「お初にお目にかかります。私は逸見昌経と申します」
「三好左京大夫義継だ。先ほどの戦以来だな」
そんな見た目通りなのか、性格も似た感じのようだ。正確には
「先の戦においては左京大夫様に刀を向けたこと、お許しください」
「かまわない。そなたは武田家に仕える将として正しい行いをしたのだ。そして、逃走したことも降伏したことも三好家にとってはありがたい事である。気にはしていない」
「そう言っていただけると助かります」
「で? ただ降伏をしに来たのか?」
このタイミングで降伏したという事に意味があるのだろうか? 降伏するなら逃走などしなければよかったのだ。それ相応の手土産があると判断するべきだろう。
「もちろんですが手土産を持参しました」
「ほう? それはなんだ?」
「こちらに御座います」
昌経はそういうと後ろに控えさせていた小姓らしき少年を使い、目の前に様々な品を並べていく。それらは茶器や刀、扇子などと種類豊富であったがそのどれもが言い知れぬ気のようなものを放っていた。
「これらは私が集めた収集物でございます。古くは元の時代の茶器から鎌倉幕府時代の刀までそろっております」
「それにしては随分と怪しげな気を放っているようだが?」
「? 御館様、それはどういう……」
ん? 勝正には感じ取れないのか? 広間を見てみればこの品々の気に気付いている者はいないようだ。いや、一部の勘のいい者がただの品々ではないと怪しんでいる程度か。どちらにしろ、これは俺にしか感じられないわけか。
「……どうやら左京大夫様は
「土御門……。確か安倍晴明を輩出した安部氏の一族か」
この世界、意外なことに陰陽師の力が強い。俺も実際に見たわけではないが一時期に長慶に協力していた陰陽師がおり、少なからず勝利に貢献したこともあるらしい。陰陽師が出来ることは式神を用いた妖術だ。物の怪を繰り出したり、雨を降らせるなどを可能とするらしい。それが本当なら中々に侮れない者達だ。その分扱える人物は少ないらしいがな。
そしてその一握りに土御門家が入るのだろう。土御門を称しているがもとは安部家の人間だ。それも可能なのだろう。ちなみに、安倍晴明の血は明治で女系を挟む形で縁戚ながら現代にまで続いている。直系はとっくに断絶しているがな。
「で? これらの品々の力はどれほどだ?」
「持っていないよりはマシ程度です。なので陰陽師の力に興味がないのであればお売りに出してもらってもかまいません。これらはそんなものがなくても高価な品々ですので」
「確かにな。俺にはいまいち理解できないがこういった物の重要性は理解しているつもりだ。いいだろう。降伏を受け入れる。だがこの品々だけでは薄い。本領安堵が精々だ」
「かまいません。むしろ本領安堵をしていただけるだけありがたく感じます」
「その分これからは働いてもらうがな。今後丹波や丹後攻めで期待しているぞ」
「ご期待に添えるように努力いたしますわ」
そう言って深々と頭を下げると持ってきた品を俺の小姓に預けて広間を後にする。この後は池田家を始めとする畿内衆、四国衆に案内をしてもらいながら若狭西部の平定に協力してもらうつもりだ。
それにしても逸見昌経。雰囲気は松永久秀に近い者があるな。あちらよりも主君に対する忠誠心は高そうだがな。綺麗な松永久秀と言ったところだろう。
だがこれで若狭西部は俺になだれ込んでくるはずだ。何しろ唯一残った西部の有力豪族が降伏したのだからな。抵抗するだけ無駄と判断して明日にでも使者がやってくるはずだ。そうなれば後は北部の国吉城に逃げていった粟屋勝久だけだな。あいつは今三好三人衆の兵相手にゲリラ戦を展開しながら国吉城で籠城の準備を行っている。意外な事に士気は高く籠城に必要な物資も潤沢にそろっている。力攻めをすれば俺たちの方が先につぶれてしまいそうだ。
まぁ、そういう相手には絡め手を使うまでだ。何しろ粟屋勝久が欲するような人物は全て俺の手の中にあるのだからな。簡単に済むだろう。
数日後、若狭西部が完全に三好家の勢力下に収まった。逸見昌経が降伏したと知った西部の豪族たちは次々と降伏し、三好家の軍勢が丹後との国境部に到着する頃には全ての勢力が頭を垂れる事となった。
一方で残った若狭武田家の勢力である粟屋勝久は三好側からの粘り強い交渉の末に開城した。主家である武田家をそれ相応の対応を行う事、決して反故にしないことを約束したからだ。これにより若狭への出兵からひと月で若狭は三好家の勢力に収まる事となった。
若狭を平定した三好義継は若狭を東西に分け、西を三好政勝、東を三好康長に与えた。これにより若狭は三好一族の領土となる事となった。
また、今回の出兵で武田信豊を単独で捕らえ、逸見昌経を降伏させたとして第一功を獲得した池田家には当主の勝正に従五位下、
武田信豊は出家させ隠居させ、武田孫犬丸には義継の実家である十河家から存の偏諱を与え、武田存信として元服。武田家の当主となったが若狭は全て取り上げられ、知行を与えられる形で直臣になる事となった。他にも粟屋勝久、武藤友益などの家臣たちは領土が全て取り上げられたうえで政勝、康長両名の家臣として存信とは離され、武田家で団結する事を防ぐ形となった。
これをもって義継による若狭出兵は完了することになるのだった。
しかし、ひと月とはいえ畿内を離れる事によって起きる影響もあった。
-観音寺騒動を終息させた六角家が出兵。3万の兵で山城国に侵攻中。
-播磨にて守護赤松家を盟主とする播磨連合軍が播磨衆有馬某を襲撃。
-河内にて畠山残党が蜂起。飯盛山城を攻撃中。
-大和にて松永久秀の統治に反発した筒井家が攻撃を開始。
-丹波にて波多野・赤井などの豪族連合が丹波にある三好領を襲撃中。若狭国との通路を防ぐ動きを見せつつあり。
若狭出兵によって発生した危機的な状況。後に第一次三好包囲網と呼ばれる最初の危機が発生した瞬間だった。