崇永記   作:三寸法師

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◆3

〜1〜

 

 

 「お見合い」という言葉を聞いて人々はまず初めに何を連想するものだろうか。何とも昭和以前の匂いを感じさせる婚姻準備の一つだろうか。生憎、俺はそれよりも──サッカーでも野球でも何でも良いが──球技における「お見合い」が真っ先に浮かび上がる。

 暦応三年(西暦1340年)九月の半ば過ぎ、六角家当主の俺は大軍を以て越前国南部の杣山城を制し、周辺の掌握に務める傍ら、先月下旬の黒丸城包囲時の土岐頼遠(弾正少弼)との()()()()──俺と(弾正)(少弼)の場合、()()()()と言った方が正しいかもしれない──を回顧し、悔恨に浸っていた。

 今日も今日とて地図と睨めっこし、胡座の上で拳を握り締めた。

 

 

「一月以内に脇屋軍を片付けて凱旋する筈が……土岐とのお見合いの隙を突かれて、篠塚重広(四天王最強の猛将)を先頭に(脇屋)軍に包囲を破られ、戦が長引いてしまった。此度、我が六角軍は数が多く、兵糧の工面は簡単ではない。それ故、高経殿も頼遠も師春も、更には高貞(塩冶判官)殿も国府周辺で敵と戦う間、俺は南で防波堤役に徹する羽目に……口惜しい」

 

 

「また言ってる。昨日も聞いたよ、それ……殿様。今、脇屋軍は御味方との戦で徐々に南に誘引されてるんでしょ?だから近く私たちも再戦だって言ってたじゃん。そんなにお怒りにならなくても」

 

 

「それはそうなんだが……()()()()()ものは()()()()()んだ!」

 

 

 結果的に数週間で名将・足利(斯波)高経(尾張守)を北方へ追いやるという敵ながら鮮やかな脇屋軍の越前国における逆襲に即刻対処すべく、俺や塩冶高貞(判官)、高師春、そして土岐頼遠(弾正少弼)が加勢に赴いてから、不本意にも約二ヶ月が経過した。つまり、図らずも遠征が長期化している。

 こうなれば、大軍を率いる上での課題は兵糧こそ第一だ。それもあって、俺の従兄妹伯父の高経(斯波尾張守)六角軍(俺たち)をして我が本国・近江国に比較的近く、兵糧供給を受け易い杣山城に駐屯させているのだ。

 それに厄介なのがもう少し日が経つと、暦の上で冬を迎えるという点だ。降雪で街道が閉ざされた場合、特殊な対策をしない限り、糧道が断たれてしまう。既に二万騎が半年保つ程の兵糧は、我が守護代の馬淵義綱の指揮で既に杣山城に運搬されているが、雪解けまでの間、兵糧の減り具合を心配する日々が続くかもしれないと思うと否が応でも気が滅入ってしまう。金ヶ崎城の義顕(新田越後守)たちの二の舞は避けたい。人肉以前に愛馬を屠殺して飢えを凌ぐなど御免被る。

 こうした考えも知らず、後世の次郎法師(井伊直虎)顔負けの男装尼である亜也子もとい望月甲賀三郎は、藪から棒に妙な質問を投げてきた。

 

 

「ねぇ、殿様。もしかしてさ、何か予感がしてるんじゃないの?」

 

 

「……亜也子。予感とはどういうことだ?」

 

 

「ほら。例えば、脇屋軍が別の場所に逃げ去ると思ってたりして」

 

 

「縁起でもないこと言うな。いや、俺が敵の立場なら思い切って中央突破するが。脇屋軍に先々月の勢いは既に無く、高経(斯波尾守)殿らに連戦連敗だ。このまま南下すれば詰むのは明らか。疲弊し切った脇屋軍が我ら六角軍と戦えば、間違いなく全滅する。正面衝突した場合は言わずもがなだが、此方は奇襲対策にも余念が無いからな。たとえ脇屋軍に風間玄蕃が加わろうと、局面を覆す術はないだろうさ」

