<Chisato side>
時刻は午後九時過ぎ、私は鈴仙と一緒に映画を見ている。
鈴仙はまだ見てたいのか頑張って目をこすったり、目頭を押さえたりしながらいたが、眠気に襲われウトウトし出し、ついには両目を閉じて深い眠りへと誘われてしまった。
「十歳にオールは早かったか」
私が布団に運んであげようかなと思ったが、起こしては悪いと思って、私は寝てしまった鈴仙を起こさないように立ち上がり、寝室から薄い掛け布団を持ってきて、私たち二人の肩に掛かるようにかけた。
かわいい彼女を撫でたかったというのもあるけど、寝癖にならないようにという意味も込めて、鈴仙の髪を手櫛で梳く。
「おやすみ、鈴仙」
髪から離れる手はスヤスヤと寝息を立てる鈴仙の柔らかな肌に添えられ、そのまま手の方に流れていく。
本当なら抱きしめたいけど、それをしたら起きちゃいそうだったので我慢して手を握るだけにとどめる。
私が握るとわずかに握り返してくれるその手の愛おしさを感じながらも再度映画に集中し始めた。
****
まぶたの裏に光が差し込んでくるのがわかる。
私はソファから重い体を起こし、目をこする。
「あぇ、いつの間にか寝ちゃってたぁ……?」
付けっぱなしのテレビにカーテンの隙間から指す太陽の光が眠気を徐々にとり、覚醒していくにつれ私の手から人のぬくもりを感じる。
そのぬくもりの先を辿っていくともちろん私のかわいい妹がいるのだが、私が目を覚ます前に起きていたのか私の手を胸元に近づけ、目を開け、俯いていた。
「あ、起きてたのぉ? おはよーぉ」
「あ、うん……おはよう……。昨日はありがとうね、途中で寝ちゃったみたいだし」
「ううん、いいのいいの、寝れた?」
「まあ、はい……」
「そっ、なら、んん~~っ、よかったぁ」
私は体を伸ばして眠気を完全に飛ばす。
さて、寝落ちしちゃったけど今日も体は元気だし、また一日が始まる。
体を起こして朝食の準備に取りかかる。
「鈴仙、ご飯何にする~?」
「……今朝はいいかな。昨日のお菓子がお腹に残ってて……」
「ああそう? できれば朝は食べた方がいいらしいけど」
「うん、ありがとね。……ちょっと先に家に帰ってリコリコの準備とかしてくるから、ゆっくりしてていいよー」
「……りょうかーい」
鈴仙がリコリス制服を着て、電気のついてない日陰の暗い場所から出ていく。
私は目玉焼きとウインナーを炒めつつ、その後ろ姿を見送る。
どことなくテンションの低さを感じ、やっぱりソファだったからあんまり眠れなかったのかなとか、気を遣わせて無理させちゃったかなとか、不調そうな様子の鈴仙のことが心配になる。
でも腹が減ってはなんとやら、とりあえず朝食を済ませ、歯磨きなど身支度を片してリコリコへ向かって走り始めた。
<Reisen side>
私は千束の家から逃げるように飛び出した。
私の中に渦巻く不安がこれ以上千束と一緒にいるのを拒み、その場から離れろと駆り立てた。
朝、大きな街が動き出す前の静けさが心臓の鼓動を鮮明に伝える。
私は少しだけ耳がいい。
だから自分自身の心音が聞こえるし、静かなときなら手を繋げるような距離だと相手の心音も聞こえる。
だからさっき、最初は勘違いだって思っていた千束のヒミツに気づいてしまった。
千束の心臓は鼓動していない。
体温は暖かく、生きていることは確かで、幽霊とかの類いじゃないことはわかってる。
でも鼓動がないってことは普通、心臓が機能していないってことになる。
かつて死んでいった敵もそうだった。
静かな空間では心音のような規則正しい音を放つのは自分自身だけで、生暖かい血液を地面に流す敵に触ってもその命の脈は拍たない。
だから千束の心臓が止まったかのように静かなのはきっと何か訳があるのかもしれないけど、それ以上のことはないって、心配することはないって自分に思い込ませようとしても、どこか私の死に対する感じ方に似ていて不安を拭うことができず、家から飛び出してしまった。
