崇永記   作:三寸法師

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◆7

〜1〜

 

 

 暦応四年(西暦1341年)三月二十四日、京より妻子連れで出奔した塩冶高貞を追討すべく、足利幕府は主に二名の大将を派遣する運びとなった。

 幸いな事にその二名の大将は高兄弟ではなかった。兄の師直の方は病み上がりで、弟の師泰の方は昨年末に摂津国で南朝(楠木正行)軍の奇襲を受けたがために現在は動かせる状態でないのが響いたのだろう。

 

 

「桃井様!申し上げます!山陽道を赴かれた山名様より、報せがございました!執事様の使いを名乗る者が現れるも、その正体は塩冶家郎党・来海五郎!約半刻にも亘って時間稼ぎされたとの事!」

 

 

「半刻ぅ?山名殿たち(山陽道追跡部隊)がたった一人にそれほど手間取ったのか」

 

 

「桃井殿。来海五郎は知っています。五尺余りの大太刀の使い手で知勇を兼ね備えており、特にその武力は佐々木の一族郎党でも上位に入ります。塩冶邸と離れた場所に住んでいるため、蚊帳の外になり掛けていたところを、噂を聞いて急遽駆け付けたのでしょう」

 

 

 幕府による討ち手は主に桃井直常(播磨守)と山名時氏*1の二名だ。前者が山陰道を行き、後者が山陽道を行くのである。両者とも、塩冶高貞出奔の報に動揺した尊氏様やどうにも積極性を欠いた諸将を見かねて副将軍の直義が推薦する形で、塩冶邸や六角邸(我が家)を家宅捜索していたところを軍議に呼び出され、討ち手に任じられた有力武将だ。

 山名時氏は知らないが、桃井直常(播磨守)は生粋の直義派である。俺が上杉重能(伊豆守)に頼み込んで直義に話を通してもらったところ、桃井の山陰道追撃部隊に紛れ込ませて貰う事ができた。正直、エセ番長のような風采の桃井直常とは相性が良くないが、この際そうも言っていられない。今は佐々木惣領としての知見で桃井を助けるつもりだ。

 

 

「塩冶家郎党が噂を聞いて山名の方に……六角、このまま俺たちが山陰道を進んでも、とんと成果は得られないかもしれねぇぞ?」

 

 

「いいえ、私は逆に考えます。塩冶高貞(判官)と正面から戦っても勝てる武将は幕府軍でもほんの一握り。ですが、今回は顔世御前(高貞の妻)の身柄さえ抑えてしまえば、自ずと目的は達せられる。このまま山陰道を進みましょう。思いますに、顔世御前の一行はこの先におります」

 

 

「へぇ。何故そう思うんだ?」

 

 

「簡単な話です。顔世御前はそう楽々動けない。陽動を必要としている筈です。ただ単に女人だからではない。彼女は腹に稚児(ややこ)が」

 

 

「!?」

 

 

 夫の塩冶高貞は(たと)え孤軍であっても本国の出雲国まで逃げられるだけの底力は持っていよう。何やら鷹狩のためだと言い張って丹波路から逃走したらしいが、見せ掛けの気配が大いに感じられる。

 恐らく高貞(塩冶判官)は自ら山陽道で家人たちと大立ち回りをして、その裏で顔世(妊婦の妻)に山陰道を進ませ、夫婦揃っての帰国を遂げるつもりだ。

 どこまでも腹立たしい。そんなに妻が大事なのか。妻など衣服のようなものだ。特に髭親父(後醍醐天皇)のお下がりの(官女)ごとき、さっさと捨ててしまった方が良い。妻に拘って源氏としての大志を捨て、あまつさえ将軍(尊氏様)を裏切るなど信じられない。早く奥方(顔世御前)を捕らえ、それを餌に高貞(塩冶判官)を誘き出そう。高貞(塩冶判官)の手でけじめを付けさせる必要がある。

 そう俺が息巻いていたところ、桃井もまた気色ばむ様子だった。

 

 

「足利家執事は……妊婦の入浴を覗こうとしたっていうのか」

 

 

「へ?……詰まるところ、そういう事かと」

 

 

「……あり得ねぇ。それが武士(もののふ)のやる事かよ」

 

 

