010
「眠れないのか」
と、魚雷は幼娼の背に声をかけた。白いシーツにくるまれた白い肌がもぞりと動いた。星一つ無い漆塗りのような闇夜の中で、人々の温床たるレイヤードの底で、今にも崩れそうな剥き出しの肩はぽつりと寂しげに輝いていた。真っ黒の中にただ一つだけ堕とされた星。
幼娼が何も言わないので、魚雷は天井を見上げた。ふと昔の話が、こうして上を見上げていた頃が、痛烈に思い出された。吐き出してしまうのもよいかも知れない、と魚雷は思う。どうせ魚雷と幼娼には無限の時間がある。いずれ沈黙に絶えかねて、洗いざらい吐いてしまうくらいなら、いっそのこと今ここで。
「昔話でもしようか。きっと聞いてるうちに、退屈で眠くなる」
幼娼がごろりと寝返りをうった。醒めた目で魚雷を見つめた。シーツの裾から、未成熟な乳房がのぞいた。
「どんな話……」
さて、と魚雷はいつものように惚けて見せた。
星々。風。森。闇夜。蜘蛛。ドラム缶。せせらぎ。丸太。夕日。そんなものの中で、かつて生き、今も生き、未来にも生き続けるであろう、一人の少女。やがて訪れる唐突な終わり、死という終わりに向かい、永遠に漸進していく少女。そう、それは。
「ほんのひととき、おれに夢を見させてくれた、そんな女の物語さ」
魚雷は記憶の深海へ潜る。
011
草原の風はずっと止まらない。少女はそう信じていた。
魚雷と、少女と、ときどきやってくるお客様と、たった三人だけが知っている。どこまでもつづく偽りの草原の上で、煌びやかな偽りの星と、さわやかな偽りの風とが、昔いまし、今いまし、明日きたるであろうことを。永遠の星と風に包まれて、ささやかな幸せの日々がずっとつづくのだ。少女はそう信じていた。
貧しいなりにも、胃袋はあたたかい豆スープが満たしてくれる。オールドスクールな雑貨にも愛着が湧いてきている。テレビもキノもネットもない僻地でも、彼が微笑みながらするわけのわからない話が暇つぶしになる。薪割りや洗濯やお裁縫に気を取られていれば、そもそも暇を感じることすらない。朝方ゆったりと昇っていく太陽と、際限なく吹き続ける風と、夜空を彩る星々と、時折やってくる磁気嵐というトラブルが、大自然が、小さな家の中の二人をそっと見守っている。
草原の風はずっと止まらない。ずっと永遠に。
少女はそう信じていた。少なくとも。少なくとも。
012
「切り札はこれで最後です」
白いマスクの奥で唇がもぞもぞ動いた。ロシア風の薄い青の瞳が眼鏡の裏側でぎらぎら光っていた。髪の毛をまとめた白い帽子と、埃を飛ばさないための白衣が、白い肌と黒いスーツの上で不格好によれている。プラスティックの手袋でつかんだ冷却ケースのふたを開け、中の生体積層素子を見せつける。
「ナポレオンにはなれそうだな、参謀くん」
「そんな野望持ってもいないくせに」
ロシア人は肩をすくめると、ケースを閉じて魚雷に差し出した。半透明の手袋越しにそれを受け取り、魚雷は自分の持っていた合金ケースにそれをしまい込んだ。帽子とマスクをはぎ取ると、その下から魚雷の素顔、にやけた男の顔が現れる。ロシア人もまた、それにならった。
「手間をかけたね」
「そりゃあもう。このところ本社はドーヴにご執心でね。こういう目立つことをするのはまずいんですよ。一日くらいティリィとデートさせてくたってバチは当たりませんね」
「あの娘がよいと言うならいつでもどうぞ。ありえないが」
もう一度、ロシア人は肩をすくめた。
「ところで、自慢の豆スープでもどうだい。ティリィのお手製だ」
「言われなくたって頂くつもりでしたよ」
にやりと笑って、ロシア人はカーゴシップのドアを開いた。
013
「ちょっと、ちょっと、うそだぁ」
