崇永記   作:三寸法師

140 / 202
◆6+

〜1〜

 

 

 今は昔、幼くして佐々木惣領の座にありながら未だ源氏棟梁の尊氏様の恩威も十分知らずに千寿丸と名乗っていた頃、分家の大名の塩冶高貞に聞いてみた事がある。追加の守護国や新たな領地なら分かるが、帝から宮女(顔世御前)を宛てがわれた事がそんなに嬉しいのかと。

 何せ天下の元号が建武に改められた矢先、高貞(塩冶判官)は当時の後醍醐天皇に西楚の覇王・項羽の愛馬であった騅に喩えられる程、見事な良馬を献上していた。当時既に()()()()と実際の見聞から建武政権を見限っていた俺に言わせれば、敵に塩を送るようなものなのだ。

 

 

『あのような天馬、この千寿丸が欲しかった位です。いや、俺でなくても高貞殿が乗れば、後の軍功の役に立ったに違いない。だが、今回の件であの馬が天下に広く知られてしまったからには、多くの武将の欲するところとなる。そして、いずれあの馬を得る武将が必ずしも朝廷の……否、我ら一族の味方とは限らないのですぞ?』

 

 

『はは。宗家が先見の明で御先代(時信様)を遥か凌ぐという噂は、本当のようですな。どうやら遠からず、また世が乱れるとお思いらしい』

 

 

『ああ、そうだ。だが、高貞殿。それは貴殿も同じ思いの筈』

 

 

 実のところ、高貞の献じた良馬は朝廷(建武政権)で議論の的となっていた。

 献上品に気を良くした後醍醐天皇はおろか、当時の内大臣の洞院公賢をはじめとする公家たちがこぞって祝賀の意を示した一方で、中納言の万里小路藤房が凶兆なりと異を唱えたのだ。これが後醍醐天皇の逆鱗に触れる事となり、その場は即解散の運びとなった。

 

 

『宗家……(それがし)は良かれと思って帝に竜馬を献じたのみであって、何も凶事を朝廷に持ち込む意図は……むしろ献上品には良馬だという我が浅知恵のせいで藤房卿の立場を悪くしてしまい、()()が悪い程ですのに。道誉殿なら狙って出来ましょうが、某にはとても』

 

 

『ご謙遜を。要らぬものを相手に差し上げる程、塩冶殿は無粋ではないでしょう?何かしらの使い道があるからこその献上品です』

 

 

 なお、万里小路藤房の諫言は、武士たちの待遇改善や大内裏造営中止を提言するなど、建武政権の非を的確に突いていた。しかし、逆鱗に懲りず、梨の礫も同然の諫言を繰り返せば、どんなに優れた指摘であっても、君主の威厳を損なう事に他ならない。藤房はどうしようもないと悟り、自ら政界を退いて出家する羽目になった。

 こうした一連の万里小路藤房遁世の経緯は、後の『太平記』において西園寺公宗の天皇(後醍醐帝)暗殺未遂事件の直前に記される。その後の中先代の乱から始まる建武政権崩壊を示唆するエピソードなのだ。

 

 

『藤房卿の進言は的を射ている。そう、一日を千里で駆ける良馬は平穏な時代ではなく、乱世において風雲急を告げるために用いられるもの。その時は遠からず、藤房卿の申された()()()()()()()()()()()()()による政権転覆を以て始まる……宇多源氏佐々木氏の血が疼きます。勿論、この血は高貞殿の身にも流れているものです』

 

 

『宗家、この高貞を買い被り過ぎです。我が塩冶家は出雲大社と誼を結んでおりますが、宗家のような未来を見通す神通力は……』

 

 

『神通力……?ははン。道誉殿から何か吹き込まれましたか?』

 

 

『……宗家は尊氏殿の治世をお望みであると』

 

 

『!……よく分かっておられる。ま、望みというのも少し烏滸がましい話かもしれませぬ。この世の道理から来る確信と言った方が適切でしょう。高貞殿、新時代はまだ始まってすらおりませんぞ』

 

 

 万里小路藤房の失脚を契機に、良馬を贈って帝に謝恩を示した筈の高貞(塩冶判官)も悟っていた。武家や民たちと大覚寺統(後醍醐天皇)の間に生じつつあった温度差を。だからこそ塩冶高貞は竹下の地で足利軍に与した。

