崇永記 作:三寸法師
〜1〜
決戦の足音が急速に近付いている。建武五年──南朝の方では延元三年だったか──の五月を迎えて束の間の休息を終えた顕家軍が再び京を狙う動きを見せ始めたのだ。何でも堺湊が燃えたとか。
私の実家、京極佐々木家もニワカ守護大名らしく近江国各地に見苦しいほど軍勢催促を繰り返し、遠征準備に取り掛かっている。
ただ、今の私は率直に言って、とても
釈然としないまま、京の
「石山寺に
「知らないよ、兄上。普通に行っても門前払いされるから、私個人が持ってる伝手を使って潜り込んでみたけど、まるで気配が無かったんだよ。あいつが居たら、何とな〜く探せるっていうのにさ」
ここ何ヶ月も私は婚約者の
ただ、堪え性に欠ける三郎のことだ。飽きて別のところへ行ってしまったのかもしれない。もしくは繊細な気性が祟って修善寺の頼家公のような刺客の襲撃*1を警戒し、偽情報をばら撒いたのか。
いずれにせよ、目下の状況で本物の
「ははン。それで
「そゆこと。前に天王寺で勝ってたし、全然構わないでしょ?」
去る三月十六日、北畠顕家軍は前日の
しかし、ここ数日催促状送付のため多忙を極める
「魅摩、自分でも分かっているだろ?それが詭弁だってさ」
「チッ」
佐々木京極秀綱という武将は対外的にかなり我の強い性格の持ち主なのだが、気を許した私たち家族の前では大体こんな感じだ。
偶に途方もないほど調子に乗ってしまう悪癖こそあれ、今がとてもそんな場合ではないと次期京極家当主は知っているのだろう。
「はっきり言うぞ、魅摩。今度の戦、神の加護無くして勝利を望むべくもない。足利政権が喉元の
「換言すると前の合戦と同じ陣容では勝てないってか?」
「ああ。いつ各地から摂河泉一帯へ向けて、敵の援軍がやって来るかも分からない。他にも心配なのが越前国だ。
答えるまでもない問いだ。京は二年前の度重なる合戦以来の惨劇に見舞われ、今度こそ足利政権が瓦解する恐れは大いに強まる。
また足利方総出で西方へ逃げても、後醍醐の帝は決して顕家を奥州に帰そうとしないだろう。それどころか追討軍を差し向けるに違いない。足利軍を壇ノ浦に沈んだ平家の二の舞にさせるつもりで。
「言ったよね、兄上。今度の戦、神の加護無くして勝利を望むべくもないってさ……そんなに状況が悪いなら、全金属製じゃなくて本物の三郎に出馬を頼んだ方が良いんじゃないの?恥を忍んでさ」
「失踪した御方に頼れ……そう申されるつもりか?魅摩殿は」
「ッ!」
途端に雰囲気の変わった兄の姿に、私は身震いしそうになる。
言葉選びをしくじったか。京極秀綱の
しかし、
「はン。名ばかりの国司サマに凄まれてもねぇ」
「……魅摩。父上の意向は互いに分かっているだろう?近江国守護職は早晩
「……だから探させろって言ってんの。分かる?また全金属製の三郎を担いで出陣するつもりでしょ?兄上も父上も。だけど、そんな事したら天下分け目の合戦で京極家は赤っ恥だよ。冗談抜きで」
あの全金属製千寿丸とやらは明らかに失敗だった。嫡流を立てる庶流の本分を京極家は忘れていると近江国で顰蹙を買ったのだ。
勿論、これが他の国々であれば、実力主義の高まりで話が落ち着いたかもしれない。しかし、全金属製千寿丸は常軌を逸するにも程があった。まして近江国は佐々木氏が治める伝統ある国なのだ。
「魅摩、お前には明かしておく。全金属製の
「は?何よ、急に?意味が分からないんだけど?」
「俺だって戸惑ったさ。無論、父上も。だが、それが他氏族に近江国統治の権利を渡さぬ条件とあらば、仕方ないだろう?なぁ?」
「いやいやいや、
「父上曰く、何らかの実験的意図が
「……」
今の私の立場が、六角家当主の妻を実家の京極家が預かっているような状態にある以上、兄上の言葉は道理に適っているだろう。
ただ、先月の鮎河城再攻防戦のような小競り合いならまだしも、次の摂河泉での顕家軍と師直軍の戦いは天下分け目の決戦だ。相当の激戦が予想される。文書を含めた根回しを両家にしておかないと後で話が拗れるかもしれない。第一の懸念は
あれは討幕運動で
「チ。なら幾つか条件があるよ。まず──」
