デプスチャージ   作:外清内ダク

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Page 05 光と闇と神の箱庭

040

「むかしむかし」

 暇だから何か話してよ、と言った事をいきなり幼娼は後悔した。よりにもよって「ア・ロング・タイム・アゴー」から入るとは思いもよらなかったのだ。しかし一旦話し始めた魚雷は火のついた爆弾も同然であり、なけどわめけど、導火線の上を火は着々と辿っていき、やがてTNTに点火される。

「まだこの世に何もなかったころ、世にはただ一人の神がおわした。その名は《大いなるシルヴァル》。天は《大いなるシルヴァル》の家であり、大地は天を模した箱庭だった。この天と地とは、《大いなるシルヴァル》の奏でる竪琴の音の中より生まれた」

「ちょっとまってよ」

 幼娼が口を挟む。

「なんで音から地面ができんの?」

「……ファンタジーに『なぜ』は厳禁だ」

 幼娼は肩をすくめた。納得したものと解釈して、魚雷は先を続ける。

「皆が千の春を数える間に、《大いなるシルヴァル》は一の時しか過ごさない。《大いなるシルヴァル》が一夜眠って目覚めると、もとあったものは何も残っていない。そうした緩やかな時間の中を、《大いなるシルヴァル》はただ一人生きた。しかし、あまりに長い間そうしていたため、《大いなるシルヴァル》は、その」

 こほんと一つ咳払い。決まりが悪そうに、

「飽きた」

 もうひとつ咳。

「そこで《大いなるシルヴァル》は、あるとき眠りに就く直前に、三つの神を生み出した。この三神を箱庭に置き、眠りから覚めた時、大地がどのように変わっているか試してみようと思った。

 この三つの神は、それぞれ名を《空のエルフォス》、《海のエルウィン》、《大地のヴォラド》といった。地はこの三神によって、新たな春を迎えるはずだった。

 しかし《空のエルフォス》と《海のエルウィン》は与えられた任を投げ出した。生まれたばかりの二神は、母たる《大いなるシルヴァル》を恋しがり、《大いなるシルヴァル》の眠る天の寝所にて、母に寄り添ってともに眠りに就いた。

 最後に残った《大地のヴォラド》は、兄たちとともに天へ還りたい気持ちをこらえ、ただ一人母から与えられた使命を全うすべく、試行錯誤を始めた。大地に山を作り、海に波を作り、空に風を作った。そして神のように自ら歩き考えるもの、命を作った。

 だがもともと三神で成すはずだった仕事は、ただ一人の《大地のヴォラド》には重すぎた。疲弊した《大地のヴォラド》が生み出した不完全な命は、互いに争いを始め、数多くの命が血を流し、滅びた。

 《大地のヴォラド》は考えた。争いを鎮める為にはどうすればよいか。そして考え出した結論が、圧倒的な力を持つ《絶対正義》と《絶対悪》を創り出すことだったのだ。これによって大地には《法》が生まれ、その《法》のもとに争いは鎮まると考えた。

 しかし創造に明け暮れた《大地のヴォラド》には、もはや大きな力を持つ存在を新たに創造する力は残っていなかった。そこで《大地のヴォラド》はおのが身を二つに裂き、二体の竜神を生み出した。それこそが――」

 魚雷は大きく息を吸い、いつのまにか話に引きずり込まれていた幼娼の目を見据え、静かにその御名を唱えた。

「《絶対正義》たる《闇の白竜シース》と、《絶対悪》たる《光の黒竜ギーラ》――これからはじまる『ヴァーダイト神話』における、二元の神だったのだ」

 

 

041

「さて、世の中はそうそう上手くいくもんじゃない。意図的に創り出された神と悪魔は、世界に法をもたらすという本来の目的を大きく超えて、暴走を始めた。ひょっとしたら、《大地のヴォラド》がまた創る時にヘマをやらかしたのかもしれないし、あるいは、彼自身が内心に抱いていた愚かな命たちへの憎悪や苛立ちが、彼の分身たる二体の竜神に受け継がれてしまったのかもしれない。

 ともかく、シースとギーラは、お互い好き勝手に自分の僕となる命を創造し、世界の支配権を巡って血みどろの戦いを繰り広げた。それは、二体の竜神が生み出される以前より遥かに過酷な戦いだった。