 

 

 今思えば、一昨年の脇屋軍に従軍していたと聞く、()()()()()とは何だったのだろうか。()()()()()にしても同じ事が言えるが。

 現在の脇屋軍にこの二名が居るという話は聞かない事もあって、俄かに疑いが生じていた。逃若党の風間と祢津こそ、その二名だったのではないかと。二人に「信濃守」や「掃部助」が与えられる可能性や最近流行りの自称の可能性の如何を考慮してもだ。北条時行の部下が「信濃守」とは笑えない冗談にも程があるが、如何にも上流階級の機微を軽視しそうな風間ならば気安く自称しかねない。

 また、顕家敗死後の残党軍一部の加わった男山の戦で、あの二人の活躍を何故か聞かなかった事も、今更ながら気になっていた。

 

 

「風間玄蕃……まだ信濃国の大徳王城が陥ちないのって絶対()()のせいだよね?偶に噂で聞く楠木正成の防衛法も、糞まみれの玄蕃が居れば、まず再現できるよ?小笠原の弓も攻城戦なら多分──」

 

 

「効果半減……だな。にしても、亜也子。お前さ、気付いたら戦術眼が良化したか?そこらの三流武将より余程使い物になりそうだ」

 

 

「へ?そう?……殿様のぼやき聞きまくってたせいかも」

 

 

「……おい。怪我の功名とでも言うつもりか?」

 

 

 ここ最近、佐々木六角軍が前線で交戦せず、杣山城に駐屯して北の(脇屋)軍に睨みを効かせるだけの日々が続き、亜也子や馬廻衆が戦闘要員というより、俺の愚痴聞き要員と化している事は否めない。

 薄々自覚はあったが、面と向かって嫌味を言われたと思うとピキリと来るものがある。案の定、亜也子は慌てて誤魔化し始めた。

 

 

「いや、そんな。勉強になってるよ?馬廻衆の皆もそう言ってる」

 

 

「はン。どうだか」

 

 

「殿様。そんなに拗ねないでよ。私だって昔から軍記はよく読んでたけどさ、殿様の話を聞いて、その経験が最近になって生きた知識になってきてるっていうか、勝負の流れが段々分かるようになってきた気がするんだ。さっき私の言った、殿様の予感もその一つ」

 

 

「んん?」

 

 

 まるで覚えのない我が予感について亜也子が見透かしたかのように言ったところで、本当に分かっているのかと聞きたくなったが、その得意げな口振りには不思議と説得力があるような気がした。

 そして九月二十三日、我が甲賀忍軍による国府周辺の両軍の戦況報告が新たにやって来て、俺は決着が付いた事を知った。同時に戦慄さえした。亜也子は神力を得て、勘が良くなっているらしい。

 昨夜、高経(斯波尾張守)の指揮によって大塩城が焼け落ち、日を跨いで続け様に二つの敵城を落とし、更に土岐頼遠(一騎当万)の武威もあってか、脇屋義助の平茸の本陣も遂に陥落した。()()()は良い。問題はこの次だ。

 

 

「確かに俺なら思い切って敵中突破するとは言った。だが、それはあくまで越後国方面を想定してのものだ。亜也子、お前まさか」

 

 

「ふふん」

 

 

「脇屋義助が美濃国へ逃げる事を読んだのか?」

 

 

「え?美濃国……何で?」

 

 

「……どうやら買い被りだったようだ。めっちゃ損した気分だ」

 

 

「?」

 

 

 まさしく鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする亜也子はさて置き、脇屋義助軍の末路は意外なものであった。誰が土岐頼遠の領国である美濃国へヤツ(脇屋義助)らが逃げると予想できようか。確かに今の越前国と美濃国を繋ぐ街道は手薄かもしれないが、長続きする筈がない。

