崇永記   作:三寸法師

13 / 202
◆5

〜1〜

 

 

 どうして俺も時行も女装という遥か先の未来ではあまり大っぴらに出来る訳ではない行為に至ったのか。

 その心当たりは一つしかない。始まりは天下に名高い刀工である正宗の元に修行に行った親戚を訪ねるという名目を使うことで、北条によって統治された鎌倉へ赴いたことだった。

 

 

「正宗殿!すまないが、()()匿ってくれ!」

 

 

「おーっ、時坊!()()来やがったな!」

 

 

 市の鱧料理にすら関心を示す性質を持つ俺は当然のように正宗の鍛冶場を見学していた。そこに現れたのが時行だった。

 

 

「時坊、今度は何の稽古から逃げてきたんだ?」

 

 

「和歌の稽古から少し……」

 

 

 綺麗な身なりをした御曹司の容姿はたいそう整っていた。その御曹司が北条の家紋(三つ鱗)があしらわれた水干を着ていても、正宗に(ぼん)と呼ばれていても、女の子ではないのかと錯覚してしまう程に。

 そんな彼と目が合った。俺ははっと息を呑んだ。

 

 

「君は……?見掛けない顔だが」

 

 

「近江国守護佐々木左衛門尉時信の息子、千寿丸」

 

 

 少なくとも外見上は同年代ということもあり、俺と時行の会話は弾んだ。尤も、この時の俺は相手がかの中先代の乱の主になる者であるとは微塵も思ってもいなかったのだが。

 

 

「亀寿丸。稽古から逃げて来たって聞いたけど、大丈夫なの?それで。余計なお世話かもしれないけどさ」

 

 

「……私は所詮お飾りになる運命だから。怠惰でも良い。臆病でも良い。文武の力など私には無用の長物だ」

 

 

「お飾り、ねぇ」

 

 

 これを聞いても俺は相手が北条時行であるとは思わなかった。何せ今世の学習によって時行が自分と同年代の御曹司だと知っていた俺は、北条の遺児として建武政権に牙を向く時行を自分など足元にも及ばない天才であるに違いないと思い込んでいたのだから。

 

 

「だが、和歌は身分の上下に関わらずやっておいて損はないと思うぞ。大事なコミュ……意思疎通の手段だ」

 

 

「指南役がさ。あーしろこーしろって煩いんだ」

 

 

「あぁ……分かる」

 

 

 五七の調といった簡単なルールを仕込まれた後は、ひたすら実際に自分で詠んだ歌をあれこれ添削されるのが和歌の修行だ。既に詠まれた和歌の解釈をすれば十分という代物ではない。

 京に近い近江守護の嫡男として和歌を修めないなど言語道断なので、俺も武芸や政治・礼儀作法といった稽古の合間を縫って古今東西の和歌を漁っては傾向分析に励んでいるのだが、確かに一筋縄ではいかない分野であることは否めない。

 

 

「ただ、出家するにしても和歌は必要だし逃げるのは至難じゃないか?その様子だと武芸の稽古からも逃げてるだろうし、武勇一辺倒で食べていくのは厳しいだろう?」

 

 

「以前、鎧箱の中に隠れて丸二日逃げ切った」

 

 

「何だその武勇伝。凄いのやら凄くないのやら……つか、それ稽古した方が絶対楽だろ。あと、水はどうした?喉乾いて死ぬわ」

 

 

 何という逃げへの執着だろう。俺は呆れを通り越して目の前の亀寿丸にある意味感心していた。

 

 

「いにしえの清水冠者も亀寿丸のような逃げ上手なら不幸に遭わずに済んだだろうにな」

 

 

「清水冠者?」

 

 

「源義高のこと。ほら、あの木曽義仲の息子だよ」

 

 

 宇治川で義仲が敗戦を喫した後、その息子として鎌倉で人質状態にあった義高は女装による逃走を試みたが、結局は頼朝の手下の追撃を躱し切れずに首を刎ねられた。

 義高の婚約者であり、頼朝と政子の娘であった大姫との悲恋は鎌倉幕府滅亡へのカウントダウンが始まりつつある元弘の世においても人々の語り草となっている。

 

 

「義高を殺した藤内光澄が二品(政子)の怒りを恐れた頼朝公に始末されるっていうのがこの話の面白いところなんだけど……ってどうした?亀寿。そんなに顔を赤くして」

 

 

