崇永記 作:三寸法師
〜1〜
「では近江のことは一族の馬淵殿に概ね任せておると」
「ええ。まだまだ私も京で学ぶべき点は多いですし……ッ!!」
弦を引き絞って放った矢は狙い通り、的の中心に命中した。前世で弓道を学んでいなかった俺ではあるが、普段の稽古や時折任国の信濃から京を訪れる貞宗による指導の甲斐あって着実に技量を上げつつある。
現にたった今、その成果を見て貞宗が口角を上げた程だ。
「うむ。これなら戦場でも十分に活躍出来よう。ただ……」
「?」
矢を番て歩み寄る貞宗に場所を譲った。天下一の弓取りと誉高い貞宗の射撃とあって側に控えし六角家中の武士たちも目を見張る。
「ッ!!」
貞宗が放った矢は的の中心部に刺さっていた矢を綺麗に真っ二つに裂き、そのまま的ごと粉々に破壊した。
これぞ正真正銘の神業だろう。
「お、お見事……」
「達人の域は遠いぞ、近江三郎。膂力にも重きを置けい。遠くの鎧武者をも容易に射抜くつもりでな」
「……はい。肝に銘じます」
「良かろう。それにしても喉が渇いた。茶など一杯貰えぬか?」
「ええ、直ぐに用意させます」
千利休どころか村田珠光の登場すら大分待たなければならない時代ではあるが、最澄が大陸から茶葉を持ち帰ったり栄西が喫茶養生記を記したりした結果、茶というのはこの時代であってもメジャーな文化だ。
「千寿丸殿の振興政策によって近江では茶の生産が益々奮いつつあると聞く」
「!……お耳が早い。作らせた茶葉はこちらで纏めて引き取り、公家や寺などに売るようにしています。そこで得た金銭で米や武具を贖うという寸法です」
「うむ……しかし、それだと飢饉の時困るだろう」
「ええ。故に、救荒作物の生産にも力を入れております。例えば蕎麦*1です」
「蕎麦か……確かにアレは救荒作物としては麦や遅米などより優れている。じゃが、いかんせんエグみが強くてな」
「……そこです。品種改良に励んでいるのですが、思ったように事が運ばず」
以前、江戸時代以来の麺にして食べるやり方を可能な限り再現してこの時代の蕎麦を食したのだが、想像とまるで違う味のせいで咽せてしまった位にはこの時代の蕎麦は不味い。
いずれにせよ、主要作物以外にばかり気を取られて破滅するようなどこぞの大名家のような末路は辿りたくはない。よって──
「天秤を見誤るなよ、千寿丸。戦時に必要なのはやはり兵糧……米だ。それに、我らの考え一つで民の生活が良くも悪くも大きく一変することを忘れるでない」
「……はい」
小笠原貞宗は決して武芸一辺倒の人物ではない。新政権の強烈な存在感による後押しがあるとは言え、かの諏訪明神と領土争いを繰り広げる支配者としての側面も持っている。
後学のためにも諏訪頼重との勢力争いの経過について聞いてみたい。そう思って口を動かそうとした矢先、軒端に一人の武士が現れるのを感知した。
「我が君、少し宜しいでしょうか」
「何だ?」
「客人の来訪です」
「客人とは?」
おおよそ魅摩辺りであろう。そう思いつつ尋ねてみると、家臣の口から出てきたのは貞宗共々胸襟を正さざるを得ない意外な人物の名前であった。
〜2〜
貞宗と並んで下座に並ぶ。それを尻目に上座に座ったのはこの時代の絶対的主人公、足利尊氏である。ここ何日か多忙であると聞いた覚えがあるのだが、どうしたことだろうか。
「二人とも、そう硬くならないでくれ。こっちが困ってしまう」
「「は」」
尊氏公にこう言われては従う他ない。食えなさでいうなら道誉に決して引けを取らないのが足利尊氏という男だ。しかも、佇まいは爽やかな優男そのものであるのだから、たちが悪い。
「尊氏様。未だ諏訪領内から北条の残党見つけ出すこと叶わず……申し訳ございません」
「ん〜。いや、良いんだ。もしかしたらこの尊氏の読みが外れていただけなのかもしれない」
謙遜染みた言葉は却って貞宗を萎縮させるには十分である。本心では今なお信濃を警戒している筈だ。どこまで計算の内なのだろうと尊氏の挙動を訝しんだ。
「……横から宜しいでしょうか?」
「何だい?千寿丸。君たっての献策かい?」
「あ、いえ。献策という程のものでは……ただ、各地で北条の残党が蜂起し、討伐の綸旨まで出ているこの状況。北条家指折りの郎党だった諏訪の動きがまるで無いというのはあまりにも妙な話」
「いや。諏訪の者共、動いてはいるのだ。この間の戦では頼重のヤツ、信濃仮面などと名乗って介入して来る始末で……」
