崇永記   作:三寸法師

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誰がとは言いませんが、今度は抽選当たる事を願います(他人事(落ち着いたら腰上げる))


◆2

〜1〜

 

 

 建武五年の夏を迎えた。夏と言っても、旧暦基準の話で、二十一世紀のような蒸し暑さを感じるという訳ではない。逆に今年は妙に冷え込んでいるような感があり、為政者気分がすっかり染み付いてしまった立場上、飢饉が起こるのではないかと心配になる程だ。

 折角、記念すべき尊氏様の将軍就任年に……という思いを拭い切れない。尊氏様の評判自体は、飢饉の原因を顕家軍征西に対応するための兵糧捻出に求めれば、落ちずに済むのが不幸中の幸いか。

 ただ、今の俺には他人事なのかもしれない。失脚したのだから。

 

 

「道誉殿が近江国守護、その息子の秀綱殿が近江守……この新たな人事で、本当に近江国が纏まると思っているらしい。あの親子が全金属製何とかを持ち出して以来、彼らの近江国における評判はかつて無く悪化した。今更、箔を付けた程度でどうにかなるものか」

 

 

殿(千寿丸様)。ただ、鎌倉殿(尊氏公)がその人事に同意なされたという事は……」

 

 

重頼(我が乳兄弟)よ、俺には分かる。あの自称完璧執事が、巧く尊氏様に吹き込んだに違いない。顕家軍掃討のため、師直に軍事指揮権を一括して与えなければならぬ今、ヤツの進言は尊氏様とて容易に跳ね除けられない……あの()()()()()()め、時機を上手く見極めよるわ」

 

 

 顕家軍の征西のため、畿内各地で南朝方が勢いを盛り返しているこの危急存亡の時、近江国守護職を解任され、失脚したも同然の俺は現在、幾らかの護衛を連れて南近江の石山寺に身を寄せている。

 とはいえ、乳兄弟で最側近の青地重頼に溢したところで、何かが好転する筈もない。情けなくも、先日まで居候していた大江(長井)家から借りている読み物に目を通しながら、気慰めするのが精一杯だ。

 

 

「曹孟徳……殿(千寿丸様)はかの足利家執事(高師直)が奸雄になり得ると?」

 

 

「忘れたか?高一族は源氏一門ではない。今後十数年、奴らが甘い蜜を吸うのを看過する気でいたが、ああして我が家(六角佐々木家)の益を損なうとなると……否、徒らな考えに過ぎぬな。だが、新たな幕府の開闢後も今回の近江国の人事が不変となろうと、対策が無いでもない」

 

 

「!……奪い返す手を新たに講じておいででしたか」

 

 

「勿論だ。京極父子の婆娑羅を逆手に取る。ま、あくまで万一のための策だ。性急に実行に移す由もあるまい。逆に世が乱れた状態では功を奏さぬ。さぁ、日暮れだ。甲賀衆に田楽の準備をさせよ」

 

 

「は!」

 

 

 ここ最近のルーティンワークに組み込まれているのが田楽だ。

 午前は武芸、昼過ぎは祈祷、夕方に田楽、夜はまた武芸である。

 ただ、祈祷の間、口は忙しくても目などは暇になるので、それを活かして勉強ができる。授業中の内職と似たような要領である。

 

 

「だから、違う!そうではない!よく見てみろ!」

 

 

「「は!」」

 

 

「ここ、丹田!結局は丹田に力を入れねば、何も始まらん!」

 

 

「「はい!」」

 

 

「そんで、腕をヒュンってやって、足をバーンだ!」

 

 

「「???」」

 

 

 田楽も決して遊びだけが目的ではない。甲賀衆もとい甲賀忍軍の者たちに仕込めば、それだけ諜報の幅が広がる。ゆくゆくは連歌を仕込んで、貴人たちの屋敷に出入りさせるのも手の一つだろう。

 ただ、適性の見極めは欠かせない。ある意味、武士以上に適材適所が必要だ。忍びには万に通じる程の一芸の追求を求めている。

 

 

「さぁもう一度!……はぁ。亜也子が居れば、指導も捗ろうにの」

 

 

「……佐々木城より呼び出しますか?」

 

 

「戯言だ。今、あいつを軽々に野道に放てるものか」

 

 

「は」

 

 

 可能な限り、神力を供給していたとはいえ、亜也子に対しての信頼が回復した訳ではない。尊良親王(一宮殿下)の葬儀が終わって以来、亜也子の手綱を緩める訳にいかないと強く認識したのだ。何をしでかすか分からない。当然、そんな便女に更なる栄達を許すのは無理だ。

