崇永記   作:三寸法師

127 / 202
◆6

〜1〜

 

 

 音色は素直だ。摂河泉からの帰京後、三郎(千寿丸)の奏でる楽器の音色は腕の鈍りを私に感じさせる間も無く、本領を取り戻したらしかったのだが、六月下旬にもなると次第に乱れが目立つようになった。

 西国武将の三郎(千寿丸)が平静を装い切れない程、いつ迄経っても陥落しない男山(春日軍)の戦況報告に苛立ち、心ここに在らずといった状態だ。

 当然、私だけでなく京の六角邸に出入りする者たちにも、三郎(千寿丸)の動揺は悟られていく。早速勘付いたのが現在夫の塩冶高貞が領国に下向中の顔世だ。元後醍醐天皇の女官ながら、南北朝分裂後は三郎(千寿丸)の詩歌管弦向上に一役買っている。名前に合った美貌こそあるが、明らかに三郎(千寿丸)の趣味ではないため、私も特に気を悪くしない。

 

 

「お魅摩様。ここ最近、千寿丸様は気掛かりな事が?まさか」

 

 

「未だ男山(石清水八幡宮)を敵軍に占拠されているのが気に入らない。そんなところでしょ。ほら、三郎って八幡大菩薩への信仰心は篤いから」

 

 

「成る程……八幡様は皇室をお守りするだけでなく、源氏を盛り立てる氏神としても名高いですものね。武家の源氏の天下再興は北朝武将たちの悲願。顕家卿の()()()()()で成就目前の筈が、北陸の新田軍ばかりか、一万騎足らずの男山の春日軍が斯くも手強ければ、千寿丸様が歯痒く思われるのも当然でしょう。得心致しました」

 

 

「……」

 

 

 この顔世御前という女は人妻の身で三郎(千寿丸)に媚びを売る……というような事は決して無いものの、一つ気になる点がある。心のどこかで未だ大覚寺統(南朝政権)への未練があるのではないか。言葉の節々から偶にそう感じる場面があるのだ。宮女であったところ、佐々木一族の()()()ながら田舎大名の塩冶高貞に下賜されたという顔世の経歴で、多少先入観が入っているのは否定できないが、それにしてもだ。

 一応、顔世御前は六角邸を訪れる際、必ず塩冶家の子どもたちを伴っている。三郎(千寿丸)曰く、元宮女の視点を持つ顔世に詩歌管弦を見て貰う現場の目と鼻の先で行われている、塩冶家の子どもたちと六角家の若手の郎党たちの遊びを通じて、幼い内から庶流意識を刷り込む意図が本命らしい。それも今日の醜態でまずまず台無しだが。

 演奏中、突発的に南朝軍への怒りが頭を掠めたのか。一瞬我を忘れ掛けた三郎(千寿丸)は己自身でも戸惑う程の失敗をしてしまったのだ。

 

 

「ただ、お魅摩様。今日は助かりました。千寿丸様がうっかり楽器を壊された時、ところ構わず大笑いしてくださって。お陰様で思わず笑ってしまった子供らが睨まれずに済みました。篤くお礼を」

 

 

「そんな大袈裟な。私はただ三郎の醜態が面白かっただけさ」

 

 

「恐縮です……その、大丈夫ですか?恨まれたりなんて──」

 

 

「……ま、平気でしょ。この程度なら。どうせ寝たら忘れてる」

 

 

 ただ、当主の三郎(千寿丸)は気にしなくても、郎党たちはまた別だろう。

 彼らは前々から京極家に恨み骨髄なのは勿論、その出身の私にも反骨心を持っている。例外は目賀田氏のような六角家にも京極家にも郎党を輩出している連中程度だ。それも所詮()()の立場だが。

 

 

「であれば安心です。私たちのせいでお魅摩様の立場が悪くなっては(高貞)も困ります。私が言って良い事か分かりませんが……その」

 

 

「何?はっきり言って」

 

 

「お魅摩様。今年の近江国守護職の一時配置替えの件、そうお気に病まれては。既に配置は元に戻されたのですから、お魅摩様も」

 

 

「……そうだね。私とした事が、まだまだ遠慮があったか」

 

 

 言い淀みながらも勇気を出して切り込んだらしい、顔世の助言は青天の霹靂だった。帰京後、私は本家の京都屋敷への居座りを自粛している。石津の戦の最中、三郎に改めて本家所属のお墨付きを与えられていたとはいえ、それで一気に……とは難しかったのだ。

