崇永記   作:三寸法師

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◆8

〜1〜

 

 

 宣明暦という名の太陰太陽暦では厄介な事に、閏月というものが使われる。中世真っ盛りの南北朝時代を迎えたばかりの建武五年も例外ではなく、閏七月が設けられている。ガチの七月の後、閏月が挿入されているのだ。文明人として考えれば、実に面倒な話だ。

 その閏七月も半分が過ぎようかという頃、京は騒然としていた。

 あの闘将・新田義貞が京入りしたのである。首だけの状態で。

 今は都大路を引き回されているが、昼過ぎにも晒し首(獄門行き)となる運びである。俺が食後の政務報告などを終えて外出準備をしていると、毎度の如くずっと鍛錬していたらしい亜也子に声を掛けられた。

 

 

「殿様、首級見物に行くの?だったら私も着いて行くけど」

 

 

「ああ。()()殿()()()()()()()だったようだが、一応は有名人だったからな。獄門に掛けられている首を見に行って、損は無いだろ」

 

 

「殿様って割とそういうところあるよね」

 

 

「そういう?……まぁ、良い。何はともあれ、目出度い。二日の足羽合戦でヤツ(新田義貞)が死に、北陸の敵軍三万騎はほぼ離散した。今や越前国の南朝方の城は僅かに三つのみ。おまけに、義貞が情け無く死んだせいで、新田家の武威は地に落ちたと専らの噂になっておる」

 

 

 今月初旬に入った一報を思い出す。持明院統による尊氏様の将軍就任条件に含まれていた事でもあるし、かねてより今年中には義貞が死ぬと思っていたが、まさか弟の義助が男山救援を諦めて撤退してから一月もせず、呆気無しに討ち取られるとは想定外だった。

 仮にも近江国の軍勢を率い、現若狭国守護の桃井直常や既に越前国入りしていた土岐頼貞と共に尾張(斯波)軍を支え、現南朝軍の最強武将と呼べる新田義貞を討ち取らんと考えていたのだ。にも関わらず、義貞は呆気なく逝った。確かに呆気ない最期自体は、武将なら誰もが迎え得る終わり方かもしれないが、顕家と違ってほぼ自滅だ。

 後の軍記『太平記』にも記される事だが、新田義貞はたった五十余騎での移動中、運悪く足利軍の数百騎に出会って矢を防いでいたところ、馬が矢の何本か当たったせいで弱って泥濘に嵌り、これはもう覇業は叶うまいと潔く諦め、割腹自殺したという話だった。

 結局のところ、楠木正成(湊川の戦い)北畠顕家(石津・阿倍野の戦い)と異なり、瑣末な競り合いに拘って軽率に動き、数や地の不利のために自滅した新田義貞の最期は情けないものであったとするのが後世の一般的な見解となる。

 

 

「ま、恐らく新田の事だ。土壇場で尊氏様の自害未遂逆転劇を思い出して、同じ源氏の自分にも出来ると猿真似したに決まってる」

 

 

「バカ殿だもんね……殿様だったら同じ事できそうだけど」

 

 

「もうそんな機会無いと思うぞ。基本的に……確かに俺も督戦のための少数での移動はやらん事もないが、我が馬術は泥濘でも平地のように走れるぞ。かの呂奉先や関雲長が赤兎馬を操るようにさ」

 

 

「……神様」

 

 

 ここ暫く、亜也子は偶に、駆け込み乗車的に御左口神祓いの様子を目撃した師直のような反応をする。正直に言えば返答に困る。

 床で貪るのを止めたかと思えば、これなのだ。対応方法が今一つ分からない。尊氏様はあの師直の姿に満足そうだったが、別に師直は元々尊氏様の寵童だったという訳ではないだろう。師直と亜也子の能力差もあって、参考になりそうにない。適性が違い過ぎる。

 

 

「ま、土岐頼遠超えを目指すなら、当たり前だ……そうだ。土岐で思い出したぞ。現土岐氏惣領の頼貞(伯耆入道)殿も帰京しておられたんだ」

 

 

「えっと……確か越前国に行かれてたんだっけ?その頼貞(伯耆入道)公」

 

 

「ああ。三ヶ月前からな。詳しい話を知っているかもしれん」

 

 

 足利氏に次ぐ、「諸家の頭」こと土岐頼貞は実質的に外様大名たちの頂点に位置する武将だ。数え六十八歳と(中世)にしてはかなりの高齢であるが、尊氏様から遠征を依頼される程、老いて尚盛んだ。