話を続けようとしたタイミングで挟まれた貞宗による訂正は俺や尊氏を硬直させた。信濃仮面とは二十一世紀だろうと十四世紀であろうとあまりに常軌を逸したセンスである。
「し、信濃仮面?」
「ハハッ!諏訪明神は中々どうして面白いな!」
困惑しきりの俺に対して尊氏はただひたすらに笑い飛ばす。天下人の器量とはかくも大きいものらしい。
「やはりここに居られましたか!尊氏様!」
「む」
息を切らせて屋敷に駆け込んできた尊氏の近侍が慌てて部屋の前で中座し、事の次第を捲し立てた。
「帝より急ぎ参内せよとの御命です!お急ぎください!」
「それは疾く行かねばな。すまぬな、お二方」
「いえ、とんでもないことです」
「帝からの火急の用となれば、一大事です。我等に構う事なくお急ぎくだされ」
俺や貞宗に一つ謝意が込められているのであろう手を翳して尊氏はあたふたしてばかりの郎党に連れられるようにして騎乗し、駆け去って行った。
「ううむ。尊氏様は慈悲深いだけでなく、帝からのご信任も厚い様子と見える」
「
「あぁー……」
文字通り遠い目をした様子の貞宗に俺は肩を竦め、茶を一杯飲み干した。それから湯呑みを茶托に乗せ、今の情勢を掻い摘んで説明する。
「お陰で尊氏様に近しい者たちからの陛下への信望は益々失われていくばかり。仮に尊氏様が"こと"を起こされても、多くの武士が尊氏様に従うでしょう。勿論、新田や楠木などは別でしょうが」
「……その"こと"というのは何時起こる?」
「さぁ?こればっかりは」
「……いや、つかぬことを聞いた。忘れてくれ」
「はい。そうしましょう」
会話が途切れた。大方、貞宗は遠からずまた驚天動地の戦が起こることを俺の話から予感しているのだろう。建武の世になって諏訪家に代わる信濃国守護となった小笠原家の棟梁として今後の舵取りに間違いなどあってはならない。
貞宗が帝に味方するのか尊氏に味方するのかはこの俺には分からない。たが──
「師匠。たとえ道を
「……千寿丸殿」
前世のものより幾分丸みを帯びている今の俺の目とどこか震えた様子の貞宗のえらく特徴的な目が合った。
「生意気な口利きおって!諏訪大社の長寿丸を思い出すわ!全く!」
「す、諏訪大社?い、痛い痛い」
長い顎髭以外にも薄ら髭が生えた貞宗によって頬づりされ、幼さ故の卵肌が悲鳴を上げる。だが、幸いなことにそれも長くは続かなかった。
「あ、あんたたち……何してんのよ」
「「……」」
「師弟で頬づりて婆裟羅だねぇ。二人ともそう思わない?」
「「……」」
街で贖ったと思わしき小さな餅が刺さった串を持った少女が廊下に突っ立っていた。少しばかり傾いた陽の光をバックにしているせいだろうか。目元の辺りが暗くなっている。
「み、魅摩殿。違うのだ。これはあくまで師弟の触れ合いで」
「へぇ……」
「ほ、ほれ。千寿丸からも何とか言えい!」
帝の弓術の指南役とは思えない慌てぶりである。仕方がないので、俺は師の意に従って幼馴染の少女と向かい合った。
「……魅摩姉ってさ」
「何よ?」
「なんで自分は父君と頬づりするのは良くて俺が師匠とするのはダメ出しするのさ」
「……あたしと父上は血縁だから良いの。けど、あんたたち師弟は違うでしょうが」
「師弟は時に血縁上の親子より仲が良い場合もあるから別に良いと思うけど……何か他に理由でもあるんじゃない?」
そう俺が言ったきり、場に静寂が訪れた。屋敷の外から聞こえる街の喧騒がやけに遠く聞こえる。
貞宗は俺と魅摩を交互に見やって、得心が行ったかのような面持ちで顎髭に手をやった。
「さて、儂もそろそろ信濃に戻らねばならん。そろそろ国人どもの動きが騒がしくなる頃じゃろうて」
「あー、この間は大変だったらしいですね。噂が京にまで聞こえてきてますよ」
「ふんっ。ま、北条の残党と言うても無限に居る訳ではない。遠からず悉く根切りにしてくれるわ」
「それはそれは。武運をお祈りしております」
「うむ」
次に貞宗が京都に来るのはいつの事だろう。もしかしたら戦場で相見えることになるかもしれない。記憶が正しければ、北条高時の遺児時行が蜂起する中先代の乱までもうそろそろの筈である。
何年も前に一度鎌倉でお会いした時にあまりの可愛さから一瞬女の子と間違えてしまったのが懐かしく思い出される。
