崇永記 作:三寸法師
〜1〜
幸いな事にその二名の大将は高兄弟ではなかった。兄の師直の方は病み上がりで、弟の師泰の方は昨年末に摂津国で
「桃井様!申し上げます!山陽道を赴かれた山名様より、報せがございました!執事様の使いを名乗る者が現れるも、その正体は塩冶家郎党・来海五郎!約半刻にも亘って時間稼ぎされたとの事!」
「半刻ぅ?
「桃井殿。来海五郎は知っています。五尺余りの大太刀の使い手で知勇を兼ね備えており、特にその武力は佐々木の一族郎党でも上位に入ります。塩冶邸と離れた場所に住んでいるため、蚊帳の外になり掛けていたところを、噂を聞いて急遽駆け付けたのでしょう」
幕府による討ち手は主に桃井
山名時氏は知らないが、桃井
「塩冶家郎党が噂を聞いて山名の方に……六角、このまま俺たちが山陰道を進んでも、とんと成果は得られないかもしれねぇぞ?」
「いいえ、私は逆に考えます。塩冶
「へぇ。何故そう思うんだ?」
「簡単な話です。顔世御前はそう楽々動けない。陽動を必要としている筈です。ただ単に女人だからではない。彼女は腹に
「!?」
夫の塩冶高貞は
恐らく
どこまでも腹立たしい。そんなに妻が大事なのか。妻など衣服のようなものだ。特に
そう俺が息巻いていたところ、桃井もまた気色ばむ様子だった。
「足利家執事は……妊婦の入浴を覗こうとしたっていうのか」
「へ?……詰まるところ、そういう事かと」
「……あり得ねぇ。それが
「残念ながら……私が知る限り、それが事実としか」
直義派の桃井直常が
それより問題はやはり我が庶流の
つくづく自分の記憶の限界が惜しい。あくまで試験をパスするために蓄えた知識程度では、これから先ますます厳しくなる筈だ。
「あれ、そう言えば出雲国って戦国時代は──」
「なぁ、六角サンよ」
「ッ……桃井殿、如何された?」
「ふと我に帰ったんが……亜也子って最近、どうしてるんだ?」
「は?」
一体こんな時に、何を藪から棒に言うのか。俺は面食らった。
だが、よくよく思い出してみると、桃井
恐らく
「ああ、いや。何でもねぇ。六角サンんとこの京屋敷を家宅捜索した時に影も形も無かったからよ。そうか、だとしたら近江国の屋敷だよな。それが良い。
「無駄話は結構です。それより、山陽道に噂を流すのも良い手かもしれません。我らが顔世御前を捕らえたと。そうすれば、
幼かった頃ならばいざ知らず、今時分の力量において惣領の俺が庶流の大名の
俺は一族自慢の宝刀『綱切』を携えて深く息を吐いた。傾城傾国という言葉はこの時代にあって、あの顔世御前のためにあるのかもしれない。きっと
〜2〜
結論から言えば、顔世御前の一行は予想通り山陰道をノロノロ落ち延びていた。胎児だけでなく幼子も複数居るのだから当然だ。
予め早馬を出雲国に飛ばして褒美をチラつかせて現地の武士たちを懐柔した上で、裏道に至るまで街道を索敵し続け、桃井
「桃井様!敵の護衛たちが強過ぎます!先手は総崩れです!」
「何ィ!?大平、退がって治療しとけ!くそッ、決して見くびっていた訳じゃねぇが、今の塩冶党は鎧も兜も用意がない筈だ。随分
「確かに……窮鼠ですら猫を噛む。まして塩冶党は我が六角党に負けず劣らずの精鋭が揃っている。
「出るぞ。俺が前、てめぇは後ろだ。これ以上は足利幕府の沽券に関わる。幾ら精鋭揃いと言っても、落武者相手に遅れを取れん」
「応」
桃井
いや、どうやら家長に抜擢されて数年、桃井の武力は依然として上り調子らしい。六尺金砕棒「仏契」は脅威だ。
追討部隊に必死の形相で立ち向かう塩冶党を物ともせず、あっという間に三名を蹴散らした。これまでの幕府軍の武士たちとは一線を画す桃井の武力を目の当たりにし、塩冶党は我に帰った。ここぞとばかりに、幕府軍屈指の驍将の桃井は彼らに声を張り上げる。
「控えろ!者ども!こちらにおわす御方を誰と心得る!畏れ多くも征夷大将軍・足利尊氏公の烏帽子子・佐々木六角氏頼殿だ!てめぇらには言わずとも分かるよな!?てめぇら一族の親玉サマだ!」
「な、何と!?宗家が……我らを討つつもりなのか!?」
「いや、そんな筈はない!我らは将軍の御不快を蒙った訳でも悪虐陰謀の志があった訳でもなし!宗家は事情を察しておられる筈だ!おのれ、君側の奸どもめ!宗家の偽物を用意し、
