崇永記   作:三寸法師

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『鎌倉殿の13人』でブラック義時が好きだったタイプです。


◆8

〜1〜

 

 

 貞和三年(西暦1347年)五月二十六日、弓馬の巨匠・小笠原貞宗が京の自宅で享年五十六にして亡くなった。当代の源氏の名将として東奔西走し、多くの敵と戦って得た軍功は、誇って然るべきものに違いない。

 しかし、貞宗は礼法にも通じた人物だった。相応に自負するところがあっても、凡百と同じように(ひけ)らかすような真似はすまい。

 この先どれだけの年月を当世で過ごす事になろうと、この俺がそうした精神面で生前の小笠原貞宗に追いつける気はしなかった。

 

 

政長(兵庫助)殿……改めてお悔やみ申す。同時に信濃国新守護に挨拶を」

 

 

「……止してくれ、氏頼(大夫判官)殿。確かにこの政長は以前より嫡男として多くの権益を受け継いだ。なれど、実を申せば……決して新守護と胡座を掛けるような状況ではない。()()めがどう動いたものか」

 

 

()()……あの現諏訪大祝が?」

 

 

 まるで豆腐人間のような見た目の政長の言葉に、眉を顰める。

 顔面こそ奇形そのものだが、技術は確かに父親(貞宗)譲りの政長が警戒しているのは、元南朝武将の諏訪頼継らしい。成る程、戦国時代の諏訪氏と信玄・勝頼親子の縁を思えば、今の時代における信濃国の王者の小笠原氏が警戒心を露わにするのも、分からなくもない。

 逆説的に二百年程が経った頃には信濃国で諏訪氏が復調していたようなものだと察しが付くからである。ただし、全面的に同意可能かというと話が別だ。何故か。諏訪頼継の経歴に理由があった。

 

 

「そんなに……大した人物なのか?諏訪頼継は?以前、既に英雄どころか()()以下の北条時行なんぞと協力したかと思えば、この間になってやっと京都諏訪氏を通じ、北朝に降った。勢力間の移動は乱世の倣いだと云うが、その辺りの嗅覚に優れるとは……たとえ今から頼継が南朝に戻ろうと、北朝軍の不利は無いに等しかろうよ」

 

 

「……氏頼(大夫判官)殿、俺の憂慮は戦に非ず。頼嗣めが直義派に擦り寄らないか心配なのだ。あれは諱名の字を変えてでも北朝に帰順した男で大徳王城の経緯を思い出せば確実に何か企んでおる。副将軍(直義殿)から偏諱を受けてでも派閥に入り込み、政治手腕で地位を狙いかねん」

 

 

「ははん……そういう事か。合点がいったぞ、政長(兵庫助)殿」

 

 

 確かに今、諏訪頼継──そう言えば、ヤツは北朝帰順時に頼嗣と改名したと耳にした気がする──が信濃国の覇権奪還を狙うつもりであれば、武力に拠らないのも尤もな話だ。仮に再び南朝に降って幕府に反旗を翻しても、周辺諸国から討伐軍を招くのがオチだ。

 七年前の北関東で北畠親房(准大臣)や今は亡き春日顕国の軍が抵抗していた頃と違って、十万騎以上の足利軍に襲来される可能性が高い。

 然して、幕府に身を置き、徐々に顕在化しつつある師直派と直義派の内部争いを利用する手は有効だ。元敵将の汚名を拭うのは並大抵の苦労ではないが、それでも武力で幕府の大軍に抗うよりか幾分マシな筈だ。しかも、諏訪氏は元御内人だけあって、文官適性はそこらの田舎大名より高い。頼継にどれだけ統治能力が受け継がれているか知らないが、それ相応の後継者教育は受けているだろう。

 つまり、政長より頼継の方が直義受けする公算は十分あり得る。

 

 

「眼中に無い故、気にしてなかったが……以前、頼継が直義派で褒められているのを聞いたような……?そう考えると厄介なのか」

 

 

氏頼(大夫判官)殿……近江国と信濃国は隣の隣である故、そこまで関心を持ち難いのは分かるが……もう少し、こう……しっかりと思い出して頂けまいか?我が父上から弓矢の教えを受けた縁がござろう?」

 

 

「あいや、申し訳ない。あやふやな情報で……」

 

 

 後頭部に片方の手を当て、俺はバツの悪さを身体の動きで表す。

 空気が弛緩し、当代の佐々木惣領に信濃国への野心が無い証だと前向きに受け取ったのか、政長は気を取り直して言葉を選んだ。

 

