マフィンとアプリコットジャムのおまじない   作:すかすかのタキ

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第1話

始めに、ヴァレシィという名の小さな友人を失った。

完成していた幸福の一部が、不可逆的に欠け落ちた。

そしてとうとう。

ずっと隣りにいてくれた親友の一人、ラキシュまでもを失った。

この手の中の幸福が、一つずつ、手の届かない場所へ零れ落ちていく。

ならばわたしは、全てを失くしてしまう前に終わりたい。

せめて、善く生き善く戦ったのだという誇りを胸に。

レプラカーンとしての使命を果たしたのだと、最後は笑顔で散る為に。

わたしはその戦場へ。

黒水晶の死地へと、翼を広げて飛び立った─────

 

 

 

 

わたしは人より少々ミステリアスで飄々として、マイペースで何を考えてるのか掴みづらくて、プレッシャーなどとは無縁な人物と後輩達に思われている気がするが、そんな事は全くないぞ?

何せ明日にはわたし達妖精兵は、神々の領域2番島へ──《やがて訪れる最後の獣》との、文字通り浮遊大陸群の命運をかけた最終決戦へと赴くのだ。

 

ラーン先輩が2番島の結界に瞬間的にでも穴を開ける為に費やした時間が五年。

そしてヴィレムいわく、浮遊大陸群墜落までに残された時間は約三ヶ月。

つまり、絶対に失敗は許されない崖っぷちでの。

しかも恐らくは──地神やら大賢者やら、遥か過去から生き続けている者達の記憶が獣の結界内でごちゃ混ぜになって八年の間にたっぷり熟成された、全く情報がない未知の世界での戦いになる事が予想されているのである。

これでプレッシャーの一つもかからない者などいる筈がない。

この手の中にある物を思えば、そのように図太くなれる筈もない。

 

 

──という訳で。

決戦前夜。わたしは妖精倉庫の体錬場で軽く身体をほぐしたら、汗と共に全ての雑念を流し落とすべく、木剣片手にそのまま68番島の豊かな大自然に向けて飛び出した。

 

森を駆け山を駆け、ついでに崖も垂直に駆け上がり、最近修得した水面走行術で川も遡上する。そうして十分に身体が温まったら、脳内でわたしの知り得る最大の強者達──ティアット、コロン、ナイグラート、ノフト先輩のシャドウを生み出し、四対一での稽古を開始する。

 

いやあ、闇に遮られた森の中、何処から誰が仕掛けてくるか分からない状況で戦うのは実に緊張感があって素晴らしい。

途中からノフト先輩が全体の指揮を取り出したのだが、いやはや流石一集落を母として率いているだけはある。連携の精度が明らかに一段上がり、対応するのに苦労したぞ。

 

この激闘を制した勢いでヴィレムのシャドウとも立ち会ってみたが何が起きたのかも分からないままコテンパンにのされてしまった。

ううむ、最強の座へ続く道はまだまだ険しく果てしないな。

 

ん、ラーントルク先輩か?

ほら、彼女はここ数年古代の秘術の研究かデスクワークばかりで身体がなまってるだろうから、今のわたしと打ち合えるイメージが浮かばなくてな?

決して木の幹に隠れて奇襲する隙を窺っていたらいつの間にか足元に蛇が這い寄っていて悲鳴を上げてしまったとか、樹上から強襲しようと企んだが思ったより高くて飛び下りるのが怖くなり半泣きで助けを求めだしてしまったとか、そういうどうにも気が抜けるイメージしか湧かなかったから今回はお引き取り願ったとかそんな事はないからな?

 

ああ、実に心地よい疲労感だ。

木々の隙間から垣間見える、故郷の星空が美しい。

 

ふふふ、どうだい後輩達よ。このわたし、パニバル・ノク・カテナは実に単純で分かりやすい脳筋キャラだろう。気後れしてないでもっと無遠慮かつ雑に絡んできたって全然構わないんだよ?

まあ積極的にそういう姿を見せて回っていた訳でもないんだが。

 

ふーむ、やはりわたしもティアコロやアイセア先輩を見習ってもっと自分からコミュニケーションを取っていくべきか。

そんな事を考えながらてくてく歩いていると、いつの間にか森の縁にまで辿り着いていた。

視界の先では我が実家、妖精倉庫が夜闇の中で煌々と明かりを照らしている。

 

ぬぬ、これはまいったな。まだまだ修行不足というか、あの家を目にするとついつい気が緩んでしまうというか。運動後の喉の乾きが急に自覚されてきた。

わたしが出かけていったのを偶々目にした誰かが、気を利かせて冷たい水でも用意して待っててくれはしないだろうか。主夫力の塊にして、愛情過多な子煩悩おとーさんヴィレムとかが。さすがに都合がよすぎるな。

 

ともあれ後は百メートルほど歩くだけ。足早に森を出て、倉庫手前の広場を突っ切ろうとして───

 

とっさに気配を消し、すっと森の木陰に身を隠した。

 

「──誰か、いるな」

相手を刺激しないようゆっくりと少しだけ魔力を熾し、強化した視力で以て先の状況を視認する。

 

綺麗に整えられた、さっぱりとしたショートボブ。朧な月光がよく映える、美しい金の髪。

小さい頃は何故だか高所から落ちるを繰り返すなかなかお転婆な子であったが、今はすっかり成熟し実に家庭的に育った家族の一人。

 

──やはり、あれはアルミタか。

わたしが言うのも何だが、あの子はこんな夜更けに何をしている?

 

 

 

 

 

玄関を静かに開けて、我ながら頼りないふらふらとした足取りで、妖精倉庫の庭に出た。

小さなスコップで、花壇の土をざくざくと掘り返す。掘ったら埋める。埋めたら掘る。綺麗に咲いてくれてありがとうねと、指先で優しく花を撫で、雑草を見つけたらぷちんと抜いて間引いておく。

 

ああ、土いじりはいいなあ。

普段は行動が予測しづらくて言葉も感覚的なユーディアに振り回されてばっかりだから、こうして物言わぬお花の世話をしているととても心が癒やされる。

ざくざくなでなで、ぷちんぷちん。

 

────いや違う。

わたしはこんなことをしている場合ではない。明らかにただの現実逃避だ。

明日はいよいよ2番島へ出立の日なんだから、せめて先輩方に迷惑だけはかけないようきっちり準備を整えて、早めに眠って体調万全の状態で誰より早く動き出さなければいけないというのに。ざくざくなでなでぷちんぷちん。

 

ああもうだからどうして勝手に動いちゃってるのわたしの身体!?現実逃避してたらいけないんだってばあ!

とにかく一度振り返ろう。わたしはどうしてさっきから、分かっていながらこんな無意味な行為を繰り返しているんだっけ───

 

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