「残念ながら……私が知る限り、それが事実としか」

 

 

 直義派の桃井直常が執事(高師直)への反発を強めたところで、自然とそうなるだろうとしか思われない。尊氏様に仇なすなら話は別だが。

 それより問題はやはり我が庶流の高貞(塩冶判官)だ。あれの妻思いはかねてより知っていたが、よもやそれだけのために尊氏様を裏切る程だとは思わなかった。尊氏様の九州下向の間、高貞(塩冶判官)は山陰で討伐に励んでいたからこそ、その後も顔世を大事にし続けていても何も言わなかったが、こうなると分かっていたなら確実に処分させていた。

 つくづく自分の記憶の限界が惜しい。あくまで試験をパスするために蓄えた知識程度では、これから先ますます厳しくなる筈だ。

 

 

あれ、そう言えば出雲国って戦国時代は──

 

 

「なぁ、六角サンよ」

 

 

「ッ……桃井殿、如何された?」

 

 

「ふと我に帰ったんが……亜也子って最近、どうしてるんだ?」

 

 

「は?」

 

 

 一体こんな時に、何を藪から棒に言うのか。俺は面食らった。

 だが、よくよく思い出してみると、桃井直常(播磨守)は雑兵時代、北条時行鎮圧軍に参加してから、関東執事(斯波家長)傘下にある時に佐々木六角軍の()()()についての噂を聞くまでの間、ずっと歳下の亜也子に懸想していたと聞いた覚えがある。大まかな桃井の思考回路が見えた。

 恐らく師直(高武蔵守)への義憤に駆られている内に、かつての自分を思い出して恥ずかしくなったのだろう。正直どうでも良い話であるが。

 

 

「ああ、いや。何でもねぇ。六角サンんとこの京屋敷を家宅捜索した時に影も形も無かったからよ。そうか、だとしたら近江国の屋敷だよな。それが良い。(北条)からの戦利品でも、大事にしてくれよ?」

 

 

「無駄話は結構です。それより、山陽道に噂を流すのも良い手かもしれません。我らが顔世御前を捕らえたと。そうすれば、高貞(塩冶判官)は京に顔世が移送される前にと必ず山陰道へ駆け付ける筈。それこそが絶好の好機です。執事(師直)殿が関知するより前に、決着を付けます」

 

 

 幼かった頃ならばいざ知らず、今時分の力量において惣領の俺が庶流の大名の高貞(塩冶判官)に劣るつもりは更々ない。必ずや屈服させる。

 俺は一族自慢の宝刀『綱切』を携えて深く息を吐いた。傾城傾国という言葉はこの時代にあって、あの顔世御前のためにあるのかもしれない。きっと高貞(塩冶高貞)は悪い夢を見ているのだ。ならば、叩き起こすまで。遠からず来たる決着の刻に向け、西の方へ刃を翳した。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 結論から言えば、顔世御前の一行は予想通り山陰道をノロノロ落ち延びていた。胎児だけでなく幼子も複数居るのだから当然だ。

 予め早馬を出雲国に飛ばして褒美をチラつかせて現地の武士たちを懐柔した上で、裏道に至るまで街道を索敵し続け、桃井直常(播磨守)率いる山陰道追討部隊は、五日後になって顔世御前たちを捕捉した。

 

 

「桃井様!敵の護衛たちが強過ぎます!先手は総崩れです!」

 

 

「何ィ!?大平、退がって治療しとけ!くそッ、決して見くびっていた訳じゃねぇが、今の塩冶党は鎧も兜も用意がない筈だ。随分()()()らせてくれるじゃねぇか。六角サンよ、本気で殺らなきゃこっちが殺られちまう……汲んでやるにも限度ってもんがあるぜ?」

 

 

「確かに……窮鼠ですら猫を噛む。まして塩冶党は我が六角党に負けず劣らずの精鋭が揃っている。播磨守(桃井直常)殿、このままでは埒が」

 

 

「出るぞ。俺が前、てめぇは後ろだ。これ以上は足利幕府の沽券に関わる。幾ら精鋭揃いと言っても、落武者相手に遅れを取れん」

 

 

「応」

 

 