 俺は顎に手を当て考えた。これからの脇屋義助たちが辿るであろう末路を。きっと碌なものにならない筈だ。理由は明白である。

 

 

「一応、脇屋軍の行き先は再度調べさせるが……美濃国であれば、きっと根尾の辺りだ。前に新田家郎党があそこから義興(徳寿丸)と合流していた覚えがある。根尾城を拠点に捲土重来を期するに違いない」

 

 

「殿様。でも美濃国って……脇屋義助は正気なの?」

 

 

「ただ脱出するだけなら案外悪くない。海上を塩冶家水軍部隊が封鎖して、北陸道の南に我が六角軍、北に高師春ら加賀勢がいると考えた場合、美濃国が脱出先としては手頃だ。越後山脈に慣れた脇屋たちであれば、山道を越えていくのは存外容易だろう。まさか自分の領国に逃げられるとは土岐頼遠も考えず、警戒は薄かった筈」

 

 

「……それって自分たちの領国に来たら絶対に狩る自信が土岐頼遠にあったからじゃ。幾ら脇屋義助が天下の名将でも、流石にさ」

 

 

「無論だ。新田四天王最強の篠塚が武力を補填し、脇屋義助があの手この手で工夫したところで、百戦もすれば必ずどこかで土岐頼遠(弾正少弼)が大損害を与えるだろうよ。まして美濃国には頼康(刑部大夫)殿も健在だ」

 

 

「じゃあ、脇屋たちが美濃国をさっさと通過して、信濃国か尾張国に逃げるなんてのも無理だよね。体力的に続かないだろうしさ」

 

 

「ああ。どこかで休息を取らないと。だが、その間に土岐頼康(刑部大夫)殿に捕捉される。しかも、頼遠(弾正少弼)も怒って美濃国に急いで戻るぞ。結局、今度は美濃国で籠城戦だ。根本的な苦境の解決にはなり得まい」

 

 

 後になって考えれば、俺の予測は半分正しく、半分誤っていた。

 確かに、脇屋義助と篠塚重広は平茸の敗戦後、脱兎の如き勢いで美濃国根尾城へ落ち延び、頼遠(弾正少弼)頼康(刑部大夫)の土岐軍と攻防戦を繰り広げるに至った。だが、脇屋義助の脅威の粘り強さと篠塚重広の先祖(畠山重忠)顔負けの武力は、土岐軍を以てしても攻略困難だったようで、何と(暦応)(四年)の九月十八日まで攻略に時間を費やす事になった。周辺武将の誰もが美濃国へ赴いて頼遠(弾正少弼)の指揮下に入るのを遠慮した事が響いたのかもしれない。また、頼遠(弾正少弼)は甥の頼康(刑部大夫)とも方向性の違い故なのか、共闘するにあまり向いておらず、両将で同じ城を攻めた事が裏目に出た。二兎追う者は何とやらと云うが、その逆で二刀を揃えて墓穴を掘ったのだ。頼遠(弾正少弼)頼康(刑部大夫)の片方だけを大将にして攻めていれば、半月程で脇屋と篠塚の根尾城は落ちたのではないかも思われた。

 その後、(脇屋)軍は吉野へ逃げたかと思えば、四国へ下向し、各々の命運を辿った。義助(総大将)は南朝勢力の四国制圧事業開始の矢先に病死。篠塚(四天王最強)は敗戦後に現地の足利軍を単騎蹴散らして姿を眩まし、表舞台に二度と現れなかった。終わってみれば、呆気ない結末だった。

 何はともあれ、亡き義貞(新田左中将)の弟の脇屋義助はこれを以って、尊氏様の烏帽子子である我が眼中から消えていった。信濃国の大徳王城に籠る北条時行も、殆どそうなって久しいが、力尽きて落城すれば()()()()だろう。時代は移りゆくものだ。いつまでも旧時代の亡霊に構っていられない。南朝は観応の擾乱における直義転向まで大した脅威になり得ないに違いない。この時、俺はそう確信していた。

