崇永記   作:三寸法師

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◆2

〜1〜

 

 

 傘下の忍び組織である甲賀忍軍から信濃国における北条時行再起の第一報が持ち上がってより、半月が経って全貌が見えてきた。

 遠江国に配置している人員によれば、宗良親王は未だ井伊氏の庇護下にあるらしい。流石に後の徳川四天王の実家というだけあって地力があるのか、井伊氏の誇る堅城である大平城が仁木義長軍の攻勢に依然()()()()耐えているという話だ。もしかすると、下向前の師冬が言っていた遠江国北部の警戒網が効いたのかもしれない。

 北方(信濃国)へ宗良親王が逃げられないと悟ったからこそ、井伊軍は決して死なせてはならじと、背水の陣に似た底力で抵抗できるのだ。

 しかし、誤算もあったようだ。師冬経由で貞宗が非戦協定相手の諏訪頼継に疑念を持ち始めたせいで、頼継は半ばヤケクソ気味に時行と手を組み、担ぐべき南朝皇族を欠きながら挙兵したらしい。

 

 

「取り敢えず、援護射撃がてら甲賀衆に命じ、当代の諏訪大祝は盟約を破る俗世間の姦雄だと方々に噂を広めさせてやったわ。喜べ、亜也子。いや、真の諏訪明神たる甲賀三郎よ。これで大徳王城の時行と頼継の元に集まる信濃武士は激減するだろう。元より京の諏訪円忠*1は足利方だ。諏訪氏が結束を欠いた今、師匠(貞宗殿)が甲信の武田や小笠原の一族を率い、関東足利党がほんの少し増援すれば──」

 

 

「勝てない筈がない。でしょ?殿様」

 

 

「ああ、そういう事だ。そもそも御左口神(執事の雫)を尊氏様に祓われて失った時行は、知略面で誰を頼る?お前の話では小賢しい知恵ばかりらしい頼継か?それとも亡き軍神か?戦術書があるという話だが」

 

 

「うっわ、凄い懐かしい……ごめん、殿様。ちゃんと思い出すね。何だったかな……確か、かなり汚い字で書かれてるけど、中身は(楠木)(正成)が使った戦法が纏められたものだって。多分もう殆ど解読されてるんじゃないかな?草稿が譲渡されてから五年も経ったからさ」

 

 

「そう言えば、帝に提出する記録の草稿という話だったな。という事は今の吉野朝廷に清書が……去年の後醍醐臨終の後、河内国から二千騎を率いて参内したらしい正行(まさつら)に譲られていた線もあるか」

 

 

「どうだろう……逃げを理解していない者が書き留めを読んでも誤用するから他人に見せるなって話だったような。楠木正行(まさつら)って殿様と気が合う子だったんでしょ?聞いた話さ。じゃあ駄目じゃん」

 

 

 既に誰か(ウチの郎党)から俺と正行(まさつら)の仲について聞いていたであろう、亜也子の言わんとする事は分かる。たとえ正行(まさつら)軍神(楠木正成)の息子と言えども、逃げを好まないタイプの性質であれば、髭親父(後醍醐天皇)に献上された軍略の清書版をその崩御に際して受け取ろうが、活かせないのではと。

 恐らく主君(後醍醐天皇)への献上に際し、軍神(楠木正成)は在野の時行(相模次郎)に与えた注意と同じ事を言い含めた筈だ。くれぐれも他人に見せてはいけないと。

 しかし、楠木氏後継の正行(まさつら)ならばどうか?軍神(楠木正成)に続いて後醍醐の帝も亡くなれば、吉野へ護衛に馳せ参じたその息子(楠木正行)に、褒美がてら軍略書を渡そうという動きになって然るべきだろう。いや、それ以前に後醍醐天皇の遺言に含まれていたのかもしれない。何せ──

 

 

「忘れたか?後醍醐の帝は余計な仕事が最も得意だ」

 

