ひろいん・ざ・ろっく!   作:炉心

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#02 廣井/困惑す

 

 

「……知らない天井だぁ」

 

 目が覚めて最初に出た言葉は随分と使い古されたものだった。

 

 そして、すぐに血の気が引く。

 

(え? どこ? ここはどこ?)

 

 二日酔いによる頭痛だとか胃のムカつきだとか、そんな年がら年中いつも通りの当たり前な感覚が一瞬で吹っ飛ぶくらいには混乱する。

 

 嗅ぎ慣れない匂いがする少しだけ硬めのベッドの上で身を起こして周囲を見渡せば、そこは見知らぬ寝室。雑多に本が置かれた小さな本棚や壁の端に立てかけられたコードレス掃除機の存在がホテルの部屋等ではなくて個人宅の居室であることを如実に物語っている。

 

 思わず身体の状態を確認するように両手を胸元と下腹部へと遣り、視線を全身へと向ける。

 

(あっ。大丈夫。服はそのまんまだ)

 

 羽織っていたスカジャンこそ脱がされてはいるものの、それ以外は特に何かされた気配はなし(着たまま寝たので当然ながらキャミワンピースは皴でグチャグチャだが)。下着もそのままのようで、一度脱がされてから行為後にまた穿かされたなんて感じもない。

 

 少なくとも、酔った勢いで見知らぬ相手と行きずりで夜を共にしたなんて事態だけは避けられてはいるようだ。

 

「てか、ほんとにここはどこ……うっ、頭痛いぃ。気持ち悪いぃぃ」

 

 少しだけ安心した途端に二日酔いの頭痛&ムカつきがリターンしてくる。今すぐ頭と内臓の全てを全部入れ替えたい。それが無理なら迎え酒をして無理矢理誤魔化したい。

 

「ぅうぅぅ、み、水ぅぅぅ……」

 

 砂漠で渇き果てた遭難者の様に水を求めて力なく手を虚空へと伸ばす。

 

 重たい身体を引き摺るようにしてベッドの上を移動して、「ぐべっ」と踏みつけられたカエル(あくまでイメージ)みたいな声を出しながらベッドとからずり落ちると、そこから少しずつ這いずって寝室からの脱出を目指す。

 

「――ああ、起きたのか。……大丈夫か?」

 

 二日酔いの身体で床を這いずっていては遅々として前に進まないことに絶望していると、不意に寝室の扉が開いて聞き慣れない男の声が降ってくる。

 

(だ、誰だろう……?)

 

「だ、だいじょうばない~」

 

 顔を上げる気力が湧かず、大丈夫じゃない声でありのままの現状を伝える。

 

「お、お水をください。あと、しじみのお味噌汁と胃薬と酔い止めにウコンにおかゆに――」

 

「……注文が多過ぎないか?」

 

 思いつくままに口にした自身の要望に対して呆れた感じの声が返ってくるが、そんなことは日常茶飯事なので気にもならない。

 

「とりあえず。ほら、スポーツドリンク。三倍くらいに薄めてあるから多少がぶ飲みしてもかまわんが、できればゆっくりと飲んだ方がいい」

 

 フローリングの板から推定十センチくらい上空を彷徨っていた視界内に現れたペットボトル。手を伸ばして受け取ると、僅かばかり身体を起こしてから一気に中身を呷る。

 

 ゆっくり飲んだ方がいいって? 無理。

 

 少しぬるめでかなり薄味のスポーツドリンクが喉から胃へと流れ込む。

 

「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛~~~~」

 

 乾いた身体に水分が染み渡り、二日酔いで死にかけたことがある人間ならば誰しも一度となく漏らしたことがあるような汚ねぇ声を盛大に漏らす。

 

「あっあんがとございますぅ」

 

「どういたしまして。リビングのソファーまで移動して欲しいんだが、動けそうか? 自力で無理なら手を貸すが?」

 

「おねがいします」

 

 あっという間に空になったボトルを返すと、差し出してきた手を掴んで立ち上がる。そのまま若干の介護をしてもらいながらふらつく足取りで寝室から出てリビングへ。

 

 ソファーに倒れ込むようにして座ると、すぐに今度は水の入ったペットボトルが差し出される。

 

「悪いが味噌汁やおかゆは常備してないんでな。酔い止めと胃薬だけはあるから、まずはこれだけにしてくれ」

 

 渡された酔い止めと胃薬を水で流し込む。すぐに効き目が出るわけではないけれど、それでも薬を飲んだだけで気分的には多少マシになった。

 

「…………。ええっと……」

 

「――草摩だ。銀次郎の友人。昨日の夜にバーで一緒に飲んだんだが……憶えてるか? ついでに言うと、ここは俺の家だ」

 

「あっはい。憶えてます」

 

 アルコールが切れたことでテンションは超絶低空飛行状態。状況も状況なので、必然的に受け答えも弱弱しいものになってしまう。

 

