崇永記   作:三寸法師

132 / 202
第拾参章 婆娑羅大名の盛衰
▲0


〜1〜

 

 

 今更言うまでもなく、元服は武家の男児の一大イベントである。

 室町幕府三代将軍・足利義満の時代、六角佐々木家の誇る貴公子である亀寿丸は、訪問先の尼子郷にある、亡き先代当主夫人の魅摩の屋敷で、氏頼(崇永)が千寿丸であった頃の最後の日の話を聞き、胸を躍らせた。在りし日の父兄の如く、亀寿丸も足利将軍の加冠を受ける日を夢見て。亀寿丸にとってそう遠くない未来である筈なのだ。

 とりわけ魅摩による、近江国守護職を取り戻して晴れて尊氏の烏帽子子となったという先の例は、今の亀寿丸の見本になり得た。

 

 

「おやおや。亀寿丸も足利将軍に御執心か」

 

 

「い、いえ、御執心など……滅相もない」

 

 

 未だ幼稚な亀寿丸は寵童として将軍・義満に近侍する立場だ。

 ()()()が立てられる程、甚く可愛がられていると中央で専らの評判だが、足利宗家の家格は既に数十年前の比ではなく、天下に蔓延る名門武家たちの間でも、より抜群のものとなりつつあり、義満(将軍)本人に至っては皇室の足元すら見据えていようかという程である。

 亡き基氏(鎌倉公方)の娘の婚約者という立場を以てしても、亀寿丸の方から将軍(足利義満)に執心するというのは、畏れ多いとしか言い様が無かった。

 

 

「その、北の方様。お聞きして良いか分からないのですが」

 

 

「ん?何々、聞きにくい話?いいよ、折角だ。遠慮はお止しよ」

 

 

「はい……()寿()()()、という事は、ひょっとして兄上も……?」

 

 

 瞬間、魅摩は年甲斐もなくプッと吹き出して手を横に振った。

 その挙動に亀寿丸は恐縮する。ついうっかり思わず頓珍漢な事を聞いてしまったと不安になったのだろうか。義満の寵童たちの代表格とされる割には場馴れしていないようにも見えたが、魅摩は直ぐに死んだ兄(六角義信)の母たる自分(魅摩自身)に対する負い目のせいだろうと悟った。

 

 

「亀寿丸。あんたの兄上じゃなくて、御父君さ。足利将軍に御執心だったのは……それこそ幕末(鎌倉末期)や建武新政の頃も源姓武家が天下人たるべしと信じて疑って無かったからねぇ、崇永殿は。加冠の儀で氏頼って諱名を尊氏公に戴いた時なんか、そりゃ喜んだものだよ」

 

 

「尊氏公の()と頼朝公の()。そう喜んでおられたと年長の郎党から昔聞いた覚えが。確かその後、屋敷の離れに移り住み、部屋一面に筆で直接諱名を書き回って満足しておられたと……真ですか?」

 

 

「……マジだよ。その話」

 

 

「何という忠誠心……幕臣たる者、私も見習わなければ」

 

 

「ん?んん?」

 

 

(そんな綺麗な話じゃないんだけどねぇ)

 

 

 何とも真正直な事に、亀寿丸は亡き父の奇行譚をポジティブに受け取っているらしい。魅摩は実態を明かしてやるべきか悩んだ。

 ただ、幼子の亀寿丸の夢を壊すのも躊躇われる。自らの老婆心同士の板挟みになりながら、もう何十年も前になる話を思い出す。

 

 

『三郎。あんたの狙いは分かってる。加冠の席で()()()()()()私を側妾扱いしたのはこの際、水に流してやんよ。まさか本当に尊氏様が娘をくださると思ってる訳じゃないんでしょ?だけどね、()()を寝室に置くのは止しなよ!おちおち寝れやしないじゃないか!』

 

 

『?……何故だ?尊氏様の御姿が克明に描かれた鎧だぞ?もし刺客が来ても、鎧を一目見るだけで、肝を潰してその場に倒れ伏すか、逃げ帰るだろう。枕高く眠れて良い事尽くめだ。御利益がある』

 

 

『た゛あ゛あ゛あ゛!そういう話じゃない!』

 

 

