崇永記   作:三寸法師

114 / 202
▲4+

〜1〜

 

 

 時は建武五年(延元三年)三月中旬に遡る。先月末の大和国般若坂における敗戦を経て、北畠顕家はまたも戦略の見直しに迫られ、尚もめげずに摂河泉(大阪平野)からの上洛を目指していた。執事の春日顕国をして奇襲で京近くの男山を占拠させたまま(北朝)の大軍を釘付けにし、自らは天王寺を奪って、そのまま淀川沿いに京を侵攻しようとしていたのだ。

 八日に細川顕氏軍を撃退し、十五日には上杉重能(伊豆守)軍に大勝する。

 そこへ立ち塞がった北朝武将こそ足利家執事・高師直である。

 

 

義弟二人(憲藤と重行)を失った伊豆守(上杉重能)はまだしも……細川のブタ(兵部少輔顕氏)め。俺の手を煩わせやがって。守りに専念しろという軍令を忘れるとは。顔も体型もブタだが、記憶力はより劣悪と見える。全く何が豚カツだ」

 

 

「師直様!武田軍より返書が!男山の戦に引き続き助勢致すと!」

 

 

式部大夫(武田信武)が……良いだろう。俺の命令を厳守するよう伝えろ」

 

 

「は!」

 

 

(武田、今川……それに島津。我が軍も大きくなったものよ)

 

 

 三月十六日、男山(春日軍)攻略戦を司っていた師直が摂河泉(大阪平野)における北朝軍の劣勢を危険視して急遽南下し、そのまま顕家(南朝)軍と激突した。

 かねてよりの精鋭たちに加え、足利政権の誇る守護大名たちを傘下に入れ、荒く息巻く師直軍に対し、顕家軍は連戦の疲れが取れていない。まして軍師(春日顕国)が別行動でまともな勝負になり得なかった。

 

 

「島津は敵将(南部)を引き付けよ。仁木は川向こうへ回り込め。畠山はそのまま奥を抜けろ。武田と今川は我らと共に正面から打ち破れ」

 

 

「「「は!」」」

 

 

(師直軍の動きは縦横無尽。今の疲労度で勝てる相手ではあるまい)

 

 

「退却するぞ、ゴミ共!南へ撤退開始だ!」

 

 

 武田・今川らの諸侯を従え、師直(剛腕の将)は熾烈な追撃戦を展開した。

 この三月十六日の合戦は大規模なものだったとされる。戦が終わると尊氏は翌日、戦意高揚のためか九州の味方(一色範氏軍)へ早速書簡を送ったという。内容は顕家以下の敵将が大体戦死したと大雑把だった。

 南朝にとって不幸中の幸いだっただろう。師直たちは暫くの間、男山(石清水八幡宮)敵軍殲滅(春日顕国打倒)優先のため、深追いを取り止めた。一方、再び捲土重来を期す立場となり、顕家は南方の和泉国で守勢に徹した。

 

 

「申し訳ありません、兄様。先月、忍たち(玄蕃くんと夏ちゃん)と一緒に情報戦で師直を叩きのめせと仰って頂いたにも関わらず、また奴に負けてしまいました……全体の軍議に私を参加させるよう顕家卿に口利きしてくださった春日卿にも申し訳が立たず、本当に不甲斐ありません」

 

 

「そう気を落とすな、雫。今回の負けは情報戦に入る前に敵の圧倒的な戦力層に押し潰されただけだ。挽回できる。顕家卿はこの観音寺城で腰を落ち着かせる間、周辺諸国から味方(南朝武士)を集めるそうだ」

 

 

「兄様……」

 

 

(有り難いお話……ただ、()()()()で凄い未来が見えるような)

 

 

 三年前に自害直前の諏訪明神(諏訪頼重)より未来視能力を授けられた御左口(諏訪の)()は神力の塊が感じる筈のない頭痛に襲われるような気がした。

 この時期の顕家軍は和泉国の観音寺城で勢力挽回に専念するが、二年前に顕家軍が近江国で陥落させた佐々木城もまた、いつしか観音寺城という名称で知られるようになる。要は紛らわしいのだ。

 雫の未来視は頼重ほど頻繁に使われる訳ではないものの、不本意に課金関連の知識まで見てしまうほど細部まで見る場合がある。

 ここで雫が見た未来は、室町時代後期(戦国時代初期)の近江国における戦乱だ。

 