「お話……やっぱり聞きたくないなぁ」
****
重い足を立たせてなんとかリコリコに着いて、ドアベルが鳴る。
営業開始の一時間以上前なのに開店前の準備をするミカさんがいて、声がかかる。
「おはよう、鈴仙。昨日は急に、悪いことをしたな」
「いえ……千束がお出かけに誘ってくれて、お泊まりまでしてきたので全然楽しくて……」
「そうか、ならよかった。……ところで千束はどこだ? 泊まったなら一緒に来たんじゃ……」
まさか千束を何となくで置いてきたなんて言えない。
私は朝食を摂っていないためか回転の悪い頭から言い訳をひねり出す。
「その、一回家に戻りまして。荷物の整理とかしてから来たので……」
「そうか、まあいいさ。それより寝起きなら頭もぼーっとしてるだろ。コーヒーなんてどうだ?」
「えっと、じゃあいただきます」
「そう言ってくれてよかった。一人きりでどことなく物寂しさを感じてたんだ、今淹れるよ」
ミカさんは目を細め、モーニングルーティンなのか慣れた手つきで朝一番のコーヒーを淹れる。
黒い雫の一滴まで抽出し、苦みと酸味の風が鼻をくすぐり、精神を安定させる。
さっきまで不安や心配が心中を占めていたのに今はそれが僅かに和らいだ。
「どうぞ、もちろん砂糖とミルクもだな」
「あ、ありがとうございます」
出されたコーヒーと付属の物を合わせて、それをすする。
コーヒーの温かさが朝の涼しさを和らげる。
ミカさんの顔が花のような笑みがほろりとこぼれる。
「……鈴仙」
「なんです?」
「何か心配事でもないか?」
何一つ喋ってないのに切り口の鋭い質問をされ心臓がドキリと跳ね上がる。
一瞬正直に話そうかと思って、でも真実を知るのが怖くて、このうちに秘めた感情を曝け出すのが怖くて、口をつぐんだ。
それを見たミカさんが優しく手のひらを頭に乗せる。
「言いたくなければ強要はしない。だが大人として、できるだけ手助けしてやりたい。一人で解決しようと悩むことも大事だが、悩みを、辛さを、痛みを共有するのもまた一つの手だ」
「……私、そんなにわかりやすいですか?」
「私からしたら大体の子供の嘘は、わかりやすものだ」
私の頭に置かれた無骨な手は、まるで腫れ物を触るように優しく、優しく撫で続ける。
酷く落ち着いた心の揺らぎが一つの答えを出す。
結局このままでは事態は好転しない、先延ばしにしてるだけだ。
心構えができていようといまいと、その悩みを今話して、何かあるなら聞いた方が後悔しない、そう思った。
「……ミカさん、千束の心臓について……教えてください、何で音も脈もないのかを」
「……千束からは何も聞いていないのか」
「……」
ミカさんが体ごと視線をそらせ、少しうつむいた。
質問に対してこくりと頷くとミカさんのコーヒーカップがカチャリと受け皿の上に置かれ、唇が動き出す。
「わかった。少し昔話をしよう。……」
そうしてミカさんから語られたことを要約すると、千束が先天性心疾患で現在は人工心臓置換手術を受け、そのおかげで今は(・・)元気そうにしているということだった。
その話を聞いて今までの心配が嘘のように霧散した。
「なんだ……そうだったんだ。よかったぁ……!」
「お役に立てたかな?」
「うん、ありがとうございますミカさん! 私、千束の心臓が動かなくて、それで死んじゃうんじゃないかって。でもそういう理由なら聞こえなのも当然。聞いてよかったです!」
「……あ、ああ。それならよかった。……私から言えるのはこんなところだ。後の詳しい話は千束が自ら話すまで待ってやってくれ」
ミカさんの言葉に満面の笑みで応えていると外からドタバタと足音が近づいてくるのがわかった。
噂をすればなんとやら、ちょっぴり騒がしい看板娘とのお仕事がまた始まる。