崇永記   作:三寸法師

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◆1

〜1〜

 

 

 昨年冬に再臨の源姓将軍・足利尊氏公による加冠で、六角家当主(佐々木惣領)の俺が千寿丸改め氏頼となって以来、半年近くが経った暦応二年(西暦1339年)四月の初め。京の街は喉元過ぎた奥州(北畠顕家)軍の熱さを忘れ、すっかり平穏を取り戻し、今日も今日とて大規模な田楽が執り行われている。

 田楽は言う程好きという訳ではないが、およそ一年前の石山寺での自主謹慎生活が証明するように、配下の忍びたちに仕込む手段としては気に入っている。現に今も踊り子たちの技量を俯瞰的に見るつもりで、市で買った串を文化祭気分で食べながら歩いていた。

 隣には間も無く東国へ出征予定の高師冬が居る。俺より遥かに多くの串を抱え、器用に仮面の下を外して勢い良く頬張っていた。

 

 

「師冬殿。お前、当分は京に居られないんだから、もう少し味わって食べたらどうなんだ?それも一種の愛嬌かもしれないけどさ」

 

 

「どの立場で言うんですかね?貴方が全力全開を出して南朝(北畠親房)軍の大船団を沈めないから、私が尻拭いの殲滅指揮のため京を離れる羽目になったんですよ?次この地に立つのは十年後か、二十年後か」

 

 

「いやいや、お前な。まだ東国で『神皇正統記』を書いていない親房を全滅させようとしても、どうせ失敗するのがオチ故、端から深追いを求めず、戦略的勝利(敵軍の分散漂流)を落とし所としたまでだぞ。黒血川で顕家軍への追撃を止めた時とはまた違う事情だ。虎穴に入らずんば虎子を得ずというが、俺は虎穴の外から火を吹き込んだようなもの。こっちの方が賢いだろう?俺は何も猛進一辺倒の将ではないぞ」

 

 

「全くよく口が回るものです。()()()()()()は知りませんが」

 

 

「これっぽちも納得してくれない!」

 

 

 そもそも湖上戦ならまだしも、海上戦のノウハウは満足にない。

 遥か遠方から呪物を神力で増強しながら蹴り入れる程度で足を洗わなければ、制海権を握られ尚且つかなりの数的不利の状況で返り討ちに遭う恐れがあった。要は最初からまともな勝負をするつもりが無かったのだ。それで全滅させろとは相当な無茶振りである。

 

 

「短気は損気。貴方が男山占拠(敵の軍略)にキレず、魅摩殿に八つ当たりしていなければ、親房はとうに海底の藻屑となって居たでしょうに」

 

 

「……腰に回す手の握力をうっかり間違えたんだって。春日のちょび髭が卑劣にも八幡宮(源氏の聖地)を占拠せねば、あんな失敗はしなかった」

 

 

 あれから月日が経った今でも考える事がある。より精密な神力操作が可能な魅摩が万全であれば、俺はどうしていただろうかと。

 否、今だからこそと言えるかもしれない。吉野朝廷の決定で義良親王の東国行きが立ち消えになったり老将の結城宗広が病死したりしてもなお、北畠親房や春日顕国は懸命に上陸先の関東で南朝勢力の反攻を図っているらしい。下野国に宇都宮公綱軍、上野国に新田義興軍を配し、親房(北畠准大臣)顕国(春日中将)の両名がめげずに常陸国で旗揚げを企てるとなれば、幕府としても何の対策も講じない訳にはいかない。

 そのために師冬が東国へ下り、ポスト家長(斯波陸奥守)の役目を果たすのだ。

 大嵐でバラバラになった南朝軍について、その漂着先に偏在する足利方に各個撃破を委ねようという目算があったとはいえ、こうした結果が出た以上、考え足らずだったのではないかという疑いが浮上する。覆水盆に返らずと言うが、魅摩の力を借りていればと。

 

 

「もうその口上も聞き飽きました。ただ、氏頼(近江三郎)殿。そのお陰で京極家が惣領の貴方への畏怖を深めたと考えれば、良い事なのかもしれませんね。私も亜也子の事で尻を叩かずに済みます。拭う事にはなりましたが……まぁ、良いでしょう。これも出世の糧にします」

 

 

「そう。それよ、師冬殿。一昨年戦死した陸奥守(斯波家長)に代わる新たな関東の王になるんだろ?義詮様の補佐となれば、尊氏様の次の代で大出世を遂げるための貴重な機会だ。今から関東執事として齢九つの義詮様の胃袋を掴んでおけば、先は明るいというものだろうよ」