 心なしか鼻息まで荒い亀寿丸は幼子相手に使うべき表現かは疑問であるが、かなり興奮した様子である。

 ここまで勢いよく食い付かれると流石に困惑してしまうというのが俺の本音だった。

 

 

「女装して逃げる……良いな」

 

 

「え?」

 

 

「千寿。一緒に街に出ないか?」

 

 

「いや、お前さっき稽古から逃げてるって……まさか」

 

 

 そのまさかだったのだ。結局、俺は正宗の弟子に金子を渡して上等な女物の衣を買って来てもらい、それを嬉々として着た時行と日が傾くまで鎌倉の街を出歩いたのである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 あれから二人の立場はすっかり変わった。かたや元服を待たずして超名門・佐々木一族の棟梁となり、一方の時行は得宗家の嫡男としての地位も何もかもを失って隠遁中の身。

 そんな二人が今や鎌倉を滅亡に追い込んだ者たちの巣窟である京外れの賀茂大橋で並んで月を見上げている。数奇とはこのためにある言葉ではないだろうかと、風流心に俺は駆られた。

 

 

「今は多分、諏訪に身を寄せているんだよな?諏訪大社の衛士の息子・小泉長寿丸っていうのは嘘でも、そこは嘘じゃない筈だ」

 

 

「……」

 

 

「別に答えなくて良い。ただ──」

 

 

「千寿の言う通りだ。信濃でかれこれ二年も世話になっている」

 

 

 何やら覚悟を決めた様子の時行は敵方である俺に胸襟を開いた態度で接して来る。それをするなら、接触方法に気を配って欲しかったと俺は心の中で呟いた。

 

 

「それで、どうして態々京まで?尊氏様や師直殿、道誉あたりは君の顔を知っている。群衆に紛れ込むにしても、平時に万一の危険を冒すのは感心しないな。現に昼間、この俺に見つかった」

 

 

「……信濃に居る方が危険だと結論が出たんだ。千寿、足利配下の天狗衆については知っているか?」

 

 

「一応、存在自体は把握している。成る程、奴らに嗅ぎつけられてというなら納得できる」

 

 

 父の目を盗んで俺が山中親子に声を掛けて甲賀出身の者たちで構成した忍軍団が、同業者についての報告を持って来た時の衝撃は今でも忘れることができない。

 

 

 天狗衆。名前の通り、天狗の格好をした者たちによる忍び集団である。どういう絡繰を使っているのかは未だ不明であるが、彼らは人智を超えた速さで移動できるという。

 極めて信じ難い話であるが、新田義貞の鎌倉討伐に一役買っていたという報告がその話の信憑性を裏付けている。

 

 

「亀寿……いや、時行。俺は明日から近江に行く。魅摩一人なら兎も角、俺までお前と一緒に京都見物していたら尊氏様や師直殿の目に付く可能性が相当高い。危険だ」

 

 

 正直、今日の街歩きもこれ以上が考えられないほどの冷や汗ものだったのだ。幾ら何でも時行が捕まって中先代の乱が起こらないというのは、非常に不味い。

 

 

「お待ちを、近江三郎殿。道誉の娘の魅摩と我が君が共に居ることを"兎も角"と表されたのは、何故でしょう?」

 

 

「吹雪と言ったか。鋭いな」

 

 

 この時代にしてはかなり珍しい銀髪を有したイケメンである吹雪は目敏かった。その立ち振る舞いからして、相当高度な次元で文武両道を成すタイプなのだろう。

 

 

「道誉は策謀に優れた切れ者だ。たとえ魅摩と行動を共にするお前たちの姿を見つけても、北条時行を生かす意味を理解して見逃すに違いない」

 

 

「私を生かす意味……?それはつまり、佐々木道誉が北条に付く可能性があるということか?」

 

 

「ぷっ!クク……ギャハハハハハ!アーッ、ハハハハハ!死ぬ!あひ果つ!空しくなる!あーっ、はっはっはっはっは!」

 

 

 突拍子もない話に思わず吹き出した俺は遂に我慢し切れず、衝動のままに大笑いした。訝しむ様子の時行の顔がさらに俺を笑いの渦に突き落とした。

 

 

「あー、笑った笑った。こんなに笑ったのは生まれて初めてかもしれないな」

 

 

「……千寿。私の言ったことがそんなに可笑しかったのか?」

 

 

「ああ、可笑しかったさ。道誉が北条に付く?天地がひっくり返ってもあり得ない。断言してやる」

 

 