 どうせ師冬も義理の父親(高武蔵守師直)同様、観応の擾乱で敗残の徒に堕ちる。

 それまでの間、良い気にさせてやろう。師冬との付き合いのためにも処分が叶わぬ歯痒さこそあれ、まだまだ使い道がある筈だ。

 詰まるところ、顕家や時行の蠢動も一過性に過ぎないのだから。

 

 

「そうだ。先の甲賀郡の南朝軍との戦、甲賀望月党の働きは?」

 

 

「馬淵軍の指揮下に入り、よく戦ったと」

 

 

 我が六角家の統治機構の一つに郡奉行制というものがある。

 各郡に六角家の重臣を送り込み、代官のように機能させるという代物(システム)であり、他ならぬ馬淵家こそが要衝の甲賀郡の担当である。

 その甲賀郡で起こった鮎川城での南朝軍との戦だ。先々月に俺の陣代の六角盛綱までも出陣して陥した筈の城ということもあって、馬淵家は危機感を覚えていた筈だ。無論、甲賀望月党も同様に。

 

 

「はン。連中、よもや亜也子のためにと意気込んだか」

 

 

「かもしれません。殿、既にお聞き及びと存じますが、その戦で馬淵軍はこれ以上、京極家の好きにさせてはならじと抜け駆けを」

 

 

「情勢変化で心乱れ、寺院に引き篭もってしまった不甲斐なき主の復活のためにか……いやはや、嬉しいな。うん、本当に嬉しい」

 

 

 若手たちの田楽の練習を眺めつつ、俺は己の言葉を噛み締めた。

 視界がボヤける。後ろの側近たちが一様に額ずく気配がした。

 もっとこの気持ちを噛み締めたい。しかし、そうは転ばない。

 悲喜交交(こもごも)になるも束の間、目の前で田楽練習に励んでいる者たちとは別に、国内では未だ求心力健在な六角家当主の俺が居る此処ら(石山寺周辺)の警戒網を成していた忍びたちの一人が、注進のために現れた。

 

 

「ご歓談中、失礼を。殿、急ぎの報告が」

 

 

「何?……その様子だと、山法師どもでは無くか?」

 

 

「はい。足利直義が密かに此方へ参ろうとしている由」

 

 

直義(弟殿)が……ふむ。苦労、相分かった。下がって良い」

 

 

「は」

 

 

 顎に手をやり、俺は思考を巡らせる。大阪平野で顕家軍と足利軍が度々交戦する目下、一時は自らの出陣をも考えていた直義が態々お忍びでこの南近江にある石山寺を訪れる目的は一体何なのか。

 しかし、結局は考えるまでも無い話であろう。俺は目を瞑った。

 

 

殿(千寿丸様)。当座の南朝軍との戦局を考えれば、唯ならぬ事態としか。あの足利直義が南近江までお忍びなど……如何なさいますか?」

 

 

「是非も無し。私は道理に従い、尊氏様を天下に推し挙げると決めたのだ。()()お二人(足利兄弟)に亀裂なき今、歓迎するしかない。師直(足利家執事)との距離が益々離れる危険こそあるが、千載一遇の好機なのは確かだ」

 

 

 敵軍の脅威がある現在は勢いが今一つだが、直義は室町幕府最初期に副将軍となる者だ。弱将の弟が尊氏様と並んで二頭政治とは極めて()()()()()と思っていたが、近江国守護に返り咲くためなら利用すべきだ。このまま南近江の旧時代の象徴(かつての守護家当主)に抑え込まれたままでは尊氏様の恩寵を受ける事さえ望み薄になってしまうのだから。

 用が済めば、頃合いを見て離れれば良い。これから副将軍にまで昇り詰める直義の影響力を借りて、半年やそこら足らずでその(直義)派閥から離れると体裁が悪いが、幸いにも擾乱まで残り十数年ある。

 それだけあれば恩知らずと誹りを受けずに済む時機(タイミング)が来る筈だ。

 

 

「では、田楽は中止して──」

 

 

「何を言う?直義(弟殿)と一緒に見るのも面白かろう?」

 

 

「は、はぁ」

 

 

「だが、来客時の手筈通り、人員は変えておこう。直義に彼ら(甲賀衆)の顔を覚えられて、諜報に使えなくなっては育成の甲斐がなくなる」

 

 

