崇永記   作:三寸法師

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▲9

〜1〜

 

 

 どこまでも広がる青い海に浮かぶ一艘の船から、一人の軽装の少年武将が空高く飛び上がった。同時に異臭の漂う「鞠」が、少年武将の足に吸い付くようにして飛び上がる。瞬間、これしき何でもないというような少年武将の表情とは隔絶の鋭い蹴りが放たれた。

 後に言うオーバーヘッドの要領により、「鞠」は遠く東南の空へ蹴飛ばされていった。極めて難度の高い曲芸を成功させつつも軽々と着地する少年武将の挙動と併せ、同じ船に乗る郎党たちは口々に神業だと称えた。その少年武将の名は佐々木六角千寿丸という。

 

 

「長居は無用だ。帰るぞ」

 

 

「「「は!」」」

 

 

 遠く東南の空に見え始めた禍々しい黒雲に目を遣り、千寿丸は即断した。あくまでも戦略的勝利が目的であって、万騎超えで三百余艘もの数の軍船に乗る南朝武士たちを全滅させるため、自分たちより遥かに多勢の南朝(北畠親房)軍の船団に接近する無茶をするに及ぶまい。

 一切の感情のブレを見せず、千寿丸は淡々と命ずる。その船は途端に踵を返し、友軍の斯波(尾張足利)家の領地を目指して北西へ向かった。

 

 

「殿、予備の桶が余りましたが、如何致しましょう?」

 

 

「……渡せ。まだ敵が北にいるようだ。何となく気配がする」

 

 

「ッ!?何と!」

 

 

「まさか、尾張足利家の周りから我々の動きが漏れましたか!?」

 

 

「そ、そんな筈は……尾張守(斯波高経)様の三男、孫四郎様は秀才。その協力ありながら、周辺の敵方に不審と勘付かれるなど……ある筈が」

 

 

「皆、慌てるな。数は多くない。俺たちだけで勝てるさ……ただ、接敵するまでもないか。爆散させよう。俺の蹴りは今も絶妙さ」

 

 

(遠目に見えるあの紋、確か熱田大宮司(尾張国の南朝方)のものか?当主の熱田昌能に優れた勘有りという話は、寡聞にして知らんが……ま、他に神官も巫女も居る。それで我らの挙動に勘付いたか。だが、一歩遅かったようだな!南朝軍の船団は既に壊滅済みだ!尊氏様の涎漬けにより超強化された"鞠"、加えて神力豊かな俺のキックによって!)

 

 

 瞬く間に感情を昂らせ、千寿丸はまた飛び上がって「鞠」を蹴飛ばして、狙い通り敵船にぶち当て、文字通り木っ端微塵にした。

 念の為、近付いて無事だった敵船員を射殺しよう等と、郎党たちが態々進言しようとも思わない程、圧巻の光景が広がっていた。

 

 

「征夷大将軍はこの世に尊氏様お一人で十分……ま、二十年もすれば次代の治世だが、やっと待ち望んだ再臨の源姓武家の天下がやって来た。始まったばかりの神代、邪魔される訳にはいくまいよ」

 

 

「殿……?」

 

 

「み、見事な神武でございました」

 

 

「さぁ、今度こそ帰ろう。まずは我らが故郷、近江国へ!」

 

 

 時は暦応元年(西暦1338年)の九月。半年前に分家の京極家に横奪された格好となっていた近江国守護職は、本家の六角家の手に戻されていた。

 近江国に千寿丸が戻って間も無く、守護大名にありがちな仕事が舞い込んだ。当時、国々には複数の各武家・寺社の利権が複雑に絡み合っており、押妨という形で軋轢が頻発していた。そうした軋轢を時に生み出し、時に収めるのが当世の守護大名の生態である。

 実際、幕府の文官・摂津親秀(掃部頭)*1から九月二十五日付けで千寿丸(佐々木三郎)宛てに書かれた書状が、後の「東寺百合文書」に収められている。

 

 

愛知郡(東近江)の円城寺領を畠山殿がねぇ……俺の居ぬ間に少しでも多く軍務(紀伊国平定)のための兵糧を集めようってか?ようやるわ。お陰で、円城寺の上役の仁和寺経由で光厳院に話が伝わり、続いて幕府にもと」

 

 

「殿様。畠山って石津の(南朝)軍の投石で顔面強打したって噂の?」

 

 

「いいや、亜也子。それは前伊勢国守護・畠山高国。今、問題なのは高国の大甥・畠山国清(道誓)*2だ。才覚はマジもマジだが、俺の手を煩わせるなど言語道断。寺領の押妨なら俺も厭わぬが、それはそれ、これはこれ。幕命も院の意もある。何より近江国(我が庭)を荒らすとは」

