崇永記   作:三寸法師

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◆5

〜1〜

 

 

 建武五年五月二十二日の顕家敗死から早くも数日が経ち、京は安堵に包まれた。行軍中の略奪行為(通過後は草木も残らず)というところで、身から出た錆という面も多少あるとはいえ、奥州(北畠顕家)軍は恐れられていた。まだ男山に春日軍がいても、戦禍のリスクが遠のいた事には違いないのだ。

 南朝公家たちは今頃、北畠親房*1はじめ悲嘆に暮れていようが、京の民心はどうか。足利政権があるのみでない。武家との協調という在り方を知る光厳上皇の治世が、人気を博しているのだ。尊氏様に呑み込まれた御左口神はこの様子を見て、まだ「祭りの世」とやらに拘っただろうか。もしそうだとすれば、あの巫女もどきはいよいよ地方の土着神による余計な軍政介入を図っていた事になる。

 

 

「こうして共に馬を並べ、京の街を歩むのはいつ振りだったか」

 

 

「はて……父上、皆が勝利にホッとしています。加えて、執事家(高一族)の武名に感服しているようです。ついでに豚カ……顕氏(細川兵部少輔)殿にも」

 

 

「千寿丸。本当に己の武功を天下に認知されずに良かったのか?」

 

 

「……はい。奥州(北畠顕家)軍は京の人々の恐れの対象でした。今後、顕家を討ち取った者が自ずと恐れられましょう。その役回りは高一族で十分です。あくまで六角氏(近江国守護家)は京の人々に寄り添う立場でなければ」

 

 

 異文化への偏見が含まれているにせよ、京の民が奥州武士を拒絶する心は丁度、大陸の漢代において中原の人々が西涼兵たちに持っていた感情と似たようなものかもしれない。要するに、北畠顕家という若き公家将軍は、そうした軍の元締めであるという意味合いで董卓の同類なのだ。これではまともな統治は無理だっただろう。

 統治において人心掌握は必要不可欠だが、顕家が天下を取ったところで、奥州武士を故郷に帰さない限り、京の人々は決して心を開かなかった筈だ。こんな調子では、北畠顕家のネームバリューは()将軍(義仲)と比較にならないほど終わっていた。いや、その前に粛清されていたに違いない。()()は上がり目になった途端、盆暗になる。

 たとえ顕家に抜群の能力があるにせよ、後醍醐の帝に学習能力を期待しては酷というものだ。懲りずに二度も隠岐を脱出し、鎌倉幕府滅亡という大業を成した男だ。それに、君主の性質抜きにあれ(北畠顕家)程の力ある能臣は大概悲惨な末路と相場が決まっている。たとえ本人に深い忠誠心があるつもりでも、否応無しに君主を脅かす臣下と見做され、粛清されがちなのだ。歴史を鑑みれば、明らかである。

 

 

「高一族……建武以前はかくも躍進すると思わなんだ」

 

 

「ああ。そう言えば、新政の雑訴決断所で父上と師泰殿が一時同僚でしたか。高一族は執事家というだけあって、元々文官適性が高い筈ですが、師泰殿は明らかに武官向き。苦労もあったでしょう」

 

 

「今は知らぬが、当時の高一族の持てる政務能力は如何せん地方勢力の域を出なかったからな。京の、それも混乱期のものとなれば彼らも不慣れ。この身が持てる知見はできる限り伝えたつもりだ」

 

 

「……左様で」

 

 

 不覚にも師泰が羨ましいと思ってしまった。俺は実父(先代)の時信から政務を教えて貰った覚えがない。大半が傅役からの知識である。

 引き継ぎ自体、建武政権で時信が急にやる気を失い出家するというので、武力伸び盛りで一族郎党の人気を勝ち取り、足利氏とも親密な嫡男の俺に、あれよあれよという間に御鉢が回されたのだ。

 幸いにして原型は整っていたので、当主の能力次第でクオリティが乱高下しないよう、郡奉行制などの統治システムを仕上げた。

 今やこれらが佐々木氏嫡流の血筋に次ぐ、近江国守護家としての六角家のブランドの根拠だ。京極家(一族庶流)などより余程相応しいと確かに証明した。だからこそ余計に、今年の守護職を一時剥奪される結果に納得いかず、道誉にも魅摩にも悔しさで憎悪を燃やしたのだ。

 

 

「ただ、父上。一つ訂正をば」

 

 

「ん?何だ?」

 

 

「一応、今も建武年間です。持明院統の方々は御不満でしょうが、尊氏様の御意向で……勿論、今年には年号も変わりましょうが」

 

 

 浮世を離れて年月が経っているせいか、時信は目を丸くした。

 そもそも持明院統の時代が復活しているにも関わらず、対立する大覚寺統の定めた年号「建武」が、北朝で使用されている事自体、客観的に見れば頓珍漢な話なのだ。殆どの北朝関係者は首を傾げながら文書発給の際、「建武五年」と添えている。例外は尊氏様か。

