崇永記   作:三寸法師

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◆7

〜1〜

 

 

 貞和二年(西暦1346年)八月二十六日、六角邸はひっそり静まり返っていた。

 昨年の長井時千娘(今世の母親)に続き、今度は父親……先代当主の時信が世を去ったのである。だが、これでもよく保った方なのかもしれない。

 

 

「兄上……父上は最期、兄上と二人きりになって何と?」

 

 

「何でもない、直綱。今後の事について二言、三言な」

 

 

「……は。では、その気になられるまで我らはお待ち致します」

 

 

 葬儀になると平時と違い、借りて来た猫のように振る舞いがちになるのは昔からだ。何となく、漠然とした喪失感のようなものに襲われる。状況や雰囲気に流されるとでも言うべきなのだろうか。

 さながら短くなった鉛筆を交換しなければならなくなった時のような心持ちだ。俺はどうにも集中力を欠き、屋敷の自室へ戻る。

 その途中、俺の様子を見かねたのか亜也子が徐ろに口を開いた。

 

 

「殿様。本当はお父上に何て言われたの?」

 

 

「……母上と同じだ。俺はいずれ父上のようになるんだと」

 

 

 全くもって解せない話だ。時信と俺のどこに共通性を見出したのだろうか。父と子でも完全に武将としてのレベルが違っている。

 言うまでもなく、尊氏様やそれ以降の足利将軍を把握する俺の方が有利だ。にも拘わらず、あの言葉が不思議と頭に残っていた。

 

 

『氏頼……皆の申すようにお前に予見眼があるか、それ自体は今となっては些細な事だ。持てる力の限りを尽くし、家を守り抜く事において、私は後継ぎのお前に及ばなかった。認めざるを得まい』

 

 

『……父上』

 

 

『だがな、氏頼。父は出家して俗世を俯瞰し続けた。その見地から提言しておきたい……昔のお前は心の底から自由だった。翻って今のお前を見れば、不自由そのもの。将軍への想いで雁字搦めになっておる……先々の幕府の内紛を乗り越える上で、その状態は極めて危うい。もしお前がかつて鎌倉への忠に拘った私の如く、将軍への拘りを捨てられぬなら……いずれお前はこの父のようになるぞ』

 

 

 今でも納得できず、首を傾げざるを得ない。滅びゆく鎌倉幕府と益々栄えゆくばかりの尊氏様をどうして同列に並べられようか。

 初代将軍の尊氏様こそが時代の勝利者である。数年後の擾乱で直義と師直が共倒れになれば、漁夫の利を得て一層()()()だろう。

 

 

「大奥様と御先代が同じ事を言い遺したんだ……」

 

 

「ああ。あの二人は我が尊氏様への忠誠を良く思っていなかったようだからな。妙な話よ。恐らく佐々木惣領と足利宗家は本来なら同格だと思っていたんだろうさ。もうそんな時代じゃないのにな」

 

 

「そっか……殿様はそれで良いの?」

 

 

「良いも何も、尊氏様は頼朝公の再来ぞ?以後、足利本家当主は百数十年前の源氏将軍と同じ地位に収まる……自然の道理に足掻くも逆らうも無駄でしかない。逆に潮目に乗るべきだ。元々、俺はそのつもりで、あの御方が天下に昇る事を支持した。佐々木惣領は新時代でも変わらず、武家政権の要石としてこの国を守り抜くのよ」

 

 

 先々のビジョンは持ち合わせている。擾乱を乗り越えるための方策も勿論そうだ。父の時信にしろ、母の時千娘にしろ、最期の言葉は納得できないものだったが、俺に重要な戦力を残してくれた。

