崇永記 作:三寸法師
〜1〜
畿内周辺で南朝方が足利政権の手を煩わせている時分、
こうした動きに対応するためか、直義派武将の上杉憲顕が関東帰還の準備に入った。当然、その執事の長尾景忠も同様であった。
「長尾殿。僅か数週間の間でしたが……ご指導ご鞭撻に感謝を」
「礼は結構です。拙者は命じられた通り、貴殿の成長をほんの少し手伝ったまで。返礼なれば、上杉様を従える直義様になされよ」
「……」
直義派の狙いは手に取るように分かる。
もし京近くの近江国に強い地盤があって武才も強く自負する
「安心してください。近く兄君が征夷大将軍になられる直義様が、たかが師直ごときに殺されるような結果には決してなりません」
「ふ。この毘沙門天の小仏像にお誓えになるか?」
何やかんや言って、長尾景忠は小仏像がお気に召したらしい。
それにしても「長尾」と「毘沙門天」の組み合わせとは笑える。
鞍馬寺近隣の山の斜面で長尾が小仏像を構える姿が実に滑稽だ。
「誓うも何も。それ、内部に俺の体毛が入ってますよ?」
「……何?」
実際のところ、小仏像は長尾景忠のために贈ったものではない。
南北朝時代を生きる長尾景忠ではなく、
「ほら、髪の毛は尊氏様との元服の約束がある手前、余人に触らせられないので、手足の先に生えてきた毛を小姓に器具で抜かせて」
「……どうやら聞いた拙者が愚かだったようだ。罰当たりな売却はせずとも、携行するのは遠慮しておこう。蔵の奥にでも納める」
「はれ?爪を仕込んだ方が良かったですか?」
「違う」
「おや。六角殿、何やら長尾と盛り上がっておられる」
「
一種の呪言によって長尾景忠がお冠になったところへ、
ただ、本当に人心が分かるかは疑問だ。同じホモ・サピエンスと思えない風貌以上に、マッドサイエンティストのような感があるのが気になる。とりわけ関西での顕家軍と足利軍の抗争で
「ふふ。六角殿、僅かな間にまた一段とお強くなったようで」
「……ええ、それは勿論。長尾殿から良き刺激を受けました」
「実に僥倖です。直義様もお喜びになりましょう」
学者肌で飄々としている上杉憲顕にも気になる点が一つある。
同じ従兄弟*2でも尊氏様より直義の方に忠義が向いているように感じられる点だ。
何はともあれ、憲顕の様子から来訪理由はある程度察せられる。
「もしや……直義様がこの私にまた何か御用でしょうか?」
「その通り。ですが、身構える事はありませんぞ。私の関東下向前に今後の直義様の派閥の方針を定める場を設けるに過ぎません」
「は、はぁ」
あれよあれよという間に、
本質的に言えば、
「ただし、表向きは賊滅祈祷中の寺々の慰問の一貫として直義様が
「承知。直義様の精力的な活動には全く頭が下がる思いです」
心にもない発言をするのは西国武将にとって基礎の基礎である。
軍事指揮権を行使できない今、復職を目指すにあたり、これから副将軍になる直義の手を借りる方法こそ最も手っ取り早かろう。
この際、直義が副将軍で構うまい。遅くとも観応の擾乱で高師直が滅んで尊氏様に目を付けられるまでに、直義派から離れれば良いだろう。今は兎にも角にも近江国守護職の奪還が最優先だ。失権したままでは、肝心の尊氏様からの覚えすら危ぶまれるのだから。
そもそも借りの一つや二つの踏み倒し程度、打倒北条政権で経験済みである。また、建武政権崩壊以来続けている寺社への上納米のシカトは今でさえ相手を吟味して行っている。乱世の大名らしく生きてやろう。こうした思いを抱え、俺は宿坊の方へと向かった。
〜2〜
今も
強いて他の直義派を挙げる場合、三月中旬に出征した
要するに、直義派は層が薄い。勿論、これから
「上杉、吉良。
「はい。
「……
ある種の常套句に内心
大方、適当に持ち上げて良い気にさせておけば、
直義派の狙いは明らかだ。守護職を奪われ、燃え上がっている
「千寿丸殿www拙者の懸念をお話ししても宜しいか?www」
「……懸念?はて、
「建武政権が健在だった頃、京で博打によって名を馳せていたという
「!?」
師冬のみならず直義派の武将までもが魅摩について持ち出すか。
一瞬辟易とするが、魅摩個人に京で無駄に知名度があったせいではあるまいと察しを付けた。求められているのは、当代の
ここは
「生憎ですが、私は子女への情よりも戦友への親しみを尊びます。とりわけ亡き
「……左様でしたか。千寿丸殿と家長殿が実際に共闘したのは中先代の乱のみ。たったそれだけでも親しみを覚えておられたとは」
「
「「「……」」」
決まった。何やらバツが悪そうに三人が目を見合わせているのは少し気になるものの、これで
彼らの教養具合から考えて、良い塩梅に解釈してくれる筈だ。
ここで直義が動いた。
〜3〜
果たして二人きりになって直義が何を話すつもりなのか。一時退室した吉良満義と上杉憲顕による釘を刺すような視線を思い返してみれば、急に刺客共が現れて殺しに来る線は限りなく薄い筈だ。
第一、俺の武力は遥か前から刺客程度に仕留められ得るような段階になく、直義派もその辺りを承知で勧誘していたに違いない。
「それにしても驚いた。孫二郎がお前の夢に現れていたと」
「はい。碁の勝負をしたものの、結局敵わず……」
「足利の麒麟児が、佐々木氏史上最高の天才を凌いだか。でなければ困る。孫二郎は生きてさえいれば、鎌倉の王……政局次第で私の跡を引き継がせ、天下の宰相にもなり得る逸材と見ていた故な」
「直義様……
夢で家長は告げていた。いずれ俺が直義に屈するようになると。
しかし、果たしてあの言葉は今のような状況を示唆していたのだろうか。否、違う筈だ。まだ直義派と師直派の争いは水面下のものに過ぎない上に、屈したと言っても、本心からの行動ではない。
家長だって分かっていた筈だ。俺が本質的に
「遺書か……何かしら夢で孫二郎に聞いていたようだな?」
「はい。願わくば、地位剥奪の危険を教えて欲しかったのですが」
「何を言う。実際に交代劇が起きるまで、自分の地位を疑っていなかったお前には、如何なる言葉も届かなかっただろう?