 今回の遠征成功を機に、頼貞(伯耆入道)はもうそろそろ隠居する頃合いかもしれない。会える内に会っておこう。しかも次の土岐氏惣領は果たして誰なのかという話を含めて、裏取りができれば上々だろう。

 俺は早速(郎党)を呼び、現土岐氏惣領(伯耆入道頼貞)との面会予約の手配を命じた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 ヤバい話を聞いてしまった。新田義貞は南朝で英雄視されて乱世の亡霊を生み出す根源になられても困るため、巷に広まっている話の通り、バカな死に方をしたものとして記録され続けるだろう。

 問題はそこではない。かつて新田義貞は討幕後、北条氏重代の太刀である「鬼丸」、本来は源氏代々の品の筈も北条氏に押さえられていた「鬼切」という両名刀を所持していた。義貞が死に、足利本家の持つべき品々として尊氏様が所望したが、惜しくも両名刀は不慮の事故により、預け先で燃えていた……そう俺は聞いていた。

 実際、北陸方面軍総司令官・足利高経──俺にとっては母方の従兄妹伯父に当たる武将──は証拠の両名刀を送付した筈だった。

 

 

「すり替えた偽物!?高経殿は……何と恐れ知らずな」

 

 

「……あまり大きな声では言えぬが、高経(尾張守)殿の気持ちは分からなくもない。何でも尊氏様は名刀取り寄せの際、足利氏の末流が持つに相応しくないと宣ったと聞く。だが、高経(尾張守)殿の生まれと言えば」

 

 

「足利宗家に限りなく近く、吉良氏や渋川氏などと共に庶流屈指の家柄を誇る尾張足利家、斯波氏の御出身です。家格自体は高一族(執事家)と然程変わらぬ細川氏や仁木氏であらばまだしも、高経殿を末流呼ばわりは禁句どころの話ではありませぬ……到底信じられません」

 

 

 例えるなら六角家当主の俺が有力な分家の京極家に対して末流呼ばわりするようなもので、正気の沙汰と言い難い。まして高経(斯波尾張守)はここ数年、北陸で強敵の新田軍と対峙し続け、嫡男の家長(斯波陸奥守)は別途東国で顕家軍と戦い、戦死したのだ。要は勲功を保証されて然るべき立場である。幾ら尊氏様が権威上の問題で「鬼丸」や「鬼切」の二刀を足利宗家の元に置きたいとしても、もう少し言葉を選ぶ筈だ。

 この機会に足利宗家と尾張足利家の格の違いを改めて突き付け、高経が「主君を脅かす功労者」と化す芽を潰したのか。丁度、尾張(斯波)軍は直近の新田軍との戦で疲弊し続け、近くには援軍として来ていた土岐氏惣領(土岐伯耆入道頼貞)の精鋭が居た。これを理由に直ぐ様、反旗を翻す事は難しかった。ただ、この件が天下に広まれば、尊氏様は道理を知らないと思われる。功労者を排除し続けた前の政権の再来なりと。

 

 

御舎弟殿(直義様)がこの件を聞けば制止した筈。斯波(尾張足利)氏後継だった家長(斯波孫二郎)を庇番で預かっていたのだから……とすると、まさか執事家(師直派)が?」

 

 

「さて、この老将は聞いておらぬが……佐々木惣領(六角千寿丸)殿は疑っておられるようだな。近臣の何者かが尊氏様の御命令を捻じ曲げたと」

 

 

「はい。尊氏様が左様な無理を申される筈がない。ただ、これで足利宗家と尾張足利家の間に亀裂が生じました。以後、斯波(尾張足利)氏は恐らく尊氏様の代では中枢から外される可能性が高い。つまり、足利本家が内部での立場を改めて盤石に。尊氏様こそ最大の勝者です」

 

 

 結果的に一、二を争う功労者両名の成果にケチが付いたのだ。

 顕家(規格外貴族)討伐の高師直は男山(源氏の聖地)炎上という名の蛇足で、直義から政治主導権を奪う芽を手放し、義貞(闘将)討伐の尾張(尾張)高経は今回の両名刀の不祥事によって、足利政権における発言力が大幅に低下した。足利兄弟の権威がずば抜ける形で、今後十年以上の幕府運営が為される。