 あくまで日を選んでフラッと立ち寄り、折が良ければ、そのまま泊まる程度だ。何の心境の変化か、武神を自称している亜也子への気後れがあるとなれば、私らしくない。そろそろ二人の間柄の現状をはっきりして貰うべきか。どういう訳か、二人の男女関係が綺麗さっぱり解消されているようなきらいがあるのが不気味なのだ。

 

 

「ありがと。顔世のお陰で、すっきりしたわ」

 

 

「……いえ、一族の平穏は私も願うところ。千寿丸様ももう少しで元服の筈です。惣領様が元服しようという時に不和があっては」

 

 

「はン。宜しくないね。今宵、早速仕掛けるよ」

 

 

 塩冶家妻子の前の一件があったからこそ、狙い目かもしれない。

 今日からまた六角邸に連泊しよう。親父も兄上も吉野出征回避のための根回しに血眼で、このままだと遅かれ早かれ、本家と婚約関係にある私を利用しようとするかもしれない。だが、私が以前のように、また本家に身を寄せれば、諦めて大人しく出征する筈だ。

 まずは惣領の三郎(千寿丸)の了解を得る。私の身体に胸算用が渦巻いた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 突然だった。別にここ暫くで急激に体格が変貌した訳ではない。

 勿論、いずれ幕府最強武将となるため、個人の武勇では現北朝配下で確実に最強と言える土岐頼遠を超越できるように、身体作りに励んでいるが、その領域に達するまで軽く十年は要するだろう。

 にも関わらず、俺は失態を演じた。六角邸で分家当主の道誉が泣き叫んでいる。腹黒坊主に有るじき狼狽ぶりだが、屋敷に漂う気不味い空気は()()()()だ。耳にキンと響き、冗談抜きで頭に来る。

 

 

「魅摩ぁ〜、死んじゃやだよぉ〜」

 

 

「親父……うるさい」

 

 

「京極様、落ち着いて。幾月か安静にして頂ければ、回復します」

 

 

「幾月!?魅摩あぁぁぁぁぁ。何と可哀想に」

 

 

「おい、誰かあいつを黙らせろ。呼ぶんじゃなかった」

 

 

「我が君、流石にここは堪えてくだされ」

 

 

 もう建武五年も秋になろうという頃、男山では再三に亘って高師直と春日顕国による執事対決が繰り広げられ、高一族に加え武田氏や細川氏、上杉氏といった北朝の人材層の圧力を、基本に忠実な兵法と男山の地の利が跳ね除けるというシーンのオンパレードだ。

 一方、我が佐々木六角邸では、当主の婚約者が腰を怪我して寝たきりになるという事案が勃発していた。つまり、俺が魅摩に怪我を負わせたという事になる。ここ最近は毎日だった戯れの最中に。

 動揺し切りの道誉に対して、嫡男の秀綱は如何にも何かを言いたげである。秀綱は実際の武力は兎も角、猛将顔負けの血気盛んさをその身に秘めている。だが、俺は事が事だけに、遠慮するつもりは無かった。たとえ俺に非があろうとも、近江国の覇権を取り戻した矢先だ。強硬姿勢を見せておかないと舐められ、沽券に関わる。

 

 

「宗家。少し場所を変えさせて頂きたい。お話が──」

 

 

「……良いでしょう。秀綱殿。弓矢の稽古をしながらであれば」

 

 

「け、稽古?こんな時に」

 

 

「生憎ですが、幾ら魅摩(京極家令嬢)とはいえ、たかが女子一人のために佐々木(六角家)惣領(当主)の俺が時間を浪費して、弓馬の道を怠る訳には参りませぬ」

 

 

「「!?」」

 

 

 こんな()()()()()事のせいで京極家に弱味を握らせたく無い。

 だが、恨まれても面倒だ。唖然とする彼らに威圧感(プレッシャー)を解き放つ。

 血統は言うまでも無いが、武力でも京極家に劣った覚えは無い。

 俺は頭に血を昇らせ、京極秀綱が相手であれば、敢えて皮を切らせて口実を得た上で、その胴体を断つのは容易と口角を上げた。

 

 

「別に刀の実践演習でも構いませぬが……どうされる?秀綱(前近江守)殿」

 

 

「ッ……宗家。私どものために宗家の選択を揺るがすなど、畏れ多い事にて。なれど、妹を虚仮にされ「うるさい!」……魅摩?」

 

 

「うるさい。親父も兄上も。三郎と婚約させた時点で覚悟してたんじゃないの?いつか私がこんな事になる時が来るって。違う?」

 

 

「「……」」

 

 

