崇永記   作:三寸法師

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昨晩の火球、世が世なら朝廷の命で寺社が祈祷するような騒ぎになっていたかもしれないと思うと科学の進歩に改めて感謝です。


▲6

〜1〜

 

 

 室町時代初期、それまでの覇業成就のための戦で幾度も軍功を成した将軍執事(剛腕の将)・高師直がひ弱な直義に先んじ、病を患っていた。

 時は暦応四年(西暦1341年)の春、遥か東の前線では関東執事の師冬(彦部吹雪)が苦戦を強いられ、南の大和国では以前の決戦(石津の戦い)において一二を争う評判を得た細川顕氏(豚カツ)が本来の実力を発揮できずにいる。完璧執事(高武蔵守師直)の郎党たちは慮った。こうした状況で主君(師直)が覚えているに違いない歯痒さを。

 師直の屋敷では日々、病身の主人(師直)の気晴らしのために芸能に通じた者たちが呼ばれ、各々の特技を披露していた。しかし、薬師寺公義のような郎党たちの気遣いも虚しく、師直の脳裏にあったのは、三年前の北畠顕家戦死の後で駆け付けた場所で見た神の御業だ。

 

 

(俺が斬っても斬れないような物の怪を、尊氏様は物の見事に捕らえて御自身の糧にされた。あの物の怪(御左口神)神業(触手)によって吐かされた喘ぎが頭にこびり付いて離れん。あれから数年が経った今でさえ)

 

 

「もう良い、下がれ。俺の世話をする者は沢山いる。困窮した北朝公家たちが俺に献じた妻や娘だ。お前は武蔵五郎の面倒を見ろ」

 

 

「……畏まりました。師直様」

 

 

(……関白の妹を孕ませても、所詮俺は神の領域に遠く及ばぬ)

 

 

 古典『太平記』によれば、武蔵五郎もとい師夏は父の師直が関白の二条道平の妹を屋敷から盗み出し、産ませた子だという。言うまでもなく、高師直の驕りと好色ぶりを示すエピソードだ。この妹はいずれ帝の后にもと考えられていた程の深窓の生まれであったが、東国出身の師直の手に堕ちて望みが潰えた。その事を当の道平妹(師夏母)も常々嘆いたという。加えて、噂を聞いて大炊御門冬信という摂関家の色好みな公卿が粉を掛けようとしたところ、師直が取り敢えずの報復のため、若党たちをして大炊御門邸に火を放ち、混乱に乗じて彼らが煙に紛れて矢を放ったというのだから、救いようがない。

 しかし、こうしたエピソードですら師直の悪行伝説のほんの一端に過ぎなかった。何しろ、師直が真に好むのは人妻なのだから。

 出仕を停止し、師直が屋敷に籠っていたある日の事だ。その日は覚一や真性という琵琶法師たちが師直邸を訪れ、古の源頼政が鵺を退治して女官(菖蒲の前)を下賜された逸話について小気味よく語っていた。

 語りが終わるや否や、同席者たちは好き勝手に感想を口にした。

 

 

「はァ。しかし、褒美が女官であるのも」

 

 

「うむ。名誉ではあるが……やはり所領や引き出物の方が良い」

 

 

「ふ。何を言うか、この馬鹿者どもめ。()()()()のような美しき女官なれば、俺の支配下の荘園数十ヶ所や四つの任国にも勝るというものだ……それこそ我が所領と()()()()を替えて頂きたい程よ」

 

 

(((師直様……どれだけ()()()()をお召しに)))

 

 

 気前良き征夷大将軍(足利尊氏)に仕えている手前、普段であれば十分に弁えている土地こそ全てという武士の道理をこの時、師直は余裕たっぷりに鼻で笑った。今頃、師直の不在で普段以上の仕事を強いられて疲弊しているに違いない副将軍(足利直義)へのあざけりもあったのだろう。

 しかし、何とも間の悪い事にもっと笑う者がいた。侍従の局という元宮女だ。彼女は言った。菖蒲の前など十数人の女官と混ぜられればパッと分からぬ程度のありふれた美貌であり、楊貴妃に及ばないどころか、到底師直(高武蔵守)の所領に替えられる程のものではないと。

 

 

「武蔵守様ほどの御方の広大な所領、早田宮様の御令嬢のような天下第一の美女でなければ釣り合いませんよ。いえ、彼女なら唐土や天竺の大地にさえ匹敵しますわ。命ごとき全く惜しくもない筈」

