ホロライブ・オルタナティブ〜holox of the eden〜 作:天翼project
春は旅の季節。
桜香る風は飄々と、大地を遍く照らす陽光はさんさんと。
小鳥は囀り森は風に揺れ、温暖な気候はこの世界に生きるものにとっては過ごしやすい事だろう。
…そんな中、川音のせせらぐ森の中、異形の角を持つ少女が一人。
「あぁ〜!!水うめぇ!失って分かるありがたみ!」
風情を壊す野太い声に、辺りの小動物は触らぬ神に祟りなしと、そそくさと少女から距離を取った。
そんな周囲の事情を知る由もなく、水筒に川の水を掬ってはガブガブと飲む少女。
サバイバル有識者からすれば煮沸とか水の洗浄とか言いたいことは色々あるだろうが、生憎この少女もその程度の知識は心得ている。
ならば何故それをしないのかと言えばする必要が無いからだ。
いや、した方が良い事には変わりないが、それでも今はそれをするのが面倒臭く、しなくてもそこまで変わらないのだから構わないというのが実情だ。
「はぁ…生き返った…なんで食いもんばっか持ってくるかね吾輩。水は基本だろ!」
誰かいる訳でもないのに元気に自分に突っ込む少女。
その格好はブラウンのローブに灰色のトップスと黒いズボンという色気の無い装い。
しかし特徴的な尻尾と二つの大きな角を頭から生やしていることから分かる通り、その正体は人間では無い。
『魔族』、”ラプラス・ダークネス”
本来この世界では魔界に住まう魔族だが、訳あって彼女は魔界を抜け出し現世を一人旅していた。
その際持ち出してきた食料類は余ってはいるが、まさか水を水筒一本分しか持ち出さず数日で干からびかけたのはなんと滑稽な事だが。
「どうしよっかな〜…水筒にまた詰めてもその内無くなるだろうし、また都合良く水源を見付けられるとは限んないし…せめて都市部でも見つけられたらなぁ…おいカラス、飛び回ってたんだったらなんか見えなかったのかよ」
『カァ、カァ』
「そうかそうか、分からん」
今後の方針を決め兼ねるラプラスの頭上に降り立ったのは、妙にふてぶてしい表情が鼻につく一羽のカラス。
ラプラスのペットとして魔界から一緒に連れ出されたこのカラスはラプラスの旅の唯一の相棒と言っても良いが、当然意思疎通は出来ないので実質的に頭の上を温めてくれるだけの存在と化していた。
なお、カラスは言葉が通じないのを良い事にラプラスを馬鹿にすることもあったりする。
「しゃーねぇ、川に沿って降りてくか…その内村落くらい見つかるだろ」
『カァ』
ともあれ、方針を決めたラプラスは頭にちょこんとカラスを乗せたまま川の下流に沿って移動を始めた。
魔界では地図を手に入れられなかったため勘だけで進んでいるラプラスだが、それでも彼女の勘は中々に馬鹿にできないものがあった。
故に、ラプラスは予感を感じていたのだ。
この先に待つものは、きっとこれからの未来を変える運命の出会いなのだと。
「…結局二晩歩いて何も無いとかあるか?おっかしいなぁ、こっちに行けばなんかあると思ったんだけど…」
『カァ?』
「呑気だなぁお前は。ほれ食え」
干からびかけてから早二日。
ひたすらに川に沿って降り続けてもなお近辺に人工物はおろか人の営んだ形跡すら見つけられず、ヤケになったラプラスは取り敢えず川で捕まえて焼いた魚を分け合って食していた。
頭の上に食べカスを落とされても困るのでカラスを下ろし、適当に白身を分けて置くと、カラスがもっもっ、と啄むように食べるのをラプラスが眺める。
今後どうしようかと食べ終わった魚の骨と焚き火の火に目を向けながら、倒れた木を腰掛けにぼーっとしていると、不意に強く風が吹く。
「…?おいカラス、少し離れてろ」
『カァ!』