 

「あ」

 

 

 劣勢で楠木正成に洛外での迎撃を強要したり、大した戦績のない公家たちを奥州(北畠顕家)軍に合流させて足を引っ張らせたり……あの髭親父(後醍醐天皇)が変な気を働かせて、大損害を生み出した例は枚挙に暇がない。

 どうせ生前に軍神(楠木正成)から忠告されていても、その息子(楠木正行)なら支障あるまいと安易に考えたに違いない。だが、今更軍神(楠木正成)の使った軍略の覚え書きが有ろうと無かろうと大して変わらない筈だ。既に軍神(楠木正成)の行軍履歴は巷に出回り、研究されるようになって一定の時が経つ。

 戦略や戦術の発展は日進月歩だ。このご時世の守護大名なら多くが源平の名将たちに勝てるだろうし、後の戦国武将に及ばない可能性は十分に考えられる。大徳王城の時行(相模次郎)にも同じ事が言えようが、何年か前の名将の二番煎じでは限界がある。漢籍にあるような戦法であれば、教養の敷居もあって後回しにされがちとはいえ、自国の真新しい戦法は真っ先に天下の大名たちから分析されるものだ。

 要するに、軍神(楠木正成)の覚え書きの如き安易に頼りたくなるものがあろうとも、対策の前に足元を掬われる可能性が高まる。尤も、どちらにせよ尊氏様の勝利はこの世の道理なので、結局同じ話だろう。

 

 

「話を戻そう。亜也子、信濃国の事情を確認しておきたい。かつてあの国で生まれ育ち、諏訪神党の中核で各地の内情を様々に見聞きしただろう?覚えている限りで構わん。情報を擦り合わせたい」

 

 

「勿論良いけど……殿様、もしかして加勢しに行くつもり?」

 

 

「……必要ないとは思うが、念の為な。練兵も本腰を入れ直す」

 

 

 この決断が思わぬ方向で功を奏した。信濃国とは別の地域へ刃を向ける事になったのである。その地域とは即ち、北陸の越前国。

 呆気ない新田義貞の幕引きから二年程が経ち、残党たちが意外な巻き返しを見せていた。否、巻き返しどころの話ではない。越前国の形成は逆転した。再び南朝の圧倒的優位に回帰したのである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 天下の人々に尋ねれば、頼重も顕家も居ない裸の王様(元全裸逃亡ド変態稚児)の北条時行よりも、主筋の新田親子(義貞と義顕)を失った脇屋義助(前新田家当主実弟)の方がまともな地力を備えている分、まだ要警戒と誰もが異口同音に答えるに違いない。

 ただ、今回の越前国の情勢変化には意外と言えば意外で、そうでないと言えばそうでなかったという矛盾した心境が正直あった。

 亡き義貞の弟・脇屋義助の交戦相手の足利(斯波)高経(尾張守)は、実力だけなら麒麟児の息子(斯波陸奥守家長)に決して引けを取らないものがあったから、残党に過ぎない義助たちに今更逆襲されると誰が予想できようか。しかし、その一方で、昔日の箱根竹下合戦において尊氏様の本軍と一時は互角に渡り合った義助の実力を思えば、道理であるとも思うのだ。

 

 

「高貞殿はどう考える?脇屋軍は吉野のヒゲオヤ、ゴホン。後醍醐先帝の崩御で奮起したと巷で噂になっているが、それだけであまりにも大き過ぎる新田親子(義貞と義顕)の穴を埋められるものなのか?甚だ不審だ。まさか逆にあの親子が居ない方が脇屋は真価を発揮する(タチ)か?」

 

 

「……宗家。(それがし)が思うに、脇屋というよりも畑がまさにそうした(タチ)かと。新田四天王長老格なれど、ここに来て躍動目覚ましく」

 

 

「成る程、畑か。確かに。まだ生きていたのかと思ったものだが」

 

 