 

 

(マウンドに居る時の理屈ってやつだな。これは……やるか)

 

 

 幕府の若手最有力株の武将・千寿丸が口角を上げて立ち上がる。

 手を翳して眼前の亜也子に示す挙動は、千寿丸の積極果断な一面の証だ。その声は以前よりも低く、然して一点の濁りすらない。

 

 

「亜也子……いや、望月甲賀三郎に命ず!」

 

 

「は!」

 

 

「馬廻衆の肩慣らしをしておきたい。昨晩に伸びた子たちを除き、(あまね)く動かす。俺は別件で園城寺(三井寺)に関する文書作成のため、少し遅れて行くが、お前が投石で大木一本倒して見せ、その隙に童兵をして喉元に刃をチラつかせよ。本国(紀伊国)ではなく、近江国の寺領で兵糧集めに勤しむ畠山家の弱卒程度、この脅しで簡単に膝を屈する筈さ」

 

 

「承知!馬廻衆の統率は暫し私に任せて。殿様」

 

 

 互いに神力で瞳に尋常ならざる光を宿し、頷き合う。千寿丸にしろ亜也子にしろ武断的性格が、以前にも増して強くなっていた。

 いずれにせよ、この畠山氏の押妨を差し止めた件により、当時齢十三の少年武将・千寿丸は、近江国守護職が名門・六角佐々木家の手にあると天下の君臣、そして後世にまで知らしめたのである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 暦応元年(西暦1338年)十一月中旬、千寿丸は既に帰京し、佐々木六角邸に帰還していた。待望の()()を明日に控え、落ち着かない様子である。

 すっかり身体の回復していた魅摩は、呆れたとでも言いたげに溜め息を漏らした。明日は婚約者の晴れ舞台なのだからと、魅摩が新たな装いを試したにも関わらず、肝心の千寿丸は全く見向きもしていなかった。それどころか、態々硯と下敷きを板敷に広げた上で寝転がり、無駄遣い極まりない事に紙を使って落書きする始末だ。

 ひょいと魅摩は落書きを覗いてみる。直ぐにその目を丸くした。

 

 

「何だって?家康、秀忠、正信、直孝、政宗、幸村、勝永、基次、重成、秀頼、治長、全登、盛親……?三郎。何の一覧だい?聞かない名前ばっかりだ。明日付けられる諱名の候補じゃないよね?」

 

 

「まさか。尊氏様の加冠で元服するとなれば、十中八九()の字を偏諱で頂く事になる筈だ。()は元々髭親父のものだから、貰ってもあまり嬉しくない。他にあるとしても、足利氏の別の通字の()だ」

 

 

 この時代、元服の際に烏帽子親から諱名に一字貰い受ける事は、よくある話であり、道誉もとい京極高氏も「高」の一字を烏帽子親にして最後の得宗の北条高時から譲られている。魂そのものとも言える諱名を一字共有する事で、擬似的親子の絆の証とするのだ。

 勿論、高時と二人の高氏(足利・京極)、そして尊治こと後醍醐天皇に対する尊氏のように、諱名を半分(一字)共有したからと言って、決して揺るがない絶対の上下関係が成り立つとは、必ずしも限らないご時世になりつつあるのだが、それは謂わば乱世のお約束のようなものである。

 とはいえ、君主が勝利者であり続ける限り、大概の烏帽子親と烏帽子子は実の親子のような強い繋がりを保ち続けるものである。

 

 

(尊氏様の事を考えるだけで……俺はえも言われぬ心地になる)

 

 

「髭親父?……後醍醐の帝の事か。婆娑羅だねぇ」

 

 

「流石に大っぴらには言えねェよ。尊氏様は未だ尊の字を捨てようとなさらない程だし、ついこの間まで大覚寺統の元号の()()北朝(持明院統)で使われてた位だ……その内、髭親父が死ねば、弔うために寺を建てようという話になるぞ。しょうもない。貿易の方はまだしも」

 

 

 如何にも不満たらたらといった様子で、千寿丸は吐き溢した。

 後醍醐天皇の皇威は不思議と今も京に残っている。と言うより、尊氏の煮え切らない建武政権への未練が、痼りのような形で残させている。こうした見方は本人(尊氏)以外の北朝の公武に潜在していた。

 ただ、魅摩は別の事が気になったようだ。数年前まで京の賭場で神力を用いて金子の荒稼ぎに勤しんでいただけあって、以前より落ち着いて少々地味になった今でさえ、儲け話への感性は健在だ。

 

 

「貿易……へぇ、三郎。また何か凄い未来が見えていそうだ」

 

 