 

「六角家が幕府の連合軍に攻撃される」

 

 

「え?」

 

 

「あ、でも将軍が途中で……ん?また六角征伐?」

 

 

「雫……?」

 

 

 かつて勝長寿院で、頼重から未来視能力を受け継いだ矢先に混乱していた時の如く、雫は頭と目を回しながら独り言を呟いていた。

 これに戸惑って心配する時行の反応に触れ、雫は我に返った。

 

 

「何でもありません。兄様。少々取り乱しておりました」

 

 

「そ、そうか?良かった。千寿丸に凶兆でも見えたのかと」

 

 

(また兄様は……そんなに鎌倉で行ったという女装相引きが好みに刺さったって仰るなら、その格好(女装状態)で私と堺でも巡れば良いのに)

 

 

「……はい。千寿丸には全く関係ない話です。とはいえ、佐々木六角千寿丸は前に玄蕃君に行わせた私の策が効き、北朝で肩身が狭くなっている筈。兄様を騙し討ちせんとした咎は必ず清算させます」

 

 

 この一月近く後、近江国の守護が替わったというニュースがかつて佐々木六角軍を破った奥州兵の間で、少しだけ話題になった。

 勿論、それを聞き逃すような逃若党のメンバーではない。弧次郎がニンマリし、逃若党軍師の雫は確実に自信を取り戻していた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 季節が変わって端午の節句(五月五日)が近付くと、顕家軍では徐々に回復の兆しが現れた。先々月の般若坂合戦で敵将たちに狙われて本来の主力部隊の足を引っ張ったような四条軍ではなく、名和義高(長年の子)をはじめとする本物の使い手たちの助力を得る見込みが立ったのである。

 また、逃若党一行にも動きがあった。顕家の命令で、近く陣中にて行う祭りの準備を口実に、比較的敵から警戒されにくい楠木正行(まさつら)や新田徳寿丸のような若者たちと密かに堺湊へ赴く機会を得た。

 

 

「お、何だ何だ?掘り出し物か?海外の品みたいだが」

 

 

「ああ。これがあれば、天狗躯体……不完全だが再現できるかも」

 

 

(ケケ。やっぱ役に立ったな。夏の天狗衆に関する知識が)

 

 

 逃若党の忍びである風間玄蕃と夏の両名は今後、軍師の雫が手強い敵将・高師直を出し抜く上でキーマンとなり得る存在である。

 まして夏は元天狗衆で、偵察術や抜け道などの機密事項を洗いざらい把握している。そこへ思わぬ収穫である。師直の忍びたちのスピードの根源であり、素材が見当たらなかったため、コピーは難しいと思われていた天狗躯体の肝が今にも暴かれようとしている。

 

 

「へぇ、その動物の腱で出来た糸を紐状にした上で、肘だとか膝だとかに括り付けて、遠くに飛ばした紐の反動で移動……考えたな。これなら天狗衆と変わらない機動力が生み出せるかも知れねぇ」

 

 

「機動力だけだが……モノは試しだ。まず飛んでみる。建物が入り組んでいるこの街で使い物にならなければ、戦場で役に立たん」

 

 

 ほんの僅かな間で思い付いたアイデアを夏はその場で試した。

 もっと幼い頃から五年前の新田軍挙兵を後押ししたように天狗衆らしく荒事への抵抗が少ないのだ。思った通り、宙へと浮いた。

 すると今や味方である楠木党の首魁、正行(まさつら)がその顔を知っている北朝の商人に金を要求されている現場が見えた。すかさず夏はこの機会を利用する。狙いは舌打ちと共に投げられた正行の財布だ。

 

 

(出来た……間違いない!『天狗躯体』を動かす糸だ!)