 

 

「ほら、そうやってすぐ煽てる。関東の王と言っても、あの地には将軍家外戚の上杉憲顕(民部大輔)の勢力が。親房軍の排除が済み次第、弟殿(副将軍)の采配次第で呼び戻される可能性も()()あります。そもそも親房軍より先に、宗良を義叔父上(高師泰様)や仁木義長(次郎四郎)殿と協力して捕えなければ」

 

 

「ああ……居たな。そんな親王。和歌に特段長じていると噂の」

 

 

 現在、宗良親王は遠江国に身を寄せている。文化面ばかりのひ弱な親王かと思いきや、これが意外と厄介らしい。一緒に漂着した(相模)(次郎)や元より昵懇の間柄の現地勢力・井伊軍をして、今川軍が居た筈の遠江国に根を下ろし、東海道を分断するという手際の良さだ。

 ただ、師泰・師冬や仁木義長といった幕府の実力者たちが万単位の軍勢を率いて押し寄せれば、持ち堪えられないだろう。井伊家は今後も生き残ろうが、現在の当主・行直に後世(戦国末期)の徳川四天王のような実力があるとは思えない。極め付けは北条軍のその後である。

 何も遠江国の宗良親王の元から離脱したというだけでないのだ。

 

 

「ま、然程大した事はあるまい。現に()()だ。この間の普恩寺友時の末路……ありゃ、本家当主の時行と仲違いして勝手に伊豆国で挙兵したと見える。伊豆国に楔を打つという意味があったのかもしれないが、流石に早期投入が過ぎよう。俺なら鎌倉周辺の足利軍が()陸国(房軍)への対応で十分に乱れてから挙兵するぞ。時行でさえ前に利根(顕家)()合戦(南下)に呼応してイヤらしい時機を狙い、箱根で挙兵しただろう?だが、今回のあの時機を待たぬ仁科城の挙兵、間違いなく時行の考えではない。あんな始末では宗良も大した将器ではあるまいよ」

 

 

「本能型の武将の貴方にそう言わしめるとは……確かに天下の将器を持った親王は大塔宮(護良親王)で十分です。友時軍をみすみす無駄打ちしたという点を踏まえれば、宗良にあの暴れん坊親王に比する力は無いのかもしれません。友時は敗れ捕縛され、斬首されたとか。ただ、時行本隊の行方が気になります。幾ら兵力が激減したとはいえ」

 

 

「はン。もはや時行など食べ滓に集るハエも同じ。何やら噂になっているだろう?型破り綸旨とかいうヤツ。特殊遊軍、少数勢力として動けとは即ち、二度と大勢力になるなという意味……あんなものを受け取れば、成果を挙げたところで、かつての赤松氏の如く後醍醐から碌な褒美を貰えず、泣き寝入りするのが目に見えている」

 

 

 西国の名門・佐々木一族は南朝派公家にも少なく無い人脈を持っている。内通疑惑防止のため濫用は無理だが、そうしたところから単に北朝や幕府の周辺で囁かれている噂話を超えたお宝情報は意外と入手できる。今回の場合、型破り綸旨の建前上の趣旨である。

 大事なのは、そこから何を読み取るかだ。こうしたところで公家たちと比較的深く付き合う西国武将の腕が試される。ただ、型破り綸旨は然して難しい話ではない。典型的な功労者を冷遇するタイプの君主(後醍醐天皇)が発行した命令書の含蓄(裏の意味)程度、手に取るように分かった。

 

 

「京周辺の武将らしい視点ですね。念入りに裏を読む。何でも北条時行と新田義興の両名が親王を支え、関東支配を進めるという構想が嵐の前の南朝にあったらしいですが、碌に文官の居ない今の北条氏と先代(義貞)譲りのおバカな新田氏では、統治は極めて難しい。実権は親王の周りを固める公家が握る構想だったと見て良い筈。南朝は北条氏の古名の旨味だけを上手く堪能し尽くすつもりのようです」

 

 

「師冬殿。俺は密かに浪人認定書と呼んでいるぞ。要するに型破り綸旨とやらの拝受で、時行は自らの生涯年収の限界を確定させてしまったという訳だ。もはや俺たちの眼中に無し。虫除けの香料を置いておくだけで、たちまち退散しようぞ。たとえ今、信濃国辺りに落ち延びていようと、指を咥えて宗良捕縛を傍観するしかない」

 

 

