崇永記   作:三寸法師

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第拾弍章 神代の始まり
▲1


〜1〜

 

 

 ブタだブタだと散々な言われようの細川顕氏であるが、これでも河内国や和泉国、讃岐国、土佐国といった四ヶ国の守護を歴任し、後に幕府で侍所頭人や引付頭人などの要職を任される事になる。

 つまり、何だかんだ言っても、顕氏(ブタ)は実力者なのだ。北畠顕家をはじめ超一級の敵主力武将に喫したような敗戦歴はご愛嬌として。

 

 

兵部少輔(細川顕氏)殿。武田殿らと連絡を取り、名和軍を撃破。敵将(義高)たちを討ち取り、南の主導権を奪還致した。いつでも北上出来まする」

 

 

「ご助力痛み入る。雅楽助(赤松貞範)殿。南朝(北畠顕家)軍は今、足利家執事(高武蔵守師直)の首に目が眩んで、北へ北へと前のめりになっておる。こうした折に我らが幾千騎もの軍勢で南から急襲すれば、形勢はたちまち逆転しよう」

 

 

「ふふ……二年前の京都の合戦(正月十六日京都合戦)を思い出しますなァ。これより我らが致す戦術は、丁度あの時の……前漢の文成侯(張良)に通ずる知恵者と称された卿律師(細川定禅)殿、つまり貴殿の弟君のものに通じる。ささ、兵部(細川)()()殿よ。今こそ師直(執事)殿よりの屈辱、軍功を以て晴らす時ですぞ」

 

 

「ブヒヒヒヒ……待っておれ!師直オォォォォ!」

 

 

 既に多くの味方が勝負を諦め、逃亡へ走る中、師直(高武蔵守)が麾下の精鋭部隊を率いて踏み止まって、顕家の本軍との戦を続けているという情報は、堺周辺で戦を続けていた顕氏(ブタ)の元にも入ってきている。

 こうした戦局で、顕氏(ブタ)が近くの赤松軍や武田軍を糾合し、颯爽と窮地の総大将(高師直)の元へ駆け付ければ、今まで公然と動物(ブタ)虐待を繰り返してきた師直(足利家執事)の面目は丸潰れに違いない。顕氏(ブタ)はほくそ笑んだ。

 一方、師直もまた、間も無く南朝(北畠顕家)軍の包囲網が完成し、死地に陥れられようかという頃合いで、師泰()と共に不敵な笑みである。

 

 

「ふむ……馬に加えて、顕家の身体も矢で爆発四散し、南部ら二十余騎が巻き添えになったか。土岐が矢を射てもこうはなるまい」

 

 

「あれだけの強弓……やりやがったな。六角のガキが」

 

 

 師直軍と顕家軍による本隊決戦は突如として終止符が打たれた。

 奥州兵に化け、猛然と顕家に近付いた前近江国守護の千寿丸が、貞宗由来の奥義を用い、半年以上も足利政権を悩ませ続けた現南朝最強武将を馬上から射抜いたのだ。急に頭目の顕家を欠き、南朝軍は総崩れを起こそうとしている。北朝(足利)軍の逆転勝利は目の前だ。

 どうやら南朝(北畠顕家)軍は突然の情勢変化に気持ちが追い付いていないようだった。総大将(亡き顕家)の後を追う死兵になっては対処が難しい。師直は天狗衆に命じ、奥州武士たちが先を争って逃げるよう仕向けた。

 味方が息を吹き返すのを肌で感じつつ、師直は(師泰)に問い掛けた。

 

 

「末恐ろしいか?ヤツ(千寿丸)の武力の到達点が……あの技から察するに」

 

 

「冗談じゃないぜ、兄者。()()は血気無双の勇者にしか出来ねぇ。まともに軍勢を率いる将がやるには博奕過ぎる。孤軍奮闘するしかない場合の最後の手段だな。だが、対策は簡単だ。だろ?兄者」

 

 

「無論。一族郎党という名の()()()()を保持させるだけで、簡単に封じられる技だ。あの技の元祖は小笠原貞宗だろうが、あの巨眼男でさえ、ここぞの決戦には用いないだろう。実行相手はまともに戦うには少々面倒な格下に限られる筈。要は……ヤツ(千寿丸)が六角軍を率いる限り、格上の我々があの技を警戒する必要はないという事だ」

