崇永記 作:三寸法師
〜1〜
日が沈んでそれなりの時間が経った頃、遂に武者所での仕事を終えて師直師泰兄弟らを伴った尊氏が楠木邸に姿を現した。
すぐに酒と正成の奥方による熱々の料理が出された。奥方の料理を楽しみにしていたらしい尊氏は無邪気に舌鼓を打っている。
一方、俺は佐々木氏宗家六角氏の当主として同族である道誉や塩冶高貞と席を並べ、この宴席を楽しんでいた。
「しかし、楠木殿自ら尊氏殿を外までお出迎えとは珍しいこともあったものですな」
「確かに。高貞殿の申される通りだ」
「それだけ尊氏殿のご人徳が高いということでしょう。いずれ誰もがそうするようになります」
高貞の言葉に俺が首肯すると、道誉が場所柄かなり大胆なことを口走る。仮にもここは後醍醐の帝の忠臣である楠木正成の屋敷なのだから、危ない発言はたとえ冗談だとしても控えて欲しい。
「はぁ。道誉殿はすぐこれだから。宗家、くれぐれも道誉殿のようになってはいけませんよ。こーんなに黒くなってしまいます」
「ハハ。むしろ俺は道誉殿のようになる方法が知りたい位だ」
「ほう。千寿丸殿が私のような顔に。それはいけませんなぁ」
宴席ならではの気安さだろうか。高貞は本人の目の前で堂々と道誉の顔というより影について揶揄する一方、酒ではなく場の雰囲気に酔った俺は冗談めいた返しをする。対して道誉に気を悪くしたという様子は微塵も見られない。
出家している割に女癖が悪い道誉が少し容貌について言及された程度で動じる筈がないのだ。
宴席ではあちこちで笑い話や特に何でもない話が思い思いに展開されていた。それを遮ったのは、誰一人として予想していなかった朝廷からの使者であった。
「楠木殿!楠木殿!大変です!」
「……!どうされた?落ち着いてお話くだされ」
「さ、西園寺卿が……西園寺卿が!帝を弑逆し奉ろうと!」
「「「!?!?!?」」」
ある者は手に持っていた箸やお椀を落とし、またある者は食べ物が喉につっかえたのか激しく咳き込む。あまりの一大事のせいで皆一斉に酔いから目が覚めた様子である。
当然、帝を弑逆するなど前代未聞。どうしても挙げるとするならば、蘇我馬子による崇峻天皇暗殺くらいだろうか。他にも大陸において臣下によって帝が死に至らしめられた事例があることは、それなりの数の者が漢籍を読んで知っているだろうが、中華の帝と日本の帝は全くもって別の存在である。混同するような者があってはならないことは、この俺にすら分かることである。
何はともあれ、あの正成ですら耳を疑った様子であり、他にも宴席に出席した者たちの多くが動揺の色を露わにしている。
そんな中、尊氏が即座に使者に尋ねた。
「して、帝は無事であらせられるのか?」
「尊氏殿!?……はっ、はい!ただ今、名和長年殿と結城親光殿が三千の兵を率いて公宗卿を捕縛せんと西園寺邸に向かっている最中にございます!」
「三木一草のうちのお二方が向かわれたとなると、既に公宗卿を捕縛した頃合いでしょうなぁ」
三木一草とは、後醍醐帝の信任厚い臣下たちの中から鎌倉幕府が滅亡し、建武政権になったことで功名を成した四人を選んで名付けられた総称である。すなわち、後醍醐帝は事の重大さにあたって手近に動かせる側近たちを遣わしたのだ。
因みに、三木一草のうちの一人がこの宴席の主催者の楠木正成である。尤も、どう考えても正成が他三人と同列とは思えないのだが、それはこの大事にあっては些細な事である。
「確かに京極殿の言われることは尤もだが、拙者は帝の身辺警護にも関わる身。急ぎ宮中に参らねば」
「楠木殿。我が右腕である師直を随行させましょう。先程あのようなことがあったばかり。どうかお気をつけて」
「なんと!武蔵権守殿のご助力とは有難い!」
テンポよく展開される尊氏と正成の会話は来年に迫る湊川の戦いを知る俺からすれば、聞いていて複雑なものである。
しかし、今の俺としては他のことで気が気ではない。
