崇永記   作:三寸法師

159 / 202
◆2

〜1〜

 

 

 貞和三年(西暦1347年)八月中旬、紀伊国で旗揚げの楠木正行(まさつら)を成敗するため、幕府(足利政権)豚カツ(細川顕氏)を総大将に据え、守護大名の連合軍を下向させた。

 対する楠木軍は既に住吉や天王寺方面へ斥候を繰り出し、在地の建物に放火して回っている。(ただ)のこけ脅しだろうが、俺たち幕府軍が来たからには見過ごせない。尊氏様の思し召しがあるからだ。

 出陣直前の直義や師直による、近年稀に見る息ぴったりのお叱りは解せないが、尊氏様の御姿を思い出すだけでやる気が湧いた。

 しかし、蓋を開けてみると幕府軍はのんびり街道を下っている。

 

 

「注進なり!各々、道中ゆるりと旅を楽しまれよとの事!」

 

 

「……尋ねておくが、それは顕氏(細川陸奥守)殿ご本人の意思であるか?」

 

 

「如何にも!六角様、他の軍にも触れを出す故、これにて失礼!」

 

 

「承った……どうなっているのだ?

 

 

 伝令を見送り、俺は怪訝な顔をして二人の弟、定詮や光綱と首を傾げ合う。今回の戦では本拠地に兄弟の次男である直綱(六角四郎)や、守護代の馬淵義綱を留守居役として残したため、主にこの二人が俺の傍らで支える……というより、経験の浅い二人に学ばせるのである。

 いざとなれば、我が乳兄弟の青地重頼の他、粟生田小太郎に楢崎太郎左衛門といった、幼馴染たちの力を用いる事になるだろう。

 勿論、目賀田信良(弾正忠)をはじめ譜代の武将たちも、ごく一部の選ばれた者のみ従っている。今回の六角軍は、幕府首脳陣の方針を受け、数は僅か千騎にも満たないが、いつも以上に一人一人が精鋭だ。

 

 

「兄様、旅とは……悠長にも限度がありませぬか?顕氏(陸奥守)殿は」

 

 

「私も五郎兄上と同意見です。今もまだ現地の民百姓は楠木軍との戦渦に怯えている筈。確かに急いては何とやらとも申しますが」

 

 

「二人の意見も一理ある……ま、顕氏(細川陸奥守)殿は思いの外、慎重になっておられるのやもしれんな。石橋を叩いて渡りつつ、徒らに臆病風と罵られぬよう言い換えたのだろう。ある意味、総大将の意地だ」

 

 

 そうこうする間にも豚カツ(細川顕氏)は斥候を現地に派遣し、紀伊国守護の畠山国清とも連絡を取り合って、(楠木)軍の全容を掴もうとしているに違いない。逆にこれは吉兆と言えようか。九年前の前哨戦で豚カツ(細川顕氏)は北畠顕家を侮り、足元を掬われた。この教訓を活かしたのだ。

 そう考えると慎重な行軍も悪くない。過剰に敵を恐れるのも良くないが、その分だけ俺が強気に出てバランスを取れば良い。今は総大将の豚カツ(細川顕氏)の顔を立ててやろう。俺は弟二人にそう説明した。

 

 

「兄様……それならいっそ兄様が代わりに河内国や和泉国の守護を兼ねて総大将に就けば良かったものを。正直、口惜しくござる」

 

 

「……定詮」

 

 

「三郎兄上。私からも良いでしょうか?陸奥守(細川顕氏)殿は以前、楠木残党との戦で敗北を喫していた筈です。それ故、直義様は此度、摂津国守護の範資(赤松信濃守)殿や近江国守護の兄上を副将に添えた。いざという時、外様の我々に譜代大名の尻拭いをさせる気ではないでしょうか?」

 

 

「滅多な事を言うでない……あながち的外れとも言い難いがな」

 

 