「大丈夫だって。野獣程度なら問題ないし…野獣狩りに慣れた狩人でもな」
次の瞬間、風に揺れ動く森の木々の合間から風を切る音と共に一本の矢が迫った。
飛んできた矢を正確に捉えたラプラスは、首を横に傾けるだけで脳天を狙った矢をやり過ごす。
しかし立て続けに、それも先程とは別の位置から二本同時に矢が飛んできたのを見つけると堪らず飛び退くが、恐ろしい威力を持った矢が焚き火を打ち壊し、明かりが無くなって周囲が暗闇に閉ざされた。
辛うじて月明かりのお陰で何も見えない訳では無いが、それでも狩人からしてみれば夜目の効かない相手ほど狩りやすいものは無いだろう。
強く吹く風音と闇夜に紛れ、己の位置を悟らせない狩人の立ち回りにラプラスはほぅ、と感心するが、それでも無抵抗で狩られてやる道理もなし。
次の奇襲を警戒し、僅かな音にも微かな視界の中の動きにも意識を集中し、その瞬間を待つ。
風の一吹き、木々が揺れ葉がカサカサと鳴り、ラプラスが脚を踏みしめる土音が一際強く木霊して────
「───甘い!」
再度風を切る音。
ヒュン、と飛び交う矢を身体を傾けて躱し、次に襲いかかってくる三本の矢をバク転混じりに飛び退いて避け、その度に矢が飛んでくる方向を把握する。
(下手人は何人だ…?それとも、もし一人なら移動速度が速すぎる…だが少なくとも複数いるようには思えない。となると、こんな動きが出来るやつは限られてくるが…)
「…ははっ!おもしれぇ!表出てこいよ!」
獰猛に笑ったラプラスは再三襲い来る矢を横跳びで避けると、空間に手を捩じ込み、強引に開けたような歪んだ孔から細かな装飾がされた一本の三叉槍を抜き放つ。
槍からは紫電が走り、それを警戒したのか狩人からの攻撃が一度止まる。
しかし逃げた訳では無いと踏んだラプラスは、威嚇するように槍をブォンと振り回すと片手で構えてキョロキョロと辺りを見回す。
未だに狩人の位置は割出せていないが、構えを取っているのと居ないのとでは対処できるか否かが大違い。
次の狩人の動きを待っていれば、あっという間に時間は流れ既に一分は経過しただろう。
そして…ようやく痺れを切らしたのか、再び狩人から矢が放たれた。
その瞬間───
「───ぶっ飛べ!」
矢が襲ってきた方向に瞬時に向き直り、矢に向けて…否、その奥の狩人に向けて矢を巻き込むように振り抜いた槍から魔力の奔流が発生し、木々を薙ぎ倒しながら紫色の輝きが破壊を振り撒いた。
おおよそ百メートル程の範囲を根こそぎ粉砕した魔法が失せると、後に残るのは抉れた地面と砂塵のみ。
しかしラプラスは確信を持っていた。
今ので狩人を葬れてはいないと。
「何が目的かは知らねぇけど…まあ野盗だろうが人攫いだろうが構わねぇけど、そろそろ面見せてくんないかな?じゃないと、今のでこの辺全部更地にしてやるけど」
森を飲み込み破壊の限りを尽くした魔力の奔流の中、それから逃れる影をラプラスは確かに捉えていた。
その影が逃げた方向に呼びかけると、少しの間を置いて土と地面に落ちる枝を踏む音が夜風の中に響き、やがて木陰から月明かりに照らされた狩人が姿を現した。
「…なるほど。随分速いと思ってたが、有翼の獣人か。隼辺りか?」
「残念、鷹ね。そっちも随分立派な角が生えてたから新種のバイソンかと思ったわ」
「誰がバイソンだ」
抜け抜けと言う女の声。
深緑のマントのフードから覗くサーモンピンク?っぽい髪色。
背は高く、青く煌めく瞳がじっとこちらを睨みつけている。
そしてなにより特徴的なのが、頭から小さな、そして背中からは雄々しさを感じる立派な翼が揺れていることだ。
それは女の意思に従って動いているようで、飾りでもなんでもない事を裏付けている。
故に、先程まで瞬時に位置を変え狙撃してきていたあの機動力にも説明が着いたというわけだ。