 

 

「ほう。それ程の美女がこの天下に」

 

 

「ええ。私ごときの言葉ではとても申し尽くせませぬ」

 

 

 この侍従の局はとても御喋りな性質だった。場の者たちの注目を浴びた事で気持ち良くなったのか、語り切れないと断っておきながらも長々と在りし日の「天下第一の美女」について語り始めた。

 ようやく長話が終わると師直は口角を上げた。暫く会っていない尊氏の勇姿(触手)に背中を押されるかのように、起き上がって尋ねた。

 

 

「して、その姫君は今どこで何をしておる?歳はいくつだ?」

 

 

「それがとてもお可哀想なのでございますよ。いえ、姫君の美貌は盛りを過ぎて衰えるどころか、この間お見かけした際は一層魅力が増しておられまして、どこのお妃か政治家の細君かと思ってみたらまぁ哀れな事。あのむさ苦しくて気味悪い守護の塩冶判官に下賜されておられたと。あれでは匈奴の王妃に身を窶した王昭君と変わりございませんわ。姫君を見ただけで昔が恋しく、斯様にも涙が」

 

 

「……塩冶がそのような美女を隠し持っておったとは。惣領の氏頼はゲテモノ趣味だが、塩冶は塩冶で碌でもない。将軍執事の俺を差し置き、()()()()()()()を……クク。良い話を聞いた。今の話に比べると琵琶法師の語りはカスだ。興味深い。引き出物を与えろ」

 

 

「は!」

 

 

 いつにも増して師直は()()()()した笑みを浮かべ、売れば莫大な金に化ける小袖を十枚、高級枕まで侍従の局へのチップ(心付け)とした。

 だが、美味い話には必ず裏があるものだ。当然、師直の持つ下心は並でない。侍従の局がまるで引け目なくチップ(心付け)を抱え、退席しようとしたところ、師直はその袖を掴み、顔を限界まで近付けた。

 

 

「お陰で病もすっかり良くなった気がする。だが、別の病に罹ってしまう事になるとは。局殿よ、心より頼み申すぞ。件の姫君と拙者を是非お引き合わせに。更なる褒美が欲しかろう?所領も財宝もお望みのまま、この師直が計らおう。人助けと思って掛かられよ」

 

 

(ひっ、無理無理……けれど無理なんて口が裂けても)

 

 

「……い、言えたら言ってみますわ」

 

 

「然と、頼み申しましたぞ?局殿」

 

 

 思わぬ師直の威圧に震えて自室へ逃げた侍従の局は、それから数日引き篭もって思い悩むも、程なくして間髪置かぬ師直の催促に耐えかね、件の……判官(塩冶高貞)の奥方・顔世に話を持ち掛ける事にしたが、勿論空振りに終わった。とはいえ、師直の恋の病は重篤だった。

 師直はありとあらゆる手段を講じたという。兼好法師や薬師寺公義をして代筆させた手紙を送ったり、侍従の局の前で怒気や涙を見せて当たり散らした末、夫の留守を狙って塩冶邸へ赴き、顔世の姿を覗いたりした。この様子は後世の浮世絵などの題材となった。

 ここからだ。ここからなのだ。京女を漁り続けた執事の物語は。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 直義は眉を顰めた。若き佐々木惣領(六角家当主)の氏頼が朝早くから将軍邸を訪問し、因縁の比叡山延暦寺ではなく、今度はここ最近病欠続きの将軍執事・高師直をターゲットに、あらぬ讒言をしているのだ。

 曰く、病気の筈の師直がかつての宮女の顔世御前(塩冶夫人)に懸想して盛んにアプローチを仕掛け、挙句夜這い未遂まで行ったのだという。

 俄かに信じられない内容で直義は兄・尊氏と顔を見合わせた。

 足利兄弟にとって師直は幼い頃から身近にいた忠臣だ。副将軍として新生幕府の政治の多くを担う直義も、全金属製帝試作のようなやり過ぎに声を荒げたこともあったとはいえ、その合理主義はよく知っている。よもや私情を優先して有力武将の高貞(塩冶判官)の妻にちょっかいを掛け、混乱を生み出すような真似をするだろうか。まして師直は近年、西国武将たちに近く、佐々木一族はその代表格である。

 

 

