崇永記 作:三寸法師
〜1〜
佐々木惣領として代々の近江国守護の職務を全うする事こそ我が本分であるが、必要とあらば他国の反乱鎮圧に手を貸すものだ。
準備の一環として必要文書の作成に勤しむ矢先、近江国の佐々木六角邸が俄かに騒がしくなる。ただ、家人たちの声色は何やら明るいようだ。その理由は、庭に運び込まれた死体にある。俺が僅かに嘆息するや否や、三弟の
「三郎兄上、ご覧を!とれたてほやほや!熊にござる!」
「よくやった。光綱……その熊は雄か?」
「はい!信楽の山に分け入り、この打刀で仕留め申した!」
「……苦労。約束は約束だ。光綱、お前は狩りにて我が条件を見事果たした。
「御意!」
そこで俺は兄弟で特段若く、文武のバランスのとれた
先々に思いを馳せつつ、俺は自室へ戻る。傍らには、とうの昔に甲賀三郎と名乗って久しい法体の元降兵・望月亜也子が健在だ。
「光綱は今年で齢十三……大乱に備えて合戦の経験を積ませておくのも悪くない。それに、ただの人質目的で京に置くのは惜しいか。本当は母熊を討って欲しかったが、雄熊退治もやはり立派。武芸は俺に及ばずとも、才能は確かだ。戦場経験で一皮剥かせようぞ」
「殿様。そしたら私は──」
「
「……分かった」
久々の出陣と張り切っていた亜也子だったが、こうとなっては呑んでもらうしかない。ミマは形式上、我が側妾だ。京極家からの人質も同然である。
それに
「甲賀三郎、いや。亜也子。出陣の機会はまたある。三年以内に幕府で内乱の火種が暴発しよう。さすれば、近江国守護の俺も配下のお前も、壮絶な合戦の渦に飛び込まざるを得なくなるに違いない。その時のため、たかが小勢力の
「熊……?」
「ああ、熊だ。南朝軍なぞ……言ってしまえば、人里に降りてきた熊も同じよ。政権のため、民草のため、有無を言わず確実に成敗しなければならない。しかし、迷惑は迷惑だ。
観応の擾乱という教科書級のビッグイベントが着実に差し迫っている今、
確かに戦は好きだ。あの血の香りの漂う空間が何とも心地良く、縦横に軍を動かす面白さは、囲碁や将棋にも勝り、武器を持って敵の身体に臨終を告げて回る充実感は、どんな球技より刺激的だ。
しかしながら、出費という懸念事項は
どんな戦でも銭兵糧や人命という浪費を多かれ少なかれ行わざるを得ないのが道理だ。武将とは戦争屋である。戦争屋という事は、元手を払って成果を得なくてはならない。どれだけの元手が必要なのか不透明な
「うん……今は京で刃を研いでおくよ。魅摩の様子に注意を払いながらさ。でもさ、大事を前に殿様が足元を掬われたら嫌だよ?」
「はン。そんなヘマ、誰がしてやるもんか。此度の討伐軍は、数こそ多くないが、細川、赤松、そして我が六角……これらの大名の擁する精鋭から成る混成部隊だ。寡兵で衆兵を破る事を得意とする楠木党にとって、最も戦い難い陣容と言える。まして楠木党は我らの前に紀伊国守護の畠山国清と戦わねばならん。強いぞ?あれは」
後から考えてみても、この時の見立てが然程間違っていたとは思えない。むしろ畠山国清の評に関して、三管領の畠山氏という先世の記憶からの推考を抜きにしても、かなり当たっていた。結論から言えば、畠山国清は……庇番の有望株であった故・斯波家長や上杉憲顕に勝るとも劣らない、関東の王たる資質の持ち主であった。
しかし、俺は致命的なミスを犯していた。よりにもよって幼馴染の敵将・楠木
〜2〜
結局、父母の逝去があっても、
未だ性懲りも無く、尊氏様の御息女を正室に迎える絵図を諦めていないらしい。弟の
本当に将軍御息女が欲しいなら、追討軍総大将であったり河内国や和泉国の守護職であったり、そんな肩書を
とはいえ、佐々木六角党の結束力はこの期に及んで固いままだ。
「三郎兄上、守護以外に参陣の武将についてですが」
「ああ。面白い事に
「兄様。その者の腕前は如何程ですか?」
「ん?定詮、お前以上かもしれんぞ……いや、そんな本気で動揺する事ないだろ。お前の武勇の程は俺が一番よく分かっているぞ」
近江国から京に向けての六角党の行軍に従う最中、私は再びの京生活を喜べずにいた。ただただ、ぼけっと目の前の
当代の佐々木四兄弟とは、
女衆の噂によると巷でそう言われているらしい。本当は
しかし、全く情を覚えるに値しない弟ちゃんも存在する訳で──
「だから案ずるな。定詮、今度の戦も頼りにしておる」
「はい!兄様!……おい、京極女!我ら佐々木兄弟に近過ぎるぞ!妾らしく身の程を弁え、もっと離れて歩け!ですよね、兄様!」
「全くだ。次弟・定詮は我が意をよく汲んでおる」
「〜〜〜!!兄様、そのお言葉。嬉しゅうございます!」
「ッ……!」
惣領次弟の山内
今に見ていろ。私は歯軋りしたくなる感情を抑えて、こう思うばかりだ。何も
「ん?光綱、皆のポー、ごほん。指の構えは何ぞ?」
「エンガチョです……ご存知ありませんでしたか?」
「うむ。自慢ではないが、中指だけの構えしか知ら……ん。親指だけとか小指だけもか……それと親指と中指を同時に立ててだな」
「……本当にご存知ないとは。三郎兄上、お察しを。まず──」
