崇永記 作:三寸法師
〜1〜
佐々木氏庶流の有力大名・塩冶高貞が裏切り疑惑の末に死んで、その領国の出雲国や隠岐国が山名氏の手に堕ちて以来、周りの俺を見る目が変化したような気がする。単に足利全盛時代が始まって外様の佐々木氏の存在感が薄れたというより、惣領の俺の手腕が将軍の加冠を受けてなお、然程絶対的なものでないと思われたのか。
ただ、不幸中の幸いと言って良いのだろうか。
戦前の
「
「……ええ。これで何とか資金調達の足しになりましょう」
元号が改まって
天龍寺造営費用が当初の目論見ほど集まらなかったため、夢窓疎石が幕府に提言しての施策である。寺の造営を目的に貿易船を派遣して大儲けという寸法だ。元朝も今時分になると他国籍船を恐れているらしいが、そこは承知の上である。かの倭寇と違ってやましい事は無いと堂々入港して審査を受ければ、万事上手く運ぶ筈だ。
「正直に言って俺は吉野の……後醍醐の先帝を好んでいた訳でも、畏れている訳でもありませんが、我が一族出身の高僧たる
「分かっております。佐々木惣領として、この天龍寺造営に関して矢面に立つ事はできないという御判断。愚僧は支持致しますぞ」
「……ご理解頂けて幸いです。私は去年の塩冶、今春の飽浦と二年連続で一族の将を失いました。続けて俺まで
「言うまでも無き事です。いつ如何なる時でもお声掛けくだされ」
はっきり言って、俺は神仏なら源氏の武家らしく八幡大菩薩なり禅宗なりを好んでいる。勿論、尊氏様は殿堂入りだ。一方、比叡山延暦寺は後の時代は知らないが、この中世では
この時、俺は頭で言語化できていた訳では無かったが、先の記憶と無関係に漠然とした予感があった。いずれ我が同族の夢窓疎石を比叡山延暦寺が敵視し、良からぬ事をしでかすのではないかと。
結論から言えば、実際に彼らが動き出すのは三年後の事となる。
今は
「きっと航海は無事に済む。尊氏様の御加護があります」
「……宗家。ここだけの話、魅摩殿が女人の身でなければ、乗船して頂きたかった。魅摩殿の御力あらば、確実な渡海が叶います」
「ミマ?ミマ……ああ、ミマですか。ミマですね。分かります」
「宗家……?」
雑音は要らない。たかだか顔世御前に拘ったがために滅びの道へと突き進んだ塩冶高貞のようになるのは御免だ。
いずれ将軍家の御息女が
外様最強武将を目指す身として一切の邪念も
〜2〜
佐々木惣領の朝は早い。先々の擾乱に備えて俺の下の世代も多少は揃えておく必要があるため、当主の俺自らが幼い者たちを鍛え上げておきたいからだ。だが、
朝練のための早起きとばかりに瞼を開けて程なく、傘下の甲賀忍軍の一人が囁いてきた。五条東洞院の近辺で異変の形跡ありと。
「異変?仔細は目下調べておる最中か?」
「は。美濃部殿たちが調べております。ただ、何でも夜半に騒ぎがあったらしく。貴族たちの邸にも喧騒が聞こえるものが幾つか」
「……良かろう。本日の早朝鍛錬は屋敷内で行う。その間、引き続き調べておくように。加えて御舎弟殿や官僚たちの様子にも注意するのだ。貴族絡みで何かあれば、そちらに伝播するに違いない」
「御意!」
しかし、状況は俺の想像を遥かに超えていた。貴族どころの話では無かったのだ。何でも光厳上皇が被害に遭ったという。それも幕府軍最強とも噂される土岐
この世では古くから人が今にも死にそうな時に言った言葉は傾聴に値するものとされる。あの
『あくまで頼遠は繋ぎだ。我が余命はそう長くない。近日中に一族郎党を集め、彼らの面前で誓紙を飲ませる。まぁ、
「……くそッ、あの老将。よくも厄介な後継ぎを遺してくれた」
個の武の一点張りならいざ知らず、総合力では実際に
いや、無理だ。
「だが、それだけ
「殿。ご相談であれば重臣方に。一介の諜者には荷が重すぎます」
「……そうだな。では、馬淵と山内、青地を呼んで参るのだ」
今回ばかりは俺も然程の自信がなく、郎党筆頭で政治に明るい馬淵義綱、我が次弟で今は在京の山内
いずれにせよ、この博打は必要だ。
せめて幕府の土岐氏への攻撃は
〜3〜
正直な話、土岐
いざ体験してみると次第に嫌気が差してくる。言ってしまえば、プランの用意もなく動画サイトの広告を視聴させられているような気分になるのだ。加えて、この世で最も尊い御方は誰なのか考えてみよう。無論、尊氏様だ。どうして無力な歌詠み風情に……と自然に思うのである。むしろ思わなければ、それは最早