(氏頼の話を信ずる限り、師直はまず兼好に代筆させ、その腕前が頼りにならないと見るや薬師寺に代筆させる事にしたと。だが)

 

 

「氏頼……別に師直の肩を持つ訳ではないが、あれは中々に和歌も書も上手いぞ?盛んに師直邸に出入りしていると聞く兼好殿は兎も角として、薬師寺が代筆する程ではない筈だ。いや、薬師寺の方も和歌はそれなりに上手いようだが、兼好殿以上とは。ただ、病故なら二人の代筆も腑に落ちようか……兄上はどう思われますか?」

 

 

「……氏頼、風呂覗きの証拠は何かあるのか?」

 

 

「は。実のところ、師直殿が夜這いするに及ばず、覗きで踏み留まったのには訳があるのです。此方の弥九郎殿の懐にその証拠が」

 

 

(細川頼之(弥九郎)……才覚は家長(孫二郎)にも劣らぬと噂に聞いたが、(頼春)は師直に近い武将の筈。若さに似合わぬ頼之(弥九郎)の表情の渋さはそれが理由か)

 

 

 足利兄弟の視線を浴び、おずおずと弥九郎(細川頼之)は証拠の品……師直の衣服の切れ端を自らの懐から板敷の上に出した。その様を確認して氏頼(近江三郎)は口を開いた。自分たちが証拠を得るに至った切っ掛けを。

 昨晩、氏頼は渋る弥九郎(細川頼之)を伴って、鷹司西洞院の塩冶邸の周りを張っていた。師直たちがやってくるに違いなしと判じての事だ。

 

 

『塩冶邸に勤める者をして、知人を売る不埒な元宮女に敢えて情報を掴ませた。奴は確実にやって来る。そこをお前が小弓で射る』

 

 

『へぇ。それより氏頼殿、どこの貴族だ?その塩冶殿の奥方を狙おうという輩は。この俺を連れて来るとは、佐々木惣領だけで対抗できない貴人と思えて仕方がない。相手次第で俺、帰るからな?』

 

 

『大丈夫。殺せとは言わぬ。父親譲りの弓術で小笠原の跡目にも引けを取らない弥九郎殿ならば、鏑矢で袖を引き千切る程度は簡単にできるだろう?何、相手は病み上がり。防がれる事はあるまい』

 

 

『病み上がり……氏頼殿、それってまさか』

 

 

『しッ!来たぞ』

 

 

 夜這いの時に何人も連れる者はそう居ない。氏頼(近江三郎)は夜目で師直と連れの侍従の局の姿を確認し、小弓の使用を弥九郎(細川頼之)に強請った。

 結局、弥九郎(細川頼之)は少し歳上の氏頼(近江三郎)の急かしに根負けし、鏑矢を射てしまった。氏頼の言葉通り、万全の身体と装備なら顕家の矢をも防ぐ師直は、病み上がりであるせいか、後の幕府の要たる管領(細川頼之)の俊才のせいなのか、服を破かれ、証拠の切れ端を残して逃げ去った。

 その直後、氏頼は潜伏を止め、一つの誤算のために頭を掻いた。

 

 

『う〜ん。案内の局の方は置き去りだと思ったが……腐っても剛腕の将か。片腕で担いで帰りおった。あの勢いでは追うのも厳しい。それに五人や十人程度ならまだしも、天狗衆に百人規模で押し寄せられれば、流石に面倒だ……ま、最低限欲しい証拠は得られた』

 

 

『おうい!氏頼殿、どうしてくれるんだ!?うっかり師直様を射てしまったではないか!これでは師直派の父に申し訳が立たぬ!』

 

 

『ん?……何の何の、弥九郎殿。何も今、師直殿を除こうという訳ではない。それより明朝、一緒に将軍邸に参ろう。師直殿を召して急ぎ関東救援に赴かせるよう申し上げるのだ。師冬(高三河守)殿のために』

 

 

『……そう言えば、氏頼殿は確か師冬(高三河守)殿と懇ろの仲だったか』

 

 

「──という事でして、尊氏様におかれましては何卒ご検討くださるようお願い申し上げます。関東で劣勢の師冬(高三河守)殿のため、我が佐々木氏と高一族の不和を避けるため、御叡慮を賜りたく存じます」

 

 

「御二方。この頼之(弥九郎)は誓って師直(執事)様を討とうとして矢を射た訳ではござりません。また、師冬(高三河守)殿や幕府の未来のためと思い、ここに参じた次第。どうか誤解なさらないよう切にお願い申し上げます」