 およそ一ヶ月前に直義から内々に伝えられた事を思い出す。確かに直義も懸念していた。豚カツ(細川顕氏)が前に楠木残党に敗れた過去を。

 しかも、その時の楠木残党は、新当主の正行(まさつら)を欠いていたのだ。

 

 

『はっきり言って、正行(まさつら)にどれだけの力があるか不明だ。伝え聞くところによれば、南朝首脳陣は甚く正行に期待しているようだが、韓信・諸葛亮になるか、趙括・馬謖になるか……こればかりは実戦で蓋を開けてみるしかない。元より正行(まさつら)と私では、直の面識は皆無に等しい。氏頼(大夫判官)、お前は正行(まさつら)の幼馴染だったか。どう評する?』

 

 

『はて、何とも……ただ、北条時行や祢津弧次郎と比ぶれば──』

 

 

『ほう』

 

 

『彼らより、漏れ出る才気を不気味に思っていたのも事実です』

 

 

 今にして思えば、軍神の楠木正成は湊川の戦いで死地に足を踏み入れるまで、抜群の武勇を我ら源氏に隠していたきらいがある。

 しかし、息子の正行(まさつら)も同じだったかといえば案外そうでもない。

 戯れに模擬戦をした時もセンスが滲み出ていたし、言葉の端々から感じられる知性もまた、虎の子は虎と思わせるキレがあった。

 

 

『ただ、時行や弧次郎は今でこそ見る影もない様子ですが、幼年から戦場へ出ました。一方、正行(まさつら)は才気を感じさせながら、正成の時も顕家の時も戦場に現れず、今になるまで……吉野の先帝(後醍醐天皇)崩御直後の参内の報を除いて、殆ど名前を聞きませなんだ。英雄・豪傑の才があるのであれば、ここまで静観していた理由が分かりません』

 

 

『確かに……正行(まさつら)は桜井宿にて父親との別れ際、大人になるまで決して参戦する(なか)れと厳しく言い含められていたそうだ。とはいえ、正行(まさつら)はお前と同世代……父の言があるにせよ、五年以上早くから戦場に身を投じても良かった筈だ。血気盛んの噂もある事だしな』

 

 

『……副将軍。次の戦、正行(まさつら)はどこまで軍を動かしましょうか』

 

 

 実質的な初陣で何から何まで意のままに動かせる武将はそう多くないだろう。俺とて六波羅滅亡の裏で躍動した時は道誉たちの力を借りたし、小夜中山では軍監の孫二郎(斯波家長)にあれこれ助言を受けた。

 俺はあれから年季を重ねた。然して正行(まさつら)は一体どうであろうか。

 世代が同じでも、キャリアの積み方次第で実力は大きく変わる。

 これ自体は、二十一世紀と何ら変わりのない道理である筈だ。

 

 

「定詮、光綱。今の内に心して聞け」

 

 

「「は」」

 

 

「第一、正行(まさつら)以外の残党が今も楠木軍で主導権を握っている場合。これは顕氏(細川陸奥守)殿が範資(赤松信濃守)殿の補佐を得て、十分に対処可能だ。心配は要らないだろう。第二、正行が実権を得るも、その才が大して花開いていなかった場合。これも第一の場合と同じく、全く問題ない」

 

 

「では、兄様。第三の場合は──」

 

 

「主導権を握る正行(まさつら)に……大した才能、それも亡き父・正成を彷彿させる──軍神と呼ぶに足る才能があった場合、でしょうか?」

 

 

「まさしく……幾ら正行軍の規模が小さいとはいえ、そうなると極めて厄介だ。今時分の出費は出来るだけ避けたいのに、北畠顕家の比ではないかもしれない敵と戦い、勝ちを収める必要が生じる」

 

 

 副将軍の直義が警戒していたシナリオはこれだ。正行(まさつら)が生前の(楠木)(正成)にも劣らぬ軍神の才を有していた場合、幾ら細川顕氏(陸奥守)や赤松範資(信濃守)が歴戦の名将でも、対抗するのは些か厳しい。近頃は流石に御歳の赤松円心(範資の父)か、多くの仕事を抱える将軍執事の高師直でもなければ、誰が正行(まさつら)を止められよう。勿論、将軍の尊氏様に御自らお出ましになるには早過ぎる。となれば、山名時氏*1かこの佐々木氏頼か。