 目下、分はシースの方にあった。なぜならシースは《絶対正義》、命たちの崇める《神》として生み出された竜だ。地上を埋め尽くす程に増殖した命たちは、おのが本能に従って神々しくも白きシースを信仰し、それにともなってシースの戦力は日増しに増大していった。ギーラと、彼を信仰するごく一部の妖精――彼等は不当にもダークエルフと呼ばれた。性質から言えば光の妖精であったのにもかかわらず――たちは、次第に辺境へと追いやられていった。

 ギーラは考えた。この戦況を挽回するためにはどうすればよいか。さながら彼の父《大地のヴォラド》が悩んだように。そして、さして長くもない考えの末に、一つの答えを見いだした。

 次の日からギーラは行動に移った。彼は神としての誇りをかなぐり捨て、大地で最も繁栄していた種族、人間に歩み寄った。人間の前で一つ二つ奇跡を見せ、病人を癒し、貧民に施した。美しい竜の巫女――妖精で、名はミーリアという――を従え、街から街へと渡り歩き、奇跡の安売りを続けた。やがてギーラを崇めるものが現れ始めた。冷静で保守的なシースの使徒は、ギーラの所業を悪魔の業と辱めた。それでも、何の恩恵ももたらさないシースから離れ、ギーラとミーリアのもとに駆け込む人間は後を絶たなかった。

 なぜなら、シースよりもギーラの方がよほど神らしかったからだ。

 ある程度の――それでもシースよりははるかに小さな――支持を得た後、ギーラは仕上げにかかった。まず孤島メラナットに居を構え、そして全身全霊を込めて一振りの剣を鍛え始めた。その剣にはギーラの持つ力が惜しげもなく注ぎ込まれており、刀身は光の魔力を湛えてつねに青白く輝いたという。

 鍛え上げられた広刃の剣は、その定義域を全次元にまで広げられ」

「なにって?」

「色んな世界にばらまかれたということだ。とにかく、ばらまかれた光の魔剣は、屈強な戦士の手を渡り歩き、その意識に働きかけ、メラナット島に無数の戦士達を呼び集めた。光の魔剣を通じて洗脳された戦士たちは、ギーラを守る強靱な壁として、シースの放つ魔物たちを次々に撃退した。

 シースがギーラ討伐のためにメラナットに送り込んだ切り札、ハイエルフの戦士メレル・ウルさえもがダークエルフの猛者ガルス・フィーによって討ち取られ、光の魔剣に対抗する闇の魔剣を生み出すはずだった闇の水晶は敵地メラナットの地下に封印され……やがて世界は静かになった。

 双方、互いを滅するだけの力も持たず、かといって互いの野心は消えず、それぞれ己の寝所にこもり、世界の趨勢を見つめるようになった。

 こうして大地に力の均衡とつかのまの平穏をもたらした光の魔剣……人間たちの間で神のもたらした聖剣として伝承されることとなるこの剣。

 その名を、月光の剣、ムーンライト・ソードといった」

 

 

042

「ここまでが、ジン・ストレイトゲインによるヴァーダイト・シリーズの第一巻、『キングスフィールド』に描かれた物語だ」

 耳慣れない名前が二つ三つ出てきて、幼娼は目をしばしばさせる。魚雷は微笑み、

「大破壊前のホラー小説作家ジン・ストレイトゲインは、自分の作家生活の集大成として一つの作品世界を作り上げた。それがシルヴァルの箱庭ヴァーダイトであり、その世界創世神話から人類の発展、そして滅亡までを描く一連のシリーズ、いわゆるヴァーダイト・シリーズだった。その第一巻が、創世神話と二神竜の抗争を描いた『キングスフィールド』なのさ」

「ふーん」

「ヴァーダイト・シリーズは、ジン自身の手によって四作が発表された。『キングスフィールド』、『シャドウタワー』、『エターナルリング』、そして最終巻『エヴァーグレイス』の四つがそれだ。それぞれ、創世神話、中世を舞台とした英雄伝説、軌道エレベータ内で起こる連続自殺事件、そして《大いなるシルヴァル》の再臨による大破壊、を描いている」

「オービ……なに?」

 ああ、と魚雷は声を漏らし、後ろ頭を掻いて、失言を恥じた。こんな専門的な名前、考古学者でもそうそう知っている奴はいないというのに。余計な事を言ったせいで余計な事を説明しなければならなくなった。恥ずべき失態だ。

