崇永記   作:三寸法師

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◆9

〜1〜

 

 

 佐々木氏庶流の有力大名・塩冶高貞が裏切り疑惑の末に死んで、その領国の出雲国や隠岐国が山名氏の手に堕ちて以来、周りの俺を見る目が変化したような気がする。単に足利全盛時代が始まって外様の佐々木氏の存在感が薄れたというより、惣領の俺の手腕が将軍の加冠を受けてなお、然程絶対的なものでないと思われたのか。

 ただ、不幸中の幸いと言って良いのだろうか。昨年(暦応四年)秋の光厳院の決定で暦応寺が天龍寺に改称された事が意外な形で効いた。というのも以前、南朝先帝(後醍醐天皇)の供養のための寺の名前は天龍寺ではないかと口を滑らしていため、その改称を根拠に()()()()は残っているという見方が郎党内でまことしやかに囁かる事になったらしいのだ。

 戦前の()()()()()ではないが、こんな形でも内部の結束の一助になるなら有り難い。手段を選べる程の余裕は今の俺に無かった。

 

 

国師(夢窓疎石)殿。いよいよですか」

 

 

「……ええ。これで何とか資金調達の足しになりましょう」

 

 

 元号が改まって康永元年(西暦1342年)八月、謂わゆる天龍寺船が海を渡った。

 天龍寺造営費用が当初の目論見ほど集まらなかったため、夢窓疎石が幕府に提言しての施策である。寺の造営を目的に貿易船を派遣して大儲けという寸法だ。元朝も今時分になると他国籍船を恐れているらしいが、そこは承知の上である。かの倭寇と違ってやましい事は無いと堂々入港して審査を受ければ、万事上手く運ぶ筈だ。

 

 

「正直に言って俺は吉野の……後醍醐の先帝を好んでいた訳でも、畏れている訳でもありませんが、我が一族出身の高僧たる国師(夢窓疎石)殿を表立って援助したかった。なれど、塩冶の件があった以上──」

 

 

「分かっております。佐々木惣領として、この天龍寺造営に関して矢面に立つ事はできないという御判断。愚僧は支持致しますぞ」

 

 

「……ご理解頂けて幸いです。私は去年の塩冶、今春の飽浦と二年連続で一族の将を失いました。続けて俺まで(南朝)を支持するかのように誤解されては敵わない。普段の支援は引き続き継続したいと思っております。国師殿におかれては私が困った時、是非御助力を」

 

 

「言うまでも無き事です。いつ如何なる時でもお声掛けくだされ」

 

 

 はっきり言って、俺は神仏なら源氏の武家らしく八幡大菩薩なり禅宗なりを好んでいる。勿論、尊氏様は殿堂入りだ。一方、比叡山延暦寺は後の時代は知らないが、この中世では()()()()。近江国守護としての立場から言わせれば、目障りだ。山徒は政治介入に躊躇がなく、無駄に騒々しい。()()()()()()()の称号は伊達でない。

 この時、俺は頭で言語化できていた訳では無かったが、先の記憶と無関係に漠然とした予感があった。いずれ我が同族の夢窓疎石を比叡山延暦寺が敵視し、良からぬ事をしでかすのではないかと。

 結論から言えば、実際に彼らが動き出すのは三年後の事となる。

 今は康永元年(西暦1342年)の秋だ。あの豚カツ(細川顕氏)我が父(六角時信)による大和国の西阿(南朝)軍討伐に目処がついてから丁度一年が過ぎ、延暦寺と別の旧仏教勢力の興福寺も特に気が立つ理由が無くなって、大人しくしていた。

 

 

「きっと航海は無事に済む。尊氏様の御加護があります」

 

 

「……宗家。ここだけの話、魅摩殿が女人の身でなければ、乗船して頂きたかった。魅摩殿の御力あらば、確実な渡海が叶います」

 

 

「ミマ?ミマ……ああ、ミマですか。ミマですね。分かります」

 

 

「宗家……?」

 

 

 雑音は要らない。たかだか顔世御前に拘ったがために滅びの道へと突き進んだ塩冶高貞のようになるのは御免だ。腹黒坊主(京極道誉)の娘でありながら神力豊かなミマを飼い殺しにして幕府の不信を避ける。

 いずれ将軍家の御息女が六角氏当主(佐々木惣領)の妻となるのだ。今あるべきは猛将知将や優秀な文官、そして夢窓疎石のような関係者のみ。

 外様最強武将を目指す身として一切の邪念も()()()()も無いと証明する。そう考えていたところに、翌月全く予想だにしなかった大事件が発生する。現外様最強武将(土岐弾正少弼頼遠)が不祥事を起こしたのである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 佐々木惣領の朝は早い。先々の擾乱に備えて俺の下の世代も多少は揃えておく必要があるため、当主の俺自らが幼い者たちを鍛え上げておきたいからだ。だが、康永元年(西暦1342年)九月某日は普段と違った。