 当時、加冠の席でその場のノリも同然で魅摩を側妾扱いして烏帽子親の尊氏の婿になりたいと公言した氏頼(近江三郎)に、罪悪感は欠片一つ見えない。道理は自分に有りと信じて憚らなかったのだ。とはいえ、その真意を見抜けずに問題視する魅摩ではなかった。尊氏の性格を踏まえ、耳障りの良い事を口にしてその場を濁す発言それ自体を、氏頼(近江三郎)一族(佐々木氏)嫡流の別格ぶりを公然のものとすべく、引き出そうとしていたと見抜いたのだ。しかし、引出物の鎧は話が別であった。

 色々威大鎧「足利尊氏」……中先代の乱で戦死した石塔範家の紅白糸縅鎧「鶴子八幡」の如く足利尊氏の絵が鎧の前面にデカデカと表されている力作である。ただ、魅摩に言わせれば、その鎧が安置されている部屋で、氏頼(近江三郎)と褥を共にするのは勘弁願いたいところであった。まして、その鎧にある尊氏の背景画が触手なのである。

 幾ら何でも気味が悪過ぎる。しかし、かと言って、いつの間にやら側妾に降格させられた当時の魅摩(分家の娘)の立場上、本家当主(六角氏頼)との褥を欠かす事は出来ない。馬廻衆とかいうお邪魔虫軍団の存在もある。

 結局、氏頼本人の諱名(尊氏の頼みの武将たる証)を離れの部屋一面に書き廻る事を見逃す代わりに倉庫へ納めさせたっけ。そう今や老尼の魅摩は回顧した。

 

 

(ん?亀寿丸はあの鎧を見た事がない?……有り得るか)

 

 

「亀寿丸。崇永殿が加冠の際、尊氏公に諱名以外、何を頂いたか聞いているかい?もしかしたら知らないんじゃないかと思ってね」

 

 

「武具を色々と伺っております。現物はまだ見ておりませんが」

 

 

「ああ、そう……その内、見せて貰うと良いよ。特に鎧だ」

 

 

「鎧?」

 

 

「そう。多分、今も城の蔵にある筈だよ。もしかしたら崇永殿の墓の下かもしれないけど……見たら()()()おったまげるよ。何せ直義公や当時の将軍執事が、それを着て前線へ行くなと宣った品だ」

 

 

「そ、そんなに凄い品なのですか?実用性より美術的な意味で?」

 

 

「……そうじゃないさ。着眼点自体は悪くないけど、あんたのお父上の武力だったら、鎧に敵の返り血一つ付けずに帰ってくる程度は容易いよ。まぁ、見れば分かるとしか言いようがないね、今は」

 

 

「はぁ……」

 

 

 困惑しながら考え込む亀寿丸の姿は実に()()()だ。風采の素晴らしさばかりでなく、眩いばかりの萌え出づる才覚を感じさせる。

 これが当代の将軍(足利義満公)の秘蔵っ子かと魅摩は心の内で感嘆していた。

 

 

「確かにそうまで言われると想像が付きません。真面目だったと言われる直義公ばかりでなく、当時の将軍執事……高師直にさえ着用禁止を言わしめる品など。あの武将の悪名高さは今も健在です」

 

 

「……そうだね。例を挙げていけば本当にキリが無い」

 

 

 かつて少女時代に率先して婆娑羅な装束で身を固めていた魅摩にとって、幕府開闢後の婆娑羅武将たちの盛衰模様は、実父の道誉(京極判官)を除くにしても、然程思い返して気持ちの良いものではなかった。

 時間とは残酷なもので、かつて最先端の流行であった婆娑羅も数十年が経てば、賞味期限切れの古の産物に過ぎない。と言うより、婆娑羅は室町幕府発足時、既に建武式目で禁じられて文字通りの違法であった。にも関わらず、初期の幕府では高師直、佐々木道誉、土岐頼遠といった婆娑羅大名の振る舞いが人々の度肝を抜いた。

 目の前の亀寿丸のような三代将軍(足利義満)の治世しか知らない世代の目に古の婆娑羅大名たちの逸話はどのように映っているのだろうか。

 

 

「北の方様。あまり口にするのも憚られる話ですが──」

 

 

「塩冶判官讒死の事……これだろ?聞きたい話は」

 

 