「山城守、八幡六郎。この『綱切』を見よ。我こそが佐々木六角近江三郎……氏頼である。陳情も謝罪も必要ない。ただひれ伏せ」
馬上のまま『綱切』を使って空を二度、三度切り、俺が影武者でも何でもなく、正真正銘の佐々木惣領である事を彼らに示した。
絶望感に襲われたのか、塩冶党の顔から瞬く間に正気が失われていった。俺が桃井の隣まで馬を進めると、彼らは肩を震わせた。
「どうした?聞こえなかったか?ひれ伏せ……そう申した筈だ」
「も、申し訳ございませぬ!そ、その前に、宗家にお尋ねしたい事がございます。不躾ながら発言の御許可を賜りたく存じます!」
「……赦す。申してみよ、山城守」
「宗家は……我ら塩冶家を如何なさるおつもりか?」
「……」
見たところ塩冶党は足腰にまで動揺の色が充満している。ただそれでも歯を食いしばって立て直そうとしている。実に嘆息ものの心意気だ。塩冶党の重鎮の
ここは一つ、はっきりさせておこう。この佐々木惣領の意思を。
「分かっている。高貞殿はじめ塩冶家に罪を被せても何の益もないどころか、佐々木一族にとっての大いなる損失だ。有り体に言う。俺は京極親子より、
「……そこまで」
「
連環の計というものが俺の脳裏を過っていた。後漢の王允が養女の貂蝉を猛将・呂布に一旦近付けた上で、絶対的権力者の董卓に宛てがい、呂布と董卓の間に諍いを起こさせた策だ。今回の場合は南朝公卿の姉でかつての後醍醐天皇の宮女が、貂蝉の役を演じた。
つまり、顔世御前のために佐々木一族の有力大名の塩冶高貞が将軍執事の高師直に怒りを覚え、終いに出奔して足利幕府から裏切り者の烙印を押される事になったのだ。佐々木惣領としても
「敵の卑劣な計略は防がねばならぬ。そのため、討つべき者が二人居るのだ。まず一人は田舎に逃げた師直邸の侍従の局だ。侍従の局が病身の師直殿に余計な事を吹き込んだせいで、斯くも滅茶苦茶な事態に至ってしまった。必ず捕らえ、考え得る限り最も惨たらしい方法で殺害する。あるいは、そなたたちがトドメを刺すべきか」
「は、はぁ……その、宗家。もう一人は?」
「無論、言うまでも無い。顔世だ」
俺は言った。後醍醐天皇の元宮女という経歴や九州における弟の源宗治の動きにより、顔世御前は幕府に疑われている。その疑いの目が夫の塩冶高貞にも向けられているのだ。塩冶高貞は建武の乱で大業のために軍功を成したのに、それではあまりにも口惜しい。
いずれにせよ、高貞の弟の貞泰が我が身可愛さ故か、
そこで、顔世だ。
「逆に申せば……高貞様がそこまでしなければ、宗家を以てしても取りなせない程、将軍は酷くお怒りという事ではありませぬか」
「そう悲観するな。顔世の首を幕府中枢に投げ入れ、
「……こちらへ」
観念したのか、
何でも妻子の輿を民家に押し込んでいたらしい。塩冶家郎党の案内に従って、俺と桃井は現場へ赴く。俺たちの武力なら、たとえ不意討ちされても問題ない。そう思っていると桃井が囁いてきた。
「なぁ、六角さん。さっきは佐々木一族同士の会話だから口を挟まなかったけどよぉ……あんた、変なキノコでもやってんのか?」
「キノコ?女人じゃないんですから、大して好きではないです」
「違う。そうじゃねぇ」
「?」
意味が分からないが、どうやら俺と桃井直常はやはり相性が良くないらしい。さっぱり噛み合わないやり取りから、それだけは理解できた。何はともあれ、今は第一に顔世御前を捕縛しなければ。
目的地の民家前に着く。塩冶家郎党たちの顔は少し目を離した間に傍目にも分かる程、悲壮感でいっぱいになっていた。代表して山城守宗村が口を開いた。踏み込む前に暫く見守ってくれという。
「何、どういうつもりだ?」
「宗家……我らは決して逃げませぬ。ですから、外を囲んで鬨の声をありったけ揚げさせてくだされ。その間に全て終わらせます」
「……宗村?」
「何より、我らは主君が汚名を被る事を避けなければなりませぬ。御安心くだされ。奥方や御子たちの命は……我ら塩冶家の手で」
涙を流したまま
顔世の居るという民家は、如何にもな藁屋だ。宗村たちが次々所狭しと入っていく。後世まで語り継がれる悲劇の始まりだった。
山名時氏はまず間違いなく逃げ若で「一文字不通」の烏帽子を被っている武将だと思われますが、動向は史実や軍記の方を参考にするつもりです。尤も、これは時氏に限った話ではありませんが……