 朝練のための早起きとばかりに瞼を開けて程なく、傘下の甲賀忍軍の一人が囁いてきた。五条東洞院の近辺で異変の形跡ありと。

 

 

「異変?仔細は目下調べておる最中か?」

 

 

「は。美濃部殿たちが調べております。ただ、何でも夜半に騒ぎがあったらしく。貴族たちの邸にも喧騒が聞こえるものが幾つか」

 

 

「……良かろう。本日の早朝鍛錬は屋敷内で行う。その間、引き続き調べておくように。加えて御舎弟殿や官僚たちの様子にも注意するのだ。貴族絡みで何かあれば、そちらに伝播するに違いない」

 

 

「御意!」

 

 

 しかし、状況は俺の想像を遥かに超えていた。貴族どころの話では無かったのだ。何でも光厳上皇が被害に遭ったという。それも幕府軍最強とも噂される土岐頼遠(弾正少弼)の暴挙によって。話を聞いて真っ先に俺は深い溜息とともに数年前の事を思い出していた。亡き前時代の名将・土岐頼貞(伯耆入道)敵将(新田義貞)戦死による帰京直後、俺に語った話を。

 この世では古くから人が今にも死にそうな時に言った言葉は傾聴に値するものとされる。あの老将(土岐頼貞)はそれを逆手に取ってくれた。

 

 

『あくまで頼遠は繋ぎだ。我が余命はそう長くない。近日中に一族郎党を集め、彼らの面前で誓紙を飲ませる。まぁ、頼遠(あの怪物)は妻子に拘る気質ではないため、まず杞憂であろうが……佐々木殿。お持ちの懸念は当然、この老将も承知の上だ。一つ頼まれてくれまいか?』

 

 

「……くそッ、あの老将。よくも厄介な後継ぎを遺してくれた」

 

 

 個の武の一点張りならいざ知らず、総合力では実際に頼貞(伯耆入道)の跡を継いだ七男の頼遠(弾正少弼)より、嫡流の孫の頼康(刑部少輔)の方が優れている。にも関わらず、頼貞(伯耆入道)は自分の考えで頼遠(弾正少弼)に跡を継がせた。当時は軍功を考えれば流石に已む無しと思ったが、甘かった。今は平時なのだ。

 頼遠(弾正少弼)が平時で大人しくしていられる筈がない。そこまで分かっていたとしても、京で院に無体を働くという驚天動地の大問題を起こすと亡き土岐氏先代の頼貞(伯耆入道)は果たして見通していたのだろうか。

 いや、無理だ。頼貞(伯耆入道)は確かに諸家の頭(外様筆頭)と呼ばれるに足る見識や実力を備えていたが、諸葛孔明ではないのだ。そもそも個の武だけに絞ったところで、叔父の頼遠(弾正少弼)に見劣りするところがあるとしても、甥の頼康(刑部少輔)もまた虎将級である。何もかも分かっていたというなら、頼遠(弾正少弼)の反発を覚悟してでも頼康(刑部少輔)に家督を直で渡したに違いない。

 

 

「だが、それだけ頼遠(弾正少弼)の軍功は偉大だった。四年前、顕家軍に進路変更を強いたのは師冬(高三河守)殿や俺より、千騎以下で幾万の敵主力を半壊させた頼遠(弾正少弼)の力が大きい……その獅子奮迅の働きなくば、足利政権は今頃どうなっていたか分からぬ。当然、この俺も含めて──」

 

 

「殿。ご相談であれば重臣方に。一介の諜者には荷が重すぎます」

 

 

「……そうだな。では、馬淵と山内、青地を呼んで参るのだ」

 

 

 今回ばかりは俺も然程の自信がなく、郎党筆頭で政治に明るい馬淵義綱、我が次弟で今は在京の山内定詮(五郎)、気心知れた乳兄弟の青地重頼の三名の後押しがなければ、流石に心許ない。幸い、彼らは俺の言葉に従順な性質だ。予め頷いて貰った上で、博打に出よう。

 いずれにせよ、この博打は必要だ。頼遠(弾正少弼)は酒に酔ってまず族滅ものの行為を犯したが、かと言ってみすみす土岐一族を族滅させようものなら、隣国の外様大名である俺も自然と安泰ではなくなる。

 せめて幕府の土岐氏への攻撃は三代将軍(足利義満)の時代まで待って貰おうではないか。今危ない橋を渡ってでも、土岐氏族滅というシナリオだけは防がなければ。恐らく直義は手始めに、改めて将軍(尊氏様)に権限の有り様を確認するに違いない。忘れてはならないだろう。直義の理想は族滅上等の北条氏である事を。本気になれば、ヤツは()る。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 正直な話、土岐頼遠(弾正少弼)の気持ちは分からなくもない。偶になら全然構わないものの、京で過ごすだけで日々誰かしらの皇族の一行とすれ違って、その度に道を譲って媚び諂う義務を負わされるのだ。