 魅摩の言う通り、床の上で我を忘れてしまえば、遅かれ早かれ突き当たるような問題だったのだろう。まさか土岐頼遠に夜はどうしているのかという文字通りの()()()()()質問を出来る筈もなし。

 しかし、近江国守護職の問題があったばかりの今、俺の方からも京極親子からも婚約解除の意思を言える由もない。魅摩が拒否の旨を言い出せば、その限りでも無いだろうが、その兆しはどうも無さそうだった。と言うより、魅摩は決して自由に発言できるような立場にない。要するに、俺も魅摩も道誉も雁字搦めになっていた。

 

 

「道誉殿。近日中に尊氏様に拝謁しようかと存ずる」

 

 

「ッ……魅摩のことで何か申されるおつもりで?」

 

 

「いえ、全く関係ありま……少し関係あります。こうなってしまったのは天罰に他なりません。聖地が占領されたままなのですから」

 

 

「……いつ迄も男山を奪還できず、八幡大菩薩が御怒りであると」

 

 

「如何にも!」

 

 

 男山の春日軍の存在さえ無ければ、俺の心が乱れてのこんな馬鹿げた事態にならなかった。俺はこうと決めたらこうだと思う性分の持ち主だ。今後は再発防止のため、俺は動かず、魅摩に馬乗りさせざるを得ないだろう。誰のせいか。ちょび髭執事(春日少将顕国)のせいである。

 もはや直義の采配など待っていられない。尊氏様の下知が要る。

 男山の抵抗勢力を無力化するためには、本当の意味で忍びを活用できる俺の存在が不可欠と、今春よりの膠着状態で理解できた。

 道誉の顔面に深い影が差す。我が一族郎党たちと同様、俺の立ち上がっての威風堂々とした大きな叫びに深々と頭を下げていた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 建武五年七月五日の夜、殿様は愕然と膝を地に付けた。男山が燃えている。そう頻りに呟いた。その言葉通り、敵軍が立て篭もる源氏の聖地から炎と煙が上った。敵の兵糧を燃やしているらしい。

 忍びに対する敵の警戒心の隙を突くためか、風雨に紛れての潜入になったようなのが不幸中の幸いと言えるかもしれない。全焼は免れそうだ。しかし、殿様は明らかに源氏の義憤に駆られている。

 殿様は拳を握り締め、どうしてこうなったと吐き捨てる。だが、それだけ状況が切迫していた事は分かっている筈だ。四日前に新田軍二万余騎が男山(春日軍)救援のため、越前国で遂に動き始めたと噂だ。

 

 

「亜也子……お前、本当にそれが問題だったと思うか?」

 

 

「え……?殿様、新田軍は延暦寺とも結託して攻めて来るって」

 

 

 救援部隊の総大将は脇屋義助だ。言わずと知れた闘将・新田義貞の弟で、今までの対戦経験から天下屈指の名将と北朝でも十分に警戒されている。彼らは若狭国の敦賀港に立ち寄り、補給してから京を攻める腹づもりだという。若狭国新守護の桃井直常が動かせる兵はそう多くない。まともにぶつかり合えば、幾らこの半年以上で名を上げた桃井でも、歴戦の武将(脇屋義助)に敗れるだろうと六角軍の武将たちが噂しているのを聞いた。その認識は当然、殿様にもある筈だ。

 しかも、比叡山延暦寺と言えば、北条氏や北畠氏と同等以上に、殿様が憎悪を燃やしている相手だ。父親(六角時信)を討たれ掛けたせいで。

 

 

「考えてみよ。男山に南朝軍、比叡山に山法師と新田軍。この状況は二年前の秋頃と大して変わらんぞ。男山の敵将は四条ではなく、春日だから当時よりも強力だが、比叡山まで新田軍が無事に到着したとしても、肝心の新田親子が居ない。当主の義貞は越前国で依然尾張(斯波)軍と交戦。嫡男の義顕は昨春、金ヶ崎城で戦死しただろ?」

 

 

「……確かに」

 

 

 目から鱗だった。戦場で散った雫の思惑通りになっていると思っていた分だけ、足利政権が窮地に陥っていると思い込んでいたが、言われてみれば、そこまで致命的な危機でないような気がする。

 続けて、殿様は言った。男山の春日軍は斜面を利用した防御戦で無敵としても、麓で大軍を突破できる程の力はなく、包囲し続けるだけで牽制は間に合う。御左口神祓いに間接的に寄与した赤松則祐が山崎を押さえているので、京の食糧は心配ない。比叡山に新田軍が着いても、琵琶湖は佐々木一族が掌握しているため、意外と簡単に山法師や加勢した新田軍の食糧を干し上がらせる事ができる。