 誰が信じてやるものか。この千寿丸が氏頼となって三年が経ち、分家の高貞(塩冶判官)が今更裏切る等という好色執事の妄言を。腹が立って仕方がない。こんな事になるなら()()()()を断つべきだった。侍所に預け置かれる間、俺は後悔していた。顔世御前の処遇について。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 佐々木城の座敷牢に閉じ込められて悠に百日を超える月日が経過している。惣領の側妾という立場も名ばかりに過ぎない。取り敢えず放火事件をやらかした親父(道誉)たちが戻って来るまでこのままか。

 首を長くして年越しを迎え、更に春も終わりが近づいて間も無く夏だという頃、思いも寄らない噂話が聞こえてきた。将軍執事の高師直が人妻に懸想したらしい。その人妻は、私も懇意にしていた顔世御前、佐々木氏庶流の大名・塩冶高貞の妻に当たる元宮女だ。

 

 

「亜也子。いや、甲賀三郎か。その話を私に聞いてどうしようっていうんだい?当主の考えでもなし、馬淵(守護代)にでも頼まれたのか?」

 

 

「……う、うん。何か思い当たる節は無いか聞いてくれって」

 

 

「はァ。どいつもこいつも私を敵視する癖に虫の良い。それで思い当たる節があるって言ってみろよ。すぐ惣領サマに通報だろ?」

 

 

「魅摩……殿様にかなりキレてる?」

 

 

「当たり前だ!もう春も終わるぞ!なのに釈放の話は皆無だ!」

 

 

 最初は女を閉じ込めて楽しむ一種の行為かとも思ったが、とんだ思い違いだった。今なら三郎(氏頼)の腹の内は透けて見える。小さな牢ではなく座敷牢を用意しただけ温情だとでも考えているのだろう。

 おまけに腹が立つのは三郎(氏頼)が将軍直筆の書状一つで渾身の腹案の筈の延暦寺総攻撃を中止し、みすみす京極家が罪を被る事を容認した事だ。私の親父(京極道誉)()兄上(秀綱)が遠流されるだけで済み、惣領の自分には累が及ばないなら、良いかとでも思ったのだろうが、甘過ぎる。

 

 

「高師直の懸想もさ、宮女が好みなら顔世御前はまず妥当な線だと思うよ。親父が前に師直のため人妻系の遊女を用意したって噂も聞いてたしね。けどさ、それが高じて塩冶の妻にっていうのは三郎の失策のせいだ。遠流の件で佐々木一族が舐められ始めたんだよ」

 

 

「……殿様が大人しく道誉様たちに処罰を受けさせたから?」

 

 

「そゆこと。江州勢を大々的に動かして脅迫まがいの比叡山出兵準備までしたっていうのに、あの始末じゃ塩冶も浮かばれないよ」

 

 

「ああ。確か使者に遣わしてたよね、塩冶様を。将軍家所蔵の八幡大菩薩旗の貸与を許可証代わりに求めるとか何とかで。それで結果は将軍の手紙一枚で、殿様があっさり攻撃態勢を解除したから」

 

 

「塩冶も居心地悪かったでしょ。あーあ、知らねぇぞ。これから塩冶が裏切ってもさ。あの田舎大名、やる時は群雄らしくやるぞ」

 

 

 せめてもの親父の街道下向時のどんちゃん騒ぎである程度の面目を保ったが、その後またも三郎(氏頼)はポカをした。副将軍の命令で先代(六角)当主(時信)が西阿討伐のため、南下するのを甘んじて受け入れたのだ。

 あれでは現当主の三郎(氏頼)が舐められるに決まっている。副将軍の直義も比叡山延暦寺の反発を避けるため、暫くは三郎(氏頼)に軍事行動をさせたくないのだろうが、随分と余計な真似をしてくれたものだ。

 

 

「魅摩……塩冶様が裏切るって本気で言ってる?」

 

 

「ああ。奥方(顔世)将軍執事(高武蔵守)に狙われて、さぞ不安だろうさ。そこに三郎が将軍の虜で、いざという時に分家の夫妻を庇ってくれるか分からないときている。三郎の事だ、とんでもない事を言い出すよ」

 

 

「……例えば?」

 

 

「塩冶は悪くない。悪いのは顔世だ……とかね。分家出身の婚約者をここぞとばかりに将軍の黙認を得て妾に(やつ)させ、更にこうして牢に閉じ込める位だよ。悪い虫の顔世を消そう。絶対こう言うよ」