「……いつ迄やんだよ、コイツら」
西国の名門の嫡流……庶子ではない真性の元お坊ちゃんの
一応、目賀田衆のような、身内に京極家の郎党がいる者たちは、構えを控えている。とはいえ、総じて六角党の眼は、鬼気迫る程に厳つい。佐々木惣領に仕える武士としての誇りのせいか、庶流ながらに成長著しい京極家への反感で纏まっているようにも見える。
こうも嘴、というより指を揃えられたら、
危機感のカケラも無いらしい
「しっかし、エンガチョとやら。どこかで見たような気もするぞ」
「兄様、絵詞にあるような……信西法師の生首を想念なさいませ」
一方、当主の
佐々木氏嫡流という西国武将でもきっての貴種として、あたかも下々の風習より教養で説明された方が察しがつくと言いたげだ。
「ああ、アレか?お前ら意外と俗っぽいな……ま、我が一族は別格の存在だ。まして嫡流の六角家はそこらの野次馬に非ず。そのエンガチョとやら、京ではやるなよ?寺社と揉めるのとは訳が違う」
「は、はい……三郎兄上がそう仰るなら」
「……定詮も、右に同じく」
当たり前だが、
自分の配下が公家たちから、絵詞において穢れを避けるべく
現に私の様子を全く気に留めず、
「他の皆も聞いておったな?さあ!いざ京だ!西国の武家らしく、凛々しく参ろうぞ!此度の討伐軍の武将を見渡しても、家柄で俺に並ぶ武将は誰一人として居らぬ!佐々木源氏の威厳を示さん!」
「「「は!」」」
「……はァ」
こんな連中、今に
次の佐々木惣領の母となり、誰も彼もを見返そう。そう決意を固めてから心に余裕ができた。
自信あっての婆娑羅。私はそう己に言い聞かせながら久方ぶりの京に入る。いつの間にやら六角党の行列の後方に移されていた。
〜3〜
九日になって、副将軍の直義から山城国や近江国の武士たちに正式な催促状が送付された。南方の敵兵どもを鎮撫すべしと。総責任者は従四位下の
出陣直前、俺たち討伐軍の武将は、京の将軍邸で拝謁を賜った。
「既に
「うむ。明らかに楠木軍残党の狙いは、昔年の軍神の戦術を踏襲して人心を集める事にある。紀伊国で全面衝突すれば、万が一の際、取り返しがつかぬ程、敵軍は勢いを増すだろう。直義。戦の方略については、お前と師直に任せた。この戦、我の望みはただ一つ」
近頃は命鶴丸をはじめ寵童たちを侍らせ、往々に田楽三昧の尊氏様だが、その神才は全く衰えていない。ものの見事に
軍神と呼ばれた
今度は
「たとえ楠木党がかつての力を取り戻していたとしても、小勢である事には変わりない。彼らに近国を侵略され、洛中の人々がこれを畏れていては、天下人としても武将としても……これ以上なく恥ずかしく思う。急ぎ武将に敵を退治させ、人心の動揺を防ぐのだ」
「どうか御安心を。繰り返しになりますが、幕府でも五本の指に入る名将の
この人選は決して直義の独断によるものではない。守護未満の武将には師直派の代表格の一人の
弱将のレッテルがコンプレックスの直義も、今回ばかりは自信が顔に漲っている。一方、師直は相変わらずの仏頂面だ。道誉もいつも通り、顔面をドス黒く染め上げている。直義派と師直派の諍いも今はまだ、尊氏様の面前で大っぴらにする事ではないのだろう。
場は解散となり、尊氏様や直義・師直の二人は退室した。その姿が見えなくなるまで待ってから、武将たちが各々離席する。途中、俺は道誉に声を掛けられた。上洛直後に挨拶されて以来である。
「宗家。此度の討伐軍の陣容、如何思われますか?」
「……概ね妥当かと。それが何か?」
「いえ……てっきり副将扱いに不服かと思いましたもので」
瞬間、俺の双眸が険しくなる。急所を鋭く突いてくれたものだ。
移動しようとしていた周囲の武将たちの注意が集まっているのを感じる。弟の
近江国守護の俺が、他国の戦で従四位下の守護大名の指揮下に入る事に異を唱えるつもりない。妥当だからだ……理屈の上では。
「そんな事はござらぬが……道誉殿。俺が不服に思うと事前に考えておられたのであれば、どうして幕府の詮議の場で懸念を申しておかなかったのか。よもや何かしらの魂胆あってのお振舞いか?」
「まさか……拙僧は、尊氏様の烏帽子子としての宗家の誇りを重々承っております。ですが、加冠で賜りし御約束に拘りなさるなら、
「道誉殿。公私混同は本意ではない。不愉快だ。失礼する」
俺は道誉に釘を刺す。戦を前に私事を持ち出し、御公儀を混乱させるべきではないと。庶流の武将が惣領の意思に口を挟むなと。
前に六角邸で挨拶された時、
実に身の程知らずだ。そもそも
俺は憤慨し、あからさまにご機嫌斜めでバッと直垂を着崩した。
「おや、六角殿。暑くないのかと思っていたが、流石に……え゛」
「
空気を悪くしたくないと思ったのか、摂津国守護の
しかし、
「六角殿……その鎧は一体……?公私混同にも程が……」
「ああ、これは元服の折、尊氏様から賜った──」
「「それを着て戦場に行くなァ!」」
不審な
振り返ってみると、尊氏様に従って移動した筈の両派閥の長たちが激しく息をしながら睨みを効かせていた。この十年は常日頃机仕事の