 古典『太平記』には数多くの逸話が収録されているが、とりわけ後世の歌舞伎でも盛んに取り上げられた程、人々の関心を集めた悲劇がある。それこそが佐々木一族の武将にして、出雲国と隠岐国の守護を兼ね、名を馳せていた大名・塩冶高貞にまつわるものだ。

 これは言い換えれば、高師直の婆娑羅の犠牲を綴った話であるとも言える。古典『太平記』において塩冶高貞はその妻・顔世御前が将軍執事(高師直)の横恋慕を受けた事が発端となり、破滅するのだから。

 

 

「ッ……はい。今だからこそ聞いておきたいのです」

 

 

「……そうだね。正式に亀寿丸が佐々木惣領として一本立ちする前に知っておくべきだ。巷じゃよく言われてるんだろう?尊氏公の将軍就任間も無い頃、佐々木一族で、並みでない軍功もあって覚え目出たかった筈の塩冶が、執事(高師直)の讒言のせいで妻子諸共皆殺しと」

 

 

「はい。義侠心ある者は皆、その話を聞いて憤ります。まさか女子(人妻)欲しさのために、その夫を陥れるとは……と。ですが、こうも聞く事があります。当時、本当に塩冶が南朝に通じていたのではと」

 

 

「……良いね。その耳聡さは政権の中枢で生き残る上で、必要不可欠だよ。塩冶の嫌疑にしたって、何も無根拠だった訳じゃない」

 

 

「!」

 

 

 かつての佐々木惣領の妻の片鱗を露わにする魅摩の凄みに気圧されたのだろうか。まだまだ大名の卵も同然の亀寿丸は息を呑む。

 その様子に元婆娑羅少女らしく楽しみを覚えつつ、魅摩は改めて頭の内で情報を整理する。亀寿丸を含めて今の人々に、当時の情勢が如何様に伝わっているのか。それ次第で伝え方が変わるのだ。

 

 

「亀寿丸。塩冶高貞が討たれた年は覚えてる?」

 

 

「?……確か前に読んだ軍記の写本では暦応三年の事だったと」

 

 

「そこからか……暦応四年だよ。記憶間違いという訳でも無しに、書いた人間(軍記の作者)の故意のせいだろうね。そうだ、亀寿丸。当時の崇永殿がどこで何をしていたか。多分これも正確には知らないよね?」

 

 

「聞いたところでは、父上は北陸の脇屋征伐のための準備で──」

 

 

「分かった。そこから話すよ。色々と()()()()()みたいだから」

 

 

(あれは佐々木(私たち)一族の汚点。教えてくれる者もそう居ないだろうし)

 

 

 一連の塩冶高貞事件に関し、古典『太平記』の史実性は後世も議論されるところである。そもそも事件発生のタイミングからして、古典や当時の各種史料の間で食い違いが発生しているのである。

 そうした食い違いは闘将・新田義貞の弟である脇屋義助の動向及びこれに対する北朝軍の活動に関しても同様だ。瞬く間に魅摩は話の順序を組み立てる。亡き氏頼(崇永)の遺児・亀寿丸の理解のために。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 暦応元年(西暦1338年)の冬、既に新田親子(義貞・義顕)が戦死し、残った脇屋義助は越前国守護の足利(斯波)高経(尾張守)の手で事足りる。そう幕府首脳は油断していた。

 現にこの年の十一月十五日、件の将軍執事・高師直はまたも主君(足利尊氏)のためのうどん作りに邁進していた。昼間、尊氏は子飼いの大名となって久しい六角氏頼(近江三郎)の加冠の儀を終えて、()()を欲していた。

 将軍邸に戻って早々、師直(完璧執事)は既に台所にある食材や先程すり替えて手に入れた()()を活かした()()()を打って、尊氏に献上した。

 

 

「んん〜、千寿丸の髪入り!普段に増してうどんが美味いなぁ!」

 

 

「……は」

 

 

 奔放な尊氏に仕える上で、完璧執事の師直が自分は何をしているのだろうと自問自答する事は今に始まった話でもないが、半年程前の御左口神祓い目撃以来、その心酔は最早かつての比ではない。

 故に、尊氏の烏帽子子となった六角氏頼、つまり今朝方までの千寿丸の髪を生地に混ぜ、うどんを作れという主命にも異を唱えるつもりはない。髪入りでも美味しくなるよう調整するのみである。

 

 

