今日、イブラハム辺境伯を訪れたのは、イブラハム辺境伯の三男であるグルー・フォン・イブラハムの成婚を祝うためであった。
イブラハム辺境伯領都星の屋敷では多くの帝国貴族が招待され、それぞれ用意されたリムジンに乗り込んで会場に入っていた。
「はぁ…」
その会場の中、ほんの小さなため息をついてテオバルト・フォン・ヴェーグマンは鏡に映る自分を見る。
髪はワックスで塗り固められ、新品同然に磨き上げられた勲章を多く下げた軍服。丁寧に磨かれ、もはやキラキラと輝いているように見える黒い革靴。
「ぶっ、ククッ…よくお似合いですよ?お兄様?」
「初手に笑てるやん。我が愚妹」
そのいつもとは違う不自然さが笑いを誘い、隣でマリーダが少し肩を震わせて笑っていた。テオバルトの日常を知る人間からすればこの光景は違和感しか感じられなかった。
「全く…気が重いよ」
「普段から慣れようとしないからですわ。ほら、もうすぐ呼ばれますわよ」
「へいへい」
脇をガッチリ掴まれ、同時にある程度の人払いをしてくれるマリーダを隣にテオバルトは軽くため息を吐きながら屋敷を歩く。
この前、陞爵により子爵となったヴェーグマン家。次期当主であるテオバルトは必然的にパーティーに参加する中では注目度は高い。おまけに滅多に出てこないことやその武功や年齢的に確実に言い寄ってくる女性が多いだろう。故に下手なことができない。
「(まあお兄様の場合、あまり推しの強い女性は好みじゃないのが安心材料ですが)」
テオバルトは基本的に草食系男子である。
帝国貴族や帝国軍人の『据え膳食わぬは男の恥』と言う考えからからは外れているが、少なくともこう言う時は役に立つ。ここで下手に五本目が元気になったらそれはそれで面倒なことになるが、この兄は色気とは無縁な生活を送ってきたのでマリーダもそこには絶大な信頼を置いていた。
「ヴェーグマン御子息、御令嬢!入られます!」
屋敷のパーティー会場の前、従者が声を張り上げると扉が開く。
多くの参加者が名前を聞き、テオバルト達の姿を見る。
「…」
一斉に視線が集まり、テオバルトとマリーダを見つめる貴族達の眼差し。
「本当に来たのか…」
「公式の場に出たのなんて何年振りの話だ?」
陰で小声で貴族達はテオバルトの堂々とした軍人らしい歩き方を見ながら言う。正直、自分がこうした貴族のパーティーが苦手なのは貴族の目しかないからである。
自分が軍艦に乗る際は、多くの階級の人間と顔を合わせる。特に下の階級になればなるほど自分の姿を見てもそれほど話しかけてこようとはしてこない。何せ気軽に話しかけられるわけでも無いからだ。
「隣にいるのはマリーダ嬢か」
「ヴェーグマン子爵家の兄妹が二人で出席か…」
敷かれたカーペットの上を一歩ずつ隣のマリーダと合わせて歩くと、そこ椅子に座る二人の夫婦を前に頭を下げる。
「此度はご成婚。誠におめでとうございます」
挨拶をしたのは今日の主役であるグルーとその妻エイラン。二人はテオバルトを見た後にグルーが言う。
「態々駆けつけてくれたんだ。私としても嬉しいよ」
「はっ」
グルーとは昔から面識があった。ただまあ、イブラハム辺境伯の三兄弟なかでは最も交流回数は少なかったが…。それでも仲良くさせてもらった過去があり、グルーも嬉しそうにしていた。
そして挨拶を終え、会場の中を軽く見回してから周囲の人々の顔を覚える。
「(なるほど、人の数はそれほどと言ったところか…)」
自分が思って開いたよりも少ない人数を前に軽く安堵していると、テオバルトはそこでマリーダに視線を向ける。
「(婚約の話来るかな?)」
「(来ないわけないでしょう?馬鹿なんですか?)」
目線だけで会話を済ませると、マリーダは兄の考えを見抜いて呆れる。この人、結婚という言葉に対して些か重く考えすぎなのではないだろうか?