 

 

 世に言う追物射の体勢から放たれた千寿丸の矢は、顕家の人馬を貫いた後、何と不覚にも、南朝軍と対峙していた師直の元へ飛来していた。しかし、師直は顔色一つ変えなかった。現在、筋骨隆々な師直の手は掴んでいる。顕家たちの死因となった矢そのものを。

 ここで師直はジッと矢を見つめた。思い出されるのは、比叡山を炎で包み込もうと意気込みながら、戦死した末弟・師久(高豊前権守)の姿だ。

 

 

『ああ、当たらん!この小さき的め!家屋なら破壊出来るのに!』

 

 

『師久、お前の剛弓は世にも稀。並の威力の矢で的に当てられる者は他に山ほど居る。お前はまず限界まで矢の威力を高め続けろ』

 

 

『承知した!兄者!』

 

 

(……所詮、千寿丸の矢は師久に及ばぬ。俺に防げぬ筈がない)

 

 

「それに千寿丸は既に師冬が飼い慣らしている。それこそ()()を咥える程、ヤツは師冬に従順だ。今後、千寿丸を我が懐刀にする道は充分に考えられる。取り敢えず、役職(近江国守護職)は予定通り返してやるか」

 

 

「名案だ、兄者。前々から思っていた。京極の武力は期待外れだ。親子ほど歳の離れてる千寿丸の方が余程見どころがあるんじゃねぇかってな。やはり守護は豪族共を抑えられる強さあってこそよ」

 

 

(顕家(公家のガキ)の断末魔を聞いてみたかったのは確かだが、今日の瞬殺は胸が空いた。ただ、心配なのは千寿丸(六角のガキ)と師冬の仲だな。今は師冬に俺の娘をくれてやろうという時だ。尊氏様でもあるめぇし……あまり目に余るようなら、師冬を関東に下向させるよう兄者に言うか)

 

 

「で、兄者。戦記(戦の記録)はどうすんだ?まさか六角のガキが急に戦場に現れたなんて書ける訳ねぇだろ?一応、本国(近江国)(南朝勢)の動きを警戒するようにって(命令)だったからな。弟殿がキャンキャンうるさくなるぜ」

 

 

「何、俺に考えがある」

 

 

 勿論、六角家当主の千寿丸が前線に居たとなっては、堅物の直義がどう言い出したものか、師直たちから見て知れたものではなく、表向き別の武士たちの手柄として記録する運びになるだろう。古典『太平記』には越生四郎(武蔵国の武士)武藤政清(丹後国の住人)といった師直の配下たちが顕家戦死の勲功で、御教書を授与されたと記されている。加えて──

 

 

「丁度、顕家は馬で後ろからの矢を防ごうと反転して、我ら兄弟に背中を見せた。つまり、顕家は吉野に身体を向けて死んだのだ」

 

 

「クク……兄者。顕家(公家のガキ)は堪らず吉野の方に向かって逃げようとしたところ、高軍(俺たち)の雑兵共に討ち取られたって記録させる気だな?」

 

 

「その通りだ。出しゃばり貴族の顕家は冥土で戦記を知り、憤慨するだろう。記述を簡素にしてやれば、尚良しだ。加えて昨年の新田(金ヶ)義顕(崎城)戦死(落城)以来、南朝の勢いは衰え切った……こう残せば、顕家の活躍は消えゆく蝋燭の灯火、残り滓の無駄な抵抗という事になる」

 

 

「そいつは良い。金ヶ崎城を陥した(高師泰)の武名も益々高まるぜ」

 

 

 明らかに男山の攻防戦の方に記述の重点を置いている『太平記』どころか、『梅松論』に至っては、顕家の再度の上洛志向で起きた混乱を無視し、前年の金ヶ崎城(義顕敗死)を天下静謐の区切りとしている。

 ここで、この戦で負傷した師泰は顎に手を置いた。敵の援軍の弧次郎とその相方(バディ)女武者(シイナ)のアシストを活かした、徳寿丸(義顕の弟)による傷は治療済みとはいえ、師泰にとって屈辱的なものに違いなかった。

 

 

天くだる あら人神の しるしあれば 世に高き名は あらはれにけり

 

