かつての古代ギリシアの哲学者であり、後の時代にも大きな影響を与えた偉大な哲学者ソクラテスは民主主義を嫌悪していた。
正確には、彼は民主主義の中心である民衆が愚かな民衆となって左右される衆愚政治となる事を恐れていた。
彼の考えの根底にあったのは『知識に勝るものなし』と言うものだ。その証拠に彼は『唯一の真の英知とは、自分が無知であることを知ることにある』と言う言葉を残していた。
彼曰く、国家統治には特別な技術や知識は必要であり。家の建築に大工を呼ぶのと同様、国家の指導者には専門の知識を備えた人物が行うべきだと主張していた。
そしてそんな彼の教えを受けた弟子のプラトンは後にこれを哲人政治と言うまぁまぁ強火な思想で世に発表していた。
政治を知らない民衆に、政治と言う国家の航海の舵取りをさせるべきでは無いと言うソクラテスの考えは意外にも的を得て居るのかもしれない。
しかしその裏で、政治に精通した人間を作るというのもまた難しい話である。
「これは?」
カフス星域での決戦終了以降、カフス星域での圧勝の結果。凱旋を行った帰還は大成功に終わり、その熱がまだ冷めぬ頃。
テオバルトは主人レオンナードの元にある文書を携えて訪れていた。
「退職願です」
テオバルトは短く答えると、その書類の中身を伝える。
そう、この前の作戦を持ってテオバルトは軍人を辞めて文官の道を歩むための第一歩だ。
カフス星域を国境線まで奪還し、それ以上の進攻を行わなかった事を有力貴族たちは面白くなさそうに見ていたが、レオンナードの民衆人気をうまく使った報道でそれらの意見は自然と淘汰されていた。
皮肉な話だが、帝国主義や貴族主義を貫くこの国で最も恐れられているのが民衆による反乱だ。
民意を自然と優先してしまう考えが貴族の根底にはあり、反乱鎮圧のための部隊派遣。それによる人的損失を考えると、それらを未然に防ぐことが最も効率的であると彼らは感じているのだ。それを知っているかどうかはさておき……。
「なぜだ?軍人を辞するのか?」
「ええ、これからは文官の道を歩み。閣下のサポートをと考えております」
「ふむ……理由を聞いても?」
「はっ!」
テオバルトはそこでレオンナードに軍人を辞めたい理由を話す。
「先の作戦の成功により、閣下は総監府の設立を陛下より許可されました」
「うむ、そうだな」
総監府とは、今の帝国宇宙軍の指揮系統の円滑と人材発掘を目的とした。実質的なレオンナードの私兵となってくれる将軍を集めるための場所だ。
今回の作戦の成功でレオンナードは少将から宇宙軍中将へ、テオバルト自身も大佐から准将に昇進した。家も陞爵し、子爵となった。
遅すぎる陞爵だとレオンナードはぼやいていたが、テオバルトとしては家が偉くなっただけでも十分だった。
「そして総監府の人事も済ませました」
「うむ」
「私以上に優秀な将官を集めた以上、閣下の軍部内のお味方は大勢集まる事となります」
「ああ、そうだな」
そりゃそうだ、何かあるたびに偉い家の、それも家主が嫁を差し出そうとパーティーに誘ってくるのだ。これ以上されたら胃が保たん。
考えてもみろ、前世はただの一般人だったんだぞ?そんな奴がいきなり貴族の中でも注目の的になってみろ。
上司は次期皇帝候補で、私はその腹心と内外で揶揄されている。これなら仕事漬けの方がマシだ。
「よって、私は文官としての道を歩み。他の部署での閣下の助力たり得る組織を作りたいと思っております」
本音と建前も上手く噛み合わさった今しか軍を辞める時はない……!!
自分の精神の安定と胃袋を守るためにも、これは必要な事だ。
「本当に、辞めるのか?」
退職願を受けたレオンナードは困惑している様子でテオバルトに聞き返すと、静かに頷く。
「……そうか」
そしてレオンナードはこれでもかとしょぼくれた様子で退職願を手に取ると呟く。
「しかし軍人とて、文官になる方法はあるぞ?」
「それは駐在武官のことですね?」
「そうだ」
主に大使館にいる駐在武官、彼らはまた軍人の中でも文官寄りの仕事をこなすことが多い職業だ。
だが私が求めているのは軍人から完全に手を引くこと。今も軍務省を歩くだけで誰かしらの有力貴族からパーティーの招待を受けるこの状況から早く脱却したいのだ。
餅は餅屋の理論、私に軍人は本来似合わないのだ。
「しかし、お前が辞めると俺が出征する時の話し相手がいなくなるのか……」
「……」
それはそれは残念そうにするレオンナード、そして彼はテオバルトにある爆弾発言をした。
「どうしたものか、お前用の軍艦も発注してしまうのだが……」
「閣下、それは軍の規則違反になるのでは?」
「所詮は本音と建前よ、他の有力貴族も同じ事をしている」
「……」
野郎やってくれやがったなと口にはしなかったが内心愚痴った。
基本的に帝国軍の軍艦は全て皇帝の所有物であり、それぞれの軍人に下賜されて初めて運用できるの言うのが今の宇宙軍の規則だ。
しかし、その軍艦を生産する為の予算を決めているのは貴族だ。皇帝の仕事はその予算を確認してサインをする事。たまに仕事をしてサインをしないらしいが、有力貴族相手にはほぼスルーと言っていただろう。
