崇永記 作:三寸法師
〜1〜
対する楠木軍は既に住吉や天王寺方面へ斥候を繰り出し、在地の建物に放火して回っている。
出陣直前の直義や師直による、近年稀に見る息ぴったりのお叱りは解せないが、尊氏様の御姿を思い出すだけでやる気が湧いた。
しかし、蓋を開けてみると幕府軍はのんびり街道を下っている。
「注進なり!各々、道中ゆるりと旅を楽しまれよとの事!」
「……尋ねておくが、それは
「如何にも!六角様、他の軍にも触れを出す故、これにて失礼!」
「承った……どうなっているのだ?」
伝令を見送り、俺は怪訝な顔をして二人の弟、定詮や光綱と首を傾げ合う。今回の戦では本拠地に兄弟の次男である
いざとなれば、我が乳兄弟の青地重頼の他、粟生田小太郎に楢崎太郎左衛門といった、幼馴染たちの力を用いる事になるだろう。
勿論、目賀田
「兄様、旅とは……悠長にも限度がありませぬか?
「私も五郎兄上と同意見です。今もまだ現地の民百姓は楠木軍との戦渦に怯えている筈。確かに急いては何とやらとも申しますが」
「二人の意見も一理ある……ま、
そうこうする間にも
そう考えると慎重な行軍も悪くない。過剰に敵を恐れるのも良くないが、その分だけ俺が強気に出てバランスを取れば良い。今は総大将の
「兄様……それならいっそ兄様が代わりに河内国や和泉国の守護を兼ねて総大将に就けば良かったものを。正直、口惜しくござる」
「……定詮」
「三郎兄上。私からも良いでしょうか?
「滅多な事を言うでない……あながち的外れとも言い難いがな」
およそ一ヶ月前に直義から内々に伝えられた事を思い出す。確かに直義も懸念していた。
しかも、その時の楠木残党は、新当主の
『はっきり言って、
『はて、何とも……ただ、北条時行や祢津弧次郎と比ぶれば──』
『ほう』
『彼らより、漏れ出る才気を不気味に思っていたのも事実です』
今にして思えば、軍神の楠木正成は湊川の戦いで死地に足を踏み入れるまで、抜群の武勇を我ら源氏に隠していたきらいがある。
しかし、息子の
戯れに模擬戦をした時もセンスが滲み出ていたし、言葉の端々から感じられる知性もまた、虎の子は虎と思わせるキレがあった。
『ただ、時行や弧次郎は今でこそ見る影もない様子ですが、幼年から戦場へ出ました。一方、
『確かに……
『……副将軍。次の戦、
実質的な初陣で何から何まで意のままに動かせる武将はそう多くないだろう。俺とて六波羅滅亡の裏で躍動した時は道誉たちの力を借りたし、小夜中山では軍監の
俺はあれから年季を重ねた。然して
世代が同じでも、キャリアの積み方次第で実力は大きく変わる。
これ自体は、二十一世紀と何ら変わりのない道理である筈だ。
「定詮、光綱。今の内に心して聞け」
「「は」」
「第一、
「では、兄様。第三の場合は──」
「主導権を握る
「まさしく……幾ら正行軍の規模が小さいとはいえ、そうなると極めて厄介だ。今時分の出費は出来るだけ避けたいのに、北畠顕家の比ではないかもしれない敵と戦い、勝ちを収める必要が生じる」
副将軍の直義が警戒していたシナリオはこれだ。
聞けば直義も迷ったらしい。従軍の守護大名を増やし過ぎても事が大きくなり過ぎる以上、この二名の内のどちらを起用すべきか。結局、
「いざとなれば、
「相変わらずにございますな、三郎兄上」
「兄様!
「決まった訳ではないが……心積もりはしておいてくれ。
「「御意!」」
出陣準備の際は正直、あまり気が乗らなかったが、戦場が近付くにつれて、徐々に我が心身で煮え滾るような感覚が湧いてくる。
まるで在るべき場所に戻ってきたような心地だ。中世に生まれたからには戦場で徒花を咲かせたい。これもまた偽らざる本音だ。
今は戦費の事は置いておこう。弟たちと共に正行を討ち、佐々木六角氏は健在なりと今再び世に示そう。誇らしい気持ちを持って、俺たち兄弟は他家の部隊と同じく、摂河泉に向けて馬を進めた。
〜2〜
後の軍記物語『太平記』では、足利幕府の
あまり悠長な行軍は、それはそれで将兵を不安にさせる。実際のところ、俺たち討伐軍は瞬く間に戦禍に身を投じる事となった。
「ああ!こんな事なら
「まぁまぁ、六角殿。今更それを言っても始まりますまい」
「左様左様。ここは我ら赤松兄弟にお任せを。さぁさ、兄上」
「応よ、貞範……赤松軍、突撃ィ!」
「「ウオオオオ!」」
天王寺に到着して早々、俺たちは敵と交戦した。八月二十二日、幕府軍が堺浦に睨みを効かせた途端、南朝軍が退いた。どうやら敵は
拠点に戻っていた討伐軍本隊は息を呑む。別働隊が敗れたのだ。
「報告!池尻にて、畠山様たちが敗退の由!」
「ッ!?