「高貞殿。あの会話の内容から察するに、西園寺卿は恐れ多くも帝をお招き申し上げた上で、弑逆し奉らんとした。その謀議が事前に漏れ、事態を知った帝が長年殿と親光殿を差し向けられた……という解釈で大丈夫だろうか?」
「恐らくは。しかし、齢十にして大した洞察力です。お見それしました」
「いや、大したことでは」
はっきり言って「その年齢にしては」という枕詞が付いた賞賛など嬉しくも何ともない。ただ、虚無感に浸るばかりである。
しかし、それは普段であればの話だ。今の俺は感傷に浸っている場合ではない。何故なら気掛かりなことがあるからだ。
「謀反人の居る屋敷というのは、通常その家ごと燃やしたりあるいは家人全員
「……宗家。そういう恐ろしい事はもっと声を抑えて聞いてください。変な誤解をされかねませんよ」
「ん。以後、気を付けよう」
「ほんと気を付けて下さい。恐らくですが、燃やしたり根切りにしたりといったことはしないでしょう。それよりは仔細を把握するため、家人も含め捕縛して取り調べをする筈です」
「ということは意外と理性的な対応になるのか」
「逆賊だからと直ぐに殺しては、得られる情報も得られませぬ」
「成る程」
しかし、高貞の言う通りになっては俺にとってはあまり宜しくない。はっきり言って、燃やしたり家人全員根切りにしたりということであれば、言う事なしだったのだ。
何故なら──
「道誉殿、西園寺卿が此度のような蛮行を試みたのは何故でしょうか?」
「やはり北条政権が潰れたのが最大の原因でしょうなぁ。西園寺家は代々あの一族の恩恵に預かってきました故」
再会から三日以上もあったのだ。時行が西園寺邸に宿泊していることは既に調べが付いている。今回の暗殺未遂事件が俺の存在に関わりなく起きていたことならば、時行は西園寺邸から逃げ延びて乱を起こす運命にあると考えて良いだろう。
問題は、今回の一件が俺と時行のやり取りがきっかけで起こってしまった場合である。可能性としては相当低い筈であるが、どうしても心配になってしまう。
「幕府が滅んで二年余り。何故今になって……」
「もしかしたら珣子内親王様がお産みになった御子が皇女であられたことがきっかけかもしれません」
「……どういうことです?」
「珣子内親王様は中宮であらせられるだけでなく、公宗卿の従妹でいらっしゃる。もし仮に産まれた御子が皇子であったならば、幕府滅亡で衰えた西園寺家の趨勢もある程度は復活したでありましょうからなぁ」
「しかし、そうはならなかった。すなわち、此度の一件は起こるべくして起こったと?」
「然り。何とまぁ痛ましいことです」
あくまで内心のことではあるが、俺は一先ず安堵した。しかし、それも束の間のことである。
猛将としての顔を併せ持つ師直を正成に随行させて送り出した尊氏がここ佐々木一族の並ぶエリアにやって来たのだ。運が良いのか悪いのか、尊氏の目当ては友人である道誉であるに違いないという俺の見立ては見事に外れてしまった。
「道誉殿、そして千寿丸。君たちに頼みたいことがある」
「我々に、ですか」
「尊氏殿。何なりと」
「うむ。おそらく此度の一件、公宗卿には協力者が居る。君たちにはその対処を頼みたい」
「ほう。協力者ですか」
「ああ。仔細は……そうだな。ここでは少し都合が悪い。出よう」
どうやら余人……特に楠木邸の者の耳には入れたくない話でもあるらしく、俺と道誉は尊氏及びその郎党たちと共に、正成の屋敷を後にする運びとなった。
〜2〜
流石は初代征夷大将軍になる男と言うべきだろうか。楠木邸を去って馬で京の道を行く俺はその鮮やかな手際に感心していた。
「尊氏様、そろそろ良い頃合いでしょう。西園寺卿の協力者とやらについて仔細をお教え下さい」
「うむ。西園寺卿が不遜にも帝を弑逆し申し上げようとするのと時を同じくして、我も襲われたのだ。武士の子らにな」
「……なんと。子供が尊氏殿を狙うとは」
時刻は丁度