家に一つ、軍人となったのなら軍艦を持つと言うのが基本となっており。そのために有力貴族は帝室に建造費として上納費と言う制度がある。
そしてその皺寄せは自分のような下級貴族や庶民にやって来る。
「お前には最適な役職を用意する。文官でも何でもだ」
「……」
「頼むよ」
「……」
レオンナードの懇願にテオバルトは天を仰ぎたくなる気持ちを抑え込みながらレオンナードに軽くため息を吐きながら答えた。
「はぁ……分かりましたよ」
そう答えた時、レオンナードはパァという擬音がつきそうなほど良い笑顔を浮かべた。眩しすぎて日陰族の自分が消滅しそうだった。此れだから陽キャは……。
「ありがとう、テオ。必ず約束を守ってやるからな」
「はい……では、私はこれで失礼します」
用事を終え、体を一八〇度回したテオバルトは部屋を出ると。レオンナードの横にいたコリスが呆れた様子で話しかけた。
「やれやれ、閣下もお人が悪くなりましたな」
「そうか?テオはいつもあんな感じだろ」
「今回ばかりはテオバルト様に同情致します」
「それは心外だ」
テオバルトがわざわざ持って来た退職願をシュレッダーに掛けながらレオンナードは答える。
「しかしテオ用に発注した軍艦があるのも事実。既に建造は始まっている」
「閣下はそのことも織り込み済みで計画を進めておりましたからな」
「彼奴は、俺からの押しには弱いからな」
そう言い、レオンナードの要求に応え続けてきた彼の仕事ぶりを思い返す。
「しかし、テオの周りに貴族どもが集っているのも事実」
「対処されますか?」
「ああ、テオに胃痛で倒れられたら困るからな」
特にテオバルトにだが、彼は庶民の生活を間近に感じて生きていたからか、意識は貴族よりも庶民寄りの人間だ。
俺の右腕であり、作戦立案や頭の回りの速さも軍人の中でも非常に高い。
「なぁ、コリス。ゼークトの組織論は知っているな?」
「無論でございます」
コリスは頷くと、レオンナードは語る。
「彼曰く人間は主に四種類に分けられる。
『利口で勤勉な者』
『利口で怠慢な者』
『愚鈍で怠慢な者』
『愚鈍で勤勉な者』
この四つだ」
「それぞれ、参謀・前線指揮官・下級兵士・銃殺刑に分類されるものですな」
コリスは大昔の資料にある人間のそれを思い出すとレオンナードは頷く。
「ああ、そんな中でテオバルトはその部類に入ると思う?」
「はて、利口で勤勉な者でしょうか?」
彼の性格は真面目の一言。言われた仕事を淡々とこなし、確実に仕事を完了させる。兎に角目立ちたくない人間であり、一部からは引きこもり男爵子息とも言われている。
であるならば、ゼークトの報告に準えるなら参謀に抜擢するべきだろうかと推察していた。
「いや、俺は違うと思ってる」
「ほう?」
しかしレオンナードの答えはコリスとは違った。それは今回の航海で知った彼の本質的な性格だ。
「俺はテオを『利口で怠惰な者』と思った」
「……理由をお聞きしても?」
「勿論」
そこでレオンナードはテオバルトが立案した作戦を思い返す。
「彼奴は基本的に面倒を嫌う人間だ。だから人との接触を最小限に抑えているが、その根底にあるのは『面倒な事柄に突っ込まず、楽をしたい』と言う感情だ」
穏健主義とも言えるがと言い、レオンナードは軽く笑う。
「利口なのは誰が見ても明らか。楽をしたいのは怠惰な象徴。
実際この前のカフスの戦いでテオは戦闘の回数は非常に少なかった。動かした部隊も少なく、最低限の損害で戦いを終えた。……彼奴は無駄を極端に嫌っている節がある」
そう締め括り、レオンナードはコリスに聞いた。
「さてコリス、利口な怠け者はどの職業が似合うかな?」
「……前線指揮官でございます」
レオンナードの悪い笑みを見て全てを察したコリスは目を閉じてテオバルトに黙祷を捧げる。
自分の預かり知らぬところで彼の壮絶な人生が決まったようなものに。レオンナードに振り回されることが確定した事実にコリスはテオバルトの今後を想像してしまう。
「さぁて、これからテオには色々と頑張ってもらわないとなぁ〜♪」
悲しげにしてテオバルトの退職を止めた挙句、彼を前線で扱き回そうと画策するレオンナード。さっきまでしょぼくれたいたあの表情が嘘のように晴れやかな笑顔を浮かべていた。
無情にも彼の願う生活とかけ離れていく今後の展開に最早笑うしかなかった。
「エブシッ!!」
その頃、マリーダを迎えに来たテオバルトは盛大にくしゃみをしてしまう。
「あらやだお風邪ですか?」
「すまん、移さないように努力しよう」
車の中で後ろの席に座るマリーダはそんなテオバルトにややジト目を向ける。
「どちらかと言うとお兄様は風邪を引いて仕事を休みたいのでは?」
「……」
図星を突かれ、何も返せなくなったテオバルトに軽く呆れながら言った。
「全く、公務員になるからですよ。さっさとお父様のお仕事を継がれてはいかがです?」
「いやぁ、閣下との約束を果たすまではやり続けるさ」
そう答えたテオバルトにマリーダは『真面目なのは良いですが、体調管理はしっかりと』と少し強めに言うのだった。
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