「…言っとくが、食っても上手くないぞ?」
「むしろこっちから願い下げよ。あんたみたいなの口に入れたらお腹壊しそうだし」
「それはそれで失礼だな、えぇ?どういう意味だっつってんだよ」
「言った通り…魔族なんて食材にもならないって話!」
言うが速いか、女は軽やかな動きで飛び上がると、背負っていた弓──形状的にアーチェリーのようなものに近い──を構え、めいいっぱいに矢を引き絞った。
空に浮かぶ満月を背にした一連の動作は女の姿勢の良さも相まって、絵画のような美しさすら感じる。
されど放たれた矢は凶星の如く、夜空を駆けてラプラスに飛来した。
しかし如何に引手の技術が凄かろうと、魔法的な補助もないただの弓矢の威力、そして速度などたかが知れている。
ラプラスは槍の一薙ぎで矢を弾くと、再び槍に紫電のような魔力を纏わせ槍の切っ先を滞空する女に向ける。
「じゃあ、鷹狩りと行こうか!明日の朝ごはんはお前で鍋作ってやるよ!」
「猛禽類を舐めないでよね」
横薙ぎに振るわれたラプラスの槍から放たれる紫に輝く魔力の奔流。
夜空を駆ける一条のレーザー。
女はそれを躱すと、レーザーの周囲を螺旋を描くように回りながらラプラスとの距離を急激に詰めた。
ラプラスの目の前まで女が迫り、そして腰から抜からた大型のサバイバルナイフがラプラスの角を掠める。
火花と共に小さな傷を残したナイフが女によって高速で振るわれ、それを的確に槍で捌いたラプラスは一度後ろに下がって距離を取る。
が、女が次に取り出したのは長い皮の鞭。
風切り音と共にめいいっぱい振るわれた鞭が、大きくしなりながらラプラスに迫った。
(…鞭の先端に鋭い金属のカバー?おいおい随分殺意高いじゃねーか)
亜音速の鞭を見切りラプラスが屈むと、頭上を過ぎ去った鞭がその先にあった一本の木へと直撃───そのまま粉砕して女の操作により再びラプラスに襲いかかる。
「金属のカバーが鞭の先端の破壊力を上げてんのか。重心的に扱いにくいだろうに、よくそんなに上手く操れるもんだ」
「あら、褒めていただけて結構。ならそろそろ…死ね」
「おぉ、怖い怖い」
遮蔽物は無意味と言わんばかりに木々を破壊しながら縦横無尽に空間を動き回る鞭。
反撃しようとラプラスは槍に魔力を通すが、それを放とうとする前に変則的な動きをする鞭が死角から襲いかかり体勢を崩されていた。
かといって接近戦に持ち込もうにも、先端でなくとも鞭に絡めとられれば簡単に動きを封じ込められてお陀仏だ。
結果反撃することは叶わず、距離を詰めることも出来ず、一方的に攻め立てられている状況。
戦況は極めて不利だが、そんな状況でもラプラスは頭を回して分析を進めていた。
(鞭の長さは二十五メートル弱。が、最高速で若干伸びてるな。間合いを見極めるのはムズいか。こんな長物をあんだけブンブン振り回してたら腕がイカれそうだが、流石に獣人の肉体能力と体力は侮れない。となると…)
「いつまでそうやって逃げ回ってるつもり?リーチも手数もこっちに分がある。そろそろ諦めたらいかが?」
「バカヤロー!そんなんではいそうですねって言うわけねぇだろ!馬鹿の一つ覚えみたいにブンブンしやがって!今に見てろよ!」
女の煽りにめげずに言い返すと、少し苛立ったのか鞭の速度が上がる。
風切り音は強くなり、もはや物理法則を無視しているのではないかとも思えるほどに鞭は蛇のようにのたうち回ってラプラスを包囲するように四方八方から襲ってくる。
なんとか躱して、捌いて、弾いて。
しかしその度にかすり傷が増え、ローブが裂け、角を掠めた振動が頭にガンガンと響いてくる。
(そろそろ手を打たないとまずいな…まあ大体分かったし───)