「オービタル・リング。宇宙に浮かぶ巨大なわっかさ。地球をまるごと囲んでしまうくらい大きな」

「ああオーケイ、飛ばしていいわ」

「感謝するよ。さて、ジンは『エヴァーグレイス』を著した直後に死去したが、彼の生み出したヴァーダイトの世界観自体は、他の作家達によって受け継がれた。多くのホラー、ファンタジー、SF、純文学作家が、ヴァーダイト神話に基づく作品を世に送り出した。狂気を基調としたヴァーダイト神話は、知名度こそさほど高くないものの、固定層をがっちりと掴み、その後長らくひとびとに読み継がれることとなった。ヴァーダイト神話を専門に研究する学者も現れ、記号化された神話の解釈に、実際の宗教論争さながらの討論がなされることもままあった」

「そんなことはいいわ。はやく、つづき」

 苦笑する。幼娼が年相応に目を輝かせるところなど、今まで何度みることができただろうか。

「……双方手詰まりとなったギーラとシースは、それぞれの寝所で浅い眠りについた。ギーラの寝所はメラナット島の地下であり、シーラの寝所は誰にも、側近である竜の巫女にさえも知られる事がなかった。

 さて、戦乱の収まった後、世界は人間の手によって急速な発展を遂げる。それを指導したのは二人の賢者、ツェデックとシュドムであった。彼等はヴォラドの世界創世を助けたというハイエルフの始祖ル・ア・イシリウスの孫弟子にあたる。炎の賢者ツェデックは風の王ハーバインに仕えて国を治め、土の賢者シュドムは己の魔術の全てを賭して技術の発展に努めた。

 そして千年の後。北の大国ヴァーダイト王国で、祭礼のため王家の地下墓所に入った国王ラインハルト三世が、そのまま行方不明となる事件が起きた。捜索に向かった御林騎士団長ハウザー・フォレスターさえもが、突如として墓所の地下より湧いた怪物の襲撃を受けて行方をくらます。人々が戸惑う中、一人の若者が剣を手に、国王と騎士団長を救わんと地下墓所へ足を踏み入れた。

 彼の名はジャン・アルフレッド・フォレスター。ハウザー・フォレスターの長子にして、王族を母に持つ、後の聖王アルフレッド一世であった。

 そしてそのときは誰も知らなかったことだが、彼の潜った地下墓所こそが、『シャドウタワー』と呼ばれる世界創世時代の遺跡だったのだ」

 

 

043

「地下墓所シャドウタワーに入ったジャンは、蘇り暴れ狂う死者の群れ、巨大化し獰猛になった虫や植物、それらに喰われ、無惨な姿となった数々の骸を見た。地下墓所に取り残された救出隊の生き残りは皆々異形の魔物の恐怖に怯え、口を揃えてこう言った。

 『王は狂った。王は魔法で黒い騎士と黒い魔女を喚び出した。フォレスター団長は黒い騎士と相打ちになり、御林騎士団は黒い魔女に全滅させられた』

 ジャンは信じなかった。地下墓所を下へ下へ、父と王の姿を求めて彷徨い歩き、父に仕込まれた剣術で数々の魔物を切り伏せ、無数の手傷を負いながら辛くも生き延びた。魔物と救出隊の骸で飢えを凌ぎ、墓穴から染みだした泥水で乾きを凌いだ。何かに取り憑かれたかのようにジャンは進んだ。

 地下墓所の最深部、三番目のレイヤーまでたどり着いた時、ジャンは一人の賢者と出会った。賢者の名はラリー・ケルビム。ケルビムは、王家墓所に封じられた財宝を探す事と引き替えに、ジャンの眠れる魔力を呼び覚ました。ジャンの母はいやしくも王族であり、王族のみに許された魔道の血を、ジャンもその身に受け継いでいたのだ。

 そして、魔術を身につけたジャンは、最深部の更に奥、秘められた第四のレイヤーを発見する。そこは王の魔力によって生み出された迷宮であった。偽りの命を吹き込まれた土人形、異界から喚び出された魔獣、おぞましい動く亡者、数え切れぬほどの死線をくぐり抜け、無限に続くかと思われる迷路をくぐり、ジャンは一つの墓石を見つけた。