「……別に大した話じゃないさ。遅かれ早かれ、幕府が口実を付けて貿易船を派遣して大儲けするかもしれない。その程度の話だ」

 

 

(天龍寺船派遣……寺造営自体は夢窓疎石の勧めだったか。佐々木惣領の俺なら一噛み程度できるかもしれないが、どうしたものか。建長寺船(十三年前)住吉神社船(確か六年前)の件然り、そう特別視する由もあるまいが)

 

 

 鎌倉時代末期、寺社造営料の捻出を目的とした半官半民の貿易船が日本から渡海し、唐物を得て売り捌き、儲ける動きがあった。

 およそ半世紀程前の元寇を乗り越え、日元の経済的交流が起こっていたのである。しかし、建武の乱以降、別の問題が両国の間に生まれていた。倭寇である。時代が下ると更に活発化する存在だ。

 この頃、日本ではなく元が逆に海外船を警戒し始めていたのだ。

 

 

(貿易船ねぇ。二、三年前の向こうの海賊騒ぎのせいで、日ノ本の船は悉く海賊船だと見做されるようになって、民間交易すら途絶したと聞いたが、あの三郎の口振り……また潮目が変わるのか?)

 

 

「ふーん。で、結局何だったの?その列挙した人名は?」

 

 

「気の向くままに書いてみただけだ。俺たちには関係無き話ぞ」

 

 

「何だそりゃ……ま、落書きは尊氏様も文書になさると親父に聞いた事がある。義理の親子になる二人で似てきて微笑ましい話さ」

 

 

「はン。そりゃ、どうも」

 

 

(うん、やっぱり……こうでなくっちゃ!)

 

 

 ぶっきらぼうな口振りと裏腹に、千寿丸は露骨に上機嫌となって筆に墨を刷り付け、鼻歌混じりに己の落書きを塗り潰していく。

 すると魅摩は黙って口を尖らせた。皮肉のつもりだったのにと。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 翌十五日、佐々木氏の主要な一族郎党や征夷大将軍・足利尊氏をはじめとする幕府の要人たちが京の六角邸で一堂に介していた。

 西国武家屈指の名門・佐々木惣領の千寿丸が遂に源姓武家の将軍の手で加冠するというだけあり、注目度は高い。神力持ちとしての功労も含まれているのだろう。公的な場への臨席を許され、魅摩は実父の道誉と実兄の秀綱に挟まれる形でひょっこり座っていた。

 

 

「千寿丸……我はこの日を長い間、待ち侘びておったぞ」

 

 

「私もです、尊氏様。今日ほど数多の戦乱を潜り抜け、生き延びて良かったと思った日はございません。尊氏様の威徳により、千寿丸はやっと大人になれまする。全てを尊氏様に委ねたいと存じます」

 

 

「うん……千寿丸、お別れだ。瞼を閉じて」

 

 

 尊氏の言葉の意味を察し、千寿丸は言われた通りに目を瞑った。

 紐を解いて床に垂れていた長い髪がハラリと落ち、身体から強張っていたものが霧散していくような感覚を哀愁の心と共に得る。

 

 

「さ、目を開けるのだ。君の義父、征夷大将軍・源尊氏である」

 

 

「……我が義父たる将軍・尊氏公に拝謁致します」

 

 

「うむ。君はこの尊氏が頼みとする幕府の若手最強武将。よって、()()と名乗るが良い。これからは真の最強となるべく精進致せ」

 

 

「は!源氏頼、最高の栄誉に最上の研鑽でお応えします!」

 

 

 暦応元年(西暦1338年)十一月十五日、第四代六角家当主・佐々木氏頼が再誕の源氏将軍・足利尊氏の手で、未熟な雛ではなく、一人前の武将としての姿を現した。尊氏軍最強の武将の志を高らかに抱いたまま。

 この時の千寿丸改め氏頼の感慨は筆舌に尽くし難い。初代足利将軍の烏帽子子として、猶子にも匹敵するような待遇を約束されたのである。近江国守護が()()と名乗る事それ自体に意味があった。

 

 

(()……()の字か!秀頼?勝頼?いや、違う!頼朝公の()だ!我が二代前も頼だったが、それも元を辿れば頼朝公*3!尊氏様は御自分の()と併せ、二人の偉大な源氏将軍の字を両方与え賜うたのだ!)