そこに不意に現れたのが楠木正成を装った何者である。尊氏は即座に偽装だと見抜いたようだが、馬を繋ぐ場所が残っていないと言われた師直らはそうでなかったらしい。
聞けば聞くほど風間玄蕃の手口としか思えない。
「我はその者の正体を確かめるべく、敢えて言われたことに従い、師直たちと離れて付いて行った」
「いくら尊氏様が豪傑とはいえ、何と危うい」
「死中に活を求めるとはこう言うことだよ、千寿丸。話を戻そう」
大胆にも尊氏は、偽物の正成の仲間たちが潜んでいると思われる場所でその正体を尋ねた。すると、正成の郎党に扮した馬上の武者が刀で尊氏を襲撃し、松の中からは別の子どもが弓で尊氏を狙ったのだと言う。
「子供とは思えぬ手口。只者ではないでしょうなぁ」
「よくぞご無事で」
結局、子どもらは尊氏に暗殺は通じないと見るや直ぐに自前の馬で逃げ出した。当然、尊氏は後を追わんとしたのだが、丁度そこへ到着の遅れを心配した本物の正成が現れ、追うのを止めたのだと言う。
却って謎が深まった。時行たちの利益になるようなことを楠木正成が容易く行うものだろうか。正成の洞察力や忠義心はそれこそ天下無双と言って差し支えない程であろうに。
「お話を聞いていると、むしろ楠木殿が怪しいように思えますが」
「楠木殿は無二の忠臣だ。共に帝を頂く味方である我を勝手に討つ筈がないだろう?師直を遣わしたのはあくまで念の為だ」
「はぁ。それで、尊氏様は何故に西園寺卿がその子どもたちと何かしらの関わりがあると?」
「うむ。結局のところは我の勘だ」
何だそりゃと言いたいところであるが、道誉が言うには尊氏の勘は滅多に外れることがないと言う。話の流れからしても、異を唱えられる筈のない俺は黙って従うことにした。
「既に京の西を細川、南を師泰、北を仁木に任せ、残る東の山科方面には今川を向かわせた」
「迅速な対応、感服致します。師泰殿、細川殿、仁木殿、今川殿といえば四者とも天下に誇れる強者揃い。曲者どもは程なく捕えられるでしょう」
「とはいえ、襲撃時間からして尊氏殿を襲撃した者は既に京を出たか……あるいは内で息を潜めているのでは?」
「うむ。実のところ、我が彼らに真に期待するのは子どもらの捕縛ではなく、牽制だ。西園寺卿が京周辺に伏兵を配置していた場合に備えてな」
確かに、帝暗殺の直後に京の外から兵を引き入れ、京を焼くなり煮るなり好きにすれば、三日天下は成せるだろう。楠木正成や新田義貞らを封じた上で更に遠方より味方を呼べば、後は関東の足利直義や奥州の北畠顕家に備えるだけだ。
しかし、これは今や絵に描いた餅。京の入り口を足利の将が固めていれば、たとえ本当に京の外に西園寺の兵が居ても容易には侵入して来ないだろう。
「……では、尊氏様は我らに近江の兵を纏めて入京せよと?」
「いや、君たちに頼みたいのはやはり子供らの捕縛だ。彼らの言葉遣いを聞いたのだが、間違いなく東のものだった」
「……東」
「成る程、それで我らを呼んだ訳ですな」
西園寺卿による帝暗殺と尊氏暗殺の企てに関連性が疑われる以上、尊氏を殺さんとした者たちを逃しては帝に申し訳が立たない。そんなまるで忠臣が言っているかのような言葉と共に、尊氏は俺と道誉を近江へと送り出した。
〜3〜
足利一族である今川が手勢を以って警戒網を構築する山科を迂回することなく通過した俺と道誉は、夜道を馬で駆け抜けて遂に近江国安養寺付近へと差し掛かった。
「道誉殿。本当に尊氏様を襲撃したという曲者どもが近江に入ったとして、唐崎方面と石山方面……どちらに向かったと思われる?」
「はて、拙僧には分かりかねます。千寿丸殿はどちらだと?」
「……道誉殿。やる気が無いならもう結構」
「おや」
わざと顔に少々の苛立ちを滲ませつつ、俺は宙を指差した。
「これより先は我ら六角が請け負います。道誉殿はそこの寺で休まれよ」
「水臭いことを言うのですなぁ、千寿丸殿。宗家御自ら探索なさると申されるに、拙僧が何もしないなど──」
