〜1〜
貞和三年九月の半ばに差し掛かり、室町幕府軍と正行ら楠木軍の合戦は、新たなステージへ移行しようとしている。先日、秋山彦六という地元武将の籠もる八尾城に、楠木党の和田助氏が攻め掛かった事で、幕府軍総大将・細川顕氏が新たに作戦を提案したのだ。
近江国守護の俺や摂津国守護の範資がその案に同意し、楠木軍に更なる動きがあり次第、罠に嵌めて勝つべし。こう決めたまでは良かった筈だ。だが、大将格のみが集った軍議を終え、自陣に戻って間も無く、俺は郎党たちのざっくばらんな話し声に眉を顰めた。
「いや、実に見事な策なり……細川顕氏、正月二十七日の戦の後、義貞を討ち取ったという話が出鱈目だったと知った時は、とんだ傍迷惑な足利武将と思ったが、どうやら当時とは一味違うらしい」
「そのようだ。名将という世間の評価、西阿討伐の時には疑ったものだが、石津の戦の殊勲者の片割れというだけの事はある。正行の考えを読み、敵本軍が和田隊を救わむと出撃した隙に、逆にもぬけの殻の楠木氏本拠地を狙い、一気に趨勢を決しようとするとは」
彼らの言葉に偽りはない。此度の豚カツ案は、八尾城攻撃の和田助氏の存在を逆手に取ろうというところが肝要だ。城の麓で寄せ手が崩壊寸前だと喧伝し、敵の援軍を誘い出そうというのである。
これまでの戦から薄々、幼少期の袖の振り合いからも感じ取っていたが、正行の気性は中々どうして激しい。豚カツも長年の河内国や和泉国の守護として、当然のように情報を掴んでいたようだ。
旧来の郎党が窮地にあり、足利軍によって捕えられれば、磔刑に処されるやもと知ったが最後、正行は必ずや出撃してくる。室町幕府の主力武将としても、正行の幼馴染としても、大いに賛同できる考えだ。先程の軍議では豚カツの名将ぶりに感心さえしていた。
しかし、俺は現在、冷や水を浴びせられたような思いであった。
「ちと待て。粟生田、楢崎」
「「え?」」
「何故、お前たちまで顕氏殿の策を知っておる?」
粟生田小太郎や楢崎太郎左衛門とは、幼馴染の主従として仲を深めていたが、今回の戦では弟たちを優先した手前、然して作戦について話していない。今はただ待機命令を下すつもりだったのだ。
それがどうした事か。話が漏れている。次弟の定詮は全体の軍議に出席するも、陣に帰るも、俺と一緒だったので、先に将兵に話を漏らす芸当ができる筈もない。俺は不審に思って表情を歪めた。
顔を見合わせ、戸惑う二人の様子が、我が疑念に油を注いだ。
マズいと思ったのか、後継代理の光綱がここで口を挟んで来る。
「三郎兄上……何もそこまで御怒りにならずとも」
「光綱よ……よく覚えておけ。どんな堤も、得てして蟻の穴から崩れてしまうものだ。まして軍中における情報漏洩は、どんな些細な事でも見逃すべきではない。話が敵の間者にも漏れてみろ。下手すりゃ策を逆手に取られて、軍全体で仲良くあの世に直行だぞ?」
「は……その、三郎兄上。決して口答えする意図はないのですが」
「……聞こう」
何やら光綱は話を聞いて、ただならない様子である。粟生田や楢崎をはじめ、居合わせている郎党たちも血相に変化が見られる。
軍議の前後ずっと同行していた定詮だけが、俺と同様に皆の異変の訳が分からず、戸惑っている。おおよそ尋常ならざる事態だ。
「落ち着いてお聞きを。作戦は既に軍全体に広まっているかと」
「ッ……何だと?」
「兄上たちがお帰りになる前、顕氏殿の配下が作戦について大々的に触れを出しておりました。三郎兄上もご承知の事とばかり思っておりましたが……その御様子では恐れながら──三郎兄上!?」
居ても立っても居られなくなり、俺は自軍の陣営を飛び出した。
弟の言葉を最後まで聞く必要はない。俺は、というより赤松兄弟を含め、俺たちは嵌められたのだ。あの業突く張りの豚カツに。
「何だ?風か?……いや。この仄かな香料の匂いは、六角殿?」
「如何されたのだ?ああも落ち着きを欠かれるとは」
「六角様の御気性……やはり童の頃のままでいらっしゃるか」
先程まで軍議が行われていた本営に向かって、一直線に走る。
途中、他軍の武将たちの声が微かに耳に入ったが、所詮は雑音でしかない。今はとてもそれどころではなく、俺は鎧姿で走った。
途中、二つの影にぶつかりそうになり、咄嗟に反応して避けた。
「ッ!?」
「うお!?危ない危ない……」
「おや、氏頼殿。慌てておられる御様子だ」
「範資殿、貞範殿……御免!」
一瞬、赤松兄弟を誘って、総大将の豚カツに抗議しようかという考えが浮かぶも、直ぐに頭から取り去った。二人は歴戦の勇将として名高く、彼らの父・円心は天下の戦上手だ。とはいえ、俺の切羽詰まった疾走を見ても、こんな呑気な反応をするのなら、どうして当てにできようか。始めから説明してやる時間も惜しく思える。