 京の六角邸で、分家の守護大名・塩冶高貞と縁側で席を並べて、庭における我が弟の四郎や高貞の長男などの子どもたちによる蹴鞠を眺めつつ、俺は南朝軍の破竹続きの北陸事情に思いを馳せる。

 老将・畑時能は相撲をすれば坂東最強、馬の扱いは人間離れして疲れ知らず、水泳術はまさに神業、弓の腕は弦を鳴らすだけで樹上の猿をも落とし、優秀な戦略眼と強靭な精神力を持っていると評判である。おまけに戦で飼い犬(犬獅子)をフル活用だ。こうした見方は後の軍記で流布され、漢の樊噲や周勃以上の難敵キラーとされた程だ。

 聞けば、畑時能は一昨年の主君の戦死以来、極めて数の激減した同国(越前国)の南朝軍の拠点の一つ、湊城に僅か二十三騎で身を寄せていたらしい。それから二年近くが経った今月(七月)三日、突如三百余騎の部隊となって()()()()の足利軍の城郭十二箇所を狙い、立て続けに陥落させて九頭竜川以北を制圧した。これぞまさしく電撃戦である。

 

 

「全く。あれ程の実力があるなら、義貞が生きていた頃に本領発揮しておれば、天下の趨勢は違うものになっていたかも分からんぞ。かつて俺は三石城(備前国)斯波(尾張足利)家三男・孫四郎殿らと共に、脇屋義助と畑時能の軍勢を迎え討ったが、畑の戦い振りは、然程積極的と思えなかった。青野ヶ原でも前線での畑の活躍は聞こえず、当時の徳寿丸(新田義興)の方が余程目立っていた。精々、あれか?犬獅子の活躍程度だ」

 

 

「もしかすると老い先短い自分が若い者の活躍の場を奪っては先行きが暗いとでも考えたのかもしれません。ですが、義貞が死んで()()()()そう悠長に言って居られなくなった。それで畑は奮起して新田四天王の本懐を示したのでしょう。現に老将の奮戦を皮切りに、感化された他の郎党たちも脇屋含め電撃戦を。結果は見ての通り」

 

 

「北朝の越前国守護の尾張守(斯波高経)殿は気付けば、居城の小黒丸城を脇屋軍六千余騎に囲まれ、臨戦態勢の用意も間に合わず、寝返り者の続出を恐れて加賀国へ逃亡……とても二年前は孤立無援ながら新田義貞自らの南方進出を食い止めた名将らしからぬ、呆気のなさだ」

 

 

「宗家。それこそ……宝刀二振り(鬼切・鬼丸)の所有権を巡る足利宗家との対立で尾張守(斯波高経)殿の求心力が落ちていた可能性がありましょう。将軍の信任を欠き、結果的に兵たちの信望すら失ったからこそ、此度の窮地で粘る事も叶わず、加賀国へ落ち延びざるを得なかったのかと」

 

 

「うげ……十分に有り得るな」

 

 

 出雲国・隠岐国の二ヶ国守護・塩冶高貞は田舎大名然とした風貌の割に、武勇だけでなく知力をも兼ね備えている。その指摘は的を射ているように感じられ、実に耳が痛かった。尊氏様の「鬼切」や「鬼丸」への所有欲が数年経ち、その抜群の人望と思わぬ形で合わさって、我が従兄妹伯父の高経(斯波尾張守)に牙を剥くとは全く皮肉な話だ。

 何と罪深い御方であろう。俺は恍惚として空を見上げる。そうしている間に気が付いた。屋敷の庭における蹴鞠が中断していた。

 

 

「ん?どうした、お前たち?蹴鞠には飽きてしまったか?」

 

 

「あ、いや、そのぉ」

 

 

「宗家!質問があります!」

 

 

 我が弟の四郎が()()()()()()であるのに対し、未だ正真正銘の幼児の高貞息は()()()()手を挙げている。何という違いだろうか。

 弟への呆れ半分、分家の跡取りへの好ましさ半分。俺は促した。

 