きっと今もどこかで元気に逃げ回っているに違いない。
そうした懐古を胸の内に秘めつつ、俺は魅摩と共に貞宗を門の前まで見送った。
「行っちゃったわな」
「ああ」
「あんたが貞宗を慕う理由がここ数日で分かった気がする」
「そ」
「何よ、その薄い反応。何か気になることでもあった?」
「……もうそろそろ尊氏様が天に翔び立つ頃かと思って」
「!」
意味深な俺の言葉を聞いた途端に、魅摩の雰囲気は剣呑なモノへと様変わりした。
「それが新しい予言?」
「まぁ……あまり当てにされても困るけど」
たかだか高校の教科書レベルの知識しか入っておらず、あまつさえ転生から十年近くが経過していて何処が抜け落ちているのかあまりに不確かだ。
あからさまな預言者扱いは止めて欲しいのが本音である。
……が、嘘を貫き通すためにはこうするしかないのもまた事実。
「そう?ドバドバ出てるあんたの神力からしてマジだと思うよ」
「……神力ねぇ」
魅摩にしろ尊氏にしろ時折ではあるが、こうして非科学的な神力の存在を主張する。
科学の概念が室町時代にはないから無理もないとはいえ、面と向かって俺からそんなモノが大量に出てると言われても、新手の宗教勧誘にしか聞こえない。
「かぁっー!そんなに神力あるのに、肝心のあんたが見えない類の人間ってのが惜しいねぇ。少し位分けても罰当たらないよ。さ、寄越しなさい」
「見えもしないものを譲り渡せる訳ないんだよなぁ」
「もうー!結局、そこか!」
いつものようにする魅摩との口喧嘩はこの幼い身体にとっては妙薬そのものである。上がっていく熱量と共に感じる心地良さに身を委ねたまま、俺と魅摩は日暮れを迎えた。
〜3〜
同じ日本でも二十一世紀と十四世紀では当然ながら食文化は大きく異なる。例えば、今世の日本で軍艦カレーが食べたいと思っても無理な話だ。どこぞのホテルの
しかし、それでも年月の隔たりこそあれ地続きではあるため、共通して食べられるものもあるにはある。
今、俺の目の前にあるのがその一例だ。
「おや、お武家様。また来たのかい」
「ああ。鱧は茹でて良し、焼いて良し。串で一本頂戴よ」
「あいで」
休暇を見計らい、こうして街に出た俺はふらっと市に立ち寄っては前世の名残りとはまた違う何かを感じに見て回る。
包丁で細かく骨断ちされた鱧が串打ちされ、藁火によって炙られている。こういう調理の様を屋敷で見るのは難しいので、こうして態々市に足を運ぶという寸法だ。
「旨旨」
護衛役の武士に少し毒味という名の味見をさせてから俺は残りを全て口にする。頬が落ちるとはこの事か。
こういうので良いんだよ。こういうので。
「なにこれ、
「これは鱧や」
見れば、田舎の神社の出と思わしき数名の少年少女から成る一団が先程の鱧売りの所に群がっている。
ウナギと聞き、白焼きなら何とか再現出来ないだろうかと思考の海に沈んだ。開きのやり方自体は記憶に残っているので、是非とも六角の領地で試したいところである。
「すごい丁寧に骨切ってる」
「そこまでして食う程の魚かねぇ」
フリにしか聞こえないオッサン染みた少年の言葉に俺は嘆息し、その場を去る。しかし、ほんの一瞬どこか懐かしい気配を感じてその場を振り返った。
「殿、どうかなさいましたか?」
「……いや。別に」
後ろに見えるのは同年代の巫女、鱧に掌を返す少年、無駄に大柄な少女、狐面の少年。かつて見た女の子のように愛くるしい少年の姿はない。
「何でもない。さ、帰ろう」
「はっ!」
そうだ。居る筈がないのだ。ここは北条方にとって敵地のど真ん中である。きっと気のせいに違いない。
「……はァ」
北条が滅びた原因の一端が俺にあると知ったら、あの娘はどんな顔をするのだろう。
そんなことを思いながら俺は帰路に──
「あら。可愛い狐面やねぇ。坊や、お姉さん達と遊ばへん?」
聞き覚えのある声に再度振り返って見れば、谷間を曝け出した女及び髪を尼削ぎにした女が狐面の少年に声を掛けている。
驚くべきことに面そのものが赤くなっている様子で思わず笑ってしまった。だが、それと同時に彼が辿るであろう哀れな末路が頭に浮かび、少しばかり憐憫の情を覚えた。
「……見て見ぬ振りするのも目覚めが悪いか」
折角なら現行犯であいつをとっちめてやろう。どれだけ時間を掛けて回り道すれば丁度良いタイミングを掴めるか勘定した俺は供を連れ、もう少しだけ街を廻ることにした。