 聞けば直義も迷ったらしい。従軍の守護大名を増やし過ぎても事が大きくなり過ぎる以上、この二名の内のどちらを起用すべきか。結局、正行(まさつら)の幼馴染という事で俺に白羽の矢が当たった訳だが。

 

 

「いざとなれば、範資(赤松信濃守)殿を天王寺に、顕氏(細川陸奥守)殿を天王寺か、別の場所にお逃しした上で、正行(まさつら)の力量の限界を見極めるのが我が役目だ。だが……それだけでは面白くないのもまた然り。な?二人とも」

 

 

「相変わらずにございますな、三郎兄上」

 

 

「兄様!定詮(山内五郎)は何処へなりともお供します!正行(まさつら)が軍神の才を秘めているのならば、好都合!兄様の格好の合戦相手です!軍神対武神の名勝負!後世まで語り継がれる事、請け負いにございます!」

 

 

「決まった訳ではないが……心積もりはしておいてくれ。顕氏(陸奥守)殿は名将中の名将だが、決して無敗に非ず。火急の際は俺が自前の精鋭のみ率いて離脱して、正行(まさつら)と再戦する!幼馴染の(えにし)に清算を!」

 

 

「「御意!」」

 

 

 出陣準備の際は正直、あまり気が乗らなかったが、戦場が近付くにつれて、徐々に我が心身で煮え滾るような感覚が湧いてくる。

 まるで在るべき場所に戻ってきたような心地だ。中世に生まれたからには戦場で徒花を咲かせたい。これもまた偽らざる本音だ。

 今は戦費の事は置いておこう。弟たちと共に正行を討ち、佐々木六角氏は健在なりと今再び世に示そう。誇らしい気持ちを持って、俺たち兄弟は他家の部隊と同じく、摂河泉に向けて馬を進めた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 後の軍記物語『太平記』では、足利幕府の正行(まさつら)討伐軍が、思い思いの旅路──丁度出陣翌日が中秋の名月であったため、難波堀江の秋の歌を詠んだだとか、天川の岸において一人で石を枕に、あるいは渚院付近の森で草を枕に寝る者が居ただとか──要は呑気極まりない行軍をしていた事を赤裸々に記す。しかし、これは貞和三年(西暦1347年)を生きる当事者である俺たちにとって、知った事のない話である。

 あまり悠長な行軍は、それはそれで将兵を不安にさせる。実際のところ、俺たち討伐軍は瞬く間に戦禍に身を投じる事となった。

 

 

「ああ!こんな事なら()()く進軍しておけば!」

 

 

「まぁまぁ、六角殿。今更それを言っても始まりますまい」

 

 

「左様左様。ここは我ら赤松兄弟にお任せを。さぁさ、兄上」

 

 

「応よ、貞範……赤松軍、突撃ィ!」

 

 

「「ウオオオオ!」」

 

 

 天王寺に到着して早々、俺たちは敵と交戦した。八月二十二日、幕府軍が堺浦に睨みを効かせた途端、南朝軍が退いた。どうやら敵は正行(まさつら)軍だけではないらしい。熊野水軍も南朝方であるようだ。

 翌々日(八月二十四日)、今度はその正行(まさつら)が河内国池尻に現れた。二週間前に正行(まさつら)軍は紀伊国の要衝・隅田城を落としている。狙いは実に的確だ。

 拠点に戻っていた討伐軍本隊は息を呑む。別働隊が敗れたのだ。

 

 

「報告!池尻にて、畠山様たちが敗退の由!」

 

 

「ッ!?正行(まさつら)が、畠山軍を破った……?後の三管領が負けたのか

 

 

「……陸奥守(細川顕氏)殿。これは」

 

