時は少しさかのぼる。三好義継が若狭に侵攻すると判明した武田信豊は後継者を誰にするかでもめている義統と一時的に休戦してこれに対抗するべく会議を開いた。
「若狭を守護する我ら武田家の命運を決める戦となろう! 今すぐに迎え撃ちべきじゃ!」
そう声を張り上げるのは若狭武田家の当主、武田信豊だ。今年で50を迎える彼は一切の加齢を感じさせない覇気を全身から溢れ出し、周囲に居並ぶ者達を睨むように見る。ここには武田家の家臣に加え、守護代や豪族たちといったほぼ全ての若狭の有力者が集っていた。
「幸いにして奴らはいまだに若狭に入ってきていない! 入る前に蹴散らすことが可能である!」
「策もなしに突撃する気か? 俺は反対だな」
「っ! なんじゃと!?」
そして、武田信豊の大声に静かに反論する人物がいた。武田家特有の赤い髪を有する30歳の男性、信豊の嫡男である義統だ。彼は信豊のような巨漢ではないが彼以上に当主らしい雰囲気を有する人物だった。
本来、二人は若狭武田家の後継者をめぐり争っている仲であった。信豊は自分に反抗的な義統ではなく、自分に従順で愛らしい義統の妹である信由に当主の座を渡したいと考えていた。当然ながらそれを義統が快く思うはずがない。
「態々不和の種を蒔くな」と義統は一子を差し置いて二子を当主にさせようとする信豊に反論したがそれを受けて激怒した信豊は兵に命令を出して義統を捕らえようとしたが失敗。自分に賛同する者達とともに兵をあげて信豊にあらがおうとした。そして、今まさに両軍がぶつかり合うというタイミングで永禄の変、そして若狭出兵が発生したのだ。お互い戦闘はしていなかったからこそ一時休戦し、三好家にあらがおうとしていたがだからと言って急に蟠りが消えるわけでもなかった。
「三好家は3万の大軍だ。対する我らは5千。他の者達も併せて2万が精々、それも寄せ集めの連合体だ。数で負け、連携で負け、恐らく質でも負けている。正面から戦えば確実に負けるぞ」
「義統! 貴様戦ってもいないうちから何を弱気になっている! やはり貴様は臆病者だな!」
「……っ。策もなしに戦を挑むのが危険だと言っているのだ! それで父上は長慶に負けたではないか!」
そう、信豊は長慶との戦いにおいて同じように無策で突っ込み、大敗しているのだ。その際に有力な家臣の多くを失っており、その補填もまだできていない状態にあったのだ。そして、父が同じ失敗を再び起こそうとしている事が我慢ならなかったのだ。
「父上! いい加減に考えてくだされ! 敵は強大。そして我は弱小なのです! 策を練り、絡め手で挑まなければ我らに勝ち目はありません!」
「黙れ! こ、このワシに歯向かい、意見するなど片腹痛いわ! 今ここで叩ききってくれる!」
信豊はそういうと刀を抜き、切っ先を義統に突きつけるが義統は断固として引くつもりはなく、信豊を睨みつける。
「父上は若狭を守りたいのですか? それとも自分が信じるものを守るのですか?」
「義統ぇ!」
ついに信豊が怒りのままに刀を振り上げるとそれを義統に向けて振り下ろす。義統も座位の状態から即座に動くことは出来ず、覚悟を決めるが突如として部屋に入ってきた人物によって信豊の動きは止まった。
「爺上! 刀を収めください!」
「ま、孫ちゃん……」
襖が勢いよく開き、その音とともに響いた幼い少女の声に信豊はようやく怒りが消えて正気に戻った。そして、今の声の主である少女に目を向ける。真っ赤な髪を肩まで切り揃えた利発的な少女に信豊は義統に向けていた表情とは違い、見られたとまるで悪いことを見つけられた子供のような表情をしていた。
「父上の言う通りです! 無策で挑めば我らは負けてしまいます!」
「し、しかし孫ちゃん」
「だから無策はだめです! ですが爺上も父上の意見など聞きたくないでしょう! なので私の策を! この武田孫犬丸の策を! 聞いてくだされ!」
少女、義統の娘にして信豊の孫である武田孫犬丸はそう言って自信満々に胸を張る。齢8歳の少女がそのような態度を取ったところでかわいらしいとしか言いようがないがそれでも孫犬丸は自らが考えた策を喜々として話す。
「三好軍は若狭について不慣れです! ですのでまずは手近にある城を襲うでしょう! というよりもすでに襲っているでしょう!」
「であれば今すぐにでも出陣して三好どもを追い返さなければ!」
「ですからそれでは無策と変わりありません! どちらにしろ今すぐに出兵しても間に合いません! なのでまずは兵を集めて数をそろえるのです! そして総大将は爺上と父上のお二人にします!」
「俺と父上だと? 何故二人にする必要がある?」
「では父上は爺上が総大将になる事を許せますか? そして爺上は父上の下になる事を許せますか?」
「そんなことは出来ない! ワシが義統の下になど……」
「俺も出来ればごめんこうむりたいな」
「でしょう? なので総大将を二人にするのです。お互いに対等。これがお互いに許せるぎりぎりの状態でしょう」
「うむ、同じ立場ならまだ許せるな」
「俺もだ」
孫犬丸の言葉に両者は納得した。そして、孫犬丸はここから自らの策を披露する。
「では兵を出し、三好軍と相対したらお互いに好きなように戦ってください。どうせ連携なんて無理ですから。なので本陣で私が指示を出す地点のみ合同でせめてください」
「短時間だけ協力するわけか」
「そして爺上は戦場で大暴れをしてくだされ! そして父上は爺上が兵の視線を引き付けている間に左右どちらかを攻撃してください! こういう細かい動きは父上の方が得意ですから」
信豊は細かい動きは苦手だが代わりに突破力と展開力はすさまじかった。一方の義統はその逆で突破力はないが戦場の様子を広い視点で見れ、細かく動くことができる武将だった。そして、それを孫犬丸は理解したうえで調整役になろうとしていたのだ。
「父上が左右を攻撃して敵に少しでも乱れを作り、爺上がそこを狙って強襲する。これが我々にできる策でしょう」
「ふむ。これならワシも納得できるな。ワシはいいだろう! 孫ちゃんの策に賛成する!」
本当は奇襲やゲリラ戦術のごとき策を持っていたがそれを信豊が良しとしないことを孫犬丸は理解していた。どうせ提案しても却下され、最悪の場合信豊だけで三好軍に攻撃しかねなかった。そうなれば絶望的な防衛戦が詰みの状態になってしまう。そうなるのだけは避けたかったのだ。
「(どちらにしろ三好家も当主が変わったばかりでしかも将軍家の襲撃を行っています。家中が一枚岩とは思えないですし出兵に対して不満を持つ者もいるでしょう。そういった者達が足を引っ張ってくれる可能性もあります。大丈夫、絶対に勝てない相手ではないです! 絶対に勝って、父上と爺上の仲を修復したうえでもう一度平和な日々を送るのです!)」
孫犬丸は幼いながらに軍師としての才能を開花させていた。そして、それを三好家相手に披露していくことになるが彼女の才能における唯一の弱点。実戦経験がないことが後々大きな失態を生み出すことになる。そしてそれが武田孫犬丸という少女の人生を大きく狂わせる原因となるのだった。