 

「……いや、こんな状況でも我が父の顔を見に来て頂けただけでも有り難い。大抵の武将は今、小笠原貞宗の死どころではない故」

 

 

「!」

 

 

 緊張の糸が張り詰める。たった一代で守護大名の基盤を成した偉大な父親を持った身としての政長のやり切れない思いが窺える。

 名将が死んだにしては、京の小笠原邸を訪れる文武百官の数は妙に少ない。理由は明白だ。政長も理性で呑み込もうとしている。

 

 

「ご覧の通り……大名たちは殆ど皆、間近に迫る頼子殿(副将軍の細君)の御出産に夢中で、信濃国守護(小笠原貞宗)の訃報を気にも留めない。前に必ず参ると申していた者でさえ、多くが今日になって代理だけ寄越す有り様よ」

 

 

「ああ……道理で」

 

 

 日が暮れて、俺も政長も既に状況は把握している。どうにも渋川頼子が産気付いたらしく、吉良満義邸に身柄が移されたらしい。

 わざわざ身柄を移すのは謂わゆる穢れを避けるためだ。直義邸は幕府の政庁機能を兼備していると言って良い。不気味なまでに実直な直義は本意でなかったかもしれないが、幕府で働く文官武将の心象を考え、妊婦を腹心(吉良満義)の屋敷に移さざるを得なかったのだろう。

 

 

「副将軍は……結局お越しになりませなんだな」

 

 

「左様。父上の死に関して幕府から沙汰は特にない。副将軍は御苦労にも奥方(渋川頼子)殿の出産付き添いのため、吉良邸へ参られたそうだ」

 

 

「それは……功績多数の名将より、妻が大事ですか。副将軍は」

 

 

 何はともあれ、これで皆の関心は小笠原邸でなく、直義妻(渋川頼子)の身柄を預かる吉良満義邸に移った。赤子が男なら今後の政治体制にも影響があると構えているのである。そのため、政長は釈然としていない様子だ。向き合う俺は、反応に困って思わず視線を逸らした。

 小笠原邸では、弔問客をもてなすために用意された飲食物が寂しく大部屋の小脇に置かれていた。政長は忿懣遣る方無い様子だ。

 

 

「八つ当たりしても詮無い事は分かっている……分かっているが、どうにも納得できん。父上は偉大で天下に武名を馳せ、その死を幕府の武将の誰もが惜しむと思っていた。だが、折悪く副将軍の正室の出産と時期が被り……俺を含めて後顧を憂いざるを得んとは」

 

 

「……心中、お察し致す。政長(兵庫助)殿」

 

 

 建武政権の途中までならまだしも、室町幕府の草創期の幾多の合戦を経て、貞宗の武名は完全に前佐々木惣領(六角家当主)の時信を上回った。

 父親の偉大さという点で、俺は眼前の(政長)に及ばない。それでも政長の些か合理的とは言い難い心中の吐露に、胸を打たれていた。

 幾許かの静寂が流れた後、政長が吹っ切れたように顔を上げる。

 

 

「父上は近年、好みの酒も控えなければならない程、身体が弱っておられた。もっと早くから氏頼(大夫判官)殿と酒を酌み交わしたかったと溢した事すらある。幸いにも今、我が屋敷では酒が有り余っておる」

 

 

政長(兵庫助)殿……共に痛飲し、故人を弔いましょうぞ」

 

 

「そう。それこそ第一にすべき供養なり」

 

 

 実のところ、元応元年(西暦1319年)生まれの政長は、嘉暦元年(西暦1326年)生まれの俺より半回り歳が上だ。しかし、違う形で貞宗の弓矢を受け継ぎ、これからの幕府(足利政権)を担う有力外様大名同士である。親睦を深める事は尊氏様の益に繋がるだろう。共に擾乱を乗り越えたいと思える相手だ。

 気付けば貞和三年(西暦1347年)の夏。前時代の名将が亡くなり、天下を揺るがす内紛劇「観応の擾乱」の幕開けまで、残り三年となっていた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 貞和三年(西暦1347年)六月八日、直義の妻(渋川頼子)はやたら出産に日数を費やしていないだろうかと飽き始めていたところ、二つの報せが舞い込んだ。

 まず一つ目は、直義が腫れ物を患った。これを聞いた時、俺は郎党たちの前で思わず、鼻で笑ってしまった。しかし、愉快さも続く報せのため、即座に吹っ飛んだ。直義の子が遂に産まれたのだ。