 いざ体験してみると次第に嫌気が差してくる。言ってしまえば、プランの用意もなく動画サイトの広告を視聴させられているような気分になるのだ。加えて、この世で最も尊い御方は誰なのか考えてみよう。無論、尊氏様だ。どうして無力な歌詠み風情に……と自然に思うのである。むしろ思わなければ、それは最早()()()()だ。

 にも関わらず、足利直義は諸将の面前においてカンカンだった。

 

 

「何故分からん!?これは前代未聞の事態だ!本人の腰斬やその家族の斬首を以てしても足らない位だ!忘れたか!?我らが負けて西方へ落ち延びし折、上皇陛下が錦の御旗を与えてくださった事を!土岐は幕府(足利政権)の権威の根源と言える御方に手を出した!一族全て引き出して車裂きか、身体を切り刻んで塩漬けか。それ程の大罪だ!」

 

 

「されど……夜半に出歩く方も出歩く方と思われませぬか?」

 

 

「そうです!族滅などとんでもない!土岐殿が可哀想です!」

 

 

「上皇の車を射て転がしただけで、血も涙もない!救いは……土岐に救いは無いのですか!?彼ら、このまま族、族滅して……ッ」

 

 

「な……お前たち、何を言う?」

 

 

 当初、直義は公家や民意の代表のように息巻いていたが、高一族と関係ない非婆娑羅武将ですら、違う()()を持っているようだと気付いて戸惑いを露わにした。土岐頼遠(弾正少弼)の助命を願う声が思いの外、多かったのである。これには佐々木惣領の俺も嘆息させられた。

 というのも、土岐頼遠(弾正少弼)を熊に例えれば()()()と思うのだ。光厳院を自ら近付いて熊に襲われた者だと考えよう。頼遠(弾正少弼)の非とするのは如何なものか。しかも、頼遠(弾正少弼)は別に光厳院たちを殺した訳ではないのだから、戯れつきのようなものと考えられよう。それで怪我をしたと言っても、貧弱な方に問題がある。強さこそが大義なのだ。

 大体、建武の乱において「錦の御旗」が届いたのは尊氏様の九州平定が完了した後で、尚且つ顕家が東国で家長(斯波陸奥守)の術中に嵌り始めたタイミングである。大きい顔をするには良かったが、建武政権軍との勝敗には大して関係無かったような気がするのだ。むしろ持明院統のお墨付きの無い状態で京を再制圧していれば、尊氏様による新王朝が爆誕していたかもしれない。結果論だが、正直口惜しい。

 

 

「光厳院は故伏見院の命日の御供養のため出掛けられ、その帰りであったのだぞ!それをお前たち、非難すると申すか!?我ら武士にも孝行の心はあろう!?ならば、事もあろうに(土岐)を憐れむな!」

 

 

「孝行心は勿論ござる。されど、罰するなら土岐殿ではなく外泊をお勧めしなかった近臣たちにすべき。土岐殿には軍功がござる」

 

 

「では……お前たちは軍功があれば、何をしても良いと?」

 

 

「そうではなく、根本的な再発防止にならぬと申しておるのです。聞けば、土岐殿は強かに酔っておられたそうで。しかも、高貴な方を殺した訳でもない。これで大功労者の土岐殿を罰すれば、粛清の機会があるから乗ったと思われましょうぞ。如何です?直義様」

 

 

「直義様!足利幕府を族滅の政権にせぬためにもどうか!」

 

 

「土岐を殺してはなりませぬ!」

 

 

「「「どうか御叡慮を賜りたく存じます」」」

 

 

「貴様ら……」

 

 

 皆の気持ちはおおよそ察せられる。酒を飲んで頼遠(弾正少弼)のように振る舞う可能性が自分に僅かでもないと皆、言い切れないのだろう。

 京の暮らしを楽しく思う一方で、皇族との接し方に戸惑う者も少なくなかった筈だ。だから頼遠(弾正少弼)に共感できるのだ。しかし、直義はそうではない。怒りを呑み込み、自派の将のみ伴って退室する。

 塩冶の件があって以来、高一族と距離が離れている事もあって、俺も素知らぬ顔でついて行った。今はこの方が策を遂行できよう。

 

 

「武将たちの多くが正しい認識を失っている。かくなる上は既にこの私に近きお前たちが頼りだ。今より命を下す故、心して聞け」

 

 

「「応!」」

 

 

「細川、槍を多く用意しろ。土岐頼遠は幕府随一の武闘派で技量も突出している。ここは箱根竹下合戦の菊池千本槍だ。使い方を工夫すれば、土岐も抗えぬ必殺技に化ける。早速準備に取り掛かれ」