 一抱えほどの大岩に、不器用に刻まれた名。傍らには甲冑を纏った死骸。刃の折れた騎士の剣。

 異界より現れた黒い騎士と相打ちとなり果てた父。そして最後まで彼に付き従い、名誉の剣を折ってまで団長の墓を作り上げた、名も知れない御林騎士のなれの果てであった。

 ジャンは力無く墓石の前に跪いた。そこには、一振りの剛剣が奉じられていた。紛れもなく父の愛剣、御林騎士団長の証、その名もドラゴン・ソードであった。竜の剣を掻き抱き、ジャンははじめて泣いた。涙は迷宮の土に吸われて消えた。

 竜の剣を携え、ジャンは立ち上がった。さらなる迷宮の奥へと進んだ彼を待っていたのは、王のもう一人の側近、黒い魔女であった。黒い魔女はジャンの姿を見て取ると、醜い本性、朽ち果てた白骨の体をさらけ出し、数々の恐るべき魔術を以てジャンを襲った。しかし、母の魔力と、父の剣と、己の怒りを以て立ち向かうジャンの敵ではなかった。ドラゴン・ソードの剛なる一撃が、黒い魔女を両断した。

 黒い魔女の向こうで口を開けていたのは、王の寝所、最後の第五レイヤーへと通じる道だった。

 第五層はこの世と理を異にする異界であった。そこに待ち受けるのは、魔術を用いる悪魔の群れであった。幾多の悪魔を屠り、返り血に染まり、しかしジャンは瀕死の重傷を負った。意識薄れゆくジャンの前に、一人の娘が現れた。

 娘は名乗った。竜の巫女ミーリア、と。

 竜の巫女ミーリアは言った。そのほうに光の力を授けて遣わす。またこうも言った。我が主、光の竜の力を受けて、邪悪なる闇の竜に魅入られた邪王を誅するがよい。そして、柔らかな光がジャンの傷を癒し、彼が瞼を開いた時には、竜の巫女は何処へともなく消えていた。ただ、手中の竜の剣が、淡く青白く光を放っていた。ジャンの耳に巫女の声が美しく響いた。光の竜の聖剣、その御名は、月光の剣ムーンライト・ソード。

 聖剣から迸る魔力の光が、群がる悪魔を打ち倒した。光の力を得たジャンは、第五レイヤーの最深部へと進み、そこで己が強大な魔力を解き放った邪王ラインハルト三世と対峙した。邪王は闇を刃と成し、矢と成し、盾と成し、ジャンに襲い掛かった。しかし聖剣の光がその全てを切り捨て、醜き魔物へと変貌した邪王を誅した。地下墓所に満ちた邪王の魔力はこれによって霧散し、全ての魔物は拠り所を失って姿を消した。ヴァーダイトの国に再び平穏が戻った。

 やがて、光の聖剣を携えて戻った英雄ジャンは、百官の拝賀を受け、ヴァーダイトの王位を継ぐこととなった。光の竜の加護を受けたジャンは、聖王と讃えられ、長らく善政を敷いたという。

 しかし、『シャドウタワー』はこれで終わりではない。北の海の向こう、孤島メラナットでは、教王と呼ばれる謎の男が不穏な動きを見せていたのだ」

 

 

044

「聖王アルフレッド一世が王位に就いて、数年の時が流れた。聖王の善政のもと、ヴァーダイト王国はかつての威勢を取り戻し、国民は豊かで安らかな生活を享受した。国民はみな聖王を讃えた。聖王は妃を迎え、双子の男子をもうけた。すくすくと育つ二人の皇子の姿に、人々の顔はほころび、皆々この平穏な日々が永久に続くと信じて疑わなかった。

 ただ一人、聖王アルフレッド一世を除いては。

 二人の皇子が二歳になったある日、辺境の村ヌエツから奇妙な知らせがもたらされた。森に入った村の住人がいつになっても戻らない。彼を捜しに出た村人もまた、同じく行方をくらませた。そして森のそばで、ラインハルト三世とともに消えたはずの魔物を見た者がいる……。

 聖王はすぐに捜索隊を放った。しかし歴戦の精鋭たちまでが、森に入ったとたんに消息を絶った。体の中を駆ける母の魔の血によって不思議な予感を感じた聖王は、自ら軍勢を率いてヌエツに赴き、調査にあたった。確かに森にはいくばくかの魔物が湧いていた。聖王はこれを退け、いまだ消えぬ不安を胸に抱いたまま、帰途についた。

