崇永記 作:三寸法師
〜1〜
それでも北畠家執事の
「駿河四郎君、ご苦労。石津の疲労はもう心配ないようだね」
「はい!我ら北条党はまだまだ戦えます。どうか次の御指示を」
「大丈夫。次は徳寿丸君に行って貰おう。戦いたくてウズウズしているだろう?善法寺口に赴いて、敵軍と一合戦してくると良い」
「え!?良いの!?」
「うん。小早川軍が来ているようだからね。ただし、敵の援軍に注意するんだ。お付きの郎党の進言があったら素直に聞くんだよ?」
「はーい!ひゃっほう!やったぁ!」
生前の
その代わり、
既に夜半に捕らえた敵兵の口より、警戒すべき驍将・桃井直常が若狭国守護に任じられ、包囲網から姿を消していたという情報を得ている。ただし、足利軍の最大の強みは生前の
こうした武将を先日死んだ堀口貞満の長男で、徳寿丸の側付きでもある
「高一族は今更言うまでもあるまい。師直、師泰、師冬……どれも敵の誇る良将だ。今の徳寿丸君では助けが無いと一蹴されかねないからね。ただ、武田
「!……存じております。武田
「うん。勿論、徳寿丸君が
「お言葉、感謝します。よもや南朝貴族の春日卿が
明らかにその言葉の節から新田家の南朝に対する不信感が漏れ出ている。しかし、二年前の後醍醐天皇の挙動を鑑みればどうか。
当時、堀口貞満が必死に止めていなければ、後醍醐の帝はそのまま新田義貞たちを見捨て、勝手に足利家と和睦していただろう。
故に
「ふふ。徳寿丸君は新田家だけでなく、南朝の宝でもある。その成長は帝も望んでおいでの筈。何より徳寿丸君は定期的に前線に出しておかないと、防衛戦にきっと息を詰まらせてしまうだろう?」
(本当のところ、徳寿丸君が奥でジッとしてくれた方が総指揮官としては助かるんだが……顕家卿亡き今、必勝と育成の両立は重要な課題だ。幸い、徳寿丸君は既に猛将の風格を備えながらまだ素材。育て甲斐がある。経験を積めば、
「ははッ。仰せの通り……春日卿は何もかも見通しておられる」
「……近くにいる味方の心も分からないようでは、遠くにいる味方や敵の心はもっと読めないのが道理だからね。軍師の嗜みだよ」
恐縮しきりの新田家郎党に対し、
当初の予定ではかつての
つまり、
春日軍は納豆顔負けの粘りで、熾烈な防御戦を展開し続ける。
(雫君、君の遺した策。この春日顕国が実現させるよ)
「春日卿!弧次郎からの報せを持ってきた!」
「ッ!……夏君、首尾はどうだったかな?」
「上々だ。ただ、一応条件があるらしい。詳しくはこの書状に」
男山に入った軍勢の内には、石津の戦いで胴体を貫かれる重傷を負った
〜2〜
闘将・新田義貞は未だ越前国である。今日も今日とて、頭上に例の
仮にも
本格的な上洛を視野に入れるべく、
「三連敗だと?何故だ?兵力不足の不安は既に消えた筈なのに」
「殿……流石に敵を小勢と侮り過ぎたかと。幾ら軍を率いるのが当代の英傑と言えども、血気に逸っては足元を掬われる危険が大きくなりますぞ。とりわけ敵将・
「後漢?光武帝?俺は日の本の武将だぞ。何の関係がある?」
「……」
(バカ殿〜!こんな調子では奥州軍との連携は土台無理だ!)