 

 

「それより気になるのは畑だ。他の敵将はどうでも良いが、あいつとは本当に決着を付けて明日を迎えたい。明確に畑を超えたと証明しておかなければ、同じ馬術自慢として釈然としないまま日々を甘受する事に。今を逃せば、二度と雌雄を決する機会はない筈だ」

 

 

「畑……新田四天王の畑時能って確か四年前、山陽で新田軍を待ち構えてた時、別働隊の将だって殿様が大騒ぎした武将だよね?」

 

 

「言い方は引っ掛かるが……その通りだ。報告によれば、どうやら脇屋や篠塚たちが東南へ逃げる間、畑が殿(しんがり)をしているという」

 

 

 畑時能への対抗意識を燃やし、脇屋軍の動向について更なる裏取りができ次第、俺は六角軍の兵の大半を杣山城の抑えに残した上で北へ向かい、高経軍に合流するつもりで準備して、実際その通りになった。殿(しんがり)完了後は寡兵でどこぞへ逃げた畑時能(新田四天王)を討つために。

 十月に入り、畑の逃げた先も絞り出す事ができた。土岐頼遠は美濃国へ帰ったが、まだ高経(斯波尾張守)高貞(塩冶判官)、高師春が居る。彼らと協力し、畑時能を討ち取り、その首を土産に持って心地よく凱旋しよう。

 しかし、こうした目論見は直ぐに崩れ去った。暦応三年(西暦1340年)十月を順調に消化し始めた矢先の急報により、佐々木惣領として畑どころではなくなったのだ。原因は庶流の京極家の当主(婆娑羅大名の代表格)・道誉にあった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 十月六日に親父たちの起こした妙法院放火事件は、夜空を赤く照らす炎や京・白川の辺りに木霊する猛々しい鬨の声のため、その夜のうちに京を揺るがせる大騒ぎとなった。一方、京極家出身の私は佐々木惣領の側妾という体裁の元、ここ何ヶ月も江南で人質同然の生活を送っていたが、とある嫌疑を掛けられた。当時業火を煽る強風があったため、神力のある私が関与していたのではないかと。

 なまじ事件前に鷹狩りに来ないかと密使が来ていたため、その嫌疑も徒らに否定し難い。三郎(氏頼)の北陸遠征の留守を預かる身である惣領次弟・千金丸は明らかに私に殺意を持っていたが、幸いにも先代の時信による現当主の判断を仰ぐべきという言葉があり、私は義理の弟に誅殺されずに済み、当面の間は軟禁される運びとなった。

 

 

「魅摩殿。軍中の息子より通達があるまで、この草庵に住んで貰う運びとなった。世話は今まで同様、目賀田家の者に申し付ける」

 

 

「……は。義父上のご厚情に御礼申し上げます」

 

 

「分かっていると思うが、今回の道誉殿たちの凶行と我が六角家が無関係であると示すための一時的措置だ。これを理由に佐々木一族の近江国支配権を足利氏より取り上げられる事を、何より避けねばならぬ。愚僧は千金丸と共に京の動静を注視しつつ、遠征先の氏頼の決定を待つつもりだ。我々が御父兄を助けられぬ可能性については予め覚悟しておいて貰いたい。現佐々木惣領の妻なればこそ」

 

 

「……」

 

 

 妻という言葉もほぼ名ばかりだ。三郎(氏頼)は今も変わらず尊氏様にのみ思慕を抱いて、京極家出身の私への気持ちを失くして久しい。

 ただ、二年前に近江国守護を巡って一族同士で対立したと評判の六角家と京極家のために、私も三郎(氏頼)も別れずに居るだけだ。京極家の起こした騒ぎの処分次第で、私たちの関係は終わりを迎える。