 変態レベルで逃げに興奮する時行といえど、かつては天下を席巻した北条の御曹司としてのプライドは持っている。

 一連の言動を北条への侮辱と受け取ったのか、あからさまに機嫌を損ねた様子の時行は俺に尋ねた。

 

 

「君は……どうなんだ?千寿丸。北条に付こうという気概はないのか?」

 

 

「はっきり言おう。そんな気概はない。大体、気概なんてモノで生きていけるなら皆そうしてる」

 

 

「六角は……最後まで私たち北条の側に付こうとしたと!」

 

 

「それは先代の考えだ。俺の考えじゃない」

 

 

 そもそも元弘の乱を迎えた際に、俺は幾度となく時勢を見るようにと父時信を諌めた。だが、それでも俺の諫言は聞き入れられることはなかった。六角時信は馬を射られて敵兵に囲まれるような苦難に遭っても北条への忠義を曲げようとはしなかったのだ。

 きっと外様の武将の中では一、二を争うと言って良いほどに北条に尽くしていた彼の人を足利に降伏させるため、俺がどれだけ骨を折ったか目の前の時行は知らないだろう。

 

 

 いや、ずっと知らなくて良い。今にも決壊しそうになっている時行の顔を見て、俺は心の底からそう思った。

 

 

「家の存続。これが六角家当主として俺が考えるべき何より大事なことだ。時行、得宗家唯一の生き残りであるお前にとって北条の復興が何よりも大切であるように」

 

 

「……」

 

 

 葛藤を覚え始めたのか時行は寂しげな顔で黙り込む。もしかしたら敵地のど真ん中において藁をも縋る思いで俺に接触して来たのかもしれない。

 しかし、幾らそのためとはいえ、忍びを屋敷に潜り込ませるというような喉元に刃を突き付けるにも等しい方法を時行が採択した以上、こちらも強気の態度を示さなければならないのだ。大人気ないとは思うが、これもある種の戦である。

 

 

「時行、己と尊氏様を比べてどちらが勝っている?考えるまでもないだろう。それは六角がどちらを選ぶかにおいても同じこと」

 

 

 場に静寂が齎される。橋の下で川の水が混ざり合っては下流に流れる音だけが俺の耳に聞こえていた。

 その状況を打破したのは──

 

 

「近江三郎殿。少し宜しいでしょうか」

 

 

「……話したいことがあるならどうぞお好きに」

 

 

「有難うございます。近江三郎殿は六角家当主として家の存続を第一にすると、そう仰いましたね」

 

 

「まぁ同じようなことは言ったな」

 

 

「ならば尚更、六角は足利ではなく、北条の側に付くべきかと存じます」

 

 

 その名の通り涼しい顔をした吹雪による意味不明な言葉は俺を拍子抜けさせた。勿論、俺は鼻で笑った。

 

 

「乱の勝算の説明でもするつもりか?悪いが聞きたくない。時間の無駄だ」

 

 

「いえ、そうではありません。お尋ねします。佐々木道誉と足利の関係についてどのようにお考えでしょうか?」

 

 

 質問の意図がよく分からない。しかし、ここで嘘を言っても仕方がないので、俺は正直に答えることにした。

 

 

「蜜月、と言って良いだろう。だが、それは俺も同じことだ。ずっと前のことだが、尊氏様の側近にならないかという話を頂いたことがあるし、それに──」

 

 

「それに?」

 

 

「師直殿には何度もうどんや獣肉料理をご馳走になった」

 

 

 刹那、吹雪の口元から心なしかジュルゥという音が聞こえた気がした。きっと気のせいに違いない。俺は気不味そうな時行の顔に汗が浮かぶのを平然と無視した。

 

 

「……高師直の料理の腕は置くとして、果たして近江三郎殿と佐々木道誉の立場がこの先逆転しないという保証はありましょうか?」

 

 

 うげぇ、と心の内で俺は呻き声をあげた。

 道誉脅威論。京極家の栄達ぶりに危機感を抱いたのか嫉妬心を抱いたのか、馬淵や青地をはじめとする複数の家臣が幾度となく俺に説いた論説である。

 

 

「俺は道誉にこれ以上ない信頼を寄せている。道誉が居なければ、六角はとうにこの世から姿を消していただろうからな」

 

 

「……それはどういう」

 

 

「吹雪とやら。この際だ。弁舌ではなく、()()で決めようではないか」

 

 