 弟たちである。この時代、頼朝や尊氏様のように天下人にでもならない限り、弟というのは得てして信頼可能な幹部になるものだ。

 俺の場合、直綱(六角四郎)定詮(山内五郎)、そして光綱(佐々木六郎)である。まず、直綱(六角四郎)は渋川氏への接近を続ける手筈だ。現渋川家当主の直頼(中務大輔)*1副将軍(足利直義)の義甥にして義詮(時期将軍)の義弟、そして師直(将軍執事)の娘婿という立場で、緊急時の仲介依頼相手となり得る。直綱(六角四郎)との仲なら有事でも依頼が可能だろう。

 次弟の定詮(山内五郎)は一族において俺に次ぐ程の武力を持ち、股肱の役回りを(こな)すに足る。三弟の光綱(佐々木六郎)は兄弟でもとりわけ若いため、俺に万が一があった際の仮後継者に指名済みだ。その場合は氏泰と諱名を改める手筈になっている。将軍と同じ「氏」の字が重要なのだ。

 

 

「この大国・近江国は今も昔も重要地域なれど、鎌倉幕府の時代とは性質が違う。京に幕府、足利政権の中枢がある今、将軍と諱名の一部を共にする佐々木惣領は、足利一門の有力者も同然……だが、今のままでは足りない。できるだけ早く将軍の血を入れねばな」

 

 

「……それで尊氏様の娘婿になる事に拘ってるんだ。将軍の娘が相次いでお亡くなりなのに、未だお考えが変わらないと思ったら」

 

 

「ああ。こればかりは容易に譲れない。たとえ誰が口を挟もうとも我が意は変わらぬ。俺は何が何でも足利尊氏公の娘婿になるぞ」

 

 

 室町時代における近江国は、江戸時代における常陸国より重要と言って良い。血脈の面で水戸藩の徳川御三家以上の支配の名分が必要となる。はっきり言って佐々木一族の由緒だけでは心許ない。

 要するに、佐々木惣領(六角家当主)は今後二、三十年以内に、三代将軍の足利義満が猜疑心を持ちたくても持てないような存在に成長しなければならないのである。そのためには室町幕府の初代将軍を外祖父とする新たな当主を用意しておきたい。もはや存続のための命題だ。

 父も母も死んだ今、俺は現当主として自分に何が出来るのか問い直さなければならなくなっている。しかし、結論は前と同じだ。

 何年、何十年という時間を要するとも、足利将軍の血を六角家に取り入れる……それこそが我が宿命と信じて疑っていなかった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 どんな状況でも砂を掛ける存在は往々にして現れるものである。

 昨年の母の死から(ほとぼ)りが冷め、薬を用意して情に絆さずとも耳煩いを気にしなくて良くなったと思い始めた矢先から、彼奴が妙に煩くなっている。まるで二度書きのようで居住まいが悪いからと思って再び牢に放り込まなかったせいか、調子に乗っているようだ。

 

 

「廷尉様、そろそろ……お諦めになった方がよろしいかと」

 

 

「……念の為、何を諦めるべきか聞いておこうか。ミマ」

 

 

「は。尊氏様の御息女がまたも亡くなられて幾月……早く現実を受け入れられ、将軍の娘婿にという夢物語はいい加減、お諦めを」

 

 

「はァ……くどい!」

 

 

 現在、奥の仕事は、既に相続権を放棄して別の姓を名乗っている次弟の定詮(山内五郎)に話を通し、その妻に代行させているが、どうもミマの女郎は言葉巧みに近付き、女どもの姐御分面をしているらしい。

 あまりにも腹立たしい。俺は次第に長期滞在しての朝廷勤めを優先するようになった。しかも京と近江国は近いため、通信技術がなくてもリモートワークが可能だ。評議は京の屋敷で行えば良い。

 だが、話は二転三転する。その驚くべき報を聞いた途端、俺はあわや叫んで、周りの官人たちを全員倒しそうになってしまった。

 

 

げ。ま、まことでございますか?四条卿……俄かには信じ難く」

 

 