 

「ふむ。言ってみよ。忌憚なく、な?」

 

 

「はい!さっき、宗家はひげ親父と言い掛けておられました!」

 

 

「ん?」

 

 

「ひげ親父とは!誰の事ですか!」

 

 

 実に純真な質問に俺の挙動は止まる。その父親の高貞(塩冶判官)をはじめ、居合わせた者たちが一斉に、この幼児は聞いてはならぬ事を聞いてしまったとでも嘆いているかのように頭に手を当て始めていた。

 我が弟の四郎も同様だ。渦中の俺と高貞息の顔を見比べている。

 俺はクスッと笑った。吉野の髭親父とは誰の事を指すか言うまでもないが、単なる髭親父ならこのご時世、色々と居る。俺の隣で息子の大胆さに戸惑っている田舎大名、塩冶高貞が良い例だろう。

 

 

「ふむ。俺が髭親父と言い掛けたと……良い耳をしているな」

 

 

「えぇっと……お褒めに預かり、光栄です……?」

 

 

「では、お前は誰の事を指していると思った?考えて申すが良い」

 

 

 鉄扇をバッと広げて肘置きに(もた)れ掛かる。この俺の様子に目をパチクリさせ始めた高貞息に対し、視線を外しながら聞いてみた。

 さて、どんな答えが返ってくるだろう。俺は楽しみで口角を上げていたが、流石に見ておらぬとばかりに高貞(塩冶判官)が口を挟んできた。

 

 

「宗家……お願いですから、もうその辺で息子にはご容赦を」

 

 

「応。戯れもここまでだな」

 

 

 からから笑って俺は特に追求せず、場を収める事にした。これで高貞(塩冶判官)は帰宅し次第、目上の者に何でもかんでも口を利いて良い訳でないと息子に言い含める筈だ。大名の子に生まれた以上、中先代の乱終幕日に尊氏様に余計な発言をして手討ちにされた雑兵のようでは困るのだ。行間を読んで言葉を選ぶ程度、初歩の初歩である。

 これも幼子の高貞息にとって良い経験だ。場に()()()()とした空気が漂う中で蹴鞠は再開された。どれ、俺も試しに混ぜて貰うとしようか。雲を切り裂く我が蹴りを分家の幼子に見せてやるのだ。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 既に近江国の軍勢は整えられている。京で尊氏様への出陣前の謁見を終え、俺は少数の兵を連れて佐々木荘へ馬を走らせていた。

 本拠地(佐々木荘)へ着き次第、準備済みの大軍と合流して北へ向かうのだ。

 

 

「三郎、本当に私を従軍させなくて良いんだね?」

 

 

「ああ。脇屋軍と戦うのにお前の力は不要だ、魅摩。京の人質の役割も母上と四郎に任せた。お前は佐々木荘で留守を預かれ。尤も、主な差配は五郎(千金丸)がやる。父上も今回は近くで五郎(千金丸)の面倒を見る手筈だから、お前の出る幕はないだろうがな。座ってるだけで良い」

 

 

「と言いつつ、私も人質でしょ。あんたが近江国を留守にする間、京極家が勝手をしないように。あまり意味が無いと思うけどさ」

 

 

 相も変わらず魅摩は勘が良い。まだ尊氏様の娘を正室に迎えて婿になれる可能性があると見て、表向き側妾扱いの魅摩に人質の価値があると思われないように、俺の不在の間は京に置きたくないという意味もあるとはいえ、道誉の動きへの警戒こそ最大の要因だ。

 俺が他所の国に大軍を動かす間、もし道誉が娘の魅摩の身柄を確保して裏切った場合、二進も三進も行かなくなってしまうのだ。

 

 

「南朝に走りさえしなけりゃ良いんだ。別に道誉殿が京で婆娑羅な振る舞いを致す分には構わない。建武式目なんぞ無効だ、無効」

 