「申し上げます!近江国の佐々木荘で異変が!」
「「!?」」
京極家郎党の口から舞い込んだ急報で、兄妹揃って仰天する。
もしや尊氏様……ひいては源氏政権への揺るぎない忠義を持つ三郎の不在のため、動揺した
以前、黒血川で
「詳しく話せ、我が妹の魅摩殿にも聞こえるように」
「は。家人一名が割腹自殺したる由……
こうなる予感は薄々あった。自分の意思に固執しがちな
しかし、まさかここでと正直思った。私は目を瞑る。誰が死んだのか分からないが、これで
〜2〜
結局、この期に及んで
さしもの私も不信感を募らせる。幾ら武家最高峰の家格を有する
「父上。六角家の派兵は無しなんだって?」
「その通りだよ、魅摩。元より京極家が畿内に出陣するとなれば、伊勢国や大和国、越前国からの
「ふーん。ねぇ、父上……取り立てて問題にしたい訳じゃないんだけどさ、どうも
「……確か自害したのは
「はン。私がそんな不興買うようなヘマするかよ」
「魅摩、そういう油断が最も危ない」
「〜〜〜ッ!」
余りにも
今更何を言っているという呆れが私の心を支配する。今思えば、私と
「あのさ!高宮家自体は何のお咎めも無しでしょ?彼らは割と落ち着き払っている様子だったし、粛清された線はまず無いよ。大体、
「……魅摩。遺体の様子はどうだった?殴られた形跡は?」
「は?……殴打跡なんかある訳。とっくに骨だったんだからさ」
もしや腹黒策士の胸に何か引っ掛かるものがあるのだろうか。
政治に関して
「……これ以上の詮索は藪蛇のような気がするね。魅摩、今回の出兵は手筈通り、付いて来てくれるんだろう?六角家の了解は?」
「そりゃ得てるよ。当主本人じゃなくて代理のだけど」
「盛綱殿か……いや、お前が来てくれるなら、それで良いんだ」
「……ふーん?」
いよいよ決戦だ。まず五月十六日、ブタと呼び声高いらしい細川顕氏の軍が摂津国天王寺から石津神社方面へ向け南下し始めた。
本格的な開戦まで残り一週間もないだろう。高や武田ら足利方の精鋭たちが
「魅摩。今更言うまでもないと思うが、連合軍では京の住人たちと違って、
「はいはい。分かって……ッ!?」
居る、あいつが。この天王寺の軍営に。私は直感的に悟った。
途中、妙な連中にすれ違う。しかし、私はその悉くを無視した。
「師泰、犬の散歩の調子はどうだ?」
「上々ですぜ。ほら、犬。ワンワン言ってみろ」
「……ワ、ワンワン」
「そうか。今ブタが手元に居ないのが惜しいが……ん?あれは?」
「
「……?」
意図的に私を避けているとするなら、既に勘付いて移動し始めているかもしれない。だが、もう何ヶ月も
絶対に捕まえ、何を考えているのか問い詰めてやる。そう息巻いて走り続けている内に、知人とばったり会った。元北条党の吹雪改め高一族の新進気鋭の若手武将、師冬だ。折角のイケ面を隠しているのは義父となった
「あ、あんたたち……何してんのよ。こんな白昼堂々と」
「おや、魅摩殿。済みません、今取り込んでいるもので」
「はン。取り込み中だって?……ならさ、はっきり言ってやろうじゃないの。高
「辱める……何を言っているのか、分かりませんね」
「
神力の活用か萌黄に映える髪と桜を模した飾りで房を二つ作ってクルクル曲げ垂らし、顔には最近武将に流行りの頬当て……かなり奇天烈にせよ、如何にも婆娑羅の風采を体現した少女の格好だ。
外は淡い桃色、内は山葡萄の色が基軸の装束も見事で、妖しい雰囲気に憎たらしいほど調和していた。簡素な頬当てや隙間から垣間見える鎧、刀や扇もまた赤の差す黒漆で全体をよく引き締める。
大分肌が隠れ過ぎと思うも、戦闘用ならまずまず許容範囲内か。
しかし、他の者の目には幼くも身長が高めな女騎としか映らないかも知れずとも、私は別だ。決して誤魔化されるものか。幾ら若さと技巧を駆使しようと、神力を隠さなければ変装も意味が無い。
「ねぇ、師冬殿。こわい〜……その女さ、師冬殿の知り合い?」
「は……?」
「大丈夫ですよ、
可憐な少女……の振りをした
全く意味が分からなかった。イケ面に男を盗られたと仮定すると吐き気がしそうだ。それにしても何をふざけているのだろうか。
あんなに