 一応、尊氏様は今もまだ表向き後醍醐帝(大覚寺統)との講和をお望みという姿勢を示している。南朝(大覚寺統)の溜飲を下げるというニュアンスがあるのだろうか。南朝の方では既に改元されて久しく、完全に意味がないような気がするが、尊氏様とは実にミステリアスな御方である。

 ただし、それも今年までの話に過ぎない。前世の参考書の()()()から思い出すに、確か新しい年号は「延元」だったように思う。

 

 

建武も今年で終わりか……千寿丸、やはりお前に代を譲って正解だった」

 

 

「?……父上。ずばり、その心は?」

 

 

「もう訳が分からぬ。到底、この時代遅れの愚僧が乗り切れるような荒波ではない。お前のような若い感性なくば、溺れてしまう」

 

 

 正直、上杉憲顕(元庇番二番組副頭)と同世代の佐々木六角時信はまだまだ老け込むような歳でもないのだが、今や南朝武将の宇都宮公綱(坂東一の弓取り)の例もある。

 出家してより隠居を決め込み、時信はもう老人気分なのだろう。

 その割にはこの間の戦で現役さながらの武力であったのだが。

 

 

「私とて全て分かっている訳ではありませぬ。現に北畠軍の動きを読み違え、二度も父上にお助け頂く結果に。まこと不甲斐なく」

 

 

「戦は水もの。お前の慕ってやまない尊氏公と言えど、二年前の戦で危うくなって、伯父の兵庫頭(上杉憲房)殿に助けられたというではないか。ただ、言われずとも分かっていると思うが、いつまでも父がいざという時、助けてやれる訳ではない。戦で無茶をやるにせよ、郎党の助けが間に合う程度に留めねば。父が言えた話ではあらぬがな」

 

 

「……」

 

 

 尊氏様だけでなく、時信にも郎党の働きによって命を長らえた経験がある。鎌倉時代末期の護良親王(大塔宮)麾下の山法師たちとの戦で危ないところだったのだ。山法師たちは強い。たとえ護良親王(大塔宮)(比叡山)を離れた後でも、二年前は宇都宮公綱(坂東一の弓取り)の籠る要害を瞬く間に陥した。

 いずれ俺も山法師と戦う日が来るかもしれない。否、いずれどころの話ではない。最近、どうも彼らがいつにも増し、きな臭くて仕方がない。二年前に大覚寺統に幾度も便宜を図った過去を寛大にも尊氏様が水に流し、お咎め無しで利権を認められたにも関わらず、恩知らずにも北陸(新田軍)男山(春日軍)の南朝勢力と手を組んで、北朝の地盤を根本から崩すのではないか。そんな風聞が巷で聞こえ始めている。

 

 

「父上。本当に良いのですね?当主の座を取り戻そうと欲しておられるなら、今を置いてもう機会は金輪際ありませんよ。一族郎党、もしくは外部にそう声を掛ける者も居たのではありませんか?」

 

 

「千寿丸。頷こうものなら、その不埒者共々父を殺す気か?」

 

 

「まさか。少し遠いところへ行って頂くだけです」

 

 

「……その心意気が保てるなら、この先も生き抜ける。あの腹黒(京極)()()も今年の失敗で懲り、当面の間はお前を支えよう。お前と息女の仲のために。お前は家中の掌握に努め続けよ。見せしめのための犠牲はあったと聞くが、不在の間も(南朝)に寝返る者を出さなかった点は大名として賞賛に値する。尊氏公の覚えもさぞ目出度かろうな」

 

 

「はい!年内には烏帽子親になって頂けるかと!」

 

 

 箱根竹下合戦の直前、尊氏様から掛けられた言葉は今なお鮮明に覚えている。天下の乱は間も無くひと段落するだろう。持明院統による征夷大将軍就任の条件の内、一つは顕家戦死で満たされた。

 もう一つは新田義貞の首だ。聞けば、我が母の従兄妹に当たる越前国守護の足利(斯波)高経(尾張守)は今春半ばに敗北を喫したものの、依然北陸に義貞たちを釘付けにし続け、何とこの間は三戦三勝したらしい。

 この時、俺は夢にも思っていなかった。摂河泉で北畠顕家が敗死したこの期に及んで、新田軍の脅威が現実味を増し、足利政権が焦らざるを得ない状況に陥るという事を。ただ、尊氏様による加冠という期待に胸を躍らせ、実の父親(六角時信)に呆れられるばかりであった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 世の中、香りというものは大事である。西国武将なら戦に赴く時は兜などの品に香り付けしておくものだし、ちゃんとした屋敷であれば良い香木の香りがするものである。勿論、身体にも付ける。