 こうした状況で、外様武将たちが如何に身を処すべきか。土岐惣領の頼貞にも佐々木惣領の俺にも重大な課題となるのは確実だ。

 

 

「話に聞いたが……佐々木殿は尊氏公の烏帽子子に?」

 

 

「今年にも……再臨の源氏将軍の御手により、この世で初めて佐々木六角千寿丸は元服します。三年間、待ち望んでいた栄誉です」

 

 

「左様か……佐々木殿が羨ましい」

 

 

「……諸家の頭(外様筆頭)たる伯耆入道(土岐頼貞)殿にそう言って頂けるとは」

 

 

 土岐氏の後継候補は嫡孫の頼康(刑部少輔)も七男の頼遠(弾正少弼)も共に逸材である。

 特に頼遠は一月下旬の青野ヶ原合戦でただ一人名を轟かせた。

 実際には桃井直常との連合軍だったらしいが、千騎弱の寡兵で四万騎とも六万騎とも言われた顕家本軍を散々に馳け破った。今の俺でも同じ芸当はざっと今後十年前後、難しいだろう。以前より遥かに武力の増した亜也子を活用すれば、その限りではないのだが。

 いずれにせよ、頼貞(土岐伯耆入道)からの羨望は少し意外というものだった。

 

 

「知っての通り、頼康も頼遠も元服済みだ。尊氏公から偏諱を頂く話もない。諸家の頭(外様筆頭)と人々に言わしめようとも、実態はこれよ」

 

 

「……伯耆入道(土岐頼貞)殿。お聞きして良いものか」

 

 

「我が後継だな?ずっと聞きたかったのだろう?……頼遠だ」

 

 

「!」

 

 

 一気に緊張感が迸った。この話が聞きたかったのだ。土岐氏の治める美濃国は我が近江国の隣国で、家格もそう変わらない。土岐氏の命運は我ら(佐々木氏)のそれをも左右し得る。勿論、老齢の頼貞(伯耆入道)が誰を後継に指名するかはキーポイントだ。だが、庶子の頼遠(弾正少弼)が後継とは。

 可能性自体は視野に入れていたとはいえ、いざ実際にその見込みを現当主の頼貞(土岐伯耆入道)から告げられると息を呑むものがある。確かに(弾正)(少弼)は青野ヶ原で常軌を逸した働きを遂げ、その勲功は誰もが認めるところだろう。般若坂合戦や石津・阿倍野合戦の勝利はあの頼遠(弾正少弼)地元(美濃国)奥州(北畠顕家)軍の猛者を数多く葬ったからこそ得られたものだ。

 つまり、土岐頼遠(弾正少弼)もまた、高師直や足利(斯波)高経(尾張守)に匹敵し得るような功労者なのだ。言い換えれば、有力な粛清対象である。功労者が平時では主君の邪魔になり得る。この観念は、古来からの教訓に基づくだけでなく、鎌倉幕府や建武政権が持っていた信条で、今もまだ人々に根強く残っている。尊氏様は以前、先の源氏将軍たちからの教訓を説いたが、「鬼丸」や「鬼切」を通じた高経(斯波尾張守)の処遇により、側近共の考え次第で、どうにでもなってしまうと()()()()した。

 何より問題なのは、治世に不向きな頼遠(土岐弾正少弼)本人の武闘派気質だ。

 

 

「気を悪くしないで頂きたい。それは本当に御自身のお考えで?」

 

 

「無論。土岐一族の家督の行方に、執事に過ぎない高一族ごときに口を挟ませる訳が無い。御舎弟(相模守直義)殿にも……そして、尊氏公にも」

 

 

「……それでこそ諸家の頭(外様筆頭)です。敬服致します」

 

 

 外様筆頭の矜持を見た思いだ。六波羅探題在りし日からの西国武将の土岐頼貞にしては()()()()()判断だと思ったが、軍功を重視して嫡孫(土岐頼康)ではなく庶子(土岐頼遠)に家督を譲るのも、また一つの考えだろう。

 青野ヶ原合戦があった以上、土岐氏は最強武将の頼遠(弾正少弼)が次期当主でなければ、血筋の尊卑より余程内乱の要因になろう。何も頼康(刑部少輔)の後継の芽が無くなる訳ではない。然るべき理由があるのである。

 

 