 

 

「……兄上。この切れ端は確かに師直の衣の一部かと」

 

 

「……鏑矢で射たと申したな。しかも小弓を使って。手加減して師直の衣を裂くとは、頼之(細川弥九郎)の弓は大した腕前だ。その父も天下屈指の弓の名手だが、子も将来有望と見える。して、肝心の処分だが」

 

 

 足利兄弟は再度目配せし合う。氏頼(近江三郎)の言葉は謂わゆる讒言にも等しいものであるが、その提案する落とし所自体は極めて穏当だ。

 本当に師直が回復しているのであれば、関東の戦線立て直しのために派遣するのは吝かではない。関東における南朝軍の熾烈な抵抗の噂は既に京に聞こえている。そもそも師直の発病なくば、その猶子の師冬を救けるべく送り出そうとしていたところだったのだ。

 

 

「氏頼……知っての通り、我は恩賞を皆に与えたり要職を任せたりする仕事以外、(あまね)く直義たちに任せている。賊軍鎮圧の戦略の決定も例外ではない。直義よ、今回の仕置きもお前に任せたいと思っているが、どう考える?佐々木氏頼の進言、全て受け入れるか?」

 

 

(これは……今後の幕政の行方を占うものだ。有力外様大名の進言を全面的に支持して、幕政の片翼を担う執事を一時的に京から追いやるべきか。足利一族の若手有望株の一人、頼之(細川弥九郎)が私の判断を目の当たりにする。いつにも増し、私の判断が後の手本になるのだ)

 

 

 直義はすっと息を呑んだ。この場における自身の言葉の重みを誰よりも知っていた。数十年後の幕府の有力者、細川頼之の視線が当代のそれである直義に注がれた。既に直義の心は決まっている。

 そもそも氏頼は今回、端から妥協姿勢を見せていた。なし崩し的に細川頼之(弥九郎)を証言者として巻き込んでおきながらだ。ならば──

 

 

「兄上。お言葉故、私の所見を述べます。まず師直の病ですが」

 

 

「おや、弟殿。噂をすれば影……という言葉をご存知ですかな?」

 

 

「なッ!も、師直!?」

 

 

「クク……」

 

 

 将軍の尊氏を除き、場の三人は驚いた。足音一つ立てず、将軍邸の面会場に執事・師直が姿を現したのだ。その背後には師泰(高越後守)をはじめ執事直属の猛将が複数人控えている。まさに幕府軍の主力だ。

 直義らが唖然としている間に、師直が袖を靡かせてバッという音を鳴らした。それを合図として、師泰(高越後守)たちが氏頼に飛び掛かる。

 謁見の間において壮大な喧嘩のゴングが鳴った。尊氏は迷惑そうに顔を歪め、直義は気を取り直して師直に怒鳴り声を浴びせた。

 

 

師直(武蔵守)兄上(将軍)の御前だぞ!すぐに狼藉を止めさせろ!」

 

 

「狼藉?弟殿、見当違いだ。真の狼藉者を知らぬと見える」

 

 

「何……?」

 

 

「申し上げます。先程、知らせが。二ヶ国(出雲国兼隠岐国)守護の塩冶高貞(判官)が家族や郎党を連れて西へ逃げました。これぞ塩冶の謀反心の証。氏頼殿は将軍の烏帽子子なれど、塩冶の同族です。念の為、侍所に身柄を預けなければ、将軍の御身に災いが降りかかるやも知れませんぞ」

 

 

 古典『太平記』によれば、師直は横恋慕が過ぎる余り、あさましくも夫の高貞(塩冶判官)さえ居なくなれば、後から簡単に顔世御前を我が物にできると考え、足利兄弟に塩冶謀反の疑いを吹き込んだという。

 この時の佐々木惣領(六角家当主)の氏頼の心境如何ばかりか、到底信じられなかったに違いない。塩冶高貞(判官)はかつて竹下で脇屋軍(新田軍別働隊)を攻めて勝利に貢献した同族武将なのだから。しかし、現代では塩冶高貞(判官)の南朝との内通は、真に起こっていた事なのではないかと見られている。

 実際、尊氏はおろか、直義もまた分かってしまった。幼い頃から一緒だった師直の確信めいた表情を。それもその筈。師直はかねてより足利お抱えの忍び・天狗衆の差配を一手に担う身であった。

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