 

 

 乾いた笑いと共に発した言葉は間も無く本当の事になり、塩冶出奔の報が、程なくして南近江にある佐々木城にも聞こえてきた。

 何もかも終わりだ。新時代を象徴する流行として婆娑羅に心躍らせたのも遠い昔だ。やっとの思いで掴んだ足利新時代がこんなものになると誰が想像しただろう。三郎(氏頼)としても想定外の筈である。

 今回の件で関係修復の芽は絶たれるに違いない。私は強く予感していた。三郎(氏頼)の視界にこの私の姿が映る事は二度と無いのだと。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 この世の中は諸行無常だ。あの献上品の天馬は戦乱で日の目を見る前に、朝廷の早馬の役割を遂行している最中に怪死を遂げた。

 分家の大名である塩冶高貞の背信疑惑及び出奔に伴い、惣領の俺が()()()()()で侍所預かりの身となった今、身体の成長に伴う感覚矯正のための胡桃を掌で弄び、考え事をして暇を潰すしかない。

 

 

「何シテル?ササキ?ロッカク?」

 

 

「ソレ、胡桃?美味イノ?」

 

 

「こう胡桃を掌で転がして力加減の感覚を養っているの。あと別に佐々木でも六角でもどちらでも良い。文書上は源なり佐々木なりで通してるけど、口頭の上では佐々木か六角かで十分通じるから」

 

 

「「??」」

 

 

 幕府の人員も無限ではない。聞けば、現伯耆国守護の山名時氏は塩冶邸の家宅捜索、直義派閥の猛将の桃井直常は我が六角邸の家宅捜索をしているらしい。そこで、侍所預かりの身である監視役に直義の采配によって抜擢されたのが、上杉重能(伊豆守)の猶子二名だった。

 後に言う顕能と能憲である。だが、公家(勧修寺氏)の血を引く上杉家の生まれと思えない獣のような振る舞いで、何かしらの精神疾患を疑わざるを得ない。直義は何を思って、この二人を俺の見張りに付けたのだろうか。時折り噛みつこうとして来るが、戯れつく犬を牽制するように睨みを効かせれば、暫く引き下がる事は不幸中の幸いか。

 

 

「六角殿。二人と元気にやっているかな?食事を持ってきたよ」

 

 

「これはどうも、重能(上杉伊豆守)殿……猪鍋ですか」

 

 

「そう。ああ、二人の食事は別にある。外していなさい」

 

 

「「ハ!」」

 

 

 後世で言うところの刑事にカツ丼──勿論、この場合は細川顕氏(豚カツ)と違うが──を食べさせられての取り調べが始まるのだろうか。

 どうしても諦観の念に駆られたくなる。奸臣の讒言というものがここまで厄介だとは思いも寄らなかった。尊氏様はすっかり高貞(塩冶判官)の翻意を信じ込み、()()()()しながら討ち手を選んでいるらしい。

 

 

「これ程の量を用意しなさるとは……直義様のお考えですか?」

 

 

「勿論。直義様は塩冶の方はいざ知らず、六角殿が烏帽子親の将軍に翻意を抱く事はないと信頼しておられる。それだけは確かだ」

 

 

「……できれば高貞(塩冶判官)殿も信じてやって頂きたいのですが」

 

 

「難しいね。何やら塩冶の実弟が証言したそうだよ」

 

 

「貞泰殿が……であれば、高貞殿は。いや、しかし」

 

 

 折角用意してくれた猪鍋も味がしない。確かに塩冶高貞という武将は暦とした守護大名だ。かつては鎌倉幕府と後醍醐天皇の間で暫く日和見をして、ここぞと見た瞬間、隠岐国の同族である佐々木清高の喉元に喰らい付き、功績を上げた。また、箱根竹下合戦においても武家方(源氏軍)に味方こそすれ、それまでの宮方(新田軍)を機を見て裏切った事も確かである。つまり、必要とあらば寝返る諸侯の一人なのだ。

 しかし、何故に今という思いが拭えない。観応の擾乱が始まって南北朝の対立が混迷を極めた頃合いならまだ分かるが、幕府開闢から三年が経った今、とても時機に適っているとは言い難い。大体、どうせ裏切るのであれば、足利軍の九州落ちの間に再び大覚寺統方に転向していれば、天下の行方は分からないものになっていた。