「あくまで頼遠は繋ぎだ。我が余命はそう長くない。近日中に一族郎党を集め、彼らの面前で誓紙を飲ませる。まぁ、頼遠(あの怪物)は妻子に拘る気質ではないため、まず杞憂であろうが……佐々木殿。お持ちの懸念は当然、この老将も承知の上だ。一つ頼まれてくれまいか?」

 

 

「ッ……お聞かせください」

 

 

「もし頼遠が愚かにも足利氏に牙を剥くような事があれば、貴殿(佐々木殿)が滅ぼしてくれまいか?御主が手段を選ばねば、成せるであろう?」

 

 

「な、何を仰る!?……土岐氏と佐々木氏は一蓮托生。足利時代を迎えた今、どちらかが滅びれば、まさに唇滅びて歯寒し。すぐに近江国と美濃国のどちらも、足利一門で固めようと幕府首脳は考えましょう。たとえ頼遠(弾正少弼)殿が滅ぼされようと、頼康(刑部少輔)殿は助けます!」

 

 

 後から振り返れば、この常軌を逸した土岐頼貞(伯耆入道)の言葉は俺から言質を得るための誘いであった。しかし、この時の俺はまんまと困惑や狼狽に駆られ、老獪な諸家の頭(外様筆頭)の真意を読むに能わず、軽々しく口走っていた。頼遠(新惣領)が何をしようが、土岐一族を見捨てないと。

 この翌春、鎌倉時代後期から南北朝時代初期を生き抜き、正中の変や建武大乱においても危機を脱した英傑・土岐頼貞(伯耆入道)は逝った。

 彼の遺言通り、土岐一族の家督は一騎当万の頼遠(弾正少弼)が受け継いだ。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 持明院統による両条件は満たされた。北畠顕家も新田義貞も北朝武家の矢で落命し、源氏諸家が待ちに待った時代が遂に始まる。

 建武五年(西暦1338年)八月十一日。尊氏様が正二位となり、栄えある征夷大将軍の職に就任した。源氏による武家政権・室町幕府が正式に開闢したのである。この記念すべき瞬間をどれ程待ち侘びていた事か。

 なお、ついでに直義が副将軍らしく従四位・左兵衛督になった。

 

 

「またあんたの言う通りになったね。三郎」

 

 

「……全部が全部には程遠いがな」

 

 

 未だ寝たきり状態の続く魅摩が朗報を耳にし、仄かに笑った。

 ただ、褒められると逆にバツが悪くなる。北条氏の支配下となっていた鎌倉幕府が滅び、室町幕府が興るまで色々とあり過ぎた。

 特に佐々木城陥落は顕家(規格外貴族)が死んだ今もなお我が心の痼りである。

 

 

「先日、父上と共に近江国にある戦没者たちの墓を巡った」

 

 

「……そう。私も行ければ良かったんだけど。婚約者なんだしさ」

 

 

「治ったら共に参ろう。またの機会は幾らでもある」

 

 

「そうだね……三郎、最近さ。満足できてる?」

 

 

「満足?」

 

 

「ほら、これ」

 

 

 何かを掴んで上下するかのような魅摩の仕草で合点がいった。

 そこを気にしてどうするのかと呆れたくなるが、ここで怒っても仕方がない。すぐに話題展開の機会を窺う方向にスイッチした。

 

 

「亜也子がアレで、他にそんな相手も居ないでしょ。病人みたいな寝たきり生活でもさ、手なら全然使えるよ。やったげよっか?」

 

 

「そんな事させられるかよ。怪我人に……なぁ、話があるんだが」

 

 

「聞かせて、三郎。どんな話でも」

 

 

 殊勝に促す魅摩の口振りから思い出した。魅摩は精巧な未来予知ができずとも、神力持ちというだけあってか、勘に優れている。

 確か以前、北山周辺における金箔まみれの仏閣の建立を鹿苑寺の名前抜きに予感していたか。きっと今から切り出される話が魅摩にとってまずまず無益な、裏のある話だと察しているに違いない。

 

 

「近江国で重臣たちに密命を出した。今度、馬廻衆という名の我が側近部隊を発足させる。それに相応しい者たちの名簿を作れと」

 

 

「これまた捻りのない名前だ……で、選定基準は?年齢とか?」

 

 

「……当面は俺より歳下から才能豊かな者を広く集める予定だ」

 

 

「……そう」

 

 