 桃井直常(播磨守)の武力は幕府軍でも頭一つ、二つ抜けており、流石に我が再従兄弟の故家長(斯波陸奥守)現副将軍(足利直義)の護衛に選んだだけの事はある。

 いや、どうやら家長に抜擢されて数年、桃井の武力は依然として上り調子らしい。六尺金砕棒「仏契」は脅威だ。三年前(西暦1338年)の男山攻防戦の戦見物で遠目に見た時より、確実に威力を増していたのだ。

 追討部隊に必死の形相で立ち向かう塩冶党を物ともせず、あっという間に三名を蹴散らした。これまでの幕府軍の武士たちとは一線を画す桃井の武力を目の当たりにし、塩冶党は我に帰った。ここぞとばかりに、幕府軍屈指の驍将の桃井は彼らに声を張り上げる。

 

 

「控えろ!者ども!こちらにおわす御方を誰と心得る!畏れ多くも征夷大将軍・足利尊氏公の烏帽子子・佐々木六角氏頼殿だ!てめぇらには言わずとも分かるよな!?てめぇら一族の親玉サマだ!」

 

 

「な、何と!?宗家が……我らを討つつもりなのか!?」

 

 

「いや、そんな筈はない!我らは将軍の御不快を蒙った訳でも悪虐陰謀の志があった訳でもなし!宗家は事情を察しておられる筈だ!おのれ、君側の奸どもめ!宗家の偽物を用意し、(たばか)る腹か!?」

 

 

「山城守、八幡六郎。この『綱切』を見よ。我こそが佐々木六角近江三郎……氏頼である。陳情も謝罪も必要ない。ただひれ伏せ」

 

 

 馬上のまま『綱切』を使って空を二度、三度切り、俺が影武者でも何でもなく、正真正銘の佐々木惣領である事を彼らに示した。

 絶望感に襲われたのか、塩冶党の顔から瞬く間に正気が失われていった。俺が桃井の隣まで馬を進めると、彼らは肩を震わせた。

 

 

「どうした?聞こえなかったか?ひれ伏せ……そう申した筈だ」

 

 

「も、申し訳ございませぬ!そ、その前に、宗家にお尋ねしたい事がございます。不躾ながら発言の御許可を賜りたく存じます!」

 

 

「……赦す。申してみよ、山城守」

 

 

「宗家は……我ら塩冶家を如何なさるおつもりか?」

 

 

「……」

 

 

 見たところ塩冶党は足腰にまで動揺の色が充満している。ただそれでも歯を食いしばって立て直そうとしている。実に嘆息ものの心意気だ。塩冶党の重鎮の宗村(塩冶山城守)は、勇者の心を備えているようだ。

 ここは一つ、はっきりさせておこう。この佐々木惣領の意思を。

 

 

「分かっている。高貞殿はじめ塩冶家に罪を被せても何の益もないどころか、佐々木一族にとっての大いなる損失だ。有り体に言う。俺は京極親子より、高貞(塩冶判官)殿の方が大事だ。比較にならん程にな」

 

 

「……そこまで」

 

 

高貞(塩冶判官)殿に翻意ありとも思っておらぬ。このような状況で高貞殿を討ったところで、誰が喜ぶ?あの好色執事か?誰より偉大な再誕の源氏将軍・足利尊氏公か?いいや、違う。真に喜ぶのは吉野のアンポンタンどもだ。俺には分かる。これらは全て南朝(大覚寺統)の計略なり」

 

 

 連環の計というものが俺の脳裏を過っていた。後漢の王允が養女の貂蝉を猛将・呂布に一旦近付けた上で、絶対的権力者の董卓に宛てがい、呂布と董卓の間に諍いを起こさせた策だ。今回の場合は南朝公卿の姉でかつての後醍醐天皇の宮女が、貂蝉の役を演じた。

 つまり、顔世御前のために佐々木一族の有力大名の塩冶高貞が将軍執事の高師直に怒りを覚え、終いに出奔して足利幕府から裏切り者の烙印を押される事になったのだ。佐々木惣領としても将軍(尊氏様)の烏帽子子としても不愉快極まりない事態だ。対応せざるを得ない。

 

 