 

 

「それで、男か?女か?……どうした、早く答えよ!」

 

 

「……男にございまする」

 

 

「……あーあ!」

 

 

 六角党たちは顔を見合わせ、俺はこめかみに手を当てて盛大な溜め息を吐く。これにて直義の政治生命は終わったも同然である。

 自ら政治権力を手放さない限り、直義は副将軍の莫大な権限を実子に継承させる腹ではないかという讒言を招くだろう。尊氏様は義詮以降の将軍について考えねばならず、二頭政治の解消に踏み切らざるを得なくなる。ここに来て、擾乱のあらましが見えてきた。

 

 

直綱(四郎)よ。ここへ」

 

 

「……は」

 

 

「俺の代わりに、現渋川家当主の直頼(中務大輔)を通じて、直義夫妻に祝意を伝えよ。ついでに副将軍の腹を探っておけ……副将軍はいつまで政治家稼業を続けるのか。師直(高武蔵守)殿への警戒で、引退の芽は限りなく薄いだろうが……念のためな。だが、あまり露骨に聞くな。塩梅はお前に任せる。直頼(中務大輔)が将軍執事の娘婿である事も念頭に置くのだ」

 

 

「これまた難しい御命を……承りました。こうした仕事は、直ぐ下の弟の我が役目と思っております。上手くやってのけましょう」

 

 

「うん。出来れば程度で構わぬからな?一先ずやってみてくれ」

 

 

 公武の人々は皆が腹の内を隠し、直義の息子……如意丸の誕生に対して祝賀した。光厳上皇に至っては剣を与える有り様だった。

 二十日近く経って、直義は漸く幕府の業務を再開する。この間、師直派の有力者たちは密会を催した。勿論、俺も参加していた。

 

 

「今のところ、母子ともに健康らしい。渋川頼子は四十二歳の初産で実に殊勝な事だ……直義(弟殿)は奥方の出産のために、多くの私財を投じて祈祷を行わせていたそうな。その功名だろうさ。尤も──」

 

 

「本人が当日熱を出して(はり)を打っていたんじゃ締まらないわなァ」

 

 

「そういう事だ、義長(右馬権助)……大事には至らなかったそうだが」

 

 

 直義夫婦の拠る吉良満義邸の様子に、誰もが関心を払っている。

 この師直派の集まりにおいても幾らかの有力武将が盃を片手に、敵対派閥の浮き足立つ様子について、情報を(つぶさ)に共有していた。

 

 

「それにしても満義(左京大夫)殿は……弟殿からの御信任がたいそう篤い御様子ですなァ。吉良家と申せば、足利一族の名門。しかも、満義(左京大夫)殿は今や数少ない関東庇番衆の、直義派としての生き残り。奥方の出産を託されるとは、並々ならぬ信頼の証ですぞ。桃井と別個の直義派の要人と申せましょう。尤も、武力は我らに遠く及びませぬが」

 

 

「おや。そう言えば、道誉(佐渡判官)殿は矢作川で共闘経験がござったか」

 

 

「ええ、貞範(雅楽助)殿。あの時は京極・吉良・土岐の連合軍で先鋒をお務め致した。拙僧の軍略と亡き頼遠(弾正少弼)殿の極限の武力があれば、負ける筈がないと思いましたが、よもや敵将の堀口貞満(美濃守)に、此方の弱点は吉良軍なりと狙われ、そのまま押し崩されるとは……今でも口惜しくてなりません。あそこで勝っておればと思いを致す日々にて」

 

 

 赤松家の次男坊の貞範(雅楽助)()()()()()()()()と答える我が一族の分家当主・佐々木京極道誉(佐渡判官)の物言いに、俺は心中で呆れを覚えた。

 実際のところ、京極軍と吉良軍であれば、強さはそう大差ない筈である。にも拘らず、道誉はさも吉良軍が極めて弱く、そのために大敗を喫したのだと強調している。確かにあの戦で吉良軍が真っ先に損害のために退いたらしいが、道誉の言い草は腑に落ちない。

 そもそも道誉の十八番は謀略であって、軍才は(たか)が知れている。

 

 

「クク……弱将は、部下も同じように弱いって事だな。俺たちの足を引っ張るしか能がない。矢作川も続く合戦も吉良のせいで負けたようなもんだ……兄者。その気になれば、天狗たちをして吉良邸を全焼させられたんじゃねェか?まだ間に合うかもしれねェぜ?」

