5歳というのは予想していた通りできる事が少ない。肉体は成長しきっておらず、武術どころか鍛錬さえできない。それどころかあまりが過保護すぎて部屋から出ることさえほとんどできない始末だ。精々侍女数名とともに少しだけ歩ける程度だ。
それゆえに俺は日がな一日書物を読むことに明け暮れている。これしかやることがないのだから読むしかない。最初こそこの時代特有の崩し字の解読に手間取ったが1年も読み続けていれば理解することも出来るようになっていた。しかし、書物によっては字のうまい下手が激しく、ひどい時はなんて書いてあるのか分からないものまである。印刷技術がない以上仕方のないことだが大人になったら版画のように簡単なものの製造を試してみるのもありかもしれない。
「熊王丸さま、今日はどのような本を読んでいるのですか?」
「とうのえらいひとのほん」
「そ、そうなんですか?」
侍女が時折話しかけてくることもあるが簡潔に伝えて書物に集中する。俺につけられている侍女は4名いる。全員が父上自ら対面し、雇うか否かを決めた人物らしく、俺の目から見ても裏切りの心配はない者達だ。
「とうはすごいくになのだな」
「そうなのですか? 私はあまり教養がなくわからないのですが……」
「しょもつによるとすごいときはひのもとのなんばいものりょうどをたばねたらしい。げんざいはみんというくにがちゅうかにそんざいしているらしい」
「なんと。熊王丸様は御詳しいですね。これは十河家も将来安泰ですね」
「それはわからない。だからこそしょもつをよみ、ちしきをたくわえている。わたしのだいにぼつらくしないようにな」
子供らしい舌足らずな言葉より発せられる理知的な話。今でこそ普通に会話しているが出会った当初はたいそう驚かれた。なんでも子供の皮を被った賢人とさえ思ったらしい。半分は当たっているだけに当時は愛想笑いでごまかすことしか出来なかったなぁ。
「たんれんがおこなえるようになるまでわたしはしょもつをよみ、ちしきをつける。たんれんがはじまればしょもつをよむじかんをへらしていき、たんれんにおもきをおく」
「書物はお読みになられなくなるという事でしょうか?」
「ちがう。たんれんができないからいちにちをすべてしょもつをよむことですごしているだけだ」
いくら知識を持っていようともこの時代では肉体的な強さがものをいう。無論それだけではないが今の俺に足りないものはそれだけだからな。脳内で出来ることは前世から行ってきた。今更鍛えるの必要がない。あるとすれば戦場で使い、臨機応変に変化させることくらいだ。
「いずれわたしはそごうをつぐみ。そごうけにもとめられるのはみよしけとうしゅをささえられるちからだ」
「……熊王丸様は、当主になりたいとは思わないのですか?」
この侍女はなんて事を聞くのだろうか? 俺に叛意を抱かせたいのか? それともその気持ちがないかの確認か? まぁいい。今の俺が答える内容は決まっている。
「ない。わたしはそごうくまおうまる。みよしけのいちもんにしてみよしけをもりたてるそんざいである。みよしけはちょうけいさまがこうだいなりょうどをつくりあげ、それをよしおきさまがつぐことになる。たとえはんいがあったとしてもわたしにはいりこむよちはない」
「……そうですか。失礼いたしました。不躾な質問をしてしまいました」
「よい。だが、こんごはきをつけるように」
「了解しました」
それ以降この侍女たちが口を開くことはなくずっと黙っていた。一体何を思って口にした言葉だったのか。それを知ることはできなかったが知る必要もないだろう。何しろ彼女たちはわが父十河一存が選び抜いた者達だ。他の勢力のお手付きという可能性はないだろう。つまり、俺を心配、警戒しての発言だったという事だ。ならば気にする必要はない。俺は何もしていないのだからな。
「失礼します。一存様」
「うむ」
十河熊王丸の専属侍女四人はその日の夜、一存の部屋に訪れていた。彼以外に人の姿はなく、完全に5人だけしか周囲には存在していなかった。
「それで? せがれの様子はどうだ?」
「はい。正直に言って神童の中の神童という言葉以外に表せない才能を持っています」
「それほどか?」
一存は普段熊王丸には見せない真剣な表情をして侍女に尋ねる。そもそも一存がこのように熊王丸の様子を尋ねているのは本人を目の前にすればただの親ばかになってしまい状況把握ができなくなるからだ。それだけに侍女たちからの情報は一言一句聞き逃すつもりはなく、その侍女たちも特殊な教育を行い、知識に関して言えば賢人と呼べるほどにまで達していた。
「言葉を選ばなくていいというのであれば化け物、という言葉も当てはまります。一存様、熊王丸様は齢5歳にして唐の書物をお読みになっています」
「それがどうしたというのだ? 唐の書物などワシでも読めるぞ」
「ええ、それは理解しています。私が言いたいのは
「……」
侍女の言いたい事を理解した一存は腕を組み目をつぶった。自分の倅である熊王丸はいずれ十河家を継ぎ、三好家を支える存在となる。しかし、それだけのポテンシャルがあれば彼を当主にと継ぎだす者がいてもおかしくはなかった。
「(言っては悪いが義興様は兄上ほどの才覚を有していない。最悪の場合、今の三好家の領土を全て守り切ることもできないかもしれない。だが、熊王丸は守るどころかさらに版図を広げられる実力を持っている可能性がある。……義興様が将来馬鹿な考えを起こさなければいいが……)」
一存は両細川の乱が終息に向かいつつあり、三好家が大版図を築き上げているこの状況で将来起こるであろうお家騒動を考えてしまいげんなりする。
「……では聞くが熊王丸に叛意は感じられたか?」
「それは全く。本人も言っておりましたが三好家の一門衆として支える気でいるようです。当主になる時は自分がそうならざるを得ないときだけだと」
「つまりその時がくれば当主になるかもしれないという事か……」
一存は悪くはないがよくもない返答に悩む。どちらにしろ今そう思っているとしても将来は分からない。熊王丸が野心に目覚め、三好家に仇名す存在となれば……。
「……いかんな。はるか先の事を考えてもしょうがない。どちらにしろわが倅は将来が楽しみな人物という事が分かっただけでもよしとしよう。おぬしたちは今後も熊王丸を助け、何かあればワシに報告する様に」
「「「「はっ!」」」」
「(……まぁ、熊王丸がいうその時が訪れないようにワシら今のものが頑張ればいいだけのはなしだ。熊王丸が安心して十河家を継げる様にワシも頑張らないとな)」
一存は心の中でそう覚悟を決めた。しかし、そんな彼の決意が実を結ぶことはない。
十河一存は両細川の乱の終息をかけた最後の大戦にて戦死。両細川の乱事態は三好家が属する細川家が勝利をつかみ、三好家の権勢は大きく上がる事となったがその結果として三好家を武の方面から支えた一門衆を失う事になった。
そして、この時より三好家の斜陽は始まるのだった。