「……」
どうしようもなく図星だ。思っていたより直義はよく見ている。
この分だと警戒レベルを更に引き上げた方が良いかもしれない。
俺の背面服従について見抜いていても不思議ではないからだ。
「千寿丸。君は討幕や新政崩壊を予見していた割に、建武政権軍の底力を見誤り、二年前の佐々木城陥落や今回の守護職失陥を防げずと危ういところが少なくない。だが、早くから源氏の正統性を鑑みていた点は評価に値しよう。今後の師直派との争い、どう見る?」
「……まず味方が少な過ぎます。桃井殿が居る限り、
「そうだな。
「ただ、師直殿の振る舞いは敵を多く作ります。実力主義なのは構いませんが、家格への頓着が無さ過ぎます。きっと反発している者が居るに違いありません。そうした者をまず取り込むべきです」
ここは具体名の列挙を避け、大まかな方針だけに留めるべきだ。
いざという時、責任を追及されずに済むよう上手く立ち回ろう。
まして直義の頭脳があれば、勝手に具体性を詰めてくれる筈だ。
「となると……まず細川や三浦か」
「……と言いますと?狙いとしては悪く無さそうですが」
「聞いておらぬか?細川家は一族の顕氏が公然と師直にブタと罵られている。三浦は鎌倉の御代や中先代の乱然り、やむを得ない面があるかもしれんが、やはり犬呼ばわりだ。招けば必ず応じよう」
「はぁ」
一度回り出した直義の頭脳はそう簡単に止まらない。今も北陸で
こうなると俺の方からもそろそろ具体名を出すべきか。もしや直義は具体名の列挙で俺にプレッシャーを掛けているのだろうか。
「取り敢えず武家はこんなところか。公家は然程心配あるまいが。影響力のある公家たちを、あの師直がどうこう出来る筈がない」
「……そうですね。義詮様の方も家長殿の働きで関東足利党を甚く認めていらっしゃるそうですから、まずまず心配無用でしょう」
「それも夢で孫二郎に聞いたか……君の目に義詮様はどう映る?」
「?……尊氏様の後を継ぐ唯一無二の御方かと」
討幕運動の最中、庶長子の竹若丸が諏訪氏や長崎氏によって殺された以上、やはり嫡男の義詮が政権の跡継ぎだと直義派を含めて、誰もが考えているに違いない。遅かれ早かれ足利基氏も誕生するだろうが、あくまで関東公方であり、天下を治める人物ではない。
勿論、上杉たちが基氏を担がないかは注意した方が良いだろう。
とはいえ、この現状では
「あの……?」
「……何でもない。不覚にも竹若丸様を思い出していた」
「左様で……改めてお悔やみ申し上げます」
正直、竹若丸の死は完全に運が悪かったとしか言いようがない。
足利軍の討幕運動が始まり、滞在先の伊豆山権現から山伏に化け逃走せんとした矢先、北条関係者*3と鉢合わせてしまったのだ。
とはいえ、それで死ぬならその程度の命だったという事なのかもしれない。何せ今は乱世だ。脱走の不首尾も立派な死因だろう。
「良い。今更の不幸、兄上とて吹っ切っておいでの筈だ」
「は。ただ、諏訪氏の方は頼重たちが死んだので兎も角、もし
「長崎……か。千寿丸、丁度良い。伊豆北条党を含め敵軍の詳細に関する報告書がある。
「そんなものが?……拝見」
案の定、報告書には駿河四郎という長崎氏残党の名前があった。
どうやら伊豆北条党の主要構成員らしい。指揮する人員の数は時行の最側近の祢津弧次郎より多いに違いない。しかし、それ以上に目を奪われる名前があった。俺は思わず直義の方に視線を遣る。
直義が頷いた。再び手元の報告書に目を遣ると、名前の側に仔細が書いてある。どうしてお前が。そんな言葉が口から漏れていた。