「信濃国……貞宗殿が諏訪氏の生き残りに恩を売り、従えてから間も無く四年になりますか。小笠原も諏訪も幕府(足利政権)の所属となっては、北条の居場所は信濃国に無いでしょうね。現大祝の諏訪頼継が背面服従しているのであれば、話は別でしょうが……一応、北遠江に警戒網を張り巡らせますか。氏頼(近江三郎)殿は偶に盛大に読みを外すので」

 

 

 懐から取り出した食べ物を齧りながら仮面の上半分より瞳を覗かせる師冬の言葉は、俺をたじろかせるに十分足るものであった。

 佐々木城陥落然り、守護職一時失陥然り、俺の読み間違いは致命的なところ(タイミング)で起こる。師冬はそうした傾向を揶揄(からか)っているのだ。

 

 

「ぐ……取り敢えず言える事は、井伊家の撲滅を狙っても恐らく無駄という程度だ。奴らの生命力は並でない。ただ、その動きとて、大雪や親王という重石があれば、鈍くもなろう。師冬殿、お前は宗良捕縛という戦略目標達成に専念すべし。好機は必ずある筈だ」

 

 

「捕縛も一つの手ですね。あまり大きな声で言えませんが──」

 

 

「言わずとも分かる。()()はお前たちの裁量次第だ。師冬殿」

 

 

「……分かりました。参考にします。氏頼(近江三郎)殿、出陣前の良い気分転換になると思って、当面最後の京巡りをしましたが、存外収穫がありました。貴方はまだまだ多くを隠しておられる。そこが良い」

 

 

「何だ?その褒め方」

 

 

 四月六日、師冬(吹雪)が京を出立して東へ向かった。親房(南朝公卿)たちの寄る常陸国平定の道中、東西の壁を取り払うべく、師泰や仁木義長と共に遠江国の井伊氏を攻撃し、七月二十六日には鴨江城を落とした。

 ここで、師冬は残る井伊谷周辺の掌握を味方の手に委ね、自らは鎌倉に進んで翌八月四日に鶴岡八幡宮で戦勝祈願をしたという。

 かつて若き主君(北条時行)の側近の一人として降り立った地に、吹雪もとい師冬は新たな関東の王者という立場で、君臨し始めたのである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 元服して以来、殿様……佐々木六角氏頼様が御機嫌な日々はかれこれ一年近くも続いていた。若党たちと一緒に弓馬の訓練をしたり重臣たちと政務に取り組んだりして、就寝前には一心不乱に自分の諱名の写経に励む日々で、呆れ顔の魅摩に匙を投げられていた。

 しかし、暦応二年の中秋(八月下旬)以降、殿様はかなり久々に御機嫌斜めになっていた。理由は明白。嫉妬だと魅摩は溜め息と共に言った。

 

 

「後醍醐の帝が吉野で崩御して、将軍があんな慕情溢れる追悼文を書いちゃったせいで、あの(ザマ)さ。かなり衝撃だったんだろうね」

 

 

「あれかぁ。恋文みたいで、私だって吃驚しちゃった位だもん」

 

 

「あの帝が痛烈な妄執を言い遺して死んだみたいだから、崇徳院みたいな怨霊化を防ぐために、北朝の公武を挙げて追悼したんだろうけどさ……皆が思ったに違いないよ。将軍がそれを言うかって」

 

 

「ね」

 

 

 現在、殿様は京の屋敷に篭って普段よりもずっと激しい武芸の稽古に打ち込んでいる。感情の昂りを訓練で紛らわすかのようだ。

 殿様は怒りで体力のタカが外れている。こうなっては腕に覚えのある郎党が十人単位で変わりばんこにお相手を務めるしかない。

 それでも殿様には不足なようで、加冠の儀で烏帽子親の将軍に与えられた偃月刀の刀身に、布を念入りに巻いて安全性を確保した上で尚も、訓練相手の郎党たちを薙ぎ払っている。この私ですらさっき弾き飛ばされ、休息を取らざるを得なくさせられてしまった。

 

 

「黄竜だっけか?三郎のあの武器の名前は。将軍も東国御出身ながら本当に味な真似をなさるよ。黄竜は私や三郎(佐々木氏)の御先祖、宇多帝が即位された際、姿を現したと言われる存在だ。まさに新時代の佐々木惣領が持つに相応しい武器。それが"黄竜偃月刀"という訳だ」

 

 

「へ?そういう意味なんだ。前に殿様が将軍は関雲長の青龍偃月刀に准えておられるって喜んで、自分も尊氏様の五虎大将軍筆頭になるぞって意気込んでたけど……そっか。宇多帝(そっち)が由来なんだね」