少女の断定っぷりといったら、とりつく島もない。これから長々と思い出話を語って聞かせるつもりだった魚雷は、あんぐり大口をあけたまま、くじかれた出鼻をどう修復したものかと思考を巡らせた。やがてそれも甲斐無く中断された。プラスティック製擬似丸太小屋に満ちた気まずい沈黙をやぶったのは、結局ロシア人のくすくす笑いだったのだ。
「おれは嘘は言わない」
「しーんじらんない」
「しーんじられません」
「ねー」
「ねえ」
めったやたらに感情を出す事のない魚雷ではあったが、このときばかりはふてくされてスープをすするよりほかなかった。幼い少女にとってアリーナトップランカーというのは崇拝の対象となる一種の偶像、手の届かない所にいる神様、次元を異にした見えども触れられぬ存在であり、まかり間違っても目の前で手製豆スープをすすっている飄々としたおっさんなどであってはならない。暴力の嫌いな少女であり、ハイナーヴからもテレビ網からも隔離された僻地に居を構える身であるとはいえ、彼女にとってもトップランカーといえばやはり有名人に違いはない(そして多くの幼い子供にとってそうであるように、それは偉人と等価である)。
魚雷の機嫌を損ねたと知ると、少女はテーブルにあごを載せて首を傾げ、きらきらした大きな瞳で上目遣いに彼を見上げた。魚雷が自分の幼さに起因する可愛らしさを好んでいることは彼女自身よく理解しており、またそれを利用するだけの知性(あるいは強かさ)をも十二分に備えていた。
「はいはい、デプスは最強ランカーでした」
「話は終わりだ」
「ああん、いじわる。わたし、聞きたいなー」
ぷい、と魚雷はそっぽを向いた。ついでにロシア人はくつくつ笑う。
「まるで子供じゃのう……おほん、ですね。ティリィ、あんな偏屈はほっといてデートしません? 星空の下で食後の散歩でも」
「やだ」
にこにこ笑いをはり付けたまま、少女はきっぱり即答した。
014
あの巨大な蜘蛛は今も不気味にそびえ立っているが、はじめに較べれば怖いと感じる事も少なくなった。魚雷に連れられて忌まわしい地下室を抜けだし、父の血に汚れた体を最初に横たえたのは、あの蜘蛛のシートだった。そのときはまるで悪魔でも見ているかのような、漠然とした嫌悪、あるいは畏怖を感じたものだった。
アーマード・コア。そいつがそう呼ばれる兵器であることは、少女も知っている。マッスルトレーサーとはどう違うのかと問われれば答える術はない。ただACという兵器の存在は確かで、魚雷がこいつをそう呼んでいる事も確かというだけのこと。大方の一般人にとって、兵器の分類などその程度の意味しか持ってはいまい。兵器に限らずあらゆる技術が。進みすぎた科学と工学は、いまや人々にとって魔術以外の何物でもない。仕組みなど知るよしもない。ただ、定められたルールを守る限りに於いて自らを助く、そしてルールが破られれば己に業が返る、諸刃の剣。
ともかくもかつて、蜘蛛に対する素直な感想を、少女は魚雷に述べた。
「なんかこわい」
「だろうな。そういうふうに作った」
と、魚雷には悪びれる風もなかった。
「《シーバット》は、海に住む魔女の使い魔だ。こいつは特別なACで、素人でも操る事ができる。しかも無敵と言える程強い。ただ」
「だ?」
蜘蛛に背を向けて振り返ると、魚雷はにやりと嗤って見せた。少女はやけに落ち着いた気持ちで、自分を納得させた。そう、怖いのは蜘蛛ではないのだ。蜘蛛の背後には鮮烈な後光が差している。目には見えない後光、魚雷という名の後光が。恐るべきはその輝き。
「乗る者の命を奪う」
背筋に悪寒が走った。そのあと自分がどうしたんだか、少女には確かな記憶がないが、多分魚雷に駆け寄って、彼の胸に顔を埋めたのだったと思う。幼いながら、恐るべき相手に従順になる事で生きながらえる術を、不本意ながら身につけていた。
知ってか知らずか、魚雷は優しく少女の髪を撫でつけた。
015
「おれに何をしろと?」
