松永久秀。いろいろと悪名高いうわさが存在する人物だ。東大寺を焼き払い、当時の将軍足利義輝を殺し、三好家を乗っ取り滅亡に導いたというものだが現代においてこれらは誤解であったことが示唆されている東大寺は戦をしていた相手の本陣が東大寺にあったから。将軍義輝を殺したのは息子であり彼は直接関与していないこと。三好家乗っ取りは長慶の生前はそのような事を一度も起こしていないこと。死後も主導権争いをしただけで微妙な感じとなっている。
つまり、これらが事実なら松永久秀は自分の力で出世したとはいえ梟雄と呼ばれるような人物ではないという事だ。だから、俺は少なからず期待をしていた。この世界の松永久秀もそうではないのかと。
「……」
「あら? 重存様どうかなされましたか?」
だが、実際はどうだ? 目の前の女性、松永久秀は往年のイメージ通りの人物だった。見た目は海の人間や中東方面を思い浮かべる褐色の肌にチャイナドレスのごとき煽情的な服装。それでいて内面は一切悟らせないほどの警戒心を抱いている。信用している・していないというよりは本人の性格ゆえだろう。
「なんでもない」
「そうですか。ではもう一度おさらいの意味も兼ねて今のところを繰り返しましょう」
そう言って久秀が密着する様に体を近づけてくる。動きが完全に娼婦のそれだがここで手を出すような事があればきっと俺の将来は暗闇に包まれる事となるのだろう。それだけははっきりとわかる。
そして、俺が今久秀から教わっているのは謀略や相手との読みあいなどだ。久秀以外にも義賢が政治と軍事の総合。冬康が水軍関連、冬長が領地の統治方法となっている。他にも必要に応じて教えてくれることになっている。これらすべてを吸収出来ればこの戦乱の世を生き抜く、いや大勢力を築く力さえ手に入るだろう。
「では今日はここまでにしましょう。また4日後にお会いしましょう」
「わかった。ひさひでよ、よっかごもよろしくたのむ」
「……勿論ですわ。これは私の役目ですので」
今日の授業が終わり、久秀が退出する。足音が遠くに行く音を聞いて俺はためていた息を吐きだした。教育が始まりおおよそ一か月。いまだに久秀には慣れない。この久秀が今までの悪名通りの人物である可能性が高い以上何時か俺も殺されてしまうのではないかと感じてしまう。流石にそれはないと思うがもし、悪名通りの人物なら楽観視も出来ない。何しろ久秀は長慶の兄弟を殺したと言われているのだから。幸いにも今のところ三好兄弟は父上を除き全員が存命している。久秀も怪しい行動を取っていないししばらくは大丈夫、だとは思うが……。
「……もうしばらくは、ようすをみるひつようがあるな」
久秀を心の底から信じることは一生できないだろう。これも歴史を知る弊害か。知ってしまっているだけに印象を変える事ができない。久秀に関してはまだいいがこの印象の固定は何とかしないといけない。現代では無能と言われていた人物が優秀だったり、その逆だったりする可能性もあるのだ。その印象を図り損ねた為に命を落としたなんて事になればシャレにならないからな。
「十河重存。全く恐ろしい方ですわ」
松永久秀は重存がいる部屋から大分歩いたところで立ち止まり、振り返りながらそうつぶやいた。顔からはいつもの妖艶な、余裕のある表情は消え去り、まるで敵を見るかのごとき真剣な顔つきをしていた。
「まさか5歳の童に気づかれるなんて思いませんでしたわ」
重存は自分の中に眠る狂気に気づいていたことを理解していた。とはいえ久秀にとって我が子同然の存在である長慶以外に見破られなかっただけに重存に対する警戒を上げざるを得なかった。
過酷な幼少期を過ごし、ようやく手に入れた現在の地位も自身の容姿と行いのせいで危うい状況にあった。三好長慶に信頼されている為に現在のところ主立って久秀を排除しようとする輩は存在しないがもし、いなくなればどうなるのかはわからない状況にあった。
重存はそんな久秀にとって最も自分を殺しうる存在として認識していた。
「近頃は長慶様、そして義興様も体調が悪い様子。天下を取った三好家が荒れればあの童が大頭することも可能。……そうならないように気を付けないといけませんわ」
久秀とて今の状況が崩れ去るのを望んでいるわけではない。久秀が重存の教育係になったのは偶然だったがそのおかげで将来の敵候補を知ることができたのだ。
「ですが彼も長慶様の大切な家族。私から害を与えるようなことはしませんわぁ。ですが、長慶様が築き上げた秩序を破壊するというのなら、容赦はしませんわ」
そう言って目を細める久秀は乱世の梟雄にふさわしい鋭い視線をしているがそれに至る感情は子を守らんとする母親のようであった。