「休むことは何もしないこととは違います。そこの寺から昼夜を徹して人通りを監視するという大事な役目を貴方に委ねたい」
「……宗家の御意のままに」
存外、上手く行った。これで何とか道誉を振り切り、自由に近江を駆け回ることが出来る。京極の者たちと行動を別にした俺は楠木の宴席から付いてきたり事の次第を聞いて新たに六角邸から馳せ参じたりした二十騎弱の手勢に向き直った。
「一先ず、我らは勢多に向かう。だが、念には念を押すべし。一人は朽木の元へ行き、件のならず者を捜索するよう伝えるのだ」
「殿、この私にお任せを」
「良し!では任せたぞ」
近江国高島郡を預かる佐々木一族の分流である朽木の助力を得るために家臣の一人が北へ向かう一方、俺は残る者たちを率いて東へ進む。勢多に着くや否や橋の番人に複数の子どもの群れを見たか尋ねたが、空振りに終わった。
しかし、それでも休む訳には行かない。一行は更に東を目指して馬を進めた。
「ふぁ……」
「殿、お疲れでは?ここは我らが先行します故、殿はどうか御休憩を」
「いや、それには及ばぬ」
既に日付が更新されてより大分経ったであろうというような頃合いである。昨日は本拠地である佐々木荘から京に戻り、その足で楠木邸の宴席へ。そして、宴席が中断されてから程なくして近江まで急いで駆けている。
幾ら武士として鍛えているとはいえ、まだ齢十の身体である。疲労というより眠気が溜まっていることは否定できない。だが、例えそうであっても、彼らを遣わしておいて自分だけ休むという真似などそう簡単に出来はしない。
「とはいえ……少し用を足したい。構わぬか?」
「それは一大事。伊庭殿、殿のお側でお護りするのだ」
「承知。さぁ、殿。そこの茂みに」
「……ああ」
謂わゆる立ちションというのは前世で行おうものならまず間違いなく犯罪に該当するに違いない。しかし、生憎とここは十四世紀である。まともな公衆トイレなどある筈がない。
躊躇いこそすれ、咎められる筋合いはない。むしろ家臣に勧められている。我慢する必要などないのである。
「なぁ、木に登ってそこから
「……構いませぬが、樹上から私に掛けるというようなことは決してなさらないようお願い致しまする」
「俺を誰だと思ってる。そんな育ちの悪い子どもみたいな真似などするものか」
松明を持った伊庭に案内され、街道のすぐ側にある林に入った俺は良さげな木を見つけ、登って枝の上に立った。
月明かりに照らされた景色の向こうに、俺は別の道があるのを見た。極めて狭く、馬一頭通れれば良いというような隠れ道である。
「伊庭、向こうにも道があるぞ」
「ああ、あの小道ですか。確かに、あそこは逃走経路としては絶好の場所かと。気になるのであれば、人を行かせますか?」
「いや、ただでさえ少数なのだ。小道にまで気を取られていてはキリがないし、あまり分散させ過ぎるのも良くないだろう。直ぐに済ませるから待っておれ」
「は!」
袴の裾を上げて器官を露出し、そのまま構えて液状の不純物を管より放出する。男児のそうした姿は彫刻の像にすらなるのだ。恥ずかしがることはないと俺は自分に言い聞かせた。
「ん?」
遠目にではあるが、先程この枝の上から見つけた隠し通路を五つの馬乗りの影が通るのが見える。顔までははっきり見えないが、俺は確信した。十中八九、北条時行とその愉快な仲間たちであると。
「……中先代の乱。いよいよ間近か」
おそらく帝・尊氏同時暗殺未遂事件によって、京は大混乱に陥るだろう。不安に駆られた帝は関東から兵を呼ぶ筈だ。諏訪から鎌倉に攻め込むには絶好の好機である。
「されど、時行。お前は勝てるか?"天下一の弓取り"である我が弓術の師、小笠原貞宗。知謀においては坂東随一の麒麟児、斯波孫二郎を擁する足利直義。そして──」
「お前の最大の仇敵にして天下人、足利尊氏に」
ふと、馬を全速力で走らせて遠くの小道を行く面々と視線が合った気がした。自らの格好を思い出した俺は急ぎ装いを整え、振り向いて一気に地面に着地した。