 成長する毎に烏帽子親の尊氏様に似る三郎(氏頼)の事だ。京極家に価値が無くなったと見れば、ボロ布のように私を捨てるに違いない。

 そう思っていたところ、意外な事が起こった。三郎(氏頼)たち佐々木の大軍が妙法院放火事件を聞き、即座に遠征先の越前国を離れて本拠地に帰還した。現(南朝)主将の脇屋義助が美濃国へ逃げ、後は越前国で残党狩りしかする事が無くなっていたらしい。その程度の仕事なら越前国守護の尾張守(斯波高経)将軍執事(高武蔵守師直)の叔父の師春で十分に果たせるに違いない。六角軍が北陸方面に手を貸す理由は確かに潰えていた。

 

 

「魅摩……出てきて。殿様がお召しだよ」

 

 

「亜也子。いや。甲賀三郎、白装束に着替えた方が良いかい?」 

 

 

「?……さぁ。多少は察せるようになったけど、今でも殿様のお考えが何でもかんでも分かる訳じゃないよ。分かる事は殿様こそ神様という道理だけ。殿様の予言通り、南朝の准大臣(北畠親房)が『神皇正統記』を記したと噂が広まって、近江国の人々の殿様に対する畏敬は更に深まってる。その殿様が魅摩、あんたを必要としているんだよ」

 

 

「……惣領に仕えているに過ぎない一介の便女風情に()()()呼ばわりされるとは、私も堕ちたものだね。まぁ良いよ。三郎の考えが分かった。私とあいつは幼馴染で一心同体さ。私の神力が三郎の大願成就に必要なんだ。あいつが口で何と言おうと立派な婆娑羅だ」

 

 

 佐々木荘内の軟禁先から解放され、私は主の三郎(氏頼)に拝謁した。

 上座と下座に別れて座り、明確な序列の差が現れている。成人済みの佐々木惣領の三郎(氏頼)の纏っている風格は、そこらの地頭や土豪とは隔絶の感があり、まさしく大大名のそれだ。だが、頭の中はどうだろうか。理知的な外面に隠された直情さはこれっぽっちも変わっていない。開口一番の三郎(氏頼)の言葉がそれを如実に証明していた。

 

 

「これより再出撃し、我が近江国の大軍を率いて謀反人を討つ」

 

 

「……!」

 

 

「先日、脇屋義助の居た城を攻め落とした際、二年前の比叡山延暦寺の南朝との内通を示す書状が見つかった。脇屋軍と延暦寺が手を結んで、当時男山に籠りし春日軍を救援せんと図ったものである。これにより、比叡山延暦寺の尊氏様への翻意は明らか。脇屋軍討伐は終わっていない。近江国守護として脇屋軍と通ずる延暦寺を討たねばならぬ。既に三井寺(園城寺)の僧兵に支度を命じ、加えて高貞(塩冶判官)を先行させて京の防備強化及び、尊氏様がお持ちの八幡大菩薩旗の貸し出し願いを。船を含めて準備が整い次第、出る。魅摩、お前も来い」

 

 

 予想は概ね当たっていた。三郎(氏頼)の腹の内は分かり切っている。

 佐々木惣領としても、近江国守護としても、勢い目覚ましい同族の京極家と古来より因縁ある比叡山延暦寺ならば、前者を選ばざるを得ないと知っているのだ。今後、三郎(氏頼)が延暦寺と揉める事は十分にあり得る。その際、親父(京極道誉)たちが妙法院の件で処刑されたという前例があっては、三郎(氏頼)がその二の舞になる。それを避けるために。

 三郎(氏頼)は本気だ。私の神力を使って比叡山を焼き尽くす気なのだ。

 近江国守護(佐々木惣領)が八幡大菩薩の神威と三井寺の援護を借り、比叡山を謀反人追討のために攻めるという筋書きで名分を担保する。これなら朝廷も黙ると睨み、三郎(氏頼)は諸々を手配したのだ。その期待に応えなければ、佐々木魅摩の名が廃ろう。主人の命に力強く頷いた。

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