 話を逸らす意味もあって、俺は右腕の上腕を二度ほど叩いた。額から汗を流した吹雪は俺の顔と腕とを交互に見比べ、正気を疑うような視線を寄越した。

 

 

「まさか腕相撲で決着を付けようと?」

 

 

「違う」

 

 

「なら蹴鞠で?」

 

 

「足でやる競技じゃねぇか」

 

 

 澄ました顔をして何を惚けているのだろうか。いや、あるいは意図的にこちらのペースを乱しているのかもしれない。

 

 

「剣の腕前で決めようって言ってるんだよ。こっちは」

 

 

「……正気かい?六角の若旦那」

 

 

 ここまで一言たりとも喋ることがなかった風間玄蕃がここに来てやっと口を開いた。

 

 

「正気も正気さ。時行、お前ではなくお前に従う者がどれだけの才の持ち主か試させろ。それによって俺が行くべき道を決める」

 

 

「……分かった。吹雪、頼む」

 

 

「我が君、お任せを」

 

 

 全く等しい長さの二本の刀を腰に刺した吹雪からは昼間行動を共にした弧次郎や亜也子を上回る武力が感じられる。普段と違う装いの俺は動き易くするため、衣の裾を上げながら吹雪に確認した。

 

 

「文字通りの真剣勝負だ。相手に参ったと言わせた方の勝ち。異存ないな?」

 

 

「勿論」

 

 

 玄蕃が向かい合う俺と吹雪の両名から時行を引き離すのを確認してから、二人は互いに刀を抜いた。案の定、吹雪は二振りの刀を同時に抜いた。両刀使いとは小洒落ている。

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

 川の水が流れる音をフクロウの声が遮ると同時に、俺と吹雪は双方同時に動き出した。

 

 

「ふんっ!」

 

 

「ふっ!」

 

 

 金属音が届く距離というのは限られている。人気のない夜半の賀茂大橋であれば、大して他の者を気にすることなく存分に打ち合うことができるだろう。

 

 

「はっ!やっ!ていやっ!」

 

 

「なっ!?これは……!」

 

 

「え……!?」

 

 

「魂消たな、おい」

 

 

 先程、俺は吹雪が二刀を構えたのを見て小洒落ているという感想を抱いた。換言すれば、自分と近い年齢の武士が二刀流だったとしても、良くも悪くもその程度の感想しか抱くことはない。

 

 

「聞けば、新田義貞も二刀流!高師直は長物を使うとはいえ、両手に武器を持つという意味では同じ!彼らに比すればお前など!」

 

 

 打ち合ってみてすぐに悟った。吹雪の太刀筋からは以前垣間見た稽古中の高師直のそれとどこか似ているものを感じる。同じ流派の出身なのか否かは知ったことではないが、とても二人が全くの無関係であるとは思えない程に。

 尤も、真相は今の俺にとってはどうでも良いことである。今この場において大事であるのは──

 

 

「どうした!?単なる師直殿の劣化版では物足りないぞ!もっと本気(ガチ)で掛かってこい!さもなくば、殺してしまうぞ!」

 

 

「ッ!?」

 

 

 跳躍した俺に吹雪は驚愕の表情を浮かべる。別に彼をとって食おうという気は俺にはない。ただ、吹雪の本気を見せて欲しい。獰猛な笑みと共に俺は空中で瞬時に刀を構え直した。

 

 

「はあああっ!」

 

 

「っっううう!」

 

 

 周囲を厭わない俺の渾身の斬撃に対し、吹雪は両手に持った二刀を交差させた一撃によって弾き返した。しかし、それでも込められた必殺の威力は堪えたらしく、滑るようにして後ずさった。

 ほんの一瞬だけ俯いた吹雪の顔が再び上がる。その眼には獣を彷彿させる闘志が宿っていた。ようやく本気を出してくれるらしい。

 

 

「改めて名乗り合おうか。すっかり忘れていたが、仮にもこれは一騎打ち。名乗りを欠いてはあまりに格好が付かないだろう?」

 

 

「……吹雪。北条時行様の郎党"逃若党"の軍師、吹雪だ」

 

 

「応えてくれてありがとう。我が名は──」

 

 

 南北朝鬼ごっこ 近江国守護 六角近江三郎

 

 

 先程までとは桁違いの緊張感がこの場に走る。そのことを肌で感じつつ、仮面を被っている筈の玄蕃の顔に冷や汗が流れていることに面白さを見出してから、俺は伝家の宝刀である「綱切」の写しを携えて吹雪の方へと駆け出した。

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