 

「ん?どうした、兄者?神に感謝する歌とは珍しいな」

 

 

 弟の師泰が溢した通り、足利家執事の師直は合理主義を自称し、尊氏以外の神を認めない立場であった。故に、心から神に感謝するような歌を詠むとは、おおよそ師直らしからぬ言動であるのだ。

 それ程、南朝(北畠顕家)軍の強さは師直の行動の根幹を揺さぶる程に烈しいものだったのか。しかし、師直に動ずる気配は見られなかった。

 

 

「題詠のようなものだ。ご高尚にも妻一筋の直義(弟殿)とて、歌会で恋について詠むとなれば、渋川娘以外の女への有りもしない恋心を歌うだろう?それと同じ話だ。まぁ、尊氏様が竹下であれよあれよと強弓を千寿丸に押し付けた事が、先程の射撃に繋がったと考えれば、確かに神のお陰と申せようが……何はともあれ、今後の仕置きに向けて準備する必要がある。予めこの歌を住吉大社に納めるのよ」

 

 

「成る程、京極対策か。確かに敵船の炎上を自分たちの軍功と言い張って、近江国守護職の据え置きか、近江国以外の守護職斡旋を訴えて来たら厄介だ。だが、予め住吉大社の神のお陰だとすれば」

 

 

「ああ。問題なく武力で上回る六角家に職を戻せる。道誉殿の息女(神力を持つ娘)の所属が婚約相手の六角家のままなのか、それとも白紙に戻って京極家なのか、不透明だ。ゴネられる可能性は潰しておくに限る」

 

 

(京極道誉は婆娑羅大名。直義と相容れぬヤツが、婆娑羅を続けるためには、俺の派閥に所属するしかない。全金属製千寿丸の実験協力への礼はいずれ適当に済ませる。だが、このまま近江国守護を任せ続ける訳にも参らぬ以上はな。いや、他にも良い手があった)

 

 

 戦場の様子を見渡す。(南朝)軍は結城宗広(シリアルキラー)の指揮で着実に南方への退却を始めつつある。対して現在の師直が使える手勢は揃って精鋭なのだが、如何せん数が不足している。下手な追撃戦は思わぬ反攻を喰らい、ここまでの粘り強い戦いが全て無駄になる恐れがある。

 そこで、師直は考えた。まだ京極(佐々木道誉)軍は殆ど無傷ではないのかと。

 

 

「試みに吉野への追撃でも道誉(腹黒坊主)に命じてみるか。絶対に無理だが」

 

 

「……?兄者、無茶な軍令の不首尾を守護職剥奪の口実に?」

 

 

「そうだ。丁度、京極家から守護職を表立って剥ぎ取る口実が欲しかったところだ。ついでに、腹黒坊主(佐々木道誉)がどう戦うか見てやろう」

 

 

 実際、この戦が終わると京極軍に吉野攻撃命令が下るが、人員が充分に集まらなかったとして結局軍令は遂行されずに終わった。

 単純に佐々木氏庶流(京極家当主)の道誉に万人を従える人望が無かったのか、本人にやる気が無かったのか。いずれにせよ師直の思うように事が運ぶことになる。とはいえ、戦に予想外の事態は付き物である。

 

 

「報告!細川様が堺浦にて武田・赤松の両軍と呼応し、小早川軍の大将戦死にも一切慌てる事なく、同地の敵軍を名和義高並び義重以下壊滅させたる由!そのまま石津より潰走する敵軍に攻撃を!」

 

 

「……ブタ(細川顕氏)め。まだ生きていたか。良いだろう。ブタ(細川顕氏)たちには吉野まで追えとは言わんが、南西へ逃げる敵兵の数を減らさせよう」

 

 

(千寿丸の一騎駆け(将射共射馬)が無かったとしても、南で味方を集め直して敵の背後を襲うブタ(細川顕氏)の機転で勝てていたな、この戦……折角、我が派閥に入れたのだ。俺と並ぶ功労者にしてやって、一つ恩を売るか)

 

 

 タイミングが良いやら悪いやら、細川顕氏たちの行動に関する知らせが師直の元へと舞い込んだ。師直(完璧執事)の頭脳はよくキレる。早速彼らに与える方針を示し、麾下の天狗衆に追加命令を伝えさせた。