「……幕臣でもある汝が血相を変えるのも道理か。直義は正室一筋で十数年も子が無かったが、ここに来て話が変わった。どんな種を使ったのか分からぬが、まことであるよ。氏頼(大夫判官)。残念ながらな」

 

 

「ざ、残念とまでは……あ、いや。ハハ……めでたき話にて」

 

 

氏頼(大夫判官)、愛い男め。顔が引き攣っておるぞ」

 

 

 今更、渋川頼子(直義の妻)が身籠った。すわ密通かとも思ったが、渋川義季の姉がそんな真似をするとは考え難い。つまり、直義は不惑に差し掛かり、初めて子を持ったらしい。あれこれ女を取っ替え引っ替えしたならいざ知らず、正室に一途で()()とは分からないものだ。

 とはいえ、権力闘争に敏感な政治家は祝意なぞ持ち合わせていないだろう。それどころか、直義の正気を疑うしか無い。明らかに直義は分かっていない。直冬の養子取りでさえ拙かったのに、ここに来ての実子とは論外だ。副将軍としての権力を軽く考え過ぎだ。

 これで師直派は直義の讒言を尊氏様にし放題になった。誰それが直義は実子可愛さで権力への欲を募らせていると吹き込む様が目に浮かぶ。つまり、直義は後の擾乱に向けて、墓穴を掘ったのだ。

 

 

「おや、六角殿。今、朝廷のお勤めからの帰りで?」

 

 

「……ッ。これはこれは則祐殿。その通りにござるよ」

 

 

「その様子……早速お噂を聞かれたようですなァ」

 

 

 名将・赤松円心の三男坊にして、かつての護良親王の元()()()()として知られる赤松則祐も、事の重大さを理解しているらしい。

 腹の探り合いほど大袈裟ではないが、今や幕臣同士の俺たちは物理的ではなく精神的な意味で、仮面を被りあって言葉を交わす。

 

 

「則祐殿。今日、将軍にはお会いになられましたか?」

 

 

「いえ……どうして左様な事を聞きなさる?」

 

 

「……将軍がどうお思いか、知りたかったもので」

 

 

「ッ……将軍の烏帽子子の六角殿がご存知ないのに、どうして赤松家の庶子風情が知っていましょう。あいや、失礼……お許しを」

 

 

「滅相も……帰ります。則祐殿、また何かの折に話しましょう」

 

 

 五ヶ月後、貞和三年(西暦1347年)春を迎えて渋川頼子(直義の妻)が著帯の儀を済ませた。

 粗忽な坂東武者はともかく、西国武士や公家たちは皆が言葉にせずとも理解している。産まれる子が男なら碌な事にならないと。

 俺の場合はどうか。直義がいずれ尊氏様の敵になる事は理解しているつもりだった。だが、ここまで直義に失望させられるとは思っていなかった。それ程、俺はヤツの実直さを認めていたらしい。

 しかし、今となってはそれも意味のない事である。直義は今なお恩賞権と要職任命権以外の全てを牛耳る立場で、幕府の実質的最高権力者だ。そんな身でありながら、仮にも将軍庶長子の直冬以外の駒を手に入れようとしている。早晩、二頭政治の崩壊は秒読みに入るだろう。俺は心中において、見損なったと本気で吐き捨てた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 貞和三年(西暦1347年)三月十五日、俺は近江国守護として幕府より仕事を請け負った。すなわち、琵琶湖における米の不正の差し止めである。

 どうやら道誉の嫡男の秀綱があろう事か、夢窓疎石の臨川寺に持ち込まれる筈だった米を差し押さえていたらしい。それで幕府(足利政権)が対応ついでに、佐々木惣領の俺に守護業務の一環で湖上輸送の実態を把握し直せと命じたのだ。さて、この命の発令元が問題である。

 

 

「承りました、師直殿。それにしても夢窓国師の門下の取り分を犯すとは京極家も血迷ったようです。延暦寺なら分かりますがね」

 

 

