼女は寝起きがすこぶる悪い。放っておけば一日中寝ているのではないかと思うほどだ。オカラシサマはしぶしぶといった様子で布団から顔を出すと、目をこすりながら弥助を見た。

 

「……あー、おはよー……なんで敬語?」

 

「美琴さんに言われたので」

 

「ふうん、私はどっちでもいいんだけどなあ。まあいいや。運んで来てくれてありがとね」

 

 オカラシサマは布団から這い出て立ち上がった。そのとき布団の中で帯が緩んでいたのか、彼女の着ていた襦袢(じゅばん)の前がはだけてしまう。

 

「……!」

 

 その隙間からのぞいたなだらかな胸を見て、弥助は固まった。村にはこれほど白い肌をした娘はいない。ちらりと見えた純白に、神々しさとある種のやましさを感じながら弥助は慌てて注意した。

 

「着物を正して!」

 

「おっと。うっかりうっかり」

 

 オカラシサマは帯を締め直しながら、弥助の顔をちらりと見た。そして彼の顔が少し赤らんでいることに気づくと、からかうような口調になった。

 

「君も男の子なんだね」

 

「……俺は、何も見てないですよ」

 

「まあ、そういうことにしておこうか。私、一応人妻らしいしね」

 

 オカラシサマは伸びをしてから、くふ、といたずらっぽく笑った。

 

 

 

 

 食事をとってからは、オカラシサマのやっている力験(ちからだめし)を手伝うことになった。

 

「はっ!」

 

 オカラシサマが両の手を掲げると、あらかじめ植えておいた大豆の芽が出た。だが、もう一方──布を被せ、視認できないようにしておいた方を見ると、芽は出ていなかった。

 

「やっぱり目で見えるヤツじゃないと力は使えないのか」

 

 オカラシサマはそう言いながら、布をどけた大豆に再び力を使う。すると問題なく発芽したので、やはり視認できるかどうかが力を使う条件になっているらしい。

 

 オカラシサマは少し考えてから、大豆を等間隔で広めにまくように指示した。

 

「次は視界の範囲とその範囲が可変かどうかを調べるよ。危険だから、私が力を使い始めたら視界に入らないようにね」

 

「わかりました」

 

 朝のだらしない姿とは打って変わって、オカラシサマは真剣な表情をしていた。来年の村の食糧事情を彼女が左右するのだから真剣になるのは当然といえば当然なのだが、まるで別人のようだ。

 

 その凛とした立ち振る舞いも相まって、やはり彼女は神なのだということを弥助は肌で感じた。

 

(……綺麗、だな)

 

 朝に見たオカラシサマの身体を思い出してしまい、弥助は思わず咳ばらいをした。オカラシサマは曲がりなりにも弥助を助けてくれた恩人。「そういう」目で見てしまうのはよくないし、それが美琴にばれたら、どやされるどころでは済まないだろう。

 

 そんな風に考え悩んでいる弥助をよそに、オカラシサマは淡々と仕事をこなしていった。力の範囲、距離、即効性などを調べ終えると、ほうとため息をついた。

 

「……今日はこれくらいかな。地力も限界近いし、レンゲとか植えて地力をある程度回復させたら、また明日使おう」

 

 オカラシサマがそう言い、一息ついたときにはすでに昼をだいぶ回っていた。できた大豆を収穫し蓮華の種をまいていると、彼女はふっと姿を消し、しばらくして戻って来た。

 

「お腹すいたでしょ。おやつにしよう」

 

 オカラシサマは誇らしげに二羽の雀を見せた。

 

「それ、どうやって取ったんです?」

 

「その辺飛んでたから、軽く力を使ったんだ。……一応確認しとくけど、今は雀とってもいいんだよね?」

 

「はい。そいつら稲穂食いますから」

 

 春は虫を食べる益鳥になるので取りすぎるのは駄目だが、今なら問題ない。羽根を毟ってツボ抜きをし、丸焼きにして食べることにした。

 

「んー、小骨があるけど、やっぱりお肉はおいしいねえ」

 

 少し焦げた鳥皮ごと、さくさくと音をたてて食べながら、オカラシサマはしみじみと言った。

 

「鳥肉がお好きですか」

 

「お肉ならだいたい大好きだよ。牛とか豚とか。あ、馬も食べたことあるなあ」

 

「はあ……」

 

 狐の化身っぽい見た目なので肉が好きなのだろうとは思っていたが、そんな動物の肉まで好物だとは思わなかった。弥助が目を丸くしていると、オカラシサマは不思議そうに見返してきた。

 

「何か変なこと言った?」

 

「いえ。牛や馬は車を曳かせたり乗ったりするものだから……好き好んでそういう肉を食べるのかあって」

 

「え~、その言い方じゃあ私がゲテモノ喰いみたいじゃない」

 

「そう言ってるんですが」

 

「心外だなあ。おいしいのに……」

 

 オカラシサマはばりばりと雀の頭を噛み砕くと、嚥下した。

 

「……ちなみに人は食ったことがありますか?」

 

「ないね。確かにここに来る前は多少悪さはした。けど人間なんて食べたことないし、食べたくもないよ……少なくとも、今はね」

 

 言葉の最後に不穏な言葉を足され、弥助は少し顔をこわばらせた。するとオカラシサマは八重歯を見せ、くつくつと笑った。

 

 からかわれた。それに気づいて静かに抗議の視線を送ると、オカラシサマは笑みを手で隠した。

 

「はは。君はからかい甲斐があっていいね。晴仁とか美琴は引っかからないからさ」

 

「馬鹿にしてるんですか?」

 