 

 

「あのさ。大陸の三国時代に関するあいつの昔語りは、話半分に聞いといた方が良いよ。平気な顔して嘘っぱちを並べ立てるから」

 

 

「え゛」

 

 

 後で密かに六角家重臣に確認してみたところ、この魅摩の言葉は本当の事らしかった。あまりに殿様が純真に信じ込んで言うものだから誰も面と向かって指摘できないそうだが、関羽の名刀(青龍偃月刀)にしろ、五虎大将軍にしろ、少なくとも殿様の手の届く範囲にある漢籍から裏取りする事はできないという。これを聞き、私は神様である殿様のみぞ知る御伽話に違いないとますます崇敬の念を深めていた。

 閑話休題。殿様の武力は伸び盛りで、私も齢十四を迎えて身体が大きくなる一方だが、限界が近付いているような気がした。甲賀三郎という諏訪明神となり、武力は土岐頼遠(一騎当万)級という評価が殿様から下された筈なのに。そうもどかしく思い続けていたが、ある時はっと気が付いた。「級」程度ではまだまだ本物に及ばないのだと。

 

 

「ねぇ、殿様。ちょっと良いかな?」

 

 

「ん、どうした?亜也子。眠いんだけど」

 

 

「……んーん。何でもない」

 

 

 これまでの私の人生を振り返った時、最も武力が伸びていたのは殿様から神力の供給を受け、それを武力向上に活かしていた頃だと感じる。だが、今の私は既に出家して男名(甲賀三郎)を名乗る身だ。それに、殿様も元服して神力に翳りが見えているらしい。補填のための馬廻衆の子供たちが優先で、私に構っている暇はそれ程ないだろう。

 平和な時が続いている。殿様は早晩起こるであろう幕府の内紛を見据えているようだったが、私は気が急いて悶々とするしかなくなりつつあった。例えば、殿様の護衛で寺に付いて行っても、どうしても身が入り切らないのだ。いつ殿様に見破られるか怖くなる。

 

 

「暦応寺……?国師(夢窓疎石)殿、それが後醍醐供養の寺の名前ですか?」

 

 

「はい。その通りです。霊亀山暦応資聖禅寺、これを正式名称とするようにとの光厳院陛下の仰せで。おや、宗家。意外でしたか?」

 

 

「え、ええ……てっきり天龍寺かと。ゴホン。あいや、ご放念を」

 

 

「!……寺の名前が意外だったとは。相済みませぬ。光厳院が(南朝)の先帝の供養に積極的な事が御不満だったのかと……つい誤解を」

 

 

 この時、私は二年後の秋(暦応四年七月二十二日)に光厳院が決断し、今の暦応寺が改名されて本当に天龍寺になるとは夢にも思わず、偶に見られる殿様の微笑ましい読み間違いかと甘く見ていた。ただ、ここでの微笑も一時的なものに過ぎず、私は忸怩たる思いを抱き続ける事になった。

 心のどこかでまた前みたいに殿様と夜を明かしたいと思っても、叶わない。そもそも認めざるを得なくなったのだ。烏帽子親の将軍はおろか、師冬(吹雪)と過ごしている時の方が明らかに私か魅摩と居るより楽しそうな殿様の姿を見て。殿様は大して色好みではないと。

 屋敷に出入りする塩冶夫妻への態度を見ても、よく分かる事だ。

 

 

「はぁ。それにしても溜め息が出る程、お綺麗だね。顔世様って」

 

 

「らしいな。俺にはさっぱりだが」

 

 

「そうなの?顔世様を見たら誰でも褒めるよ」

 

 

「……感性が違うんだよ。こればかりは」

 

 

 遠い目をする殿様からは哀愁の色が漂ってくる。思えば、殿様は京や本領の近江国で逆ナンされても塩対応だ。逆に禅僧からお茶をご一緒にと言われれば、あっさり頷く。天地の開きがあるのだ。

 たとえ私が男名(甲賀三郎)を名乗っていようと、身体はデカい女のままだ。

 もう殿様から力の供給を受ける目処は立たず、尼になった手前、私からは言い出しにくい。そうなると、これが神の選択によるものなんだと思えてくる。日に日に近付く武の限界点のせいで神にもなり切れず、北条氏の南朝降伏で既に女も捨ててしまった。正式に甲賀三郎として出家してしまった以上、おいそれと還俗できない。

 こう思う内に年が明け、更に夏になった。六月下旬、京の殿様に密報が齎される。曰く、信濃国大徳王城で中先代(北条時行)が挙兵したと。

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