 このように、石津の戦いとも、阿倍野の戦いとも、呼ばれる事になる南北朝の一大決戦は、南朝軍総大将・北畠顕家が死に、足利家執事の高師直率いる北朝軍の圧勝で、幕を下ろそうとしている。

 総大将(北畠顕家)()()()()という形で失い、南朝軍は主に二方向へ逃れたとされている。一つは現在、南から細川顕氏軍に捕捉されている軍勢である。彼らは一旦、和泉国の箕形城などへ逃れたとされる。

 そして、驚くべき事に、もう一つの残党軍は何と北方に向かったという。麓に多くの敵を抱える、男山(石清水八幡宮)春日顕国勢(北畠軍別働隊)との合流を勇敢にも目指したのだ。実際、『中院一品記』などの史料がこの動きを裏付けている。さて、ここで思い出してみよう。一騎駆けの千寿丸が目にも止まらぬ速さで(顕家)を射て、その後どこへ行ったのか。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 少し時を遡る。後方より顕家軍の兵士たちの痛烈な悲鳴が聞こえた事もあって、千寿丸は確かな手応えと共に馬を走らせ続けた。

 得意の馬術に加え、伊達兵から奪って背中に括り付けている旗を神力操作の風によって、母衣の要領で敵の矢を防ぐ防御装置とし、若い主君(北畠顕家)の仇討ちをせんとする奥州武士たち魔の手から逃れる。

 顕家軍の範囲から出て暫くすると、千寿丸は周りに兵の影が無いと悟り、やっと馬の速度を緩めた。限界を超えた速度で、流石の良馬も間も無く潰れてしまうだろう。千寿丸は馬の立て髪を労わるように撫でて、指で口笛を鳴らした。程なくして、配下の忍びが替え馬と預かり中の武器を持って現れた。千寿丸の表情が弛緩する。

 

 

「苦労。師直殿は確かに我が動きを見ていた。あるぞ、軍功」

 

 

「お疲れ様でございます、殿。よくぞ……顕家めをお討ちに」

 

 

「ああ。これで佐々木荘に帰って皆に良き報告ができる。母上は尚も煩く言うかもしれないが、些細な話だ。二年前の正月、顕家軍の前に我が郎党が何千人も討たれた。その仇を討てたのだ。嬉しくて仕方ない。何と爽快である事か。守護職も早晩我が手に戻ろう」

 

 

「は。殿……この後は?如何なさいましょう?」

 

 

「この通りの衣装だからな……取り敢えず、身なりを整える。勢いを取り戻した味方の兵に、本当に奥州兵と見間違えられて襲撃されては元も子もあるまい。いよっと。土埃を払って、水で洗い流す」

 

 

 替え馬の前で、千寿丸は奥州軍の間に割り込むために汚した身なりを改めるため、上着を替えた上、更に神力を用いたシャワーを手から放出して頭から被る事で、綺麗さっぱり外見を整え直した。

 生憎、千寿丸はこうする間にも危険が迫っているとは露程も思っていなかった。気付いたのは、配下の忍びと談笑しながら京に帰ろうと馬を歩かせていた時だった。急に身体がゾッと震えたのだ。

 

 

「在りし日の三十三間堂で、顕家は自らの抜群の弓矢の腕を以て京中の武士たちの面目を潰した。俺はその顕家を射殺した。六角が北畠を射抜いたのだ……うん、良い。実に良い!そうではないか?」

 

 

「はッ。しかし、射殺後、名乗りを上げなくて本当に宜しゅうございましたので?確か今朝方、戦いが始まる前にそのような話を」

 

 

「実際問題、当初の想定と違う形で討った訳だからなァ……ん?」

 

 

 強烈な違和感が千寿丸の身体を走る。悪寒だ。隣を歩く忍びは気付いていないらしい。不審に思い、千寿丸は後ろを振り返った。

 そこに居たのは……と言うより、凄まじい速度で何かが千寿丸の元へ迫っていた。両目を光らせ、口から瘴気を溢す巫女の姿だ。

 

 

「げっ!?ド変態執事……いや、御左口神か!?」

 

 

「ッ!?と、殿!?一体何が!?」

 

 

「お前は気付かんで良い!その方が安全だ!俺は先に京へ帰る!」

 

 

「えっ?ええ!?」

 

 

(クソっ!浮遊して追尾とか、マジで祟り神だな!御左口神め!)