 婚約者の魅摩は婆娑羅の仕掛け人(京極佐渡判官道誉)の娘というだけあって言うまでもないだろうが、六角家当主の俺も香りに相当気を使う。ただし、困った点が一つ。夏場になると虫が釣られてきそうになるのだ。

 神力の粒を使うのも煩わしい。携行鉄扇の一撃で()()()落とす。

 

 

「ッ!」

 

 

「ブヒヒヒヒ。これはこれは、六角殿」

 

 

「……おお!豚カ、ゴホン。顕氏(細川兵部少輔)殿。これまた偶然」

 

 

 先の石津の戦いで豚カツ(細川顕氏)はすっかり評判を回復した。堺浦近辺から赤松軍や武田軍と連携しての巻き返しで名和軍を撃破し、更なる追撃で逃げる敵兵を数多く討滅したのだ。もはや回復どころの話ではなく、執事(師直)と同等の働きをしたとまで言われる始末であった。

 お陰で三ヶ国守護の面目が立ち、本人はかなりの上機嫌らしい。

 いつの間にやら、率先して豚の鳴き真似をしている有り様だ。

 

 

「六角殿。幾ら御主が国師(夢窓疎石)殿の同族とはいえ、この豚カツが居るからには、敷地内で虫一匹殺させん。こう、紙で取って離さねば」

 

 

「豚カツ……ああ。先の戦では見事な働きをしたとか」

 

 

「ブヒヒヒ。今や完全なる豚カツぞ。細川の足利一門らしい強さを天下に示せたわ。もう二度と弱将と謗らせん。敵にも味方にも」

 

 

 たかが虫を殺すための攻撃一つ防いだ程度で、豚カツ(細川顕氏)はドヤ顔を浮かべている。少しだけ腹立たしくなってきたので、ちゃんと威力を込めて叩けば良かったと取るに足らない後悔の念に駆られた。

 とはいえ、今の二人の目的は同じらしい。国師こと夢窓疎石の双林寺を訪れているのだ。佐々木惣領という立場上、俺はいつでも大した理由なく、夢窓疎石(佐々木氏出身の高僧)の元を訪問できるが、豚カツ(細川顕氏)はどうか。

 こうしたところで、俺は豚カツ(細川顕氏)のある意外な側面を思い出した。

 

 

「確か、足利御兄弟に夢窓を紹介したのが顕氏(細川兵部少輔)殿であったと」

 

 

「そう。昔、打倒北条の旗揚げ準備で四国に帰る折、甲斐国で国師(夢窓疎石)殿に威徳を仰いでな。その縁で御兄弟に紹介させて頂いたのよ」

 

 

「成る程……それで今日も」

 

 

「ブヒヒ。六角殿の考えている事、この豚カツが当てて見せよう」

 

 

 勝利の余韻がまだ抜けないらしく、豚カツと自称して止まない。

 ただ、その推測は当たっていた。俺は素知らぬ顔をして見せる。

 

 

「直義様との密会であろう?この豚カツと同じく」

 

 

「何を言われているのやら。師直殿はもう良いのですか?」

 

 

「ブヒヒヒ。この間の勝利で師直に従う理由は無くなった。前々から思っていたのよ。足利一族でもなければ、源氏でもないヤツが偉そうにするのは違うとな。佐々木惣領の六角殿も同じだろう?」

 

 

 軍事面における師直の配慮も虚しく、下手に足利家執事と同等の働きをしたと人々に思われたのが裏目に出たらしい。豚カツ(細川顕氏)は完全に気が大きくなり、公然と動物(ブタ)虐待された恨みを標榜している。

 正直、春の天王寺の敗戦があっても地位を剥奪されなかっただけマシではないかと思ったが、俺は表向きの立場を示して見せた。

 

 

「……私は近江国の領有権さえ認めて頂ければ別に。下手に京の内部抗争に関わって先祖伝来の権を失えば、立つ瀬がありません」

 

 

「ならば尚のこと、直義様に与されよ、六角殿。実力主義とは名ばかりの身勝手な高師直と違い、直義様は伝統を重んじる御方故」

 

 

「はァ。無駄話するくらいなら、先行きますよ?」

 

 

 足利家執事の師直が再び春日軍討伐のため、男山方面へ意識を向けている今、この双林寺には先客が居る。他ならぬ直義である。

 今日は後顧のため、直義と豚カツ(細川顕氏)が密かに顔を合わせ、その隣室に俺が偶然を装って居合わせるという筋書きである。四半刻もしない内に場は整った。俺と直義が襖を挟んで背を向け合う格好だ。

 

 

兵部少輔(細川顕氏)。二十二日の戦では苦労だった。我が母上もその軍功を誉めておられた。この後、半月ほど身体を休めて貰うつもりだ」

 

 

「有り難く。休養が終わり次第、男山攻めに?」

 