「将軍。一昨日の岩清水八幡宮視察や本日の六角殿加冠、お疲れ様でございました。間も無く弟殿(直義様)より日向国大慈寺を祈願所となすよう申請が参るかと。如何でしょう?明日以降に回されますか?」

 

 

「ああ……そうだな。今日の政務は良いや。それより妻を呼んで来てくれ。千寿王の頼みだからな。あいつの正室を作ってやろう」

 

 

「将軍……?()寿()()となると些か(マズ)いかと」

 

 

「ん?……おお!そうだ!千寿王は義詮の幼名だったな!危うく息子に近親相姦させてしまうところだった!千寿丸、いや、えっと、何だったかな……そうだ!氏頼だ!氏頼の正室を産ませねば!」

 

 

 慌てて取り繕うように言う将軍・尊氏であったが、全く取り繕う事が出来ていない。実子(義詮)烏帽子子(六角氏頼)の幼名を取り違えて口にしたのみならず、義詮と渋川幸子(戦死した義季の娘)の婚約さえ失念しているようである。

 頭を下げつつ、師直は悪い笑みを顔に湛えた。尊氏はどうでも良い事を放念しがちである。直義派閥に加え、千寿丸も元服して氏頼となって前髪を失い、同時に尊氏からの心も失い始めたようだ。

 現に師直が念を押すと、途端に尊氏の勢いは尻すぼみになった。

 

 

「将軍。本当に六角殿を婿にするおつもりで?」

 

 

「ああ、まぁ……師直。皆の前で我は何と言ったっけ?」

 

 

「頑張ると仰っておられましたが、一応は娘を与えなくても角の立たぬ上手い濁し方でした。尊氏様、御息女は既に烏帽子子とした大名より、持明院統の皇族を優先すべきかと。六角殿とて、官位に関して弟殿の口挟みを受けたばかりで、二度目はないと踏んで今後の有利を作るよう、立ち回ったまでの事。本気で御息女を欲しておられる訳ではございますまい。そもそも六角殿には既に婚約者が」

 

 

「居たなぁ。そう言えば……道誉殿は何と?」

 

 

「とうの昔から床に献じていたのだから妾扱いも致し方ないと」

 

 

「ふふ。惣領の成長が薬となったか。道誉殿は本家に対して遠慮しているな。婆娑羅な腹黒坊主も我が将軍家は勿論、佐々木嫡流にも従順と見える。しかし、持明院統の皇族か……気が進まぬなァ」

 

 

「……と仰いますと?」

 

 

「師直。帝は吉野におられる。にも関わらず、我が娘を持明院統の皇族に嫁がせてしまえば、和睦が難しくなってしまうだろう?」

 

 

 この期に及んで、尊氏は敵対勢力の頭・後醍醐天皇との和睦の道を諦めていないらしい。二年前(西暦1336年)に後醍醐天皇が吉野に脱出した際の見張りの手間が省けたという喜びは、どこへ行ったのだろうか。

 尊氏の心は七変化する。後年に(鶴王)が夭折した際、無位からの従一位贈呈を敢行させて公卿の不満を買い、帝の夫人と明記させた程、北朝(持明院統)を掌で弄んだ。北朝(持明院統)南朝(大覚寺統)も皇室は尊氏に翻弄されたのだ。

 悲しい哉。北畠顕家や新田義貞が亡くなって南朝の抵抗が下火になる頃、後醍醐天皇の命運は吉野の山奥で絶えようとしていた。

 南朝の元号で言う延元四年(西暦1339年)の八月十六日、一つの時代が終わる。

 

 

「朕の願いは一つのみ……尊氏を滅ぼし、天下泰平を!新帝の元、新田・脇屋の子孫を股肱之臣とし、四海を鎮撫せよ!我が骨は南に埋もれようとも、霊魂は北に有り!朕の遺命、遵守するのだ!」

 

 

「「「ははあ!」」」

 

 

 丑の刻、全てを備えし破格の後醍醐天皇が五十二歳で崩御した。

 数日が経ち、訃報は京の尊氏の元に届く。当初は皆、報せに半信半疑であったが、月末には裏取りに成功する。尊氏は北朝の文武百官の前で公然と泣き喚き、七日間の政務停止を命令する。直義たちが戸惑う一方、師直は表情一つ変えず主君の肩に上着を掛けた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。