崇永記 作:三寸法師
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今更言うまでもなく、元服は武家の男児の一大イベントである。
室町幕府三代将軍・足利義満の時代、六角佐々木家の誇る貴公子である亀寿丸は、訪問先の尼子郷にある、亡き先代当主夫人の魅摩の屋敷で、
とりわけ魅摩による、近江国守護職を取り戻して晴れて尊氏の烏帽子子となったという先の例は、今の亀寿丸の見本になり得た。
「おやおや。亀寿丸も足利将軍に御執心か」
「い、いえ、御執心など……滅相もない」
未だ幼稚な亀寿丸は寵童として将軍・義満に近侍する立場だ。
亡き
「その、北の方様。お聞きして良いか分からないのですが」
「ん?何々、聞きにくい話?いいよ、折角だ。遠慮はお止しよ」
「はい……
瞬間、魅摩は年甲斐もなくプッと吹き出して手を横に振った。
その挙動に亀寿丸は恐縮する。ついうっかり思わず頓珍漢な事を聞いてしまったと不安になったのだろうか。義満の寵童たちの代表格とされる割には場馴れしていないようにも見えたが、魅摩は直ぐに
「亀寿丸。あんたの兄上じゃなくて、御父君さ。足利将軍に御執心だったのは……それこそ
「尊氏公の
「……マジだよ。その話」
「何という忠誠心……幕臣たる者、私も見習わなければ」
「ん?んん?」
(そんな綺麗な話じゃないんだけどねぇ)
何とも真正直な事に、亀寿丸は亡き父の奇行譚をポジティブに受け取っているらしい。魅摩は実態を明かしてやるべきか悩んだ。
ただ、幼子の亀寿丸の夢を壊すのも躊躇われる。自らの老婆心同士の板挟みになりながら、もう何十年も前になる話を思い出す。
『三郎。あんたの狙いは分かってる。加冠の席で
『?……何故だ?尊氏様の御姿が克明に描かれた鎧だぞ?もし刺客が来ても、鎧を一目見るだけで、肝を潰してその場に倒れ伏すか、逃げ帰るだろう。枕高く眠れて良い事尽くめだ。御利益がある』
『た゛あ゛あ゛あ゛!そういう話じゃない!』
当時、加冠の席でその場のノリも同然で魅摩を側妾扱いして烏帽子親の尊氏の婿になりたいと公言した
色々威大鎧「足利尊氏」……中先代の乱で戦死した石塔範家の紅白糸縅鎧「鶴子八幡」の如く足利尊氏の絵が鎧の前面にデカデカと表されている力作である。ただ、魅摩に言わせれば、その鎧が安置されている部屋で、
幾ら何でも気味が悪過ぎる。しかし、かと言って、いつの間にやら側妾に降格させられた当時の
結局、
(ん?亀寿丸はあの鎧を見た事がない?……有り得るか)
「亀寿丸。崇永殿が加冠の際、尊氏公に諱名以外、何を頂いたか聞いているかい?もしかしたら知らないんじゃないかと思ってね」
「武具を色々と伺っております。現物はまだ見ておりませんが」
「ああ、そう……その内、見せて貰うと良いよ。特に鎧だ」
「鎧?」
「そう。多分、今も城の蔵にある筈だよ。もしかしたら崇永殿の墓の下かもしれないけど……見たら
「そ、そんなに凄い品なのですか?実用性より美術的な意味で?」
「……そうじゃないさ。着眼点自体は悪くないけど、あんたのお父上の武力だったら、鎧に敵の返り血一つ付けずに帰ってくる程度は容易いよ。まぁ、見れば分かるとしか言いようがないね、今は」
「はぁ……」
困惑しながら考え込む亀寿丸の姿は実に
これが
「確かにそうまで言われると想像が付きません。真面目だったと言われる直義公ばかりでなく、当時の将軍執事……高師直にさえ着用禁止を言わしめる品など。あの武将の悪名高さは今も健在です」
「……そうだね。例を挙げていけば本当にキリが無い」
かつて少女時代に率先して婆娑羅な装束で身を固めていた魅摩にとって、幕府開闢後の婆娑羅武将たちの盛衰模様は、実父の
時間とは残酷なもので、かつて最先端の流行であった婆娑羅も数十年が経てば、賞味期限切れの古の産物に過ぎない。と言うより、婆娑羅は室町幕府発足時、既に建武式目で禁じられて文字通りの違法であった。にも関わらず、初期の幕府では高師直、佐々木道誉、土岐頼遠といった婆娑羅大名の振る舞いが人々の度肝を抜いた。
目の前の亀寿丸のような
「北の方様。あまり口にするのも憚られる話ですが──」
「塩冶判官讒死の事……これだろ?聞きたい話は」
古典『太平記』には数多くの逸話が収録されているが、とりわけ後世の歌舞伎でも盛んに取り上げられた程、人々の関心を集めた悲劇がある。それこそが佐々木一族の武将にして、出雲国と隠岐国の守護を兼ね、名を馳せていた大名・塩冶高貞にまつわるものだ。
これは言い換えれば、高師直の婆娑羅の犠牲を綴った話であるとも言える。古典『太平記』において塩冶高貞はその妻・顔世御前が
「ッ……はい。今だからこそ聞いておきたいのです」