「……
「承った……状況は予断を許さぬ。
「前の戦場の隅田城は、紀伊国と南朝首都・吉野の間を制するための重要拠点。今度の池尻は、楠木氏の本拠地の東条から摂津国の平野やこの天王寺に進出するために欠かせぬ地。これらの進軍経路を見まするに、楠木正行……かなりの才をお持ちと見えますなァ」
どうやら敵は本気らしい。一週間前の十七日、
正行の鮮やかな手は案の定、父・正成の全盛期を思い起こさせるものだ。これ以上好きにさせておけば、南朝復興の機運が全国で醸成されかねない。討伐軍の武将の誰もがその事を認識している。
本陣の空気は重い。俺はタイミングを測って重厚に口を開いた。
「氏頼が考えますに……
「ブヒヒヒ……そうであるぞ、六角殿。今となっては昔の事だが、この細川
「「豚カツ?」」
「あ、いや……何でもござらぬぞ。ブヒヒヒヒ」
赤松兄弟のオウム返しに、
どうにも締まらないが、敵を畏怖して何も出来ないより余程マシだろう。思えば尊氏様はこれを嫌っていたのだ。幕府の文武百官が軍神の御子として楠木
ここに来て
幸か不幸か、次第に戦局は膠着し、そのまま月を跨ぐに至った。
〜3〜
両軍の動きが落ち着くにつれ、段々とセンチメタルな気分になってくる。
「三郎兄上、もう九月です。このままでは……御懸念の戦費が」
「……そうだな、幕府の内紛を前に出費は極力避けるべきだ」
「五郎兄上より聞きました。此度の戦費、これから暫く聖供米*2を滞納して賄うそうで。三郎兄上や五郎兄上の考えそうな事です」
「……不服か?後継代理として」
「いえ、全て三郎兄上の御聖断を仰ぐまでです」
歳の離れた兄弟という不仲になりにくい間柄でも、相続の話となると多少は気まずくなるものだ。だが、
誠意を持って、心の底から拘りなどは無いと訴えているようだ。
「光綱、聞いたか?幕府、というより
「確か……九年前の顕家襲来時もやる事になったという」
「そうだ。ま、あの時は北畠顕家が戦死したため、結局未実施で終わっていたようだが……今回は違う。俺たち現場の武将が命懸けで戦っても、手柄の一部を延暦寺の腐れ坊主に横取りされようぞ」
「……分かっております。比叡山延暦寺は我ら一族の仇敵です」
「ああ。忘れるな、比叡山延暦寺が以前は頻りに南朝方と協調していた事を。折角、南朝軍との戦を制して、幕府はアイツらの弱みを握ったのだ……二度と山法師どもにデカい顔をさせてはならん」
池尻における味方の敗戦で、楠木
しかし、長期化すればする程、幕府や持明院統は寺社に祈祷を依頼する。その分だけ、寺社は勝利の際に祈祷のための恩賞を主張するようになり、結果として武士の取り分が少なくなってしまう。
寺社の祈祷で士気が高まるという論は、果たして正しいものか。
尊氏様なら有り難みは絶大だが、山徒たちは心底消えて欲しい。
「そういえば……三郎兄上。援軍の話はどうなったのですか?」
「ああ、それか。それも問題だな。
「あの将軍猶子が……?誠にございますか?」
「さぁな。本来なら九州の懐良親王軍の対策に起用するべき筈さ。だが、風の噂では……恐らく俺の尻を叩く意味もあるのだろう」
「……三郎兄上、失礼ながらあまり妬み心を持たれては」
「分かっておるわ。全く、尊氏様の娘婿になっておきさえすれば、大友なんぞ気にせずに済むものを。チッ、口惜しくて仕方ない」
来年で元服してから十年になる。未だに尊氏様の御息女をという話は現実にならない。六角氏の将来のため是非に迎えたいのだが、如何せん皇室への輿入れが優先だ。流石に納得せざるを得ない。
あわよくば、と非現実を認める心が却って
「三郎兄上。京極女は兎も角、他の女子に目を掛けてやっても……望月殿は私の代わりに、出陣を控える運びになったと伺いました」
「……やだ。我が家に
「……承知しました。であれば、
「ん。それと、望月は扱いの上では出家した男だから宜しく」
「またその理屈ですか……いえ、何でもございませぬ」
「……光綱」
あるいは
非戦状態になると雑事に煩わされる機会がどうしても多くなる。
早く膠着が終わらないものだろうか。そう思った矢先だった。
「申し上げます!敵軍が八尾城に攻め掛かろうとしていると!」
「ッ!……光綱、間違いない。心せよ、戦局が動くぞ」
「は!」
「疾くと準備しなければ。俺は
九月九日、楠木軍の武将の和田助氏なる者が八尾城を攻撃した。
俺は再び奮い立つ。
新政時代の京をほんの一瞬思い出す。直ぐ様、首を横に振った。
これも乱世の倣いにつき、幼馴染であろうと敵になるなら容赦はしない。