 

 

「な、何や!?おい、楠木!儂の財布をどこへ投げた!?」

 

 

「……バカを言え。ちゃんとお前に向かって投げた。お前が勝手に無くしただけだ。それでも騒ぎたければどうぞ勝手に。近辺にいる北朝武士だけで拙者を討てると思うなら。百や千では不足だぞ」

 

 

「ひっ!?」

 

 

 いつか必ず失った父の遺産を取り戻す。軍神(父親)の首級が届けられた日以来、決意を固く胸に秘めていた正行の闘気は並でなかった。

 一方、夏は確保した正行の財布を本人に返すため、実験に成功した購買品を仕舞って走り出した。その背中を見送り、玄蕃は鼻を高くしていた。元敵の夏の登用に成功し、師直を出し抜くための策に有用な戦力を手に入れたのだ。無論、十分過ぎる反撃の糸口だ。

 

 

「雫、どうだ?夏の特性を利用した策、何か思い付いたか?」

 

 

「うん。これなら戦場で師直を十分に出し抜ける」

 

 

「なぁ、ここって海外の輸入品ばっかだろ?そこで相談なんだが」

 

 

「……ダメ。玄蕃君、無駄遣いするつもりでしょ」

 

 

(欲深い。途中どこかで悪いものでも摘んでた?……元からだった)

 

 

「いやいや、この堺って他所よりも高い品が揃ってるから、目ぼしいものを買おうとすると、あっという間に金欠になるんだよ」

 

 

 結局、玄蕃のスキルなら頼まずとも盗めてしまうだろうと呆れている事もあり、注意事項を言い含めた上で、雫は金銭を渡した。

 勿論、注意事項とは逆ナン注意である。魅摩の賭場の教訓だ。

 しかし、悲しくも玄蕃は自分から行く分には大丈夫だろうと歓楽地へ冷やかしに向かった途端、金の匂いを嗅ぎ当てられていた。

 

 

「なぁなぁ、旦那はん。ちょっとぐらいええやんか」

 

 

「ゆっくりしてお行きなよ。色々溜まってるんやろ?お面の裏」

 

 

(ひょえ〜堺の女に声掛けられてるだけでスゲェ気持ち良い〜)

 

 

「い、いやぁ。もう行くところありますんで、これにて失礼」

 

 

「ええ〜、いけずぅ〜」

 

 

 世の中にはワザと歓楽街に赴き、客引きを受けに行って自己肯定感を高めるという高度なのか低度なのかよく分からない行動をする者がいる。丁度、今現在の玄蕃もそうであった。どれ、適当な遊郭にでも忍び込み、情事の一つや二つ観察してやろうか。観光気分でそんな逃若党の面々には決して言えない欲望を膨らませていた。

 そんなところへまたも玄蕃に声を掛ける者がいた。このエリアで珍しく優男が客引きしているようだ。思わず玄蕃は振り返った。

 

 

(うげ、声は男なのに顔も格好もお姉さんだ!)

 

 

「あんた、あんた……その面どないしたんや?」

 

 

「いや、これは元からで……」

 

 

「ふーん。そぅ……なぁ、あんたさっき嘘吐いてたやんな?」

 

 

(ッ……潮時か?元締めに目を付けられたら流石にマズい)

 

 

「そう構えんといて。別に責めてる訳やあれへんのやで?ただな、ウチ無体な客引きあれへんか〜って、ここいら探るお役目請け負うててん……お茶とお菓子、奢るさかい教えてくれん?お兄さん」

 

 

(甘味……顕家の旦那のところで、坊の()()()()をまずまず食わせて貰ったが、堺にある菓子は興味あるな。顕家の旦那の自慢話にも()()()()していたところだ。唐渡りなら話の種になる。それに堺の茶屋なら遠客たちの間に思わぬ情報が転がってるかも知れねぇ)

 

 

 田舎育ちの玄蕃は知っていただろうか。このような繁華街における茶屋の本当の意味を。何はともあれ、合体しようとしなければ雫の言葉に反さないだろうと、色欲でなく甘味の誘惑に襲われた。

 艶っぽく玄蕃の肩に手を乗せ、優男は茶屋に向かって、変わった拍子に乗って押し歩く。不思議と心地よく、茶屋の席に着いた玄蕃は自分でも意外なほど喋り始めていた。居合わせた茶屋の客たちにも乗せられ、夢心地のまま狐面越しに茶と菓子を口にしていた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 その頃、時行たちは情報収集と買い物を粗方済ませ、帰ろうとしていたところへ、更に幼い同行者から待ったを掛けられていた。

 幼くも戦闘力に秀でた、新田義貞の次男坊こと徳寿丸である。

 

 

「おやみげ買ってこ。おやげみ!」

 

 

「おみやげね」

 

 