 この時、俺は思い浮かべていた。戦国時代、織田軍が上杉謙信軍に敗れたという手取川合戦の後の秀吉だ。豊臣秀吉は当然ながら源氏でないにせよ、あのレベルの出世譚だと却って敬服に値する。

 無許可の前線撤退後、謹慎中に敢えてどんちゃん騒ぎして信長の勘気を逃れたという秀吉の処世術、これを下敷きにしてみよう。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 現在、畿内の南朝軍と言えば、主に二つだ。第一は大阪平野各所で北朝方と交戦中の北畠顕家の本隊、第二は京の喉元に当たる男山(石清水八幡宮)で孤軍奮闘の様相を呈す春日顕国の別働隊である。当然、彼ら(奥州軍)を侮る一時の向きは京から霧散し、人々は鎌倉の二の舞(蛮兵共の掠奪)を恐れている。

 軍事指揮権の実際を師直に委ねざるを得なくなり、東寺を拠点に後方支援に徹する構えの直義は方々の寺社に祈祷を命じている。

 この南近江、もっと言えば勢多近郊にある石山寺もその一つだ。

 

 

「佐々木六角千寿丸……寺に入り、反省するものかと思えば」

 

 

「おや、これは直義様。石山寺へお越しとは……てっきり東寺の本営か男山(春日顕国軍)包囲網におられるものかと。本日はどうされました?」

 

 

 この石山寺の境内を住職の案内に従って歩いていた直義の表情は穏やかではない。どうやら怒りよりも呆れの方が大きいようだ。

 無論、この反応は想定済みである。素知らぬ顔で尋ねたのだ。

 

 

「この石山寺で行われている祈祷の視察……と言ったところで信じまいな。様子を見に来た。国の軍事指揮権を放棄させられ、守護の立場さえ返上させられた君のな。だが、何だ?この有り様は?」

 

 

「見ての通り、田楽です。聞いておられませんでしたか?」

 

 

「その程度は見れば分かるし、無論事前に把握していた……どういうつもりだ?多くの将兵が前線で血を流している今、(六角家当主)が斯くも遊びに耽っているとあらば、示しがつくまい。復職が遠のくぞ」

 

 

「直義様。本当にそうでしょうか?」

 

 

「……何だと?」

 

 

 昨年末の亡き斯波家長が俺の枕元に化けて出た夜、何故か夢に二十一世紀の教師の如き装いの直義が現れた衝撃で、今まで抱いていたイメージが一変し、それと共に理解が進んだような気がする。

 前世で塾の内職を適宜していた頃を思い出す。直義を教師のようなものと考えれば、転がし方も前よりずっと分かるというものだ。

 

 

「私が解任された理由の一つに、師直殿が敵に居た内通者の密書から中先代(北条時行)との有らぬ繋がりを見出し、時行が南朝軍に参加する今、近江国守護を変更する方が無難だと判断した事が挙げられます」

 

 

「それは聞いた。だが、それと田楽がどう繋がる?逆ではないか?田楽は在りし日の堕落した北条高時の姿を思い起こさせかねん」

 

 

「ええ。野心ある者が楽しむものではないのですよ。田楽は」

 

 

 直義は頭がキレる。この時代では珍しい程、理知的なタイプだ。

 だが、これも考えものだ。理知的な人間は思考を誘導し易いものと相場が決まっている。簡単なアシストさえしてしまえば良い。

 

 

「寺に逃げ込んだ挙句、田楽に()()()を抜かす六角家当主に敵と繋がるような意思は無い。そう示したかったとでも申すつもりか?」

 

 

「はい。まさしく。よくぞお分かりで」

 

 

「……君は一族の夢窓国師をはじめ、方々の知識人たちに潔白を証明するよう必死に求める書簡を送っていると聞いた。師直に有らぬ疑いを掛けられ、陥れられたと。だが、はっきり言おう。勘違いも甚だしい。時行の南朝への降伏文書を夢窓国師が仲介した一件を感知するや否や、本人連れで君は謝罪に述べに参ったではないか」

 

 

「……ん?」

 

 

 あのふざけた春画擬きは大した原因では無いとでも言うのか。

 そんな筈は無い。あの絵画の製作者が誰なのか、俺は師冬から推察を聞いて、討滅を願っているというのに。戦国期に宣教師は日本の神々を悪魔と表現したらしいが、()()()()と心底考えている。

 

 

「どうやら君は守護交代の訳を少しも分かっていないようだな」

 

 

「ッ!」

 

 