 

 

「は!」

 

 

「桃井、兵の準備を。技量より勇気を重視して選び抜け」

 

 

「へぇ!」

 

 

 豚カツ(細川顕氏)や桃井直常(播磨守)のような直義派武将が続々と土岐頼遠(弾正少弼)討伐のための備えに移る。彼らはたとえ頼遠(弾正少弼)の行いに義憤を抱いていないにしても、派閥の長(足利直義)からの命令となれば組織秩序に基づいて動く。

 現在、頼遠は昨晩の深酒のために寝ているという情報が出回っているが、早晩起きて慌てて逃げ出すだろう。そう直義は読んだ。

 そして、この俺にも命令が下される。当然だ。俺は今も近江国の守護なのだ。京から頼遠(弾正少弼)本拠地(美濃国)に逃げる事を警戒するとなれば、仕事は回ってくる。直義の作戦が失敗した際の備えが要るのだ。

 

 

「六角、お前は近江国の封鎖を厳重に。決して通してやるな」

 

 

「……」

 

 

「……どうした?土岐に臆したか?」

 

 

「いえ……そうではなく。ずっと言おうか迷っていたのですが」

 

 

 既に我が博打は始まっている。元々扱いの難しい土岐頼遠(弾正少弼)の命に拘るつもりは流石に無いが、他の一族まで殺させてなるものか。

 既に他の直義派武将は粗方出払っている。そろそろ頃合いだ。

 

 

頼遠(弾正少弼)殿は……とうに京を出ているようです。我が手の者曰く」

 

 

「何……?もっと早く申さぬか?」

 

 

「は。あとついでに頼遠(弾正少弼)殿と一緒に笠懸をしていた下野判官(二階堂行春)殿も。これは臆しただけで呼べばすぐ戻って陳情するでしょうから大した事はないでしょうが……頼遠(弾正少弼)殿は心配です。もしや南朝に降る気ではないでしょうか?塩冶や飽浦は置いておくにしても、時行の例があります。南朝は利あらば、泰家の甥さえ節操なく受け入れる」

 

 

「!」

 

 

 あの後醍醐帝暗殺未遂事件も今や七年前の事だ。あの事件の首謀者は西園寺公宗の他、北条泰家も居た。時行(相模次郎)はその甥にして反乱を以て建武政権崩壊の引き金を引いた存在であったが、南朝に降って久しい。つまり、南朝には大罪人を受け入れる土壌が元々ある。

 まして持明院統の院に無体を働いた存在程度、受け入れるのは容易い筈だ。しかも、頼遠(弾正少弼)は戦績から考えれば、現土岐惣領として一定の数を率いた場合、在りし日の規格外貴族・北畠顕家よりも恐ろしい存在になる。つまり、頼遠(弾正少弼)が南朝に降って室町幕府に反旗を翻した場合、その旗頭となって一躍旋風を巻き起こすに違いない。

 

 

「今は貞宗殿が常陸国に遠征し、信濃国を預かるのは嫡男の政長殿と聞きました。才覚ありと聞けども、市河氏すら高師冬軍に加勢しに行った今、諏訪氏をどこまで抑えられるか……副将軍(直義様)、考えてみてもくだされ。土岐頼遠と諏訪頼継が手を組めば、東山道が危うくなりましょうぞ。幕府軍総懸かりの力押しが通じる保証が何処にございますか?北畠親房や春日顕国もジリジリと追い込まれているとはいえ、まだ死んだ訳では。奥州事情次第で再び脅威になります」

 

 

「……その場合、土岐の近江国通過を許したお前の罪は重いぞ」

 

 

「ですから、中々言い出せなかったのです……副将軍(直義様)、私は尊氏様を主君と義父と仰いでおります。尊氏様の御出陣とあらば、我が全軍を率いて先鋒を務め、罪を清算します。ですが、副将軍(直義様)ならご存知の筈です。戦わずに勝てるのなら、それに越した事はないと」

 

 

「佐々木氏頼、まさかお前も頼遠(弾正少弼)を許せと申すつもりか?」

 

 

「長引くのであれば……高一族の反発やその派閥拡大を防ぐためにも表向き必要でしょう。されど、本当に必要なのは頼遠(弾正少弼)赦免の宣言ではございません。頼康殿(その甥)を確実に、我らが味方となされませ」

 

 

「……」

 

 

 今の直義は義憤で頭に血が昇っている。面白い傾向だ。この分だと打倒高一族を天下に布告する際はどうなっているのだろうか。

 観応の擾乱において師直と直義が争い、尊氏様が漁夫の利を得て真の勝者となる。これこそ我が理想にして現実となるプランだ。

 ある意味、今回はそのための試金石だ。まずは直義を動かして俺の思い描く結末へ導けるのか。佐々木惣領(六角家当主)の腕が試されている。

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