 まだ幼齢ながらバカ殿二世と知能の発達を新田家郎党の堀口貞満からも諦められている徳寿丸だが、力は強い。逃げ上手の時行の不意を突いて髪を引っ張り、土産を買おうとその手を引き始めた。

 明らかに徳寿丸だけでは堺の遣り手の商人にやり込められるに違いない。呆れ混じりな弧次郎の鶴の一声で、堺見物を延長する運びになった。ここで夏が口を開く。まだ玄蕃が帰って来ないのだ。

 

 

「おいおい、本当に大丈夫か?また魅摩の時みたいに」

 

 

「大丈夫。玄蕃君に釘は刺した。仮に色っぽい女の人から声を掛けられても絶対に付いて行くなって。これでもダメなら自業自得」

 

 

(((な、何かめっちゃ怒ってる)))

 

 

「ところで、祢津殿。魅摩とは京極判官(佐々木道誉)の息女の?」

 

 

「そうか。楠木様は京に居られたからご存知なのか」

 

 

「ああ。面識は全然だが……それにしても北条残党があわや破産の危機か

 

 

 楠木正行は印象深く覚えている。京で同族の少年(佐々木千寿丸)と遊び歩いていた少女(魅摩)が、父親(道誉)の指図で多くの人々を博打沼に嵌めていると知った時の衝撃を。昔はその少年(千寿丸)が清廉だと思っていただけに尚更だ。

 それはさて置き、雫は逃若党唯一の女忍者(くノ一)で、どうにも釈然としていないらしい夏の様子を見かねていた。多少共感できるのだ。

 

 

「夏ちゃん。心配なら見に行ってあげて」

 

 

「……良いのか?雫」

 

 

「うん。玄蕃君の事だから、自分ならいつでも逃げられるからって油断してると思うの。そんな慢心があったらどんな苦い経験や教訓も無意味。ちゃんと品や情報を集めてたら良いんだけどね……」

 

 

「分かった……多分、遊郭だな。玄蕃の居場所は。あそこは情報収集目的で、ある程度使える場所かもしれないが、本能に忠実な玄蕃なら意義を忘れて腰を振っているに違いない。連れ戻して来る」

 

 

「う、うん。よろしくね」

 

 

(高師直の組織に居たせいかな?意図せず凄い事言ってる……魅摩(京の)ちゃん(賭博場)の時だって、玄蕃君はその気になればいつでも逃げ出せた。今回もあって何処かで裸に剥かれて興奮してるだけで、大事には)

 

 

 しかし、実験して好感触を得たばかりの移動装置を使い、夏があちこち探しても玄蕃の姿は見えない。汚らしいと思いながら全ての遊郭の座敷を、誰にも気付かれない程度に素早く覗いて回ったにも関わらずである。異変はすぐに逃若党や正行(まさつら)たちに知らされた。

 只事ではあるまい。京の魅摩の時より酷い状況に追い込まれているのだろうか。されど、焦りと裏腹に玄蕃は見つからなかった。

 

 

「クソッ、あいつ何処行った!?マジで!聞き込みしまくっても、途中から足取りがサッパリ掴めねぇ!あの狐面を探してだぞ!」

 

 

「弧次郎、来る前に玄蕃から行きたいところを聞いてないか?」

 

 

「……考えられるとしたらもう堺の街を出ていて、別の場所の色町なんかで一夜を過ごすため、トンズラこいてる線ですかね。若」

 

 

「ええ!?」

 

 

「……そんなに欲求不満でしたら風間殿も言って頂ければ」

 

 

「「(シイナ)は何を言っているんだ!?」」

 

 

 何にせよ、玄蕃が堺の街の外へ出ていれば、時行たちから接触するのは不可能に近い。自発的に戻って来るのを待って、たっぷりと絞り上げるしかないだろう。裏切りの可能性は今更あり得まい。

 同行者の幼い徳寿丸も飽きて帰りたがっているようだ。しかも、あまり帰りが遅くなると泊まりになってしまう。運搬のために馬を沢山連れてきた。どれも一級の馬で、夜中に盗人の集団から狙われた場合、交代の見張りを置くだけでは限界があるかもしれない。

 ここは堺なのだ。盗人だって一級が揃っているに違いなかった。

 

 

(顕家卿への土産も買った。玄蕃ならちゃんと脱出できる。置き去りにして帰るみたいな形で腑に落ちないが……やむを得ないか)