 

「はン。そう言ってさ、押領した東寺領の米の支払いに関して院の決定に従うと直義様に約束したのは何処のどいつだったっけ?」

 

 

「何を言うか。建武年間の分の年貢支払いは免れたんだから十分な落とし所と見たまでの話よ。尤も、改元以来の支払い分にしたって確かに還付すると約束したが、現地の管理人がうっかり忘れてしまうかもなァ。ただでさえ軍務のための兵糧が要る時なのだぞ?」

 

 

「三郎……よくそれで自分は婆娑羅じゃないって言えるな」

 

 

 寺社領の押領は守護大名の嗜みである。国下で他の武家の差し押さえを咎める場合がありながら、自分も別口で行うものだ。直義は謂わゆる『建武以来追加』*2で押領は厳罰ものであると唱えたが、それで室町時代の守護大名の成長を防げるものではないだろう。

 大体、生真面目な直義が寺社領なんてものを認めるから、俺たち守護大名が押領して軍務の備えにする必要が生じるのだ。寺社という名の幕府外の利権集団を有り難がるからこうなる。岩清水八幡宮や禅寺のように有用なら話は別だが、東寺のような京で戦が起こった場合の拠点にしか使えない存在に、佐々木氏の得るべき近江国の米をくれてやるのは気が進まない。当然、旧仏教勢力(延暦寺や興福寺)は論外だ。

 

 

「ほんと寺社領が絡むと反直義様になるというかさ……そんなんで尊氏様の婿になれるのかねぇ?私はそれでも全然良いんだけど」

 

 

「魅摩……そんなお前に朗報だ。四ヶ月前に光王(亀若丸)*3様が誕生されただろう?尊氏様はこれが娘だったら(六角家)に嫁がせたと仰ったそうな」

 

 

「は?本当か?それ。三郎、眉唾話に踊らされるんじゃないよ」

 

 

「……確かに尊氏様がその場の気分で仰っただけなんじゃないかとは思っているけどさ。本当に気まぐれな御方だから。だが、その御言葉だけで十分俺の励みになる。この出兵だって、その一環さ」

 

 

 今回の討伐軍は北陸から高経(斯波尾張守)復活を補佐する高一族の武将・師春を除けば、実質的に佐々木・土岐連合軍だ。土岐頼遠が美濃国から山道伝いに越前国へ侵攻する他、我が分家(佐々木氏庶流)の大名の高貞(塩冶高貞)が海上から水軍を率いて奇襲を仕掛ける。そして、俺は源氏将軍の烏帽子子らしく南から北陸道を大軍で進み、脇屋義助(現南朝軍最強武将)と干戈を交えるのだ。

 まさしく誉れ高い戦である。これで粋に感じない武将がこの世に存在する筈が無い。魅摩の冷め切った視線を余裕綽々と受け流し、俺は本拠地(佐々木荘)に結集した六角軍の前に、総大将として姿を現した。

 暦応三年(西暦1340年)七月下旬、六角家当主(佐々木惣領)の俺は北陸再平定のため、木ノ芽峠を越えて、今や南朝派に染まりし越前国へ堂々と攻め込んだ。

*1
諏訪氏庶流の出で、京都諏訪氏の祖。建武の乱以降、尊氏に従う。天龍寺造営に携わるなど精力的に働き、数多くの文化的功績を残した。夢窓疎石と交わりがあった他、鷹狩にも精通。

*2
適宜出された『建武式目』の追加法。室町幕府は暦応三年(西暦1338年)四月十五日、幕臣の土地の押領を奉行人の具申と引付の決定で厳しく断罪するとした。

*3
後の鎌倉公方・足利基氏。幕府開闢後で三十代半ば頃の足利尊氏と赤橋登子の間に生まれた。成長過程において足利直義の養子となり、上杉憲顕らの臣従の根拠となった。

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