結局、
果たして新田
「畑殿、この先我らはどうなってしまうのだろうな。確かに殿は獅子と呼ぶに足る強さをお持ちだ。だが、あの教養すらも疑われるバカ殿振りでは、天下を取っても公家たちから侮られ、義仲公の二の舞になってしまう。先日亡くなられた顕家卿も生前、無茶な北陸行きを勧めるバカ殿の書状に憤慨しておられたらしいではないか」
「額田殿。たとえ顕家卿との合流が叶わなくなろうと、吉野朝廷は
「だと良いが……顕家卿戦死で
(顕家卿が亡くなられた今、額田殿に限らず、軍中では厭戦気分が漂い始めている。現新田家執事の
チャンスを逃し続ければ、逆にピンチの足音が聞こえてくるのは勝負事の常識だ。特に新田軍ともなれば、敵のマークも厳しい。
この五月に外様筆頭武将の
丁度、渦中の越前国の隣にある若狭国では、新守護の桃井直常と前任者で系図上は
「
「……桃井殿は任侠者と
「と申されやすと?」
「分かっておられよう。若狭国守護を巡って、桃井殿と我ら尾張足利家を争わせ、直義様の派閥を乱そうという腹だ。何、
「へい!ありがとうごぜいやす。俺は俺なりに若狭国以外に狙える任国が。年内には若狭国守護を返上するとお約束致しやしょう」
この桃井直常の言葉通り、若狭国守護の担当者は同年九月になると再び変更される。ただし、後任は返上先の幕府の判断に委ねられるものであり、高一族の大高重成がその座に就いた。これを知った
閑話休題。桃井直常の若狭国守護就任に伴い、尾張足利家こと斯波氏は越前国の経営により一層注力する運びとなったのである。
「さ、桃井殿。呑もうではないか。目下の天下の情勢ばかり語るのではなく、甥の死に様について桃井殿の口から詳しく聞きたい」
「喜んで!」
驍将・桃井直常は知らない。斯波氏とは今後、幾度も共闘する機会を得るのだが、時代が下ると、この先新たに生まれる
ただし、今は新たな時代に進むためのまさに過渡期で、敵はあくまで外部の新田軍だ。これまで北条軍や足利軍と戦闘を繰り広げ、天下に武名を轟かせた存在である。転んでもタダでは転ばない。
「大変です!御両人!注進、急ぎの注進が参りました!」
「「!?」」
「え、越前国の敵に援軍!かなりの大軍勢が北方より参ると!」
北陸における足利軍と新田軍の勢力のバランスが遂に崩れようとしている。顕家死後のこの局面で新田軍に北方……越後国から新たに援軍が加わると足利政権はどこまで想定できていただろうか。
越中国・加賀国双方の守護勢に連勝し、加勢部隊は十数日間もの今湊宿での逗留を経て、越前国に入り、
〜3〜
祢津弧次郎の気は晴れない。東海道でも
諏訪神党の一員だった弧次郎にとって受け入れ難い結果だった。
「そう気に病むなよ、弧次郎。俺たちは無位無官。本来、新田家郎党の彼らを従えられる立場じゃねぇんだ。脇屋の旦那は気苦労を掛けた詫びだって、お前に修理亮、しかも俺に至っては、五年前の討幕運動の時みたく、大勢の武士たちを集めて
「……玄蕃。お前も権力の魔に取り憑かれた口かよ。熊野で悪いものでも食ったのか?それとも、あれか?千寿丸の野郎の神力で」
「バカ言え、弧次郎。俺は正気だ。堺で千寿丸の手下に一杯食わされただけじゃねぇ。前々から思ってたのさ。何か大きな事をやろうと思ったら、その分だけ人手が要る。官位はそのための道具だ」
「あのなぁ……俺らが官位当てにしても仕方ねェだろ。脇屋たちは詫び代わりだと
(推薦つったってどうせ南朝が受け入れる訳がねェ。若は後醍醐の帝の不興を買って、結局相模守にはなれずに無位無官。友時のヤツにしたって、生殖機能喪失のお悔やみとやらで左馬助らしいのに。空手形を押し付ける暇があるなら早く出征して貰いたいもんだ)
現在、元仲間との戦いで負傷した弧次郎や療養から復帰して北上した玄蕃は、越前国の新田軍に合流していた。