「───終わらせるとするか!」
「っ!」
鞭のタイミングを測り、顔面を狙った鞭の先端を槍で弾いたその瞬間。
ラプラスは槍に魔力を流し込み、紫電のような魔力が迸る。
対して女は何かされる前に押さえ込もうと再度鞭を振るおうとするが…それよりも早く、ラプラスの槍が紫色に輝いた。
三叉槍の先端から、雨のように魔力の弾幕が横向きに、女へ向かって降り注ぐ。
女はラプラスを狙うのを諦めて咄嗟に鞭を引き戻すと、魔力の弾幕を次々と鞭とナイフで弾き、打ち払った。
しかしその数も数。
圧倒的な物量で迫る弾幕に対処が間に合わなくなり、防ぎきれなくなった弾幕に女が飲み込まれる。
「言っとくが…槍からの魔力放出はノーモーションでもできるんだぜ?」
「このっ…よくも…!」
「おいおい先に手を出してきたのはそっちだ。噛まれる覚悟もねえ奴が狩りなんかすんなよ」
全身を打ち付けた弾幕によっていくらか弱ったようだが、それでも身体を震わせながら立ち上がる女にラプラスも楽しそうに嗤う。
獣人らしい生命力、気力、体力。
見定めるように女が次どのような動作を取ってくるのか、四肢を捉え気を張るラプラスに対して…女は大きく翼を広げ、全速力で突進を行ってきた。
「!…ふん、付き合ってやるよ!」
再び槍に魔力が行き渡り、そして放たれる横向きの雨のような魔力の弾幕。
先程より広く、多く、展開された弾幕が女を飲み込もうとして…ラプラスは、女の目が金色に輝いているのを見た。
そして、
「嘘だろっ!?はっや…!」
女は迫る魔力の弾幕、その合間に身体をねじ込み一切被弾することなくくぐり抜けるという異次元の機動力を見せた。
それに対抗し槍から放つ魔力の弾幕が増やされ、しかしそれらをすべて避けて大きく旋回しながら着実にラプラスとの距離を詰めていく女。
閃光のように駆け巡り、ラプラスですら視線で追うのもやっとな高速飛行。
それを弾幕を回避しながら行える体捌き、そして情報の処理能力。
「…っ!良いなぁ!お前、良いなぁ!」
「ぐっ!?」
女の力を認めたラプラスは、一切の遊びを捨てた。
一瞬弾幕が打ち止めになったかと思えば、続いて放たれた紫の雷。
くぐり抜ける隙間すら存在しない不可避の雷撃。
それは女に確かに直撃し、その機動力を目に見えて鈍らせた。
そこに追撃をかけようとラプラスは女に槍を向ける。
しかし───
「うおぉぉおおおりゃぁぁぁ!」
「なっ…ちょちょちょちょ!?」
その前に、女が振り回した鞭がラプラスの脚に絡み付き、鞭の動きに合わせて空中に放り出される。
「ま、待て!落ち着いて話し合おう…って、うわぁぁぁぁ!?」
焦るのも時既に遅し、女が全身を使って鞭をハンマー投げでもするかのように振り回し、それに従って鞭に絡め取られたラプラスもぐるんぐるんと振り回される。
その上、意図的にラプラスを木にぶつけ木を粉砕し、木にぶつけ木を粉砕し、それを何度も繰り返した最後に、天高くに持ち上げられたラプラスを勢い良く地面に叩きつける。
一連の動作で息を切らしたのか、鞭を離して地面に手を着き、ラプラスが叩きつけられて土煙が舞う場所を女が睨む。
「あぁ…痛ってぇ、クソ痛ってぇ!木を折る力で何度も叩きつけられたんだ…人間ならとっくにミンチだ」
「はぁ…はぁ…なんで生きてんのよ化け物…」
「むしろ吾輩を殺しかねない攻撃出来るだけそっちも十分化け物だろ。あー…背骨ヒビ入ったかも…さて、そんじゃあまあ終わらせるか」
「クソッ…!」
「おっと逃がさねぇよ」
一発逆転の一打でも倒しきれなかった今、もう手札も体力も残っていない女が選んだのは逃走だった。
それは決して悪くない判断であったのだろう。
だからもしそれが間違いだったとしたら…その判断が遅すぎたということだ。