 

 

 狼狽する忍びを他所に、千寿丸は再び馬を全力で走らせ始める。

 今日の戦で使った長物の武器を馬の鞍の後ろに固定し、今もまだ背中に引っ掛けて持ち歩いている強弓を取り出し、息を吐いた。

 ここで千寿丸は自らの焦燥感を抑えに掛かる。動揺は神力操作において宜しく無いという話を思い出したのだ。あくまでも冷静さを保ちつつ、千寿丸は一対一での神祓いに挑む心積もりを整えた。

 

 

(そう、あれは悪魔だ。南蛮の宣教師が日本の神々を悪魔と書き残した話を思い出すんだ。所詮、日本の神々と言っても、蘇我氏と物部氏の抗争史、また当世頻りに耳にする本地垂迹説が示すように、仏教に侵食される程度の信仰に過ぎない。あの雫、否!御左口神はド田舎の土着神の癖して、尊氏様の天下を否定するような(おぞ)ましい存在だ。大丈夫、俺は魅摩に神力量で勝るらしい。故に祓える!)

 

 

「御左口神よ、ド田舎ド変態悪魔の貴様は知っているか!?かの源八幡太郎義家公の逸話を!義家公は弓の弦を三度鳴らして、病魔を祓った!この千寿丸が今、逸話を再現しよう!覚悟しろ、悪魔!」

 

 

「何てバチ当たり。これだから現代っ子は」

 

 

「……?」

 

 

「佐々木六角千寿丸。三年前、魅摩ちゃんや兄様たちと一緒に一日だけ京を廻ったでしょ?三十三間堂はじめ、あちこちへ。その時、少し見ちゃったの。その神力から、貴方が隠し持ってる記憶を」

 

 

(!?……こいつ、まさか)

 

 

「今考えてみれば、諏訪明神が千寿丸の存在を感知できなかったのも納得。あまりに強過ぎる貴方の未来視は元を辿れば、諏訪明神の力に通じるもの。貴方の持っている力の本質は……何て言うだけ無駄かな。皆に話が広まったら、諏訪の信仰が台無しになっちゃう。それにもう貴方に言っても、何の意味も無いから。だって──」

 

 

 既に佐々木六角千寿丸の肉体は死地にあるから。その言葉が千寿丸の耳元で繰り返し響いた瞬間、前方の平原で異変が起こった。

 突然、幾つもの軍旗が上がる。大中黒、左三つ巴、そして三つ鱗という開戦当初は南朝(北畠顕家)軍の東側に布陣していた軍勢だ。彼らが伏せて待ち構え、雫が神の気配で千寿丸を威圧し、追い立てたのだ。

 

 

「伏兵……新田に宇都宮、北条もか。よくも俺のために」

 

 

「それは自意識過剰。貴方の神力で大和川が無くなって、私はすぐ顕家卿に献策した。奥州軍の無敵の騎馬隊で正面衝突を仕掛けて敵を蹴散らす。その上で、天王寺へ早急に先回りさせた部隊と挟み撃ちにすれば、完勝できるって。生憎、貴方の武力と幸運のせいで台無しになっちゃったけど、元天狗(夏ちゃん)の伝達速度で何とか挽回できた。六角、兄様のお邪魔虫な貴方の今生はここでお終い。残りは未来で楽しんで来てね。尊氏の居る今の時代よりずっと楽しい筈だよ」

 

 

「尊氏様を愚弄する気か!悪魔ァ!」

 

 

(ダメだ、この子。完全に精神を尊氏にやられてる。でも、逃走開始の時間を遅らせてでも、千寿丸を狙って正解だった。元服したら衰える筈だけど、あと何ヶ月も放置すれば、どんな災難を兄様に齎すか分からない。下手すると隕石が兄様の頭上に降ってくるかも)

 

 

「殺して。矢でも刀でも何でも良い。早く千寿丸を殺さなきゃ」

 

 

──おお!蝶が蜘蛛の糸に絡まっている!かくなる上は軍勢を率いて助けねば!蝶よ!早く鱗粉を寄越せ!我に素晴らしい快楽を!

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