 きっと魅摩は分かっている。この馬廻衆の裏に隠された役割を。

 近日中に俺は元服する。髪を切れば、幼子に見出されるような神性が消え失せるだろう。当然、この俺も多かれ少なかれ。補うためならば、手段を選ぶつもりはない。師冬級の童たちを集めよう。

 

 

「馬廻衆が出来たらさ、私に拝謁させる機会作ってよ。ちゃんと釘を刺すから。三郎の側仕えを赦されたからって調子乗んなって」

 

 

「ああ、承知した。それともう一つ」

 

 

「……まだ何かあるんだ?」

 

 

 不安そうな魅摩の口振りから、秘められている鬱憤が伺えた。

 だが、止まるつもりはない。もはや方針変更はあり得ないのだ。

 あくまで順を追って淡々と告げるのみ。そう心に決めていた。

 

 

先月(閏七月)二十五日。義良や宗良らの南朝皇族、親房や顕信の北畠氏、男山陥落日(七月十一日)には既に吉野で元服していた新田義興、命は保った北条時行らが東へ。行き先は伊勢国。彼らは今、船を数多建造中だ」

 

 

「!?」

 

 

 まだ反乱の芽は完全に潰れていない。尊氏様は既に敵は居ないと思い込んでいるようだが、北畠親房と言えば、常陸国で『神皇正統記』を執筆する人物だ。すなわち、彼らは伊勢国を出て、海路を通じて東国に辿り着く。徳寿丸改め、義興という名の新田家の御輿を連れて。現在、東海道の守りは固められているが、箱根よりも東は家長(斯波孫二郎)死後、上杉憲顕(関東副執事)が戻った程度で、依然として手薄なままだ。

 しかも、腹立たしいのが報告にあった、時行と義興らを中心に南朝の関東支配を進めよという南朝の方針だ。まるで義興を頼朝に、時行を時政に准えるかのような采配だ。ただ、こうした決定を疑心暗鬼の吉野朝廷(後醍醐帝)が為すという事は、本当に断絶が決定付けられたと考えて支障ないか。ならば、無理に時行抹殺に拘らずとも良くなったと言えよう。戦略的勝利だけでも十分に満足できる。ただの大打撃狙いと断固全滅させる意気込みでは、要する元手が大違いだ。

 尊氏様が将軍職に就いたばかりの今、北畠氏の勢力の根強い伊勢国へ徒らに遠征できない。万一負ければ、新米幕府の威信は地に堕ちてしまう。真っ向勝負で戦えないのであれば、搦手が頼りだ。

 

 

「魅摩姉。俺は源氏将軍再誕以来、最初にして最大の軍功を得る」

 

 

「……出陣する気か」

 

 

「ああ。ここで問題なのが功労者は粛清され易いという事。尊氏様の烏帽子子ならば、話は別だろうと高を括っていたが、そうも言って居られなくなった。俺は万の南朝船団を壊滅させる。そこで」

 

 

 尊氏様にこれ以上ない方法で忠心を示し、力を大幅に強化する。

 まさに一石二鳥。南朝船団は壊滅し、時行がまたも悪運のお陰で生き延びたとしても、郎党たちの大半が死に、百騎も残るまい。

 これでは軍神(楠木正成)並の手腕があろうと北条再興は夢のまた夢だろう。

 以上によって、尊氏様を悦ばす。幼い六角家当主(佐々木惣領)・千寿丸としての最後の軍事的働きを自分自身の肉体を張って魅せるのである。

 

 

「お館様。お命じになったもの、整いましてございます」

 

 

「おお、そうか……うん。布地も色合いも完璧だ」

 

 

「あんた……」

 

 

 折良く新調した褌が届けられる。魅摩は床の上で言葉を失った。

 さぁ、出仕の準備だ。身体を隅々まで綺麗にし、尊氏様の趣味に合った装いと匂いで万全の態勢を整える。新たな神力が身体に馴染む頃には、南朝軍だけでなく、南東の我が拠点における船の調達も済んでいる筈だ。日が沈み、楽しい晩餐の時間が近付いていた。




この作品をお読みの日本史履修者へ。教科書等を全然読まずに原作だけ読んでいると誤解するかもしれませんが、足利尊氏が征夷大将軍になったのは吉野で後醍醐天皇が存命中の西暦1338年です。
勿論、当作品に含有の情報も含め、是非に御自分でも御確認を(メディアリテラシーがち大事)
知識の質は往々にして自分自身の人生をも左右するものですので。
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