「いいや。素直でいい子だなあって。それだけだよ」

 

 オカラシサマは弥助をいなすと立ち上がった。

 

「……さぁて、仕事も終わったし、今日はちょっと村の外に行こうかな」

 

 

 

 

 

 

 力を試すための新しい場所が欲しい、とオカラシサマは言った。レンゲを植えてだましだましやっていたが、何度も同じ場所で力を使ったせいで神社の裏手は地力が枯れつつあるらしい。

 

 村はずれの野を歩きながら、オカラシサマは言った。

 

「林を切り開くのは大変だし、村の中には土地なんて余っちゃいないから、外で探すのがいいかなって」

 

「それは分かるんですけど、野盗とか狼とかいるかもしれませんよ」

 

「私なら、たいていの相手は見ただけで殺せる」

 

「まあ確かに」

 

 オカラシサマは戦神ではなく、豊穣神。つまり戦いは彼女の本領ではないのだが、本気を出せば並みの人間は一瞬で干からびてしまうだろう。しかも力を及ぼす対象が視界内に収まっていれば効果があるので、命中率は弓や鉄砲の比ではない。彼女に正面から太刀打ちできるのは、位の高い術者や同格の神妖くらいだろう。

 

「でも、俺が来る意味ってあります?」

 

「特にない。けど()()()()()()からさ」

 

「……そうですね」

 

 ずるいな、と弥助は思った。そう言われたら反論する気にもなれない。心をすべて読まれているような気がしてため息をついたそのとき、ひーいぃぃ、と甲高い鳥の鳴き声が聞こえてきた。

 

「鷹だ」

 

 空を見上げると、ちょうど鷹が(がん)に襲いかかる瞬間が目に入った。鷹の蹴りを喰らい、雁は羽を散らしながらこちらに墜落してくる。

 

「鷹には悪いけど、棚ぼただね」

 

 地面に墜ちた雁を捕まえると、オカラシサマは顔をほころばせた。

 

「今日は鳥鍋だ」

 

 だがその瞬間、雁の首をもっていたオカラシサマの右手が切断され、ぽとりと地面に落ちた。

 

「え? あっ……!」

 

 オカラシサマは手首の切断面を残った左手で押さえると、苦痛に顔を歪めた。

 

「オカラシサマ!」

 

「私は大丈夫。周りを見て」

 

 彼女に言われ周りを見回していると、鷹が舞い降りてきた。鷹はぎろりと弥助たちを睨み、くちばしを開いた。

 

「不届きな妖怪め、殿の獲物を横取りしおって」

 

 鳥が喋った。空耳かと思ったが、続けて鷹は喋り続けた。

 

「領国の法に則り、左の手も斬り落として盗みが働けぬようにしてやろう。さあ、差しだせい」

 

 鷹は高圧的な態度で弥助に迫ってきた。弥助は戸惑いながらもオカラシサマをかばった。

 

「待ってくれ。お前はなんだ? オカラシサマにいったい何をしたんだ」

 

「我が名は影切(カゲキリ)。さる方に仕える者だ。何をしたかについては、この名の通り」

 

 鷹の影が伸び、弥助の影に触れた。すると弥助の頬に鋭利な痛みが走り、血が流れはじめた。

 

(……こいつの影に触れると、切られるのか)

 

 オカラシサマが手首を落とされたのは、空を飛ぶこいつの影に触れてしまったからだろう。

 

「我の仕留めたものを取ったのだから盗人として罰を受けるのは当然であろ。なぜ庇う」

 

「彼女は何も知らなかったんだ。あんたがただの鳥だと思ってたから……」

 

「そんなことはどうでもいい。それに今、オカラシサマと言ったか。そいつはこの辺りで旅人を襲っていた妖怪ではないか。首を落としてやった方がよいだろう」

 

「今は村の神様なんだ。傷つけないでくれ」

 

 弥助の言葉を聞いた影切は首をかしげた。

 

「知らん知らん。差しださないならお前ごとばっさりいくぞ。逃げるなら今のうちだ」

 

 言葉は分かるのに話は通じない。弥助が歯噛みしていると、オカラシサマは耳元でささやいた。

 

「無理しないで。君が切られる必要はない」

 

「それはオカラシサマもでしょう。こんな理由で……」

 

 恩人を殺されてたまるか。弥助がなお立ちはだかるのを見て、影切は嗤った。

 

「馬鹿め。ならば貴様ごと斬ってやるわ」

 

 ばっと鷹の影が広がり、音もなくこちらに向かって来る。弥助が思わず目をつぶった、そのときだった。

 

「やめよ、影切」

 

 野太い声がした。おそるおそる目を開くと、影切の影は静止していた。

 

 妖鷹(ようおう)の視線の先には、鷹狩の装束をまとった齢四十ほどの侍がいた。彼は蓄えた立派な髭を撫でながら前に進み出てくる。

 

「は、しかしこの者らは殿の獲物を……」

 

「悪気がないことくらい分かる。それに、止めなければお前の方もただでは済まんかっただろう」

 

 弥助は、自分たちの周りに生えている雑草が全て枯れていることに気がついた。オカラシサマを見ると険しく鷹を睨み、左腕を向けていた。

 

「影切はちと乱暴者での……本当にすまぬな」

 

 オカラシサマは左腕を下ろし、ため息をついた。

 

「今度はちゃんと人の話を聞くようにしつけておいて。ところで、あなたの名前は?」

 

「桐生隆景だ」

 

 弥助は驚いた。桐生隆景──それは、この国の領主の名だった。

 

 

 

 

 

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