魚雷は包丁を研ぐ手を止めなかった。馬鹿みたいに畏まって直立不動の姿勢を崩さないロシア人に、まじまじと見下ろされながらも。彼の目は少女に対する時のそれではなく、企業の工作員として、得体の知れない化け物に対する時の色を湛えていた。化け物、化け物、か。と魚雷は苦笑した。なんとも言い得て妙だ。
「あなたには拒否すること、及び選択することは許されていません。カードを指定されたからには、参謀にならざるを得ないのです」
「おれときみの立場が逆転したというわけだ。ナポレオン君」
「ナポレオンはぼくではありませんよ。今のぼくはヴィーチャではなく、キサラギの射像なのです。お忘れ無く。あなたたちがここに住む事を認めたのも、必要な補助を与えているのも、我が社なのだということを」
研ぎ終わった刃を水で洗い流し、淡いランタンの灯りにそれをかざした。白刃に赤い光が揺らめき、それがロシア人の目を襲う。一瞬目を細め、もう一度開いた時には、研いだばかりの白刃がのど元に突きつけられていた。化け物の瞳。射抜く様な鋭い視線が、ロシア人の目を貫いていた。身を低く屈め、じっとこちらの様子をうかがう魚雷。そいつはまさに魚雷であった。
そとの五右衛門風呂で湯の跳ねる音がする。目の前の非日常と少女の日常が不思議に重なり合った。冷や汗が額から流れ落ち、頬と顎を伝って刃にしたたる。汗は刃を濡らしてプラスティック製の丸太床に落ち着いた。
「成る程、おれは飼い慣らされた狼かもしれん」
と言いながら、魚雷は包丁を引いてテーブルの上に置いた。胸の奥で詰まっていた息をここぞとばかりにロシア人は吐き出した。何が飼い慣らされたものか。
「よかろう。お前たち腐ったコープスに、一時とはいえ飼い慣らされてみようじゃないか」
「感謝します」
「ただし、少しばかり時間が欲しい。選択の為の時間がな」
「選択する事は許されていないと」
「おれではない」
獣の様に魚雷は唇を吊り上げた。二滴目の汗が、今度は刃に受け止められずに滴り落ちた。
「生か。死か。あの子が自ら選択する為の時間だ」
016
「おれはずっと考えていた。
おれはこの世界のためになにができるだろう。
おれはこの国のためになにができるだろう。
おれは愛すべき人のためになにができるだろう。
おれは」
そこで魚雷は僅かに言葉を詰まらせた。
「おれは、おれ自身のためになにができるだろう」
流れる様な呼気を歯の間から細く吐き出した。
「夜の森に迷い込んだようなものだった。おれはあてもなく彷徨い、がむしゃらに下生えを掻き分けた。進みさえすればいずれ道が開けると信じていた。根拠もなく、ただただおれは盲信し盲進し猛進していた。
やがておれが成長し、道などないことを悟った時、おれは幼き日に抱いた不可視の不安が再び自分を包み込むのを感じた。おれは自分自身の制限時間を、死へのタイムリミットを、はっきりとその胸に感じた。おれはあと何年生きるのだ。百年か。五十年か。あと十年で若くして朽ちるのか。それとも明日、唐突に命を断たれるのか。おれはそんなことばかり考えて、精神をやられ、寝床に閉じこもるようになった。確実に待ち受ける死という終末の時へ向かって、止まらない時計はその間も動き続けた。汚れた毛布にくるまって、子宮のなかの胎児のようにまるまって、迫り来る恐怖にただ打ち震えていた。そうして震えている間にも一秒また一秒と自分の命が削られていくのが視えた。
おれは死にたくなかった。自分が消えてしまうのが怖かった。何も考えられず永遠の時間を過ごさねばならないことが恐ろしかった。死にたくない、死にたくない、と呪文のように唱えた。
おれは日に日に理解を深めていった。死への恐怖という光によって、命という影が浮かび上がるようなものだった。
おれはこの世界のためになにかできるかもしれない。
おれはこの国のためになにかできるかもしれない。
おれは愛すべき人のためになにかできるかもしれない。