 何もかもが中途半端だ。どうしても高貞が自発的に北朝や幕府ひいては佐々木惣領の俺を捨て、南朝に通じるとは思えなかった。

 

 

「六角殿。九州事情にはどの程度、通じておられる?」

 

 

「九州……?」

 

 

「そう。関東では北畠親房、出雲国の隣の石見国では日野邦光*1が挽回の兆しを見せているが……九州も同様だ。後醍醐先帝の皇子の懐良親王が征西将軍となり、現地へ向かって久しい。当然、懐良親王の側にもお付きの公卿が何人も居る……その一人が源宗治だ」

 

 

「ッ……顔世殿の弟!臣籍降下した元皇族!あれが懐良と……?」

 

 

 懐良親王については先の記憶にもある。いずれ九州で猛威を奮って日本史に名を残す南朝の皇子だ。九州が北朝方に再度(あまね)く帰するには今川貞世(了俊)の台頭を待たなければならない。そう思って近江国からかなり遠い九州には注意を払っていなかったのが裏目に出た。

 出雲国の大名である塩冶高貞にとって、九州における南朝の反抗の兆しは単に対岸の火事と片付けられない事なのかもしれない。

 まして妻・顔世の弟が対岸の火事に酷く加担しているとなれば。

 

 

「あいつが……あの女が高貞(塩冶判官)殿を誑かしたか」

 

 

武蔵守(高師直)は足利御兄弟の前で断言した。元々、奥方(顔世御前)に南朝との内通の疑いがあったため、警戒していたのだと。決して横恋慕故ではないそうだ。奥方(顔世御前)の出自を考えれば……あながち嘘と断定できぬ」

 

 

 この重能(上杉伊豆守)の言葉が足利幕府の結論らしい。確かに北畠親房たちの南朝勢力が各地に残存し、高師冬(吹雪)細川顕氏(豚カツ)土岐頼遠(一騎当万)らがそれぞれ南朝武将と対峙している今、師直(剛腕の将)の非を追求する事は無茶だ。

 それよりか、疑惑の外様大名(塩冶高貞)を速やかに討伐して、武将たちの引き締めを覇道によって図る方が、有益であるという判断だろう。

 

 

「なれど……これでは道理が」

 

 

「六角殿。その心苦しさを直義様も半年前に味わわれた」

 

 

「?」

 

 

「京極父子を死罪にせず、遠流で済ませただろう?にも関わらず、あの父子は配流先の奥州に達するどころか、不破関を越えた形跡すらなく、近江国の街道では遊女と酒盛り三昧だったという。それでも直義様は不満を呑み込まれた。京の政治は()()()()()()とね」

 

 

 京における直義派の重鎮の上杉重能(伊豆守)の言葉が俺を()()とさせた。

 拳を握り締める。俺の脳裏で結論が出た。簡単な話だったのだ。

 

 

「ならば、高貞(塩冶判官)に奥方を斬らせれば無実を証明できる」

 

 

「ッ!?……六角殿、何故にそうなる?」

 

 

「元皇族の南朝公卿・源宗治の姉で、美人と名高き顔世を夫婦の情を捨てて斬ったとなれば、塩冶高貞の源氏への忠誠心は公のものになります。これ即ち、足利幕府が塩冶を切り捨てる理由が無くなる事に他ならず、師直殿が塩冶の失脚を狙う理由も無くなります」

 

 

「え……いや、ええ?」

 

 

伊豆守(上杉重能)殿、今一度副将軍(直義様)にお引き合わせを……俺が出ます」

 

 

 早くあの夫婦を捕らえなければ、面倒になる。どうやら尊氏様の御前に京に残っている幕府の諸将が終結しているらしいが、誰しもが塩冶高貞の武名に尻込みして、話が一向に纏まらないようだ。

 尊氏様が呆れるどころか、執事(師直)の催促に気が急いて、大名たちに堪忍袋の尾が切れるのも時間の問題だ。遅かれ早かれ副将軍の直義が号令を掛ける事になるだろう。この隙を利用しない手はない。

 決して我が佐々木一族から裏切り者を出してなるものか。分家の大名を自陣に繋ぎ止めるため、意地でも行動を起こす事にした。

*1
南朝の石見国国司。父は正中の変で佐渡国に流された日野資朝。




前にもどこかで書いた気がしますが、六角氏頼の動向に甘えて擾乱途中からバッサリ省略する可能性は依然あります。予めご了承を。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。