確かに結婚をして破産して行ったモノたちは多くいるが、それはごく一部の人間だけだし、その場合大抵嫁か夫に大問題があるだけである。無理に下流階級の人間と結婚をするなどと言わない限りそう言ったことにはならない。
「(まあその分、一度好きになった相手が出来たらそれはそれで頑固者になっちゃうのですが…)」
テオバルトの場合、その意向が強いだろう。不倫とか浮気とかはしない一方、結婚相手が不妊症を患っていた場合や病弱な場合などは苦労することになる。その点、テオバルトは父の遺伝子をしっかりと引き継いでいると言えるだろう。
「いざとなったら私を盾に使えば良いですわ」
「頼むぞ。割と言い詰められたらシャレにならん」
いや、それ以前に貴方が心を完全にシャットダウンするでしょう?と鋼の意志を持っているテオバルトにマリーダは言うとそこで会場の中央でイブラハム辺境伯が現れて宣言する。
「皆様。今日はお集まりいただきありがとうございます」
三男までここまで派手に成婚記念パーティーを開くのはイブラハム辺境伯らしいと言えばらしいだろう。全ての家族に平等に貴族らしさを教え込んで育てるイブラハム辺境伯の教育方針は、見事に三兄弟全員を優秀な帝国貴族へと育て上げた。
「今日は是非、三男の成婚を祝ってもらいたい。私からは以上です」
辺境伯はそう宣言すると、三男の成婚パーティーが始まった。
無論、このパーティーは成婚のパーティーでもあるが、同時に帝国貴族の婚活パーティーであり、同時に帝国貴族の情報収集の場でもあった。
「お初にお目にかかります。テオバルト・ヴェーグマン次期子爵」
「これはこれは、メルダー御息女。お会い出来て光栄であります」
辺境伯が開催したパーティーという事もあり、人数は少ないが質が高い。今話しかけてきた女性も伯爵家の子である。
一応、今の帝国の社会としては大公・公爵・侯爵・辺境伯・伯爵・子爵・男爵・準男爵・騎士爵となっている。膨大な人数のいるこの銀河故に爵位も数が多い。
そう、辺境伯は見ての通り上から四番目の爵位である。故に多くの爵位持ちが参加する事となる。
「テオバルト様、是非カフスの戦いでのお話をお聞かせくださっても?」
「構いませんよ?」
数名の女性がテオバルトに近づいて話しかけており、艶やかな胸元を見せ、テオバルトの腕などにも当たりながら軍人の武勇伝を聞いてくる。
無論、前者が目的であることをテオバルトは理解し、香水の香りが強いことから直ぐに自分の好みから外れて完全逃げのモードに入りながら星域での話をする。
「お久しぶりです。マリーダ嬢」
「ああ、グランニュール様。お久しぶりでございます」
マリーダも同様に数名の男性から話しかけられて、共に踊ること数回。半分は婚活だが、半分はテオバルトのことを聞いてきた。
「御令息と共にお越しになられるとは珍しいですな」
「ええ、いい加減、家に入り浸る兄を連れ出さなければと思いまして」
「なるほどなるほど。確かに、ヴェーグマン御子息は良いお年でもありますからな」
そこで何度も会場で踊り、近寄ってくる女子達にも丁寧な受け答えと爽やかな雰囲気から段々と本気に婚活の話を持ちかけてくる女子が増えてきているテオバルトを見る。
「しかし良い青年だ。とても噂のような御仁ではありませんな」
「そんなそんな。兄はアレでも限界ですとも」
パーティー会場で踊りながらマリーダは初老の伯爵と話す。
マリーダもヴェーグマン家の御令嬢であり、一人娘である。無論、ヴェーグマンの御令息が第二皇子のお気に入りとあれば色々な人が寄ってくる。
逆に敵対的な貴族、所謂第一皇子側の人間は積極的に話しかけてこないのだが、どちらにも属さない側の人間が勝ち馬に乗る為に近づいてくるのだ。
「(全く、早々に決めた人間というのは逆に楽ですわね)」
決めない人間というのはこうやって常に情報を集めなければ双方の組織から潰されてしまう。生き残る為には欠かせないが苦労する事となる。その点、テオバルトと言うのは第二皇子の右腕として既に手腕を披露している。完全にそちら側の人間として世間では見られていた。
「(お兄が軍功をあげるたびにこっちは苦労すると言うのに…)」
無論、それを分かっているからこそ兄としては自重しているつもりなのだろう。…アレで自重をしているようには到底思えないが。
「そうですね、アレはいつでしたか…」
テオバルトはパーティー会場で女性達の話題の的となっていた。
何せこの前陞爵をしたことでその武勲からも帝室からの覚えも良くて、尚且つ御子息は帝国の第二皇子の右腕である。結婚をするにはまだ早いが、目を止めておくには十分であった。
「(よかった。やっぱり結婚まで手を出してくる人間は少なそうだ)」
内心、テオバルトは自分の計画通りに事が運んでいて安堵していた。
少なくとも今、帝国第二皇子の右腕として腕を振るっている自分は、結婚をするとなると自動的に家が起こり始めている次期皇帝の争いに巻き込まれる事となる。
まだどっちにつくのかが決まっていない以上、テオバルトに本格的に手を出すのは危険と判断されていた。
「よう、やっている様だな」
するとテオバルトに一人の貴族が話しかけてきた。テオバルトもその人を見て軽く驚く仕草を取る。
「アルガード様!」
「久しいな。テオバルト」
話しかけてきたのはイブラハム辺境伯家の長男、アルガード・フォン・イブラハムだった。
次期辺境伯であるアルガードの登場にテオバルトも笑みを浮かべる。
「テオバルト、ちょっと話せるか?」
「ええ、構いませんよ」
アルガードはテオバルトの側に立つ複数の女性を見てバレない程度にほんの少し苦笑した後に聞くと、テオバルトは頷いて女性達に一言言うとアルガードの後を追って会場を出た。
「会場では話せないのですね」
「察しのいいお前だ。分かるだろう?」
アルガードは分かっている様子でテオバルトに話しかけると、彼は少し笑ってアルガードに返す。
「言って貰わなければ私とてアルガード様のご意向に添えているかどうか…」
「ふんっ、お前は昔からそう言うやつだったな」
懐かしい旧友に出会う様に二人は言うと、アルガードはテオバルトを屋敷の一室に通した。
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