「言っておくが、幕府はあくまで、これを手違いによるものと認識している。大した揉め事にするつもりはない……それより、六角。俺の命を遂行する以上、お前は今日から正式にまた革新派に名を連ねる事になる。京極家、師冬……これらで問題を起こさぬよう」

 

 

「はぁ」

 

 

 思わず気のない返事をしたせいで、師直の眉が吊り上がった。

 すぐ近くの師泰も呆れたように肩を竦める。その息子で、二年前の秋だか冬だったかに叙爵の師世は、特に表情を変えていない。

 

 

「まず京極家……お前は武、道誉殿は文化で使い道がある。だが、一族内の仲裁を俺にさせるつもりがないなら、今回のように職務上の理由で必要が生じない限り、余計な諍いの元は極力回避しろ」

 

 

「……別に文化でも道誉殿に劣るつもりは──」

 

 

 確かに道誉が文化で公家たちの評判を得て久しい。花道なんかは明らかに歴史的な異彩を放っている。対して俺はあのような目立ち方をするつもりはないため、そこの評価が覆る事はないだろう。

 しかし、自分で花道をやってみても道誉に劣るとは思えない。

 大体、道誉の娘のミマだ。あれは昔よりか露出面などで大人しくなっているものの、未だあからさまに婆娑羅文化を珍重している様子である。あの父娘に惣領の俺がセンスで劣っている筈がない。

 

 

「おいおい、相変わらずだな。六角よ……それでよく直義派でやれてたもんだぜ。兄者、佐々木氏で揉め事が起こったら師冬に仲裁をさせる。それで良いだろ?……だが、六角。話はまだあるぜ?」

 

 

「へ?」

 

 

「……兄者」

 

 

「ああ……六角。師冬は近く、師泰の娘を娶る。故にあまり昔のまま師冬とベタベタするな。はっきり言って見苦しい。もう女装が似合うような年頃でもない事を自覚しろ。痛々しくて仕方がない」

 

 

「そういう事だ。もうお前はあの千寿丸じゃねェんだぜ?」

 

 

「?……応」

 

 

「……プッ

 

 

 高兄弟が何を言いたいのかよく分からなかったが、俺は取り敢えず相槌を打った。微かだが、若い師世に鼻で笑われた気がした。

 何はともあれ、擾乱を見据えて打てる手は打った。この期に及んで正室(渋川頼子)を妊娠させた直義の派閥を離れ、師直派に正式に戻った。

 このまま両派の対立がより鮮明に、浮き彫りになるのだろうか。

 そう思って夏の半ばが過ぎて五月二十六日。直義の妻(渋川頼子)の出産が近付いて京が慌ただしくなっていた日、ひっそりと事が起こった。

 

 

「おお……来てくれたか。氏頼(大夫判官)殿」

 

 

「……師匠(貞宗殿)。暫く見ない間に、ここまでお痩せになるとは」

 

 

「枯れ木のようであろう?……もう間も無く儂は地獄行きよ」

 

 

「地獄……?師匠(貞宗殿)、何を仰る?」

 

 

 死を前にしての弱気かとも思ったが、親父らしい自虐のようだ。

 小笠原貞宗は間違いなく歴戦の名将である。南朝武将の結城宗広ではないが、数多の敵の屍を糧に偉人に昇華した本物の武士だ。

 

 

「前から色々と仏事は尽くしたが……往生できる自信がこれっぽちも湧かぬわ。儂は地獄で今度こそ諏訪頼重と白黒つける……目を瞑ると彼奴の声が聞こえる気がするのよ。何ぞよく分からぬ乗り物に乗っておった気がするが、先に死んだ愛馬と再会叶わば、恐れるに足りん。我が必殺の奥義で仕留めてくれよう。そなたの如くな」

 

 

「わ、私のよう……何を申されるやら」

 

 