 

 

「再び京が戦時下になるだけで、むしろ逆に早く決着が付いて良いのではないか。尊氏様に拝謁して気分が晴れやかになり、すぐにこの結論に達した。無意に春日軍を攻め続けるより、さっさと脇屋義助軍ごと南北朝の趨勢を決定付けるべしと。さすれば、本当に尊氏様が今年中に征夷大将軍に。義助()が不在なら、高経(斯波尾張守)殿と頼貞(土岐伯耆入道)殿で義貞()を討てる。新田兄弟が倒れれば、春日軍の士気は無となろう」

 

 

「そしたら、問題なく男山を奪還できていた……?じゃあ、足利家執事の高師直はどうして……源氏の聖地を燃やしちゃうなんて」

 

 

 足利家が天下を取る上で、源氏の武家政権再興を信条に掲げている事は今や周知の話と言って良いだろう。自分たちの上位者たる将軍に源氏の武家を据える事を嫌った時の権力者・北条氏の論調が罷り通ったからこそ、実朝公の次代以降、摂家将軍や親王将軍で固められたというのが、道理を知っていると自負する殿様の持論だ。

 しかし、尊氏公の征夷大将軍という正式な天下掌握の合図を目前にして、足利軍は自ら源氏の聖地(石清水八幡宮)を焼いてしまった事になった。

 殿様が止める間もない、まさに電光石火の出来事で、忸怩たる思いを抱えているだろう。今、殿様は首謀者の執事(高師直)に恨み骨髄だ。

 

 

「所詮、師直は源氏の血筋ではないという事さ。だから、あんな真似ができる。尊氏様がどう思われるか。下手すりゃ割腹ものぞ」

 

 

「そうはなりませんよ……千寿丸殿」

 

 

「「!」」

 

 

 殿様の御不快を察知し、義父(師直)に派遣されたのか、師冬(吹雪)が現れた。

 自ずと私は四方獣を握る力を強くした。今、殿様の恨みは師直のみならず、源氏ではない高一族全体に向けられている。どんな命令でも果たして見せる。私はそんな心意気と共に、師冬(元仲間)を睨んだ。

 殿様との男女関係に拘らなくなった今、師冬(吹雪)との協力は無い。

 

 

「千寿丸殿……調子に乗って義父上(師直様)を煽り過ぎましたね」

 

 

「え?煽った……?殿様?」

 

 

「ぐ……」

 

 

「そりゃ、尊氏様に拝謁した後、近江国に戻る途中で立ち寄ったという体なら、御方の意を汲んで来たものと誰しもが思うでしょう。それなのに、元は五百騎程度の春日軍の要害を十万騎で囲んでいつ迄経っても攻め落とせていないと繰り返し言うものだから──」

 

 

「だって、腹立たしかったんだもん!待てど暮らせど、石清水八幡宮を敵に乗っ取られたままで、おまけに尊氏様が攻撃を中断して帰京するよう師直に伝えてくれなんて仰ったから……俺は一言も男山を焼いてくれなんて言ってない!言ってないのに!あ゛あ゛!」

 

 

「「……」」

 

 

 終いに殿様はまるで市で玩具を買ってくれと親に泣き叫ぶ子どものように癇癪を起こして地面に寝転がり、ジタバタ暴れ始めた。

 八幡宮を焼かれて、錯乱しているのだろう。「焼いてはいかん!絶対に焼いてはならん!」と本当に泣き叫んでいる。師冬が仮面の裏で白け顔を浮かべているのが有り有りと想像できてしまった。

 

 

「千寿丸殿……そんな貴方に朗報です」

 

 

「朗報?こんな時に目出度い報せだと?春日の首でも釣り合わん」

 

 

「いえ、御味方は春日顕国の首をまだ獲っていません。敵軍の高木十郎だか松山九郎だかという二人組が面倒だという事情も確かにありますが、完全に陥落させるまで数日猶予を持たせる予定です」

 

 

「何故だ?何故手を抜く?脇屋軍は、一向に距離を詰めぬ桃井の動きに戸惑い、遅々として進まぬとはいえ、何の意図が?……ッ!」

 

 

「お分かりですね?義父上(師直様)は待つ構えです。吉野(敵本拠地)からの援軍を」

 

 

 途端に殿様のやる気は復活した。吉野から春日顕国のために援軍がやって来るとなれば、必ず()()()()が来ると見込んだからだ。

 四日後の七月九日。本当に敵の援軍が北進して、男山付近の洞ヶ峠に押し寄せる。南朝軍と北朝軍の大規模軍事衝突が勃発した。

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