 

 

「氏頼よ。引き続き、この京に程近い近江国で、天下の要石の役割を果たしてくれ。君の武力に我は期待しておる。故に……師直」

 

 

「は……氏頼殿。刀や鎧など武具を揃え申した。お受け取りを」

 

 

「っ……おお!」

 

 

「「「!?!?」」」

 

 

 瞬間、氏頼は顔に歓喜を浮かべ、臨席者たちは皆一様に驚いた。

 武具はどれも上質な品だ。特に、黄金基調の装飾の偃月刀は幕府の誇る猛将・高師泰のものにも匹敵しよう。だが、皆の関心の的はそこではない。鎧の胴の前面が如何にあしらわれたかであった。

 

 

(兄上〜!氏頼(佐々木惣領)を石塔か誰かと間違えておられぬか!?)

 

 

(しょ、将軍はこの晴れ舞台に、何を宗家(氏頼殿)に押し付ける気で……)

 

 

(()三郎(氏頼)……?)

 

 

「尊氏様の肖像画!何と豪勢な鎧である事か!」

 

 

(((えぇ……本気で喜んでる)))

 

 

「ふふ。氏頼ならそう言ってくれると思っていたぞ。な?師直」

 

 

「は。氏頼殿にはこの大鎧こそ似合っておられる」

 

 

(((本当に良いのか?これで……大体、肖像の背景!(タコ)脚だぞ!)))

 

 

 氏頼や尊氏、師直とそれ以外の温度差は歴然としている。この場に集まった殆どは、固有鎧・色々威大鎧「足利尊氏」の異様さにドン引きしていた。しかし、無情にも加冠の儀は進行していった。

 話は別のテーマに及んだ。すなわち、氏頼の授かる官位である。

 

 

「そうだ!氏頼よ、望みの官位はあるか?正直に言ってくれ」

 

 

「従五位下・左衛門佐……とか」

 

 

「おお、即答だな!良いぞ!」

 

 

(な、兄上……また安請け合いを!今から従五位下を十三歳の外様大名に認めれば、数十年の後はどこまで昇進しているか!余裕なき南朝とは、官位の重みが異なる!流石にこれは持ち帰らせねば)

 

 

 ここで生真面目な副将軍の直義が動いた。いきなり昇殿が視野に入る従五位下の位階は、幾ら佐々木氏が名門とはいえ、武家の若輩相手に簡単に約束できるようなものではない。官位相当の制が遵守されないようになって久しいとはいえ、鎌倉時代の気風が色濃く残るこの時世(室町時代初期)、後の戦国時代ほどの官位の勝手は許されなかった。

 加えて、直義の懸念は他にもある。二ヶ月前に香りのキツい同じ部屋に居た尊氏と当時の千寿丸の姿を思い出したのだ。大名の子が褥に侍れば高い官爵が待っているとの噂が万一出回れば、政道が乱れるに違いない。それは直義にとって断固容認できない事態だ。

 

 

「兄上。氏頼の官位は齢十五になってから。そういう約束です」

 

 

「ん?そうか?まぁ、宜しく頼んだ。氏頼、他に望みはあるか?」

 

 

「……然らば、この際はっきりと申し上げます。御方に隠し事は出来ませぬ故。尊氏様、我が正室の座は半年前より成り手が居らず、空席見込みのまま。既に側妾・魅摩の居る身で恐縮なれど、いずれお生まれになる御息女でこれはという方がおわすれば、氏頼に戴ければ更なる至福と存じます!この氏頼を是非、将軍の御婿に!」

 

 

「「「!?」」」

 

 

(この至上の場を以て、我が一族(佐々木氏)内の六角家と京極家の序列を二度と揺らがぬものにする!尊氏様とて竹若丸母(加古氏娘)を降格させ、赤橋(登子)を正室に迎えた!尊氏様の義理の子なれば、俺だって倣える筈さ!)

 

 

 六角氏頼は一度心を決めれば、驚くほど大胆になる。そんな性質の武将であった。現にその言葉は尊氏(烏帽子親)以外の全員の度肝を抜く。

 特に驚いたのは魅摩である。正気を疑って氏頼(佐々木惣領)を見つめる父兄(道誉と秀綱)の狭間で深く俯く。奇異の視線を数多浴び、両の拳を強く握った。

*1
長兄に鎌倉幕府滅亡に巻き込まれて自害した摂津親鑑。つまり、幻のヒロイン・摂津清子の叔父である。

親秀以降の摂津氏は代々室町幕府に仕え、戦国時代には政所執事の清門(はるかど)を輩出した。

*2
紀伊国守護。この前年(西暦1337年)四月まで和泉国守護職も兼任していた。

後に関東管領となって足利基氏を補佐し、計略を案じて新田義興を亡き者にする傑物。

*3
六角氏頼の先々代当主は名を頼綱という。五代執権・北条時頼からの偏諱だったが、この時頼は鎌倉幕府四代将軍・九条頼経の偏諱を受けていた。そして、頼経の()自体、初代将軍の源頼朝を意識したものだとされる。

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