「敵の卑劣な計略は防がねばならぬ。そのため、討つべき者が二人居るのだ。まず一人は田舎に逃げた師直邸の侍従の局だ。侍従の局が病身の師直殿に余計な事を吹き込んだせいで、斯くも滅茶苦茶な事態に至ってしまった。必ず捕らえ、考え得る限り最も惨たらしい方法で殺害する。あるいは、そなたたちがトドメを刺すべきか」

 

 

「は、はぁ……その、宗家。もう一人は?」

 

 

「無論、言うまでも無い。顔世だ」

 

 

 俺は言った。後醍醐天皇の元宮女という経歴や九州における弟の源宗治の動きにより、顔世御前は幕府に疑われている。その疑いの目が夫の塩冶高貞にも向けられているのだ。塩冶高貞は建武の乱で大業のために軍功を成したのに、それではあまりにも口惜しい。

 いずれにせよ、高貞の弟の貞泰が我が身可愛さ故か、(高貞)を売るような証言をしてしまった以上、誰かが責任を負わねばならない。

 そこで、顔世だ。高貞(塩冶判官)が妻の顔世御前を手討ちにする。このシナリオさえあれば、塩冶高貞は幕府に揺るぎない忠義を持っていると示せるだろう。何より、そんなことをした塩冶高貞を、南朝が受け入れる筈がない。顔世は皇族(早田宮)出の女なのだから。これらのロジックがあれば、必ず尊氏様を説得できる。塩冶高貞は無実であると。

 

 

「逆に申せば……高貞様がそこまでしなければ、宗家を以てしても取りなせない程、将軍は酷くお怒りという事ではありませぬか」

 

 

「そう悲観するな。顔世の首を幕府中枢に投げ入れ、執事(師直)殿を怖がらせてやろうではないか。それは同時に、卑劣な策は我らに通じぬと南朝に教えてやる事にもなる。こう考えるのだ。顔世は夫を幕府から離反させて南朝(吉野朝廷)を利させようとした。顔世御前こそ貞泰(塩冶弟)の申した裏切り者だ。となれば、塩冶家は顔世を切り捨てて然るべき」

 

 

「……こちらへ」

 

 

 観念したのか、塩冶家郎党(山城守宗村)たちは顔世御前の居場所を明かした。

 何でも妻子の輿を民家に押し込んでいたらしい。塩冶家郎党の案内に従って、俺と桃井は現場へ赴く。俺たちの武力なら、たとえ不意討ちされても問題ない。そう思っていると桃井が囁いてきた。

 

 

「なぁ、六角さん。さっきは佐々木一族同士の会話だから口を挟まなかったけどよぉ……あんた、変なキノコでもやってんのか?」

 

 

「キノコ?女人じゃないんですから、大して好きではないです」

 

 

「違う。そうじゃねぇ」

 

 

「?」

 

 

 意味が分からないが、どうやら俺と桃井直常はやはり相性が良くないらしい。さっぱり噛み合わないやり取りから、それだけは理解できた。何はともあれ、今は第一に顔世御前を捕縛しなければ。

 目的地の民家前に着く。塩冶家郎党たちの顔は少し目を離した間に傍目にも分かる程、悲壮感でいっぱいになっていた。代表して山城守宗村が口を開いた。踏み込む前に暫く見守ってくれという。

 

 

「何、どういうつもりだ?」

 

 

「宗家……我らは決して逃げませぬ。ですから、外を囲んで鬨の声をありったけ揚げさせてくだされ。その間に全て終わらせます」

 

 

「……宗村?」

 

 

「何より、我らは主君が汚名を被る事を避けなければなりませぬ。御安心くだされ。奥方や御子たちの命は……我ら塩冶家の手で」

 

 

 涙を流したまま宗村(塩冶山城守)は言葉を紡ぐ。俺も桃井も言葉を失った。

 顔世の居るという民家は、如何にもな藁屋だ。宗村たちが次々所狭しと入っていく。後世まで語り継がれる悲劇の始まりだった。

*1
室町時代初期の重要人物。塩冶高貞事件以降、着実に存在感を増していき、南北朝の趨勢を左右するキーマンに。




山名時氏はまず間違いなく逃げ若で「一文字不通」の烏帽子を被っている武将だと思われますが、動向は史実や軍記の方を参考にするつもりです。尤も、これは時氏に限った話ではありませんが……
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