「ここが、摂津の国か……」
三好義継が統治する摂津国に、一人の少女がやってきていた。10歳前後の少女が一人で歩いているのは姫武将が存在するこの戦国の世においても珍しいものであり、道行く人々は不思議そうに少女を見ていた。そんな彼らの視線には少女も気付いていたがそれを苦に思う様子はなかった。
「流石は堺を抱える五畿内の一国だけあって《シメオン》の格好に対して眉を潜める者はいないか……」
少女の装いは所謂南蛮装束と呼ばれるものであり、堺を抱える摂津を始めとして五畿内や博多、山口などの南蛮との貿易が行われる地域では見かけるようになった服装だが、少女の故郷はそういった場所ではないために珍妙な装いとして毛嫌いされていた。
「なんで摂津の隣国の《播磨》もこうなってくれないのか……」
少女は自らの故郷の排他的な新しいものを受け入れようとしない風習に嫌気を感じていた。そのために家督を譲られたばかりにも関わらず、その播磨を出て畿内へと進出してきていたのだ。
「だがそれも今日まで! これからはこの畿内でシメオンの力を示し、日の本中に響き渡る軍師になって見せる!」
少女、黒田官兵衛は胸のうちに秘めたる野望を高々に叫びながらこれからの自分の未来を予想した。
そのすぐ後に突如叫んだ官兵衛を見る人々の視線が険しくなり、少し気まずそうにしながらその馬を離れることになるのだが。それでも官兵衛の第一歩が始まった瞬間だった。
「……何故だ」
そして、輝かしい官兵衛の未来は最初から大きく躓くこととなった。官兵衛が畿内に来た目的、それは自分を軍師として雇ってもらい、日の本に自分の名を広めることであるがコネも実績もない官兵衛を雇おうとする勢力はいなかった。正確には官兵衛の知恵を目的に誘う勢力はいなかった、ではあるが。
官兵衛は三度、野盗やそれに付随する勢力に絡まれた。少年と間違えそうなちんちくりんにして中性的な容姿を官兵衛はしているが整った顔立ちをしていることにはかわりはない。結果、官兵衛は《そういった目的》のために狙われる事となったがその度に裏路地や兵の近くに隠れるなどしてやり過ごしてきたがそれも限界が近い。
「何で播磨にいたときよりもひどい目にあうんだ! これなら九州にいたほうがマシだ!」
官兵衛は九州にて南蛮の技術を得ようとして留学していたのだが大友と大内家の間で戦が始まり、彼女を心配した父によって連れ戻されていたのだ。官兵衛としては大友を助けるべく仕官してもいいとは考えていたのだが大友家の意思がバラバラ過ぎて本当に戦う気があるのかという疑問と大内家から感じる腐りかけの甘い匂いのような悪臭の如き違和感を感じて手を出すことに躊躇を覚えてしまい、父に従って播磨に戻ったのだ。しかし、播磨にいても出来ることなどたかがしれており、それならばと畿内に行けば仕官できるのではと考えたのだ。結果は命というか貞操の危機を何度も感じることとなった。わけだが。
「そして豪族ども! ここも播磨も田舎どもと変わらないじゃないか!」
次に官兵衛を激怒させる原因となったもの、それは仕官を求めた先の豪族の対応だった。
「そのなりで軍師? 寝言は寝て言え? 愛人としてなら雇ってやる? こんなちんちくりんに任せたら全滅する? 誰がちんちくりんだ! 余計なお世話だ!」
官兵衛は休憩をしていた茶屋でそう叫ぶ。突然叫んだ官兵衛に店内の人々が何事かと視線を向けてくるがそれに構うことなく座りなおすと愚痴を延々と吐く。
「池田家も荒木家も伊丹家も三宅家もどいつもこいつもシメオンの有能さを理解しないんだ……!」
官兵衛はやけ酒をあおるかのように湯飲みに入った熱々のお茶を喉に流し込もうとしてむせる。火傷こそしなかったが熱いことに変わりはなく、店内にいる者たちは官兵衛になんだこいつといった視線を向け始めた。そしていまだにその視線に官兵衛は気づかない。
「池田家に関しては一番マシだったがなんだあの当主の弟! あいつ性格悪すぎだろ! あんなのがもし当主になったら終わるぞ! 馬鹿か! 馬鹿なのか!」
子供特有の金切り声で叫ぶ官兵衛にそろそろ店内の視線も険しいものになっていく。そして、耐えきれなくなったのだろう。一人の少女が立ち上がり官兵衛の近くに向かっていく。
「こうなったら畿内は諦めてもっと東に……ぎゃんっ!?」
「うるさい!」
次の目的地について考えていた官兵衛の脳天を少女の拳が直撃した。一瞬のスパークを感じながら官兵衛の顔はテーブルにたたきつけられた。少女の力は官兵衛を軽く倒す程度には強いらしい。
「~~~~~っ!!! いきなり何するんだ! この天下に名を轟かせるシメオンの脳が損傷したらどうしてくれるんだ!」
「君がうるさいからじゃない! 少しは周りを見てよ!」
「周り……? ……あ」
少女の言葉に官兵衛は頭を押さえながら周囲を見回して気づく。自分に向けられる視線に好意的なものは何もなく、苛立ち交じりの感情が多く存在していることに。
「気づいていなかったみたいだけど君の声、うるさかったよ? 軍師を名乗るのならこの範囲の気配くらい感じられないと」
「う、うぅ……」
天下に名を轟かせる(予定の)官兵衛は少女の言葉に何も言えずに頭に感じる痛さも合わさって涙目となる。今だ10歳前後の官兵衛にとって少女からのお説教は心に来るものがあった。少女も泣きそうな官兵衛を見てため息をつくと店の人に迷惑をかけたと言って官兵衛の分の会計も払って店を出る。
「ほら、泣かない。軍師なんでしょ? そんなにめそめそしてたら誰も指示を聞いてくれないよ」
「うん……」
まるで妹に接するかのごとき優しい少女に官兵衛も涙を抑える。そんな官兵衛に少女は赤い髪を揺らしながら笑う。
「ふふ、落ち着いた?」
「う、うん。あの、さっきはごめんなさい」
「いいよ。僕だっていきなり拳骨をしちゃってごめんね」
官兵衛は先ほどの事を謝罪し、少女もそれを受け入れた。
「店の人にも謝らないと。それに、お金も……」
「そうだね。きちんと謝罪することは大事だよ。あ、お金は気にしないでね。僕が代わりに払っておいたから」
「え!? なら返さないと……」
「いいよいいよ。僕ってこう見えてお金には困ってないからさ」
少女はそう言っているが官兵衛にとってはそれを受け入れることはできない。何しろ迷惑をかけっぱなしなのだから。このままでは一流の軍師にはなれないと強引に話をつけて少女にお金を返却した。
「いやー、軍師だけあって言いくるめられちゃったね。意外と押しが強いし」
「当然だ。シメオンは天下に名を轟かせる軍師なのだからな!」
そう言ってない胸を張る官兵衛に少女は優し気な笑みを向ける。しかし、その表情にはどこか影が見えていた。
「あ、そういえば名乗っていなかったな。シメオンは黒田官兵衛。シメオンの力を発揮できる仕官先を探している者だ」
「そうなの? それならちょうどいい仕官先があるから一緒に行かない? 別々に行くよりもきっといいよ。何しろ僕は紹介状を持っているからね。あ、僕は武田信顕っていうんだ。よろしくね」
そう言って少女、武田信顕は官兵衛に手を差し出した。
後に無二の親友となり、最悪の結末を迎える二人の少女の最初の出会いの様子だった。