 とは言え、目の前にいる男性――草摩さんのことは記憶にある。

 

(あっ、これってやっぱりアレなやつ? いや、でも、何かされた感じはないんだけど……)

 

 完全に見知らぬ相手ではなかったけれど、それでも今の状況から考えるとヤっちゃったようにも思える状況。

 

「あ、あの~……」

 

「家が分からなかったんで、酔って吐い……潰れた廣井さんをここに運んだ。あの店からだと一番近かったんでな。一応言っとくと、運んだのは銀次郎だ。……後処理やら介護やらをしたのもな」

 

 どうしてここに? と、疑問を口に出す前に解答が述べられる。

 

「そ、それはどうも。ご迷惑をおかけしまして。あっありがとうございます」

 

「言っただろう。ここまで運んだのも介護したのも俺じゃなくて銀次郎だって。お礼ならあいつに言ってやれ」

 

 出会って数時間程度の男性にいろいろと介護されたというのは流石にいろいろと考えてしまう。別に馴染みである銀ちゃんなら万事OKと言うわけでもないのだが。

 

「え……っと、それで、その……。その銀ちゃんはどこに?」

 

「銀次郎なら今は近くのスーパーに行ってる。朝飯とかその他もろもろを買いにな。もう少ししたら戻ってくるだろうから……もしシャワーを浴びたいんなら、すまんがもう少しだけ待ってくれ」

 

「あ~……はい」

 

 周囲を見渡しても目当ての人物が見当たらないのは買い出し中だかららしい。

 

 別に二人きりだからと言って何か警戒することはない。今更な上に、そもそも何かされるようなら起きるまでの時点でいくらでもされているだろう。

 

(……別の意味で吐きそう)

 

 いろいろと心許ない。こんな時にこそ幸せスパイラルを決めたいところなのに、残念ながら現在おにころ(命よりも大事なもの)の手持ちはゼロ。

 

 現実(不安)からは逃げられない。

 

「さて。もう少しくらい水分を取っていた方がいいと思うんだが……水とスポーツドリンクと野菜ジュースとコーヒー。何を飲む?」

 

 不安定な心境から草摩さんの顔をまともに見れず、視線をあさっての方向に泳がしながらとりあえずはスポーツドリンクを頼んでおくことにする。

 

 

  *** *** ***

 

 

「廣井! あんた本当に草摩に感謝しなさいよ。会ったばかりで酔って吐いて潰れたダメ人間を自分の家に泊めてあげるお人好しなんてそうはいないわよ」

 

 スーパーから戻ってきた銀ちゃんに開口一番にお説教をくらい、「へ、へぇ~い」と力ない返事をしながら頷くしかない。

 

「……本気で母親みたいだな」

 

「こんなダメな子の親になるつもりはないわよ。ストレス過多で美容に悪いわ」

 

 酷い言われようだが、下手に口を挟むと手痛いしっぺ返しをくらうのが確実なので黙っておく。

 

「まあ、いいわ。とりあえず、朝ご飯にする前にまずはシャワーを浴びてきなさい。替えとかはここに入ってるから。サイズは抵当だけどなんとかなるでしょ」

 

 手渡されたスーパーのビニール袋を除くと、中には新品の下着一式。

 

 銀ちゃんが戻るまでシャワーを浴びるのを待つように言っていたのは、これの到着を待っていたからでもあったわけだ。

 

「廣井さん。脱衣所にシャツとパーカーとスウェットは置いてあるから。男物で多分かなり大きいだろうけど、洗濯の方はしたばかりだから少し我慢して着てくれ」

 

「あっありがとうございます」

 

 滅茶苦茶気を遣ってもらっている。

 

 自業自得な部分もあるが、普段の自身の言動や行動のせいもあってかこんな風に誰かに気を遣ってもらうことが最近はほとんどない生活を送っている。……逆に多少でも気を遣われるような場合だと、大抵は下心が透けて見えたりするのだが。

 

「ほら、廣井。さっさとシャワーを浴びてきなさい」

 

「じゃ、じゃあ。シャワーお借りします」

 

 ………なんだろうか?

 

 ひどく落ち着かない気分が妙に気持ち悪くて、とにかく熱いシャワーを浴びてスッキリさせたかった。

 

 

  *** *** ***

 

 

「あははは、ヤバい。素面なの……きつい」

 

 シャワーを浴びたことと酔い止め薬が効いてきたことも相俟ってある程度は頭も気分もスッキリしてきた。反面、素面の状況に心が折れそうになる。

 

 おそらくは男性の一人暮らしにも関わらず綺麗にされているバスルームの姿見の前で大きく溜息を吐いた。

 

 ごちゃごちゃとネガティブ思考スパイラルに落ちそうになる自身に自嘲を感じつつ用意されていた大きめのシャツとスウェットに着替え、パーカーを羽織る。ついでに脱いだ服や下着はスーパーのビニール袋に入れて持ち帰れるようにしておく。

 

 流石に今の年齢になってすっぴんで面識もあまりない相手の前に出るのは多少抵抗感もあるのだが、かと言って現状ではどうしようもない。あと、髪もドライヤーで乾かしただけでセットなんて当然できないし、服のサイズが合わなさ過ぎてダボダボ過ぎるのもどうしようもない。

 

 いろいろと仕方ない。と、諦めてバスルームから出るとコーヒーの香ばしくて好い匂いが漂ってきた。

 

 匂いの出処を見ればインスタントではなくドリップ式のコーヒーメーカーで入れているらしい。コーヒーにこだわりがあるタイプなのだろうか?