 

「承った……状況は予断を許さぬ。信濃守(赤松範資)殿の御見解や如何に?」

 

 

「前の戦場の隅田城は、紀伊国と南朝首都・吉野の間を制するための重要拠点。今度の池尻は、楠木氏の本拠地の東条から摂津国の平野やこの天王寺に進出するために欠かせぬ地。これらの進軍経路を見まするに、楠木正行……かなりの才をお持ちと見えますなァ」

 

 

 どうやら敵は本気らしい。一週間前の十七日、南朝(吉野政権)は不遜にも京の尊氏様をはじめ足利幕府を制するよう、正行(まさつら)に命じたという。

 正行の鮮やかな手は案の定、父・正成の全盛期を思い起こさせるものだ。これ以上好きにさせておけば、南朝復興の機運が全国で醸成されかねない。討伐軍の武将の誰もがその事を認識している。

 本陣の空気は重い。俺はタイミングを測って重厚に口を開いた。

 

 

「氏頼が考えますに……阿波守(畠山国清)殿が敗れた。この事実だけでも我らは重く受け止めなければなりません。思うに正行(まさつら)の軍勢、数こそ少ないながら、全体の力はかつての顕家軍に比するやも。故に畠山軍が足を掬われた。顕氏(細川陸奥守)殿、ここは腕の見せ所かと存じまするぞ」

 

 

「ブヒヒヒ……そうであるぞ、六角殿。今となっては昔の事だが、この細川顕氏(陸奥守)は顕家討伐の殊勲者ぞ。正行(まさつら)が強敵ならば相手にとって不足なし。それでこそ、この豚カツの鼻が鳴るというものよ」

 

 

「「豚カツ?」」

 

 

「あ、いや……何でもござらぬぞ。ブヒヒヒヒ」

 

 

 赤松兄弟のオウム返しに、豚カツ(細川顕氏)は誤魔化すように高笑いした。

 どうにも締まらないが、敵を畏怖して何も出来ないより余程マシだろう。思えば尊氏様はこれを嫌っていたのだ。幕府の文武百官が軍神の御子として楠木正行(まさつら)を恐れ、(南朝)軍の勢いを助長する事を。

 ここに来て豚カツ(細川顕氏)の武名が頼もしい。そのお陰で、幕府軍は士気が下がらずに済んでいる。戦において非常に重要な要素である。

 幸か不幸か、次第に戦局は膠着し、そのまま月を跨ぐに至った。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 両軍の動きが落ち着くにつれ、段々とセンチメタルな気分になってくる。()()()()()というワードがふとした拍子に頭に浮かぶ。

 正行(まさつら)め、余計な事をしてくれおって。これが今の率直な思いだ。

 

 

「三郎兄上、もう九月です。このままでは……御懸念の戦費が」

 

 

「……そうだな、幕府の内紛を前に出費は極力避けるべきだ」

 

 

「五郎兄上より聞きました。此度の戦費、これから暫く聖供米*2を滞納して賄うそうで。三郎兄上や五郎兄上の考えそうな事です」

 

 

「……不服か?後継代理として」

 

 

「いえ、全て三郎兄上の御聖断を仰ぐまでです」

 

 

 歳の離れた兄弟という不仲になりにくい間柄でも、相続の話となると多少は気まずくなるものだ。だが、光綱(六郎)はさっぱりと言う。

 誠意を持って、心の底から拘りなどは無いと訴えているようだ。

 

 

「光綱、聞いたか?幕府、というより副将軍(御舎弟殿)の要請を受け、天台座主の尊胤法(梶井二品)親王が、密教の大法・七薬師法を修しているそうだ」

 

 

「確か……九年前の顕家襲来時もやる事になったという」

 

 

「そうだ。ま、あの時は北畠顕家が戦死したため、結局未実施で終わっていたようだが……今回は違う。俺たち現場の武将が命懸けで戦っても、手柄の一部を延暦寺の腐れ坊主に横取りされようぞ」