 王城に戻った聖王は、ヌエツの魔物が単なる陽動にすぎなかったことを悟った。宝物殿の奥深くに祭られていた聖剣ムーンライト・ソードが、何者かによって盗み出されていたのだった。くせ者を見たものは口々に言った。聖剣を盗んだ罰当たり者は、北へ向かった。北の果てに住む者はこう言った。怪しい奴らはもっと北だ、海の向こう、孤島メラナット。

 報告を聞いた聖王は悩んだ。メラナット島は海の難所。大軍勢を以て攻め寄せたとて、自然の要害がそれを拒む。悩んだ末、聖王はアレフ・ガルーシャ・レグナスを招き寄せた。アレフは隣国グラナティキの第二皇子であり、かつてはハウザー・フォレスターの下で剣を学び、聖王とは兄弟のごとく親しんだ男であった。

 事情を聞いたアレフは、聖王の願いを聞くより速く、自ら申し出た。陛下、私が参りましょう。ざわめく高官たちをひとにらみし、アレフは朗々と述べた。私はかつて、陛下ともども御尊父の下で剣の修行に励みました。恐れながら、剣の腕前ならば陛下にひけは取りませぬ。どうぞ私めに聖剣奪回の任を賜り、陛下は国にありて人心の安定にお努めなさりませ。

 聖王はただ頷き、宝剣と印を下賜し、最も勇猛な水練達者の一軍を貸し与えた。

 こうしてアレフはムーンライト・ソード奪回のため、辺境の孤島へと旅だった。

 海の魔物に襲われアレフの軍が全滅したという知らせは、半月の後に王都に届いた」

 

 

045

「気が付いた時、アレフは見知らぬ浜辺に打ち上げられていた。仲間の姿はどこにもなく、王から授かった宝剣も波に流され、着の身着のまま、武器といえば短刀一つのみ。アレフは夜の浜辺をあてもなく彷徨い歩き、巨大化した烏賊や、ぐちゅぐちゅと徘徊する不定形の魔物を見た。背筋の震えを抑え歩くうち、ようやくアレフは人と出会った。メラナット島に住む男であった。

 アレフは男からメラナットを支配する「教王」の存在を教えられた。教王ダイアス・バジル。アレフには聞き覚えのある名だった。かつて大陸最強と謡われた剣士であったが、ハウザー・フォレスターに破れて後、何処へともなく姿を消した男であった。その男が今、このメラナットにて妖しげな教団を従え、島の住人を魔術で支配しているという。男は嘆いた。教王に従わない者には光が与えられぬ。アレフには男が何を言っているのかわからなかった。男は続けた。街に行くといい。行けばすぐにわかる。

 アレフは男に教えられた道を辿り、集落へ向かった。そこは水晶細工の職人と、鉱山夫の集落だった。メラナットには魔法の水晶を産出する鉱山があるのだった。

 その集落でアレフは先に男の言った事を理解した。ある者の家は、昼の光に照らされている。またある者の家は夜の闇に閉ざされている。アレフは住人に尋ねた。これはいかなるまやかしかと。住人は答えた。これは教王の恐るべき魔術。教王は従う者には昼と夜とを与え、従わぬ者には永遠の夜のみを与えるのだ。そして彼等は口を揃えてこう付け足した。あの隅の家に住む新参者は、島中で教王の次に暖かな昼を与えられている。まっとうな奴じゃない。盗人か、殺し屋か。

 アレフは新参者を訪ねた。彼もまた、アレフの見知った顔であった。ウォズ・シュー。あの地下墓所で盗掘を働いた伝説の盗人ギル・バックスの相棒であり、彼自身もまた大陸中に手配書の回った札付きであった。アレフの顔を見るなり、ウォズは床にひれふした。へい、親分さま、わたしが恐れ多くも聖剣を盗み出しました。もし親分さまが、わたしを斬らぬと剣に賭けて誓ってくださるなら、いま聖剣を持ってる輩をお教えします。