 

 キッチンスペースに草摩さんの姿が見えたが、何故か銀ちゃんの姿が見えなかった。

 

「ああ、廣井さん。どこでも適当に座ってくれていい。パンは銀次郎に適当に買ってきてもらったから、食べたいものがあればどれでも好きに取ってくれ」

 

 ソファーの前のテーブルの上には買ってきたであろうパンが幾つか置かれている。

 

「それと。これ、しじみの味噌汁。……パンに合うかどうかはそっちの判断ってことで」

 

 インスタントカップのしじみの味噌汁を片手に草摩さんがキッチンスペースから出てきた。

 

「あっどうも……」

 

 視線を微妙に逸らして答えながら、大きめのパーカーの袖に隠れた手を無意識の内に握ったり開いたりしてしまう。

 

「服……やっぱりかなり大きいな」

 

 苦笑いを浮かべながらまだお湯を入れる前らしいしじみの味噌汁のカップをテーブルに置くと、今度はコーヒーを淹れにコーヒーメーカーの元へと行く草摩さん。

 

 とりあえずどこに座ろうか? と考えたところで水の流れる音が聞こえたかと思うと、どうやらトイレに行っていたらしい銀ちゃんが戻ってきたのだが、

 

「……廣井。あんた……」

 

 こちらの顔を見るなり明らかに呆れた表情を浮かべ、盛大な溜息を吐かれた。

 

「ちょっとこっちに来なさい」

 

「え? ちょっ? な、なに?」

 

 いきなり手を掴まれたかと思うと、問答無用で強制連行される。

 

 連行先は先程まで使用していたバスルーム。

 

「すっぴんで出てくるとか、あんた何考えてるの?」

 

「へ? あー、いやー、だってー」

 

 バスルームの扉を閉めるやいなやの銀ちゃんからの苦言に普通に言葉に詰まる。

 

「『だってー』じゃないわよ。『だってー』じゃ。曲がりなりにもあんたも女でしょうが。あたしだけならまだしも、草摩とは殆んど初対面でしょう」

 

「ま、曲がりなりにもって……」

 

 物凄く酷い言われ様な気がする。

 

「事実でしょうが」

 

「そっそれに、そんなこと言われても。そもそも化粧道具とか持ってきてないし……」

 

「あるわよ。渡したでしょうが」

 

「…………へっ?」

 

「スーパーの袋。替えの下着と一緒に入れておいたはずよ」

 

 なん……だと……。

 

「……気づいてなかったのね。やっぱり」

 

 言われて速攻でスーパーの袋を探ってみると、入れていた服の下から確かに幾つかのコスメ用品が出てきた。……何故に気がつかなかったのか?

 

「草摩をあんまり待たせるのもアレだけど、それでもせめてベースメイクだけでもしておきなさい。二日酔いの顔色の悪いすっぴんを晒すなんて真似はやめなさいよ。……本当はお酒の飲み過ぎで肌荒れが酷くて目も当てられないようなことになっちゃってるから、スキンケアも時間をかけてした方がいいんだけど。そんなに時間をかけてもいられないし」

 

 気にかけてくれている気もするけど、同時に物凄く酷いことも言われている気がするのはスルーした方がいいのかもしれない。

 

「――おい、銀次郎。どうした? 大丈夫か?」

 

「大丈夫よ。気にしないで」

 

 急にバスルームに二人揃って引っ込めば流石に心配になるもの。草摩さんを心配させるようなことは何もないが、確かにあまり待たせるのも申し訳ない。

 

「ほら、廣井。ボケっとしてないでさっさとしちゃいなさい」

 

「りょーかーい」

 

 既に草摩さんにはすっぴんの顔面を見られている。今更なような気もする。でも、そうは言っても目の前に化粧品を用意されているのに何もせずにいるのは流石に恥ずかしさだとか女としてのあれやそれやが勝った。

 

(……確かに肌荒れが酷いな)

 

 鏡に映る自分の顔や肌には日々の生活環境が滲み出ていた。

 

 背後からスキンケアについて云々かんぬん言ってくる銀ちゃんの声を流し聞きしながら、本当に最低限人前出られる程度にはしておくべく行動を開始した。

 

 

 

 






 失敗は成功の母と言いますが、お酒での失敗どうなのか。

 どれだけ失敗しても飲まずにはいられない廣井さんが心配です。

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