 

「そうだ。伊豆守(上杉重能)共々、くれぐれも師直に軍功を独占させるな」

 

 

 驍将の桃井直常が執事(師直)肝煎りの人事のために京を離れざるを得なくなった手前、直義派武将では今し方本人の言った二名が武力の代表格だ。単純な武力に限れば、高兄弟に比べて正直やや寂しい。

 ただ、表向き中立の俺が加われば、話は変わるだろう。少なくとも直義たちはそう考えているようだ。実際のところ、俺は尊氏様の直属であるべきなので、当てにされるのは心外だが、今は超然主義にも似た中立の立場を貫き、双方に良い顔をしておくのが吉だ。

 

 

「新田軍の脅威もある。もし長引くようであれば、新たに私に近い武将を派遣するつもりだ。兵部少輔(細川顕氏)、先ほど会ったようだな?」

 

 

「ブヒ。どうも認める兆しがありませんでしたが」

 

 

「今はそれで良い。非源氏の高一族に臥薪嘗胆の志で近付いてくれている。だが、十年後にはきっと堂々と力になってくれる筈だ」

 

 

「……?」

 

 

 ここで俺は訝しんだ。さては本来の立場を取り戻した俺が、直義派としての話を忘れる事がないよう、弟殿(直義)豚カツ(細川顕氏)との密会現場近くに呼び出して話を聞かせ、釘を刺そうという魂胆ではないか。

 襖の裏の様子に注意を払う。直義も師直もどうせ十五年もすれば観応の擾乱で死んでいる。決してバツの悪い思いをする必要はないだろう。二人が居る限り、俺は尊氏様の第一の臣下と口が裂けても名乗れない。そう気を強く持つ間に、豚カツ(細川顕氏)は退室して行った。

 

 

「話は聞いたな?千寿丸。軍功で師直と並んだ兵部少輔(細川顕氏)は私の派閥に属した。これに武才で他の追随を許さぬ君も居れば、師直派閥に劣るまい。師直は恐らく尾張足利家(斯波高経ら)を離反させるつもりだろうが、文官の大江(長井)家と共に君が居るとなれば、そう心配ないだろう」

 

 

「……私も高経殿も母は大江(長井)家出身者。文官の有力者たちは婆娑羅重視の執事(師直殿)より、旧来の鎌倉の政治を好む弟君(直義様)を選ぶ。元より関東将軍府ある時、庇番の上役として貴方(直義様)は文官たちを取り込んだ」

 

 

「そういう事だ。たとえ師直が政権の主導権を握ろうとも、高一族だけで天下の政治は賄えない。結局は大江(長井)氏や三善(大田)氏、二階堂氏らの文官たちあっての武家政治だ。これらの家と縁があって、盤石な大国(近江国)の統治機構を整備した君ならば、よく分かっているだろう?」

 

 

 明らかな釘刺しだ。時機を選んで師直派に再び傾くものと見抜かれている。この分では暫くの間、師冬と顔を合わせない方が良いかもしれない。前に直義も望んだ事だが、今はどうなるか不明だ。

 あの尊氏様の()()()への()()()()という可能性も捨て切れない。

 ただ、このまま素直に頷けば、力関係が確定してしまう。ここは直義を揺さぶってみよう。丁度、叡山の山法師たちがきな臭い。

 

 

「は。加えて直義様は京で政治を行う上で、付き合い方をよく考えるべき宗教施設に十分過ぎるほど便宜を図っておられる。ただ」

 

 

「比叡山延暦寺ならこちらでも動きを探っている。あくまで彼らの南朝との再提携の話は噂に過ぎん。男山の春日の考え次第で予断を許さない状況だろうが、今は刺激してはならん。分かったな?」

 

 

「……御意」

 

 

 今はまだ過度に右往左往しても両者から排除される危険が増すだけなのだろうか。真に待つべきは今は関東在住ながら後の室町幕府二代将軍・足利義詮かもしれない。尊氏様に弟を排除する意思がないのであれば、嫡男が要となる。嫡男(義詮)をして(直義)を除くのである。

 そのために何をすべきか、いずれ来る時のための皮算用で頭を働かせる日々を送るだろう。ただ、まずは近くにいる源氏による武家政権の邪魔者たちを排除し、尊氏様の手で加冠する日を迎える事に尽きる。そう、俺は信じ込んでいた。源氏の源氏による源氏のための武家政権の誕生を。まさか聖地が炎上するとは思いもせずに。

*1
実際、北畠親房は息子・顕家の死に直面し、「さきだてし 心もよしや なかなかに 憂世のことを 思ひ忘れて」と詠んだという。また、日野資朝の娘とされる顕家の正室は、「玉の緒の 絶えもはてなで くりかへし 同じうき世に 結ぼほるらむ」と詠み、夫の死を悼んだ。 

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