 ここで俺は思い至った。直義は対立派閥トップの筈の師直の提言した近江国守護の変更に乗り気だったのではないかという事に。

 しかし、俄かに信じがたい。曲がりなりにも直義は山法師対策のために六角家が有用だと考えていた筈だ。その直義が、今年になって慣例破りも同然の近江国守護の変更を後押しするものなのか。

 それそも解任理由との辻褄が合わないだろう。何故なら──

 

 

「千寿丸。君の言った解任理由は些細な話(九牛の一毛)に過ぎない。問題は今の君の姿から明らかだ。二年前のような闘志や覇気が失われているからこそ、師直は一時の守護交代を提案し、私も兄上も同意した」

 

 

「と、闘志や覇気が?っ、俺からアイデンティティを奪っておいて良くも……惣領の誇りを傷付けられて、如何に保てと仰る!?」

 

 

「藍電……?ゴホン、話を戻そう。保つも何も無いではないか?」

 

 

「……黒血川の合戦で即刻追撃に移るべきだった。直義様もそう本気で申されますか?兵糧がどれだけ大事か、天下の宰相にならんと欲す貴殿は、どの諸将よりも知っている筈だ。腹が減っては戦はできぬとはよく言ったもの……あそこでの追撃策は無謀だった!」

 

 

 嚢沙背水の陣を敷き、しかも敵軍の後方から襲う手筈の青野ヶ原(貞宗や桃)残党軍(井たち)との距離が離れていた状況で、即刻追撃に移るというのは軍の配置から考えて無理があった。どうやっても敵軍(北畠顕家軍)に距離を一時稼がれる。勿論、寡兵で離脱した畑時能(新田四天王)の動きも気掛かりだった。

 よしんば、嚢沙背水の陣で散っていた幾万の両翼(別働隊)を再結集してから追撃したとて、顕家軍はどうか。一人一人に確かな疲労が溜まっていても、主将たちの頭脳は健在だった。十面埋伏のような誘引策でも使われれば、間違い無く我ら北朝方が壊滅していただろう。

 かと言って、距離を適当に保ちつつの散発的な追撃が功を奏していただろうか。無理だ。実際を見よ。顕家の決断で南伊勢まで退がられて、師直らの目論見は結局ご破算になっていたではないか。

 しかし、俺の確信はすげ無く打ち破られた。他ならぬ目の前の直義の一喝で。恐らく時行も以前に(井出沢合戦で)似たようなのを喰らった筈だ。

 

 

「そう!まさしくその気弱な考えが問題だ!」

 

 

「!?」

 

 

「二年前、本拠地(佐々木荘)を襲われ、城を陥された佐々木近江三郎(千寿丸)はどこへ行った!?果敢に命を捨てた決戦を選びながら、無念にも途中で南へ脱出した直後、めげずに再戦へ速やかに移行したお前(千寿丸)に、私も師直も期待していた!いつの日か足利将軍の懐刀になる期待株だと!小さく纏めず、要職(近江国守護)に据えたまま、無双の勇将に育て上げんと!」

 

 

 直義は主張した。幼くとも誰より闘志を燃やして自然と周りを奮い立たせていた六角家当主だからこそ、昨年に至るまで、如何なる事態が起ころうと、近江国守護を他の誰にも委ねていなかった。

 新田・楠木・北畠の連合軍のために足利勢が畿内から一時追い出されようと、道誉や貞宗が近江国でどれだけ敵軍と戦おうとだ。

 

 

「兄上に関しては言うまでもあるまい!だが、今のお前は何だ!?戦う顔をしていない!兄上の愛の鞭に気付かず、小細工を弄するために遊んで見せるだと!?元服を今年にも控えた身で、論外だ!」

 

 

……この俺が御方(尊氏様)の信頼を裏切っていた?この世の誰よりも大切な絶対無二の御主君の?あり得ない。我が忠節は幾久しく続くんだ

 

 

 初めてかもしれない。(尊氏様)ではなく、人の言葉であたかも雷に打たれたような衝撃を浴びるのは。今世に限らず、前世においても。

 要するに"懲罰交代"だったのだ。近江国の舵取り役を六角家当主(佐々木千寿丸)から取り上げ、京極家当主(佐々木道誉)に預けるという極めて異例の采配は。

 もう日が落ちて、夜を迎える。田楽の音も鳴り止み、誰も彼もが静まり返っている。俺は震えが止まらなかった。俺の尊氏様への畏敬の念は本物の筈なのだ。呼吸が苦しく、ただひたすら治まるのを待っている。今までになく弱将・足利直義が大きく見えていた。

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