 

 

「酒が入り過ぎだ、師泰。忘れたか?吉良満義の好物を」

 

 

「好物……ああ、草だな。あれは武将ながらに草の者の真似事が好きな変人だ。そいつの屋敷に夜討ちは厳しいか。ひょっとして直義の野郎、俺たち将軍の忠臣の刺客を恐れて、奥方を吉良邸に入れたのかもな。雑兵上がりの桃井より世話は幾分出来るだろうしよ」

 

 

 夜が深まり、師直派の酔狂な口振りは留まるところを知らない。

 爆発するまで、それ程の時間は掛かるまい。直義の子の如意丸とやらが成長するにつれ、直義への敵意は一層増していくだろう。

 斯く思う俺も、擾乱終了後の幕府の新体制を待ち侘びている。

 足利直義も高師直も居なくなった後の幕政はどんなものになっているのだろう。きっと尊氏様御自らが軍政の采配をお執りになり、本物の幕臣たちが恩恵を享受している。早く今の日々が終わらないものかと思いつつ、俺は宴に身を置いて、唇に盃を押し当てた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 貞和三年(西暦1347年)六月二十七日、正室の出産騒ぎや自身の発熱からの快復により、直義が政務を仕切り直した。翌日には尊氏様から西芳寺詣でに誘われたのだという。何やら相当に心配されていたらしい。

 約二週間後の七月十一日、俺は要請に基づいて直義邸に赴いた。

 

 

「此度、呼んだのは他でもない。氏頼(大夫判官)、南近江の──」

 

 

え゛え゛え゛え゛ん゛え゛え゛え゛え゛ん゛

 

 

「ッ……」

 

 

 突発的な耳への振動のため、俺は思わず憮然として顔を歪める。

 今世の弟たちは例外だったが、基本的に赤子は得意ではない。

 どうやらその事はすぐに直義に悟られたらしく、今となっては敵対派閥の武将である俺に対し、申し訳なさそうな顔をしている。

 

 

「済まないな。如意丸の泣き声は耳に障るか?」

 

 

「……いえ、お続けください」

 

 

「うむ……南近江の栗太郡に幕領の下笠郷という地があるのは知っておろう?あそこを本日、兄上の命という形で日吉大社に与える事にした。因幡国で先方に不都合な事があったため、その埋め合わせを行うためにな。他に加賀国の土地も複数与えるつもりでいる」

 

 

「……左様で」

 

 

 日吉大社は知る人ぞ知る比叡山延暦寺の重要関係施設である。

 というより、この時代では常識の一つだろう。何しろ山法師が強訴する際は日吉大社から神輿を持ち出すという事で有名なのだ。

 

 

「その事を……わざわざ私に伝えるために呼ばれたので?」

 

 

「ふ。お前は近江国守護で対延暦寺の第一人者だ。知らせておいた方が良いだろう?何ぞ土地関係で事を起こされては叶わぬしな」

 

 

「……それはそれは」

 

 

 俺はじっと直義の方を見つめる。そうし始めて時間が経過する。

 遠くの部屋にいるらしい如意丸が泣き止んだ頃、直義は観念したように首を横に振った。どうやら本当に別の用件があるらしい。

 

 

氏頼(大夫判官)、喜べ……軍務の時間だ」

 

 

「!……敵将の名は?伊勢国の北畠顕能ですか?」

 

 

 昨年(貞和二年)秋より俄かに伊勢国で南朝軍の動きが活発化しているという情報は、我が配下の忍びより入手済みだ。どうやら亡き顕家の次弟である南朝武将・北畠顕能が再び巻き返しを図っているらしい。

 現在の伊勢国守護は勇将の仁木義長(右馬権助)であるため、そこまで不安視する必要はあるまいと思っていたが、看過できないという事か。

 しかし、直義はまたも首を横に振った。別の敵将が居るという。

 

 

「吉野方面の間諜から一報があった。楠木氏に挙兵の兆しありと」

 

 

「楠木……まさか正行(まさつら)が!?」

 

 

 擾乱開始まで残り三年という最中、風雲急を告げる音がする。

 思い出すのは、十年以上前。建武の新政が行われていた日々だ。

 最後に会ったのは何時だろう。湊川合戦の後、尊氏様に連れられて河内国の楠木邸を訪れた時でなかったか。額に汗が滲み出す。

 楠木正行(まさつら)始動。その思わぬ報せが不吉な風を呼び込んでいた。

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