(とぼ)けんで良い。石津・阿倍野の戦いで突然死んだ顕家……生前の奴の強さを恐れて誰も触れようとせぬが、儂には分かる。あれは射将共射馬によるものぞ。儂の知る限り、西国で儂の奥義を使える武将はただ一人……佐々木氏頼、そなたのみぞ……図星のようだな?それが儂は何よりも嬉しかった。そなたの先祖、佐々木秀義公は古の名手・源為朝公の義兄……教えた甲斐があったというものよ」

 

 

「……師匠(貞宗殿)

 

 

 結局、石津・阿倍野の戦いで、北畠顕家は、北朝(高師直)軍の越生四郎や武藤政清という者たちに討たれたり首を獲られたり……と記録されている。だが、貞宗は同じ弓矢の名手として顕家に関心を持っていたらしい。さもなくば、東国武将の貞宗(治部大輔)が南朝の公家将軍の死に様を詳しく調べる筈がない。ほぼ対岸の火事のようなものなのだ。

 貞宗(治部大輔)も決して無敗ではなかった。領国では北条時行及び諏訪頼重の蜂起を許し、金ヶ崎では新田四天王の栗生顕友に奇襲を防がれ、青野ヶ原合戦では南朝(北畠顕家)軍の伊達行朝のため、紀清両党の芳賀禅可と共に退却を余儀なくされた。政治面では京極(佐々木)道誉(佐渡判官)に一杯食わされてもいる。だが、近江国で新田義貞や脇屋義助らの軍勢と鎬を削り、大徳王城では北条時行や諏訪頼継の望みを潰すなど功績多数。

 その偉大さは、教えを乞うた身としてよくよく承知している。

 外様武将の多い師直派にとっても貞宗の死は極めて痛手の筈だ。

 

 

「されど……そなたの矢は儂の教えを逸脱し過ぎぞ。土岐頼遠や尊氏公とまた違う武の高みに達しておる。くれぐれも武に頼り切ず、臨機応変を忘れるでない。それこそが佐々木氏頼(大夫判官)最大の強みよ」

 

 

「……弟子として御言葉、胸に刻みます」

 

 

 どこか視界が歪むような気がする。俺は何とか唇を噛み締める。

 幾許かの静寂の後、貞宗はすぐ近くの嫡男に向かって叫んだ。

 

 

「餞別ぞ!政長!」

 

 

「は」

 

 

 次の小笠原家当主・政長が厳かに漆の箱から紙を取り出した。

 半紙が差し出され、俺は受け取ってマジマジとその文言を見た。

 

 

射将共射馬(将を射んとすれば馬ごと射ん)……それが小笠原流の奥義。だが、そなたの弓矢は既に小笠原流の別次元を行っておる。遥か彼方の葉を狙って命中させる技量も立派だが、船も敵の身体も大破させる異次元の威力よ」

 

 

「まだまだ……為朝公の域は遠く感じておりまする」

 

 

「謙遜は締まらぬから止せ……そこの紙は何年も前に(したた)めたもの。やっと渡す時が来たわ……射将共爆馬(将を射んとすれば馬ごと爆かん)。それが氏頼(大夫判官)殿の奥義の名。この先、使う相手がおるかは分からぬが……取っておくと良い」

 

 

「……は!」

 

 

 世代交代はよく前時代の武将の死を伴う。最強の土岐頼遠(弾正少弼)が死んで五年、今度は小笠原貞宗の死で勢力図が変わろうとしている。

 以後、東山道の外様大名はこの佐々木氏頼、土岐頼康(刑部少輔)、小笠原政長が中心となって武のラインを形成する。これも時代の変遷の一つの証だろう。だが、南北朝時代初期の抗争に名を刻んだ貞宗の生き様は百年と語り継がれる筈だ。願わくば、二十一世紀でもひっそりと知られている事を。目を瞑って遥か遠い未来に思いを馳せた。

*1
関東庇番一番組筆頭・渋川義季の遺児

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