「堕ちろ」
「…っ!」
ラプラスに背を向けて空へ飛び立った女。
しかしその逃げる背中に向けて、容赦なく紫色の雷撃が迫り、そして穿つ。
全身が痺れ、制御を失い、身体を支えるものもない空中。
そこで女は意識を失い、そして地上へと墜落した。
「…」
「おっ?起きたか鷹」
「…え?何…本当に鍋にされそうになってるの私…」
「なわけねーだろ。同じ人型で言葉が通じる生き物なんて口に入れられるかってんだ。ちょっと待ってろ、そこの川で採れた魚で鍋作ってるから」
日が昇る空。
早朝の柔らかな空気。
あの戦いから一夜明けて、女は目を覚ますやいなや直ぐに周囲の状況を確認して、現状の把握に努めた。
まず、武装は全て取り上げられているようだった。
これは、まあ当然だろう。
次…特に拘束などはされていないようだ。
これは少し理解できない。
普通命の取り合いをした相手を自由にさせるだろうか。
最後…命に別状はなし。
何故トドメを刺さなかったのか、いつでも機会はあったはずだ。
あそこで殺しておけば武器を取り上げる必要も拘束する必要もなく死体をその辺に捨てて処理も楽に済むだろうに。
「…不思議か?生きてんのが」
「えぇ、そうね…」
「吾輩も最後の一撃は殺す気で行ったけどなぁ。本気では無かったけど。んで、お前はそれでも耐えてこうして生きてる。ならそれ以上は野暮ってもんさ」
「どういう理屈?意味分かんない…」
「そのうち分かるようになるさ。これから吾輩についてたっぷり学んでけ〜」
「なにがなんだか…これから?」
「おう、これから。もしくはお前この辺に拠点構えてたりするのか?」
「え…いや…私はフラフラ放浪してるだけの旅人だけど…」
「そうかそうか、なら吾輩に着いてこいよ。これ決定な。勝者の特権ってやつだ」
「…えぇ!?」
堂々と言い放つラプラスに女が気の抜けた驚き声を上げる。
その反応が面白かったのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべるラプラスは煮えた鍋の具を椀に移すと、それを女に手渡した。
鍋の傍で生意気そうな顔をしたカラスも不思議とにやけているように見える。
「えっ、いやっ…ありがとう…じゃなくて!」
「なんだ、嫌か?まあ嫌か…取り敢えず聞けって」
「…何が目的?」
「その前に、一応聞いておきたかったんだが何で吾輩を狙ったんだ?」
「トロそうだから荷物を狙って…」
「失礼だなぁおい。確かに食いもんはそこそこ詰め込んでるが…っていうかお前本当に行く宛てが無いんだな」
「…こっちにはこっちの事情ってものがあるの。あなたには関係ないでしょ」
「そりゃあそうだ…まあ取り敢えず食え食え。鍋にこだわりのある吾輩の手製だ。まだ身体弱ってるだろ」
「あなたにやられたのよ…はぁ…」
ラプラスをジトっとした目で睨む女だったが諦めるように嘆息し、少し警戒しながら鍋の入った椀をゆっくり口元に近付けた。
一応警戒はしているが、そもそもわざわざ毒なんて回りくどいことをしなくてもさっきのうちに息の根を止めていれば良い話だからそれも念の為に過ぎない。
まあラプラスという魔族が人が毒で苦しむのを楽しむサイコパスなら話は別だが。
しかし、椀から啜った鍋の汁は川魚の出汁が良く取れていて、絶品とまでは行かなくとも普通に美味しいと言えるものだった。
味付けは塩と胡椒くらいらしいが、調味料や食材が揃っていればもっとよく出来たものが作れるのではないかと女は呑気に考える。
幾らか口出したい所はあるが、なんやかんや気に入ったのか箸を受け取って女はそのまま鍋に夢中になり、椀の中身が空になれば鍋から新たに掬い始めた。