古典『太平記』は、北陸からやって来た新田軍増援部隊の参加者の具体例に風間信濃守や祢津掃部亮といった名前を挙げている。
何はともあれ、今や新田軍の兵力は三万騎に膨れ上がっていた。
「弧次郎!玄蕃!先に
「城攻めは中止だ。ただ、何でも
「義助の旦那、どう見ても後醍醐の帝に不信感を持っているみたいだったな。兄の義貞の方は能天気だったが、弟の義助が
「……仕方ないだろう、玄蕃。二年前、後醍醐の帝は新田家を見殺しにして、独断で
「夏、その件は俺も新田家郎党が愚痴っているのを聞いた。だが、若は多分これから先もずっと南朝武将だ。南朝から切り捨てられない限りな。玄蕃もそうだが、軽々しく批判するなよ。綸旨を直接与えられたみたいだが、南朝での若の立場は決して安泰じゃねェ」
(中央に近いと……内紛を茶化せる東国の土壌が懐かしくなる)
弧次郎は思う。新田家は官位も兵力も、その根源となる地盤もあるだけまだマシだ。今後も足利氏の対抗勢力筆頭として長きに亘って南朝に与し続けるだろう。源氏の嫡流筋の誇りを胸に秘めて。
対して自らの主君・北条時行はどうか。小勢力として独立性の高い形での存続を許される綸旨を貰ったらしいが、如何せん新田家などに比べれば、相当ひ弱だ。元土豪の楠木家とどちらがマシか。
到底長続きするとは思えない。弧次郎や時行たちと言うより長崎駿河四郎ら伊豆北条党の中堅メンバーたちが現役の間に、大業を成就させなければならない。しかし、足利氏の勢力は拡充していくばかりだ。今後どう戦略を練るべきか、
「ああ、済まない。出過ぎた事を言った」
「北朝もダメ。南朝も……おっと言ってはいけないんだった」
「俺だって思うところはあるぜ、二人とも。あの日、顕家卿が討たれていなければ……何てな。後醍醐の帝は今も吉野で御壮健だ」
七月一日、脇屋義助軍二万余騎が越前国府を発ち、
だが、無為の駐屯は士気の低下を招こう。義助は口実を欲した。
その意図を汲むのが現新田家執事・船田経政である。かつての竹下の合戦の教訓から、今回は将の枚数が大幅に増員されていた。
「夏と言ったか。一つ頼まれてくれぬか?」
「!……仰ってください」
「敵の動きが気になる。予め先行し、噂を広めて貰いたい。噂への反応から、敵の真意を炙り出す。ここに以前言った、南朝への官爵推薦の書状がある。これを預けよう。大事に持っておくと良い」
「っ……は!」
(
比叡山も男山も要害の地である。延暦寺、春日軍、そして新田軍の三つの連携で南朝が覇権を狙う話が広まっても、京に近い両要害が猛攻を受けたところで、急に落とされる事はよもやあるまい。
それより、この大戦略を喧伝して京を揺るがし、足利政権の地盤を脆弱にさせた上で、周辺豪族たちの賛同を得て、更なる大軍を集めて京を攻める。この時、脇屋軍は
「脇屋様。その話なら既に広まっているようです」
「何?……
「思うに比叡山は今や足利氏に利権を保証され、既に一枚岩では無くなっているのでしょう。以前、新田家から児島殿をして誘って間も無く、山徒の誰かが知人に流して話が広がったのかと。あまり気に病まれる事は。それより、これ以上の足踏みは戦略の上で──」
「厳禁か……だが、一連の桃井直常の動きはどうも策略臭いぞ」
この脇屋軍の慎重な行軍が南朝にとって致命的な事態を招いた。
七月の半ば頃、脇屋軍はこれ以上の進軍は無益と撤退せざるを得なくなった。既に春日軍の籠る
同じ出来事でも『太平記』の伝本同士や他の史料との異動がありがちなので、混乱しないように適宜整理しながら書いています。
特にこの時期の脇屋義助軍の移動や男山陥落は媒体によって一月も変わる場合があるので、話を編み込むのがかなり大変でした。
やり甲斐って怖いですね。あると平気で難事に当たれますから。