 アレフは誓った。ウォズはひれふしながらも決して恐れは見せず、やがて口を開いた。おおかたお気づきでしょうが、わたしに聖剣を盗めと命じた不徳の輩は、神をも恐れぬ邪教の徒、教王ダイアス・バジルにございます。

 ウォズはさらに続けた。実はわたしも困っておりまして。仕事をしたはいいが、約束の払いも渋るわ、島からも出しちゃくれないわで、おまけに余計な魔術で贔屓にするもんですから、ご近所さまにも疎まれて。親分さまがあのくそやろうを斬ってくだされば、わたしもそれはもう。

 彼は最後まで言う事はできなかった。

 アレフの拳が、ウォズの頬を捉えていた。奥歯が一本床に転がった。

 騎士の誇りに賭けて、斬らぬと誓った。アレフは言った。だが、殴らぬとは誓っておらんのでな」

 

 

046

「さて、このメラナットは遥か太古には光の黒竜ギーラの寝所であり、その後は大陸全土を制覇した風の王ハーバインが居を構える地でもあった。ハーバイン時代の名残は島の各所に残っており、次々とアレフの前に姿を見せた。ハーバイン居城、腹心である炎の賢者ツェデックの研究施設、そして、かつてハーバインが数多の奴隷を用いて水晶を掘り出したという大廃坑。遺跡には今なお住むものがあった。無数の亡霊たちと、得体の知れぬ魔物たちと、表情一つ浮かべぬ不気味な僧侶たちであった。みなアレフを見るや、牙を以て槍を以て魔術を以て、彼に襲いかかった。天賦の才と、ハウザー・フォレスター直伝の剣技が彼を守ったが、島の土壌が放つ毒気と、慣れぬ魔物との戦いは、次第に彼の体力を奪っていった。

 疲れ果てたアレフは、道半ばにしてついに倒れた。

 次に目を開いた時、アレフは一組の男女に助けられた事を知った。一人は若き水晶細工師レオン・ショア。もう一人は、少女ノーラ・バジル。名を聞いてアレフの顔が青ざめたのを、ノーラは見逃さなかった。彼女は教王を名乗るダイアス・バジルの、血を分けた妹だった。

 ノーラの話すところによれば、ダイアスは何かに引き寄せられるかのようにこの島に渡り、島の最奥にある闘技場にて、先代の剣の長、氷の剣士ケル・ファーガスを破り、新たな剣の長となったという。その直後、ダイアスは奇妙な竜の偶像を崇めはじめた。そして自ら教王を名乗り、どこからともなく信者を呼び集め、魔術を以て魔物を御し、島を支配したのだった。ついには王家の聖剣をも盗みだし、恐ろしくなったノーラは、兄の目を逃れてレオンと二人、島を抜け出す算段をしているのだという。

 あなたさまも共に島を離れましょう、聖剣は兄がどこかに隠しており、兄のいる闘技場は最も恐ろしい魔物たちが守っているのです。ノーラは言った。アレフは失笑し、答えた。俺は幼い頃、陛下と兄弟の如く過ごした。そしてその陛下が、いま聖剣の奪回を俺に託したのだ。おまえが兄を裏切ろうとも、俺は兄上を裏切れぬ。

 疲れを押して立ち上がるアレフに、レオンは一振りの長剣を差し出した。その刀身は漆黒の、さながら夜の闇のごとき色をした水晶でできており、常に濡れぼそっているかのような艶を見せていた。レオンは言った。この剣は水晶抗の最も深き場所にて削り出された不思議な水晶から、この私の技の全てを注ぎ、削りだしたもの。その水晶は常に闇を纏っており、ただてに持つのみで周囲が薄暗うなりまする。そして刃を成せば剛にして柔、鋭利にして頑強、どのような敵も甲冑ごと断ち切る剣に仕上がりました。聖剣を相手取るには力不足やもしれませぬが、どうぞお召し下さいませ。

 アレフは黒き水晶の剣を受け取り、礼を言って島の奥へと歩み始めた。

 まだ誰も知らぬ事であった。その剣が後に黒き屠殺者《ダークスレイヤー》と呼ばれる二本目の聖剣となることを。水晶抗の最奥にて発見された黒水晶が、太古の竜神の力を湛えていた事を。この世とは次元を異にする闇の中から、真っ白な鱗の竜が、密かにほくそ笑んでいた事を。

 まだ誰も知らぬことであった」

 

 