「……そうだね。正式に亀寿丸が佐々木惣領として一本立ちする前に知っておくべきだ。巷じゃよく言われてるんだろう?尊氏公の将軍就任間も無い頃、佐々木一族で、並みでない軍功もあって覚え目出たかった筈の塩冶が、
「はい。義侠心ある者は皆、その話を聞いて憤ります。まさか
「……良いね。その耳聡さは政権の中枢で生き残る上で、必要不可欠だよ。塩冶の嫌疑にしたって、何も無根拠だった訳じゃない」
「!」
かつての佐々木惣領の妻の片鱗を露わにする魅摩の凄みに気圧されたのだろうか。まだまだ大名の卵も同然の亀寿丸は息を呑む。
その様子に元婆娑羅少女らしく楽しみを覚えつつ、魅摩は改めて頭の内で情報を整理する。亀寿丸を含めて今の人々に、当時の情勢が如何様に伝わっているのか。それ次第で伝え方が変わるのだ。
「亀寿丸。塩冶高貞が討たれた年は覚えてる?」
「?……確か前に読んだ軍記の写本では暦応三年の事だったと」
「そこからか……暦応四年だよ。記憶間違いという訳でも無しに、
「聞いたところでは、父上は北陸の脇屋征伐のための準備で──」
「分かった。そこから話すよ。色々と
(あれは
一連の塩冶高貞事件に関し、古典『太平記』の史実性は後世も議論されるところである。そもそも事件発生のタイミングからして、古典や当時の各種史料の間で食い違いが発生しているのである。
そうした食い違いは闘将・新田義貞の弟である脇屋義助の動向及びこれに対する北朝軍の活動に関しても同様だ。瞬く間に魅摩は話の順序を組み立てる。亡き
〜2〜
現にこの年の十一月十五日、件の将軍執事・高師直はまたも
将軍邸に戻って早々、
「んん〜、千寿丸の髪入り!普段に増してうどんが美味いなぁ!」
「……は」
奔放な尊氏に仕える上で、完璧執事の師直が自分は何をしているのだろうと自問自答する事は今に始まった話でもないが、半年程前の御左口神祓い目撃以来、その心酔は最早かつての比ではない。
故に、尊氏の烏帽子子となった六角氏頼、つまり今朝方までの千寿丸の髪を生地に混ぜ、うどんを作れという主命にも異を唱えるつもりはない。髪入りでも美味しくなるよう調整するのみである。
「将軍。一昨日の岩清水八幡宮視察や本日の六角殿加冠、お疲れ様でございました。間も無く
「ああ……そうだな。今日の政務は良いや。それより妻を呼んで来てくれ。千寿王の頼みだからな。あいつの正室を作ってやろう」
「将軍……?
「ん?……おお!そうだ!千寿王は義詮の幼名だったな!危うく息子に近親相姦させてしまうところだった!千寿丸、いや、えっと、何だったかな……そうだ!氏頼だ!氏頼の正室を産ませねば!」
慌てて取り繕うように言う将軍・尊氏であったが、全く取り繕う事が出来ていない。
頭を下げつつ、師直は悪い笑みを顔に湛えた。尊氏はどうでも良い事を放念しがちである。直義派閥に加え、千寿丸も元服して氏頼となって前髪を失い、同時に尊氏からの心も失い始めたようだ。
現に師直が念を押すと、途端に尊氏の勢いは尻すぼみになった。
「将軍。本当に六角殿を婿にするおつもりで?」
「ああ、まぁ……師直。皆の前で我は何と言ったっけ?」
「頑張ると仰っておられましたが、一応は娘を与えなくても角の立たぬ上手い濁し方でした。尊氏様、御息女は既に烏帽子子とした大名より、持明院統の皇族を優先すべきかと。六角殿とて、官位に関して弟殿の口挟みを受けたばかりで、二度目はないと踏んで今後の有利を作るよう、立ち回ったまでの事。本気で御息女を欲しておられる訳ではございますまい。そもそも六角殿には既に婚約者が」
「居たなぁ。そう言えば……道誉殿は何と?」
「とうの昔から床に献じていたのだから妾扱いも致し方ないと」
「ふふ。惣領の成長が薬となったか。道誉殿は本家に対して遠慮しているな。婆娑羅な腹黒坊主も我が将軍家は勿論、佐々木嫡流にも従順と見える。しかし、持明院統の皇族か……気が進まぬなァ」
「……と仰いますと?」
「師直。帝は吉野におられる。にも関わらず、我が娘を持明院統の皇族に嫁がせてしまえば、和睦が難しくなってしまうだろう?」
この期に及んで、尊氏は敵対勢力の頭・後醍醐天皇との和睦の道を諦めていないらしい。
尊氏の心は七変化する。後年に
悲しい哉。北畠顕家や新田義貞が亡くなって南朝の抵抗が下火になる頃、後醍醐天皇の命運は吉野の山奥で絶えようとしていた。
南朝の元号で言う
「朕の願いは一つのみ……尊氏を滅ぼし、天下泰平を!新帝の元、新田・脇屋の子孫を股肱之臣とし、四海を鎮撫せよ!我が骨は南に埋もれようとも、霊魂は北に有り!朕の遺命、遵守するのだ!」
「「「ははあ!」」」
丑の刻、全てを備えし破格の後醍醐天皇が五十二歳で崩御した。
数日が経ち、訃報は京の尊氏の元に届く。当初は皆、報せに半信半疑であったが、月末には裏取りに成功する。尊氏は北朝の文武百官の前で公然と泣き喚き、七日間の政務停止を命令する。直義たちが戸惑う一方、師直は表情一つ変えず主君の肩に上着を掛けた。