 

 

「ねぇ、中先代殿。あの人たち、変じゃない?」

 

 

「え?」

 

 

 どこか眠気に襲われていた様子の徳寿丸が指を指す。その方向には数人の人足たちが揃って、「エッホエッホ」と独特の拍子で声を合わせて荷物を運んでいるが、至って世に()()()()()荷運びの風景だ。

 ここで声を上げたのは楠木正行(まさつら)だった。何かに気付いたらしい。

 

 

「彼らの動き、素人に非ず。節々から感じる身体の使い方が拙者の配下の一部と似ている。並大抵では分からぬ些細な部分ですが」

 

 

「兄様……私も言われて気が付きました。あの包みから微かに悪しき神力を感じます。恐らく呪符か何かで封じられているものが」

 

 

「!?」

 

 

「しかも、人足たちも僅かに悪しき神力に汚染されている。北朝の人間なら割と良く見ますが、あの具合なら淀川流域よりか琵琶湖に近い者と見るべきかと。他の者は騙せても、私は違う……兄様」

 

 

「ああ、跡を付けよう」

 

 

(甲賀衆……千寿丸が自分の家(六角佐々木家)に仕える甲賀忍者の礎を早期に作ろうとしていたのは分かっていた。だけど、既に堺湊にまで手を広げるほど組織力を仕上げていたなんて。見くびり過ぎてたみたい)

 

 

 まさか千寿丸本人ではないだろうが、六角家の息の掛かった者たちが堺湊に出入りしているのは間違いないだろう。さては甲賀衆だろうかと軍師の雫は当たりをつけた。人足らの跡を付け、堺湊の外へ出る。時機(タイミング)を見計らって距離を詰めると、彼らは常軌を逸した脱兎の勢いで散開した。追い切れないが、幸い荷物は置かれている。

 箱に火が付けられていたが、十分に鎮められる範囲内だった。

 さて、箱を開け出て来たのは案の定、風間玄蕃の裸体だ。利用価値を見込まれてか、殺されていなかったようだ。だが、玄蕃の姿を見た瞬間、雫が崩れ落ちた。どうやら事態はかなり深刻らしい。

 

 

「兄様……出来るだけ早く玄蕃君を熊野に送らないと手遅れに」

 

 

「熊野?それって」

 

 

「はい。悪しき神力から身体を癒すに最適な場所です。次の戦に間に合うかどうか、未だ何とも言えませんが、お腹いっぱい盛られたようですから、黒血川(前の兄様たち)よりも時間を要するのは間違いないかと」

 

 

「ッ」

 

 

 時行は身体を震わせる。あくまでも駐在員たち(堺湊に潜む甲賀衆)の現場判断による凶行だろうが、またも佐々木氏が身内に危害を加え掛けたのだ。

 ここで正行(まさつら)が口を開いた。どうやら顕家の差配で逃若党に付けられた案内人として彼らに尋ねるタイミングを窺っていたようだ。

 

 

「時行殿。先程からずっと意図を汲めぬが、妹御(巫女殿)は一体何を?」

 

 

「それは……雫」

 

 

「……すみません、楠木様。ともすれば敵の神格化と受け取れる内容なので、どうか身内話と思ってご放念ください。ただ、もし対抗策が楠木様に必要な事態に発展すれば、破魔矢をお贈りします」

 

 

「それと無いと思いますが、足利や佐々木の体液を飲まないようお気を付けて。もし貴方が穢されれば、お父上(楠木正成公)が浮かばれません」

 

 

「よ、よく分からぬが、諏訪の信仰は独特でござるなぁ」

 

 

(((えらい困惑されてる……)))

 

 

 こうして、堺湊における逃若党の非日常体験は予想だにしなかった最悪の形で幕を下ろした。熊野へ移送された玄蕃の不在があったせいか、端午の節句もどこか気乗りせぬまま終わってしまった。

 その翌日、顕家軍が堺浦を襲撃。当地の家々を焼き払い、ブタ(細川顕氏)の配下の田代隊と繰り返し合戦を広げながら、三日後には和泉国の日根郡にも攻撃を仕掛け、決戦前の最終準備に乗り出したという。




実は原作二巻に収録されている解説上手で六角への言及があったという小ネタ。勿論、氏頼よりずっと後の時代に関する話ですが。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。