「うんうん、そんな美味そうに食ってもらって嬉しいよ…あぁ!?取りすぎだろ私の分も残せ!」
「あら、わざやざ命の恩人にこんな粗末なものを食べさせるのに気が引けただけよ」
「なんだとー!喧嘩売ってるなら第2ラウンドも望むところだぞ!」
「冗談よ…それで、結局あなたは何者なの?なんで私なんかを連れていきたいの?」
「急に普通になんなよな、調子が狂う…そうだな、お前には吾輩の野望に協力してもらう!」
「野望?」
「ああそうさ…それ即ち世界征服!」
「…は?」
「心底呆れたみたいな声やめろ!吾輩真面目に言ってるからな!」
「いやだって…ねぇ?確かにあなた強かったけど、本気で世界征服するなんて言ってるならあの”黄金国”とか”獣王国”を敵に回すことになるのよ?出来るとしたらせいぜい多少のテロ行為くらいで…たった一人の力で世界を取れるならとっくの昔にいずれかの勢力が天下統一してるわよ」
「ふっふっふっ…分かってねぇな。確かにこの大陸だけ取ってもやべぇ奴らはたくさんいるが…それが吾輩に対してなんの障害になるってんだ?」
「…はぁ?」
「また出たな呆れたような声…吾輩の覇道を邪魔するなら、そいつら全部ぶっ飛ばすだけだ!…それにもう一つ思い違いを訂正してやるよ」
女からの指摘にも堂々と宣言するラプラス。
傍から見れば、現実を知らない子供の妄言にしか聞こえないだろうそれ。
しかし何故か女はラプラスの言葉がやけに胸に響くのを感じていた。
そして、ラプラスは女の目の前に移動すると前のめりに顔を近付け、女の頭に手を乗せた。
「吾輩は一人じゃない。お前もいる。仲間だってもっと増やす。ごっこ遊びやサークルじゃ終わらせない。狙ったのが吾輩で運が良かったな。どうせ食い倒れて、或いは強盗を繰り返していつか返り討ちに合うくらいなら、吾輩に着いてこいよ───
───楽しくやろうぜ?」
「…本当に、訳わかんない」
女を覗き込む黄金の瞳。
魔性の魅力、幻惑の瞳孔。
不思議と、初めからそうであると運命づけられていたかのように、女はその瞳と言葉に魅入られた。
ゆっくりと瞼を閉じ、ふぅ、と深呼吸。
そして開かれた女の目に決意が宿っているのをラプラスは見た。
「衣食住完備で、ある程度趣味に時間を割けるくらいの労働環境は提供してくれるのよね?」
「なんだぁ、真っ先にやる事が交渉とは分かってるじゃないか。お前の、そして吾輩の部下となる連中に求める労働は『吾輩を信じて従う』ことだ。見返りは自由で愉快な暮らし、そして世界!これじゃ不満か?」
「そうね…面白いじゃない。どうせ見逃された命。自業自得とはいえ、この先一人で淡々と生きるよりかは、あなたに預けてみるのも悪くないかもね」
「そうこなくっちゃなあ!吾輩の名はラプラス・ダークネス!立派な魔族さ!…お前は?」
「…ルイ。”鷹嶺ルイ”。見ての通り鷹の獣人。これからよろしくね、ラプラス」
そうして、運命の輪は回り出した。
始まりの出会い、受難の因果。
この先に待つのは、長く厳しい現世の旅路。
しかしそれをも彼女達は乗り越えるのだろう。
知恵と策を巡らせて、或いは根性をもって真正面から、或いは…信頼する仲間と共に。
これは物語の初めの1ページに過ぎない。
ほんのちょっとしたプロローグ…壊れた世界を舞台にした、繋がりと結びの、そんなお話。
「さて、まずはこの森を抜けるところから始めようか…おいルイ。まず最初の命令だり飛んで近くの人の文明圏を探してきてくれ」
「…生憎だけど、どっかの誰かさんのせいで翼痛めたから当分は飛べないわよ?」
「…あぁぁぁぁ!結局また長々歩かなきゃいかんのかい!」
(早速お先真っ暗…やっぱりやめた方が良かったかしら?)
週1くらいで続きを上げていく予定ですが、遅れている時は気長にお待ちください。