にも関わらず、足利直義は諸将の面前においてカンカンだった。
「何故分からん!?これは前代未聞の事態だ!本人の腰斬やその家族の斬首を以てしても足らない位だ!忘れたか!?我らが負けて西方へ落ち延びし折、上皇陛下が錦の御旗を与えてくださった事を!土岐は
「されど……夜半に出歩く方も出歩く方と思われませぬか?」
「そうです!族滅などとんでもない!土岐殿が可哀想です!」
「上皇の車を射て転がしただけで、血も涙もない!救いは……土岐に救いは無いのですか!?彼ら、このまま族、族滅して……ッ」
「な……お前たち、何を言う?」
当初、直義は公家や民意の代表のように息巻いていたが、高一族と関係ない非婆娑羅武将ですら、違う
というのも、土岐
大体、建武の乱において「錦の御旗」が届いたのは尊氏様の九州平定が完了した後で、尚且つ顕家が東国で
「光厳院は故伏見院の命日の御供養のため出掛けられ、その帰りであったのだぞ!それをお前たち、非難すると申すか!?我ら武士にも孝行の心はあろう!?ならば、事もあろうに
「孝行心は勿論ござる。されど、罰するなら土岐殿ではなく外泊をお勧めしなかった近臣たちにすべき。土岐殿には軍功がござる」
「では……お前たちは軍功があれば、何をしても良いと?」
「そうではなく、根本的な再発防止にならぬと申しておるのです。聞けば、土岐殿は強かに酔っておられたそうで。しかも、高貴な方を殺した訳でもない。これで大功労者の土岐殿を罰すれば、粛清の機会があるから乗ったと思われましょうぞ。如何です?直義様」
「直義様!足利幕府を族滅の政権にせぬためにもどうか!」
「土岐を殺してはなりませぬ!」
「「「どうか御叡慮を賜りたく存じます」」」
「貴様ら……」
皆の気持ちはおおよそ察せられる。酒を飲んで
京の暮らしを楽しく思う一方で、皇族との接し方に戸惑う者も少なくなかった筈だ。だから
塩冶の件があって以来、高一族と距離が離れている事もあって、俺も素知らぬ顔でついて行った。今はこの方が策を遂行できよう。
「武将たちの多くが正しい認識を失っている。かくなる上は既にこの私に近きお前たちが頼りだ。今より命を下す故、心して聞け」
「「応!」」
「細川、槍を多く用意しろ。土岐頼遠は幕府随一の武闘派で技量も突出している。ここは箱根竹下合戦の菊池千本槍だ。使い方を工夫すれば、土岐も抗えぬ必殺技に化ける。早速準備に取り掛かれ」
「は!」
「桃井、兵の準備を。技量より勇気を重視して選び抜け」
「へぇ!」
現在、頼遠は昨晩の深酒のために寝ているという情報が出回っているが、早晩起きて慌てて逃げ出すだろう。そう直義は読んだ。
そして、この俺にも命令が下される。当然だ。俺は今も近江国の守護なのだ。京から
「六角、お前は近江国の封鎖を厳重に。決して通してやるな」
「……」
「……どうした?土岐に臆したか?」
「いえ……そうではなく。ずっと言おうか迷っていたのですが」
既に我が博打は始まっている。元々扱いの難しい土岐
既に他の直義派武将は粗方出払っている。そろそろ頃合いだ。
「
「何……?もっと早く申さぬか?」
「は。あとついでに
「!」
あの後醍醐帝暗殺未遂事件も今や七年前の事だ。あの事件の首謀者は西園寺公宗の他、北条泰家も居た。
まして持明院統の院に無体を働いた存在程度、受け入れるのは容易い筈だ。しかも、
「今は貞宗殿が常陸国に遠征し、信濃国を預かるのは嫡男の政長殿と聞きました。才覚ありと聞けども、市河氏すら高師冬軍に加勢しに行った今、諏訪氏をどこまで抑えられるか……
「……その場合、土岐の近江国通過を許したお前の罪は重いぞ」
「ですから、中々言い出せなかったのです……
「佐々木氏頼、まさかお前も
「長引くのであれば……高一族の反発やその派閥拡大を防ぐためにも表向き必要でしょう。されど、本当に必要なのは
「……」
今の直義は義憤で頭に血が昇っている。面白い傾向だ。この分だと打倒高一族を天下に布告する際はどうなっているのだろうか。
観応の擾乱において師直と直義が争い、尊氏様が漁夫の利を得て真の勝者となる。これこそ我が理想にして現実となるプランだ。
ある意味、今回はそのための試金石だ。まずは直義を動かして俺の思い描く結末へ導けるのか。