047

「瞳に狂気を湛えた幾多の僧兵たちの血を吸い、ダークスレイヤーはますますその暗き輝きを増すようであった。その輝きによってさらなる敵を骸に替え、骸が新たな力となり、アレフはダークスレイヤーの力に見せられたかのように暴れ狂った。ダークスレイヤーはまた、アレフに魔の力をも与えた。それは聖王アルフレッド一世が先王家より受け継いだものと同じか、あるいはそれ以上の力であった。炎が、風が、水が、土が、アレフの腕となり足となった。もはやアレフの歩みを止められる者はいなかった。

 気が付けばアレフは地下深く作られた広大な闘技場へとたどり着いていた。

 闘技場の門を護るは四体の魔物。いずれも恐るべき力を持つ悪鬼であったが、ダークスレイヤーを妻としたアレフには敵うべくもなかった。肉を山と成し、血を河と成し、魔物の屍を踏み越えてアレフは闘技場に踏み込んだ。

 そこに待っていたのは日月乾坤圏を携えた屈強な男であった。男は名乗った。我こそは教王ダイアス・バジル。そのほうは何故斯様な無礼を働くか。アレフは答えた。我こそはグラナティキ第二皇子にしてヴァーダイト聖王アルフレッド一世が義弟アレフ・ガルーシャ・レグナス。聖剣ムーンライト・ソードを盗み出したる賊を追い、はるばる馳せ参じた。そのほう、速やかに聖剣を返上し法の裁きを受けるならば命までは取らぬ。

 ダイアスは豪快に笑った。そして乾坤圏を構え、アレフを見据えて言った。汝の構え、師はハウザー・フォレスターと見受ける。あの男にはとうとう勝てなんだ。あのおかたの力を得、人を超えたこの身にて再び相見えとうなったわ。アレフは答えた。聖剣はどこにある。それを聞かねば、おれは貴様を殺せぬではないか。ダイアスはまた言った。余に勝てば汝は闘技場の剣の長よ。この島も僧兵どももお前のもの。剣の在処など自ずと知れる。

 いざ。ダイアスは犬歯を剥き出しにした。言葉は無粋。刃にて語らん。

 先手を取ったのはダイアスであった。大きく外より圏を振るい、真っ直ぐにアレフの首を狙って斬り付けた。アレフはダークスレイヤーを圏に叩き付けて阻んだものの、その恐るべき膂力にて押し切られ、数フィートはじき飛ばされ、たたらを踏んだ。それを見過ごすダイアスではない。すかさず跳躍し頭上より圏を振り下ろした。アレフは飛び退いてこれを避け、ダークスレイヤーの一太刀を浴びせた。決して避け切れぬ間合いであった。

 アレフは我が目を疑った。ダイアスの左腕より滴り落ちる血。ダイアスは自ら左腕を魔剣に叩き付け、一瞬その動きを止め、獣の慟哭にも似た呪文を唱えた。雷撃の魔術。アレフは迸る五十土にその身を焼かれ、力無く床に倒れ伏した。皮が焦げ、血がくすぶり、耳の中で爆音が響き続けていた。魔剣が目覚めさせた魔力がなかりせば、この一撃にてアレフは絶命したであろう。

 ダイアスは左腕の傷を癒しの魔術にて塞ぎ、両手で乾坤圏を大上段に構え、のたうつアレフを見下ろした。グラナティキ第二皇子にしてヴァーダイト聖王アルフレッド一世が義弟にして剣聖ハウザー・フォレスターが子弟アレフ・ガルーシャ・レグナス。そのほうの技は師同様、人を相手取るためのものであった。それでは魔とは戦えぬ。師を恨むがよい。この敗北は師の教えが成したものにて汝の成したものではない。

 振り下ろす。

 刃が止まった。

 ダイアスは我が目を疑った。ダイアスの両腕より滴り落ちる血。砕かれた圏。虫の息のアレフが振り上げたダークスレイヤーの一撃が、彼の腕と乾坤圏とを叩き斬っていた。

 そしてダイアスは闇を見た。アレフの背後、闘技場の暗闇に潜む大いなる闇。あのおかたと対を成す暗黒の竜を」

 

 

048

「教王は倒れた。つい数瞬の前まで剣の長であった男は、血塗られた黒水晶の剣を携えた戦士を、ついに己を破った男を見上げた。おお。薄れる意識の中で言葉を紡いだ。あのものの力を受けて、なお己を失わぬか。