ただ、おれはおれ自身のために何一つできない」
魚雷は天を仰ぎ、偽りの星々を掬い取らんと手を伸ばした。
「だからおれはおれ自身のためになにかしてやりたかった。そして手に入れた。おれのプラスティック。おれだけのユニーク」
魚雷の咆吼に、草木までもが沈黙したようだった。
「永遠を」
017
目が覚めたとき、少女は愛しい男が寝床から姿を消しているのに気付いた。朝霧に刻み込まれたひっかき傷のような小鳥の声が、いつもと変わらない朝の訪れを告げていた。毛布の城壁から抜け出た白い肩と首筋が、寒気の猛攻を受けて小さく震えた。吹き込んでくる微かな風は、露に濡れた青草の味がした。天窓から差し込んでくる陽光が鼻をくすぐった。
それは変わり映えのしない朝だった。レイヤード創始以来数百年、変わらず繰り返されてきた朝だった。
それでも、目を開いてそこに見えるはずの姿は、浅黒く日焼けした逞しい背中は、ただ空虚な沈黙を残して消え失せていた。
「あ」
涙で嗄れた喉の奥から震える声を絞り出して、少女は魚雷の名を呼ばわった。呼ばわったつもりだった。
「あ」
出てきたのは単純なアルファベットの一文字目だった。それが魚雷の名だった。
今や。
「ああ!」
少女はわけもなくいなないて、わけもなく毛布の裾を握りしめた。そこには何もなかった。空虚な沈黙だけがあった。頭の中から、脳の中から、記憶の中から、家の中から、彼女の中から、彼女の腕の中から、彼女の知りうる世界の中から、外へと。
ひろいひろいそとのせかいへと。
魚雷は、名すら顔すら思い出せない少女にとってたった一人の男は、忽然と消え失せていた。
ただひとつの忘れ物、無限に変化しうる愛という名の空虚な沈黙だけを残して。
思い出せるのは彼に対する胸の裂かれんばかりの愛だけだった。
「ああああ!」
少女は泣きじゃくった。枕にじわりと染みが広がっていった。
これがわたしのユニーク。少女は思った。これがわたしのプラスティック。
少女はそれからもう二度と、魚雷と出会う事はなかった。
018
「なんもしょうらにゃあ別嬪なんじゃけどなあ」
と、ロシア人はひとりごちて、空になったベッドのシーツをさすった。14歳になったばかりの少女の香りはまだ白いリネンに取り残されていた。昨日までそばにいた少女そのものよりも、この空虚な甘い香りがかえってロシア人の慕情をかき立てるのだった。
「あんごうじゃあ。こげえな所がガキじゃって言うとんのに」
本当に馬鹿だ。こんな所ばっかり「あの男」の真似をして。
一年前忽然と姿を消した「あの男」に関しては、今や一切のデータが残っていない。そもそもがイレギュラーだった「あの男」は、僅かな知人の脳味噌の中から、どうやってかは知らないが、自分の姿や名前に関する記憶を消し去る事で、完全に自由となったのだった。しかし、意図的にか偶然にか、「あの男」の放った意味不明の言葉や演説のみが記憶の中核に今も焼き付けられている。まるでそれこそが自分の本質なのだと言わんばかりに。これ見よがしに。
ロシア人は机の上に一通の封筒を見つけたが、少女らしく丸っこいアルファベットで綴られた宛名を一瞥したばかりで、そのまま捨て置いた。読まずとも内容など分かり切っているし、読んだ所で腹が立つばかりなのは明白だった。
あの子はもう餌にはならない。「あの男」を呼び寄せる餌にも、「あの男」を釣り上げる餌にも、「あの男」を繋ぎ止める餌にも。本社が少女の始末を検討しだした時、ロシア人と同様に情が移ってしまっていた部長と二人で、少女の利用価値を必死ででっちあげたのも記憶に新しい。キサラギのニンジャにあるまじき裏切り行為、罪悪感はある。しかし他方で、ちょっとした裏切り者であるところの自分が、なんとなくお気に入りだったりもする。