 

 

「……分かっております。比叡山延暦寺は我ら一族の仇敵です」

 

 

「ああ。忘れるな、比叡山延暦寺が以前は頻りに南朝方と協調していた事を。折角、南朝軍との戦を制して、幕府はアイツらの弱みを握ったのだ……二度と山法師どもにデカい顔をさせてはならん」

 

 

 池尻における味方の敗戦で、楠木正行(まさつら)軍が強敵であるとはっきりしている以上、慎重に戦を進めなければならないのは明らかだ。

 しかし、長期化すればする程、幕府や持明院統は寺社に祈祷を依頼する。その分だけ、寺社は勝利の際に祈祷のための恩賞を主張するようになり、結果として武士の取り分が少なくなってしまう。

 寺社の祈祷で士気が高まるという論は、果たして正しいものか。

 尊氏様なら有り難みは絶大だが、山徒たちは心底消えて欲しい。

 

 

「そういえば……三郎兄上。援軍の話はどうなったのですか?」

 

 

「ああ、それか。それも問題だな。顕氏(細川陸奥守)殿は着陣早々、当初の見込みと異なるやもと考え、京に増援を依頼していたそうだ。だがな、光綱。誰が来ると思う?大友氏泰(式部丞)、九州の侍王子が来るらしい」

 

 

「あの将軍猶子が……?誠にございますか?」

 

 

「さぁな。本来なら九州の懐良親王軍の対策に起用するべき筈さ。だが、風の噂では……恐らく俺の尻を叩く意味もあるのだろう」

 

 

「……三郎兄上、失礼ながらあまり妬み心を持たれては」

 

 

「分かっておるわ。全く、尊氏様の娘婿になっておきさえすれば、大友なんぞ気にせずに済むものを。チッ、口惜しくて仕方ない」

 

 

 来年で元服してから十年になる。未だに尊氏様の御息女をという話は現実にならない。六角氏の将来のため是非に迎えたいのだが、如何せん皇室への輿入れが優先だ。流石に納得せざるを得ない。

 あわよくば、と非現実を認める心が却って()()()()のだろうか。

 

 

「三郎兄上。京極女は兎も角、他の女子に目を掛けてやっても……望月殿は私の代わりに、出陣を控える運びになったと伺いました」

 

 

「……やだ。我が家に()()()()を出現させたくない」

 

 

「……承知しました。であれば、光綱(六郎)は何も申しません」

 

 

「ん。それと、望月は扱いの上では出家した男だから宜しく」

 

 

「またその理屈ですか……いえ、何でもございませぬ」

 

 

「……光綱」

 

 

 あるいは()()()()()()()光綱(佐々木六郎)は暗に言いたいのだろうか。

 非戦状態になると雑事に煩わされる機会がどうしても多くなる。

 早く膠着が終わらないものだろうか。そう思った矢先だった。

 

 

「申し上げます!敵軍が八尾城に攻め掛かろうとしていると!」

 

 

「ッ!……光綱、間違いない。心せよ、戦局が動くぞ」

 

 

「は!」

 

 

「疾くと準備しなければ。俺は顕氏(陸奥守)殿の元へ行ってくる!」

 

 

 九月九日、楠木軍の武将の和田助氏なる者が八尾城を攻撃した。

 俺は再び奮い立つ。正行(まさつら)と戦場で会うまで幾許もないだろう。

 新政時代の京をほんの一瞬思い出す。直ぐ様、首を横に振った。

 これも乱世の倣いにつき、幼馴染であろうと敵になるなら容赦はしない。将軍(尊氏様)のお望みを叶えるため、一刻も早く討ち果たすのみ。

*1
擾乱以降のキーマン。当時から既に四ヶ国の守護を兼ね、室町幕府でも屈指の武将であった。

*2
比叡山延暦寺に納めるべきと定められた米のこと。佐々木六角氏頼は、貞和三年(西暦1347年)以降より幾年もの間、聖供米の支払いを怠ったという。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。