 眉をひそめるアレフに、教王は最後の言葉を贈った。往くがよい。光の魔剣は、この奥、あのおかたの御許におわす。汝の業と闇の魔剣を以てすれば、あのおかたを討つことも能おう。だが心得ておくがよい。あのおかたはこの世のひかり。あのおかたの滅びる時、光もまた滅びる。光の滅びて後、ほどなく闇がこの世を覆うであろう。人の振るう闇の力が人を滅ぼすのだ。

 汝も余も、所詮は大いなる運命の手のひらの上で踊っているにすぎぬ。狂王ラインハルトも、太古の二賢者ツェデックとシュドムも、風の王ハーバインも、世捨て人オルラディンも、始祖ル・ア・イシリウスも、みな光や闇に飲み込まれた。余もこうして飲まれようとしている。聖王アルフレッドも、そして汝も、いずれその闇の剣に飲まれるであろう。

 否。あるいは、あのおかたとあのものさえもが、更に大いなる運命に飲まれんとしておるのやもしれぬ。

 心得ておくがよい。力を求める者はみないずれ滅び去る。みな必ず呪われるのだ。

 教王は事切れた。アレフは魔剣を鞘に収め、その死に顔を見下ろし、ぽつりと呟いた。

 忠言痛み入る。しかしな、ダイアス。

 滅び去らんとした時には、またなんとかすれば良いではないか?」

 魚雷は一度息を吐き、また大きく吸い込んだ。

「その後の事は知られていない。人の世の噂では、アレフはこの後、この世ならざる地に迷い込み、そこで鋼と油の悪魔に戦いを挑んだという。そして累々たる悪魔の亡骸を踏み越えて、黒き竜に戦いを挑み、これを討ち、見事聖剣を携えて帰還したという。このときアレフの振るった暗き屠殺者ダークスレイヤーもまた、二つ目の聖剣としてヴァーダイトに伝えられることとなった。

 そして次が最後の物語。シャドウタワーの終章を飾るのは、聖王アルフレッド一世の嫡男ライル・ウォリシス・フォレスターと、第三の聖剣、人の魔剣、選ぶ者にして選ばれる者《エクセレクター》の苦難に満ちた物語。闇に魅入られ狂王と化した父を討つための悲壮な戦いだ」

 そこまで言って、ようやく魚雷は気付いた。

 幼娼はすうすうと気持ちよさそうな寝息を立てていた。

 

 

049

「突然だが、この物語はここで終わりだ」

 と、魚雷は言った。彼の手は、膝の上で寝息を立てる幼娼の頭を優しく撫でており、その目は、どことも知れない虚空を見つめている。彼は知っていた。全てを知っていた。自分の物語がなぜ終わりを告げるのか。一体誰が、この物語に幕を引くのか。全てははじめから決まっていたこと、ないし、たった今決まったことであり、それを予見する事はさして難しくもなく、同時に、容易い事ではなかった。

「おれの物語はここで終わりだが、おれそのものが終わるわけではない。いずれまた諸君等にまみえることもあろう。あるいは、すでにおれは君たちの前に姿を見せているのか」

 幼娼が何か寝言を言った。何を言ったのかわからなかった。魚雷は愛おしい娘に視線を落とした。

「憶えておいてほしい。おれは、単なる小道具の一つにすぎなかった、あるいはすぎないのだということを。どんなに大きく、どんなに恐ろしく、どんなに不気味に見えようとも、おれも、この子も、奴も、DOVEも、そして《大いなるシルヴァル》さえも、たった一人の男の手のひらに踊る駒に過ぎぬのだということを。

 そして君たちもまた、どこかの誰かの手のひらに踊る駒に過ぎぬのだということを」

 幼娼をベッドに寝かしつけ、魚雷は立ち上がる。壁のスイッチを切り替える。灯りが消える。闇しか残らない部屋の中で、確かに蠢いている彼は、ベッドに、幼娼の隣に潜り込みながら、確かにこう言った。こう言ったのだ。

「どこまでも可塑性な星の数ほどの主人公たちよ。君は、たった一つの物語の中で何を描く?」

 

 

DepthCharge:All right concluded

See you next, somewhen, somewhere.

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