ふと、ロシア人は舌先に豆スープの薄っぺらい塩味が蘇るのを感じた。片眉を持ち上げると、後ろ頭を掻きながらフローターのガレージに脚を向けた。朝から何にも食べてない胃袋が、いまさらながら悲鳴を上げているのだった。
019
いつのまにか安らかな寝息を立てていた幼娼を愛撫して、魚雷はベッドから降りた。幼娼の飽きっぽさが今日に限っては都合良かった。忘却と共に永遠を得た魚雷にとって、過去を思い出す事は苦痛でしかなかった。話し終えた後、頭の中を整理する時間が必要だった。
魚雷は朽ちかけたアパートを出た。蒸し暑い空気が首筋を撫でていった。洗浄日の後の空気は澄み切って、驚くべき事に100m先まで見通す事ができた。魚雷はすっかり乾いたコンクリートの階段に腰掛け、下の裏通りを見下ろした。
点々と横たわる水たまりの横で、老いた浮浪者の亡骸が祈る様にうずくまっていた。雨に濡れてしまったら、腐り出すまで長くはあるまい。あのおいぼれではパーツ屋も見向きしないだろうし、臭いだす前に誰かが始末してくれればいいが。他人事の様に魚雷は思った。他人事だったのだ。死など。
「今晩は、良い夜ですね」
男がそこに立っていた。静かに、音もなく、周囲の全てを小馬鹿にした様な男。
「お久しぶり、と言うべきなのは分かっています。しかしどうも初めましてと言いたくてしかたがない。申し訳ないがあなたのことを全く憶えていないもので」
「おれはよく憶えている。ヴィーチャ」
ロシア人はくすりと苦笑したようだった。振り向く事もなく彼に背中を向けたまま、魚雷はじっと闇を見つめた。魚雷の背中はあまりにも無防備だった。ロシア人が一歩踏み込んで、手裏剣を突き立てれば、あっけなく全ては終わるのかも知れない。
「よくおれを見つけられたものだ」
「あなたのことを憶えている者が一人だけいましてね。シーバットのサカモト式は三年前の記憶を完璧に保有していましたよ。もっとも、ティリィがそれをロードしてくれなければ読みとる事などできなかったでしょうが」
「そうか」
いいながら魚雷は細く息を吐く。浮浪者の亡骸は相変わらず地に伏せ祈り続けている。
「あの子は死んだのか」
しばらく誰も何も言わなかった。魚雷が頭を垂れて祈りを捧げていたからだった。しかしその祈りは欺瞞だった。浮浪者のそれに劣らず欺瞞だったのだ。
「今日来たのは他でもない。今こそあなたが再び立つべき時だと思ったからです」
魚雷の耳がぴくりと動いた。
「最近のドーヴの動向からして――処置はすでに終了した。違いますか」
「それはキサラギの見解かね」
「いいえ。サカモト式に残された――いえ、あなたが残した情報と、三年前のあなたの行動、そして我々に知らされている数少ないヒント、それらから想像したぼくの見解です」
漏れるのはため息ばかりだった。
「見事だ」
「では動いていただけますか。無論ぼくもお手伝いします。いえ、もうキサラギは捨てる。ぼくは一人の人間として、この閉じた世界を抜けだし、天国へと到りたいのです。そうそう、忘れる所でした。あなたの名前、同志としてのあなたの名前をもう一度教えてもらえませんか? 先程言った通り、もう忘れてしまったもので……」
魚雷の腕が迫っていることに気付いたのは、小さな瞬きから瞼を開いた瞬間だった。
「義ゆえに迫害されつづけてきた人々は、わざわいだ」
浮浪者の隣に増えた死体を見下ろして、魚雷はぽつりと呟いた。こんなスラムに身なりのいい若者が倒れていれば話題にもなろう。しかしいくら話題になっても、誰一人怪しむ者はいない。悲しむ者はいない。ロシア人の存在自体、もはや誰一人憶えてはいない。
「天国は、おれ独りのものだ。たった独りの、このおれ」
魚雷は応えた。ロシア人の最後の問いかけに。
「デプスチャージの」
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