だが、走り去ろうとした瞬間、阿吽の呼吸で両の肩を掴まれた。
〜2〜
急ぎの今、俺は折悪く両肩を赤松兄弟にガッチリ掴まれている。
範資にせよ貞範にせよ、歴戦の勇将だ。幾ら齢二十二にして武勇で幕府軍屈指の俺でも、半端に加減できるような相手ではない。
味方の将同士で傷害沙汰を起こしたくない。俺は堪らず叫んだ。
「御二方、急いでいるのです!無理やり解かせる気ですか?」
「おお、怖い。今や土岐殿に勝るとも劣らぬ武者となられし貴殿に強引に力を込められれば、戦を前に我ら兄弟の手が千切れよう」
「安心されよ、氏頼殿。兄者も拙者も……御懸念の事情はもう承知している。時信殿の後継ぎの氏頼殿より一足早かった訳だがな」
「であれば……何故そのように悠長にしておられるのです!?」
気勢を挫かれ、俺は半ば八つ当たりで二人に食ってかかった。
名将・赤松円心の息子たちなれば、今回の事案が如何に致命的な結果を招き得るか、よく分かっているだろう。軍全体が害を受けかねない。敵は先月二十四日、河尻で我らの別働隊を負かした楠木正行なのだ。どんなに低く見積もっても、昔年の新田四天王や顕家配下の三武将を凌駕し得る程の力があると考えるべき強敵である。
「氏頼殿……脇屋討伐以来の戦で、少々焦っておられるか?」
「心外なり!焦りなぞ……」
「兄者にこう申されるのも仕方ない事ですぞ?氏頼殿。同じ外様大名の誼で申しましょう。あまり公然と足利一門の武将と揉めるべきではない。特に相手が従四位下の顕氏殿なれば、尚更であろう」
「ッ!」
頭に血が昇って失念していた処世の心得が、スッと染み込む。
既に幕府では、源氏を中心とした大名の寄り合いのような意識は薄れつつある。開闢から十年近くが経ち、より厳密に足利宗家を頂点としたピラミッドが構築されつつあるのだ。そうした中で悔しくも位階が五位止まりの俺は、鎌倉以前からの名門・佐々木氏の惣領でありながら、遅れをとっている。特筆すべき足利有力庶家である尾張高経や、戦乱に乗じた足利一門の成り上がりである顕氏に。
だから俺は討伐軍で近江国守護や将軍烏帽子子としての誇りを認められながらも、豚カツの副将を務める羽目になっているのだ。
あくまで高経や顕氏が現状、足利武将でもかなりの……極一握りの上澄みで、尚且つ斯波家や細川家は後々の三管領だ。そのため、当然の帰結と納得すべき話なのかもしれない。特に細川顕氏は今や従四位の名将として細川一族でも別格の存在だ。とはいえ、前時代の序列とのギャップに戸惑わないかと言えば……やはり戸惑う。
「しかし……これは戦。大名として人々から得た銭兵糧、更に配下共の命を元手に、御公儀に参じている身。総大将が致命的な過ちを犯した場合、損失は甚大でしょう。それをみすみす見逃せと?」
「氏頼殿。兄者も拙者もそうは言っておらぬ。ただ、尊氏様の烏帽子子である貴殿と、総大将殿に仲違いされては此方も困るのだ」
「左様。ただでさえ顕氏殿は貴殿を警戒しておられる故な」
「……はァ?」
突然の素っ頓狂な物言いで、俺は思わず間の抜けた声を出した。
生憎、思い当たる豚カツの素振りはない。そもそも俺がいつ警戒されるような事をしたというのか。道誉に副将の役目を揶揄われたせいで、実は心象を悪くしていたのだろうか。全く意味不明だ。
万が一、尊氏様への忠義を疑っているのなら、論外としか言い様がない。天下に俺よりも尊氏様を慕う者など居る筈がないのだ。
「ほれ、あの……下向直前のアレが良くなかった」
「……アレは、道誉殿が勝手に吹っ掛けてきた事で──」
歯切れの悪い範資の言葉に対して、俺は困惑混じりに答える。
自分自身が総大将に相応しいと思っているのではないか。そう総大将の豚カツに疑われているのだ。それならば、発案者を明示する形で策が将兵に周知されている事態にも合点が行かなくもない。
筋書きはきっとこうだ。発端はまず、道誉が皆の前で、下向直前の俺に対し、佐々木惣領かつ将軍烏帽子子という抜群の肩書きを持ちながら、討伐軍において足利一門でも庶流出身の顕氏の副将に収まった現状を揶揄った事にある。そのせいで、豚カツはこの俺に軍功で劣っては、勝利しても序列に悪影響があると睨み、功を焦って自身の案を実行すると吹聴したのだろう。つまり、既成事実を作ったのだ。尤も、渾身の策も、軍中に触れ回って間者伝いに敵将に露見した場合、敗北という大名が最も避けるべきリスクを背負う事になるのだが……焦った将は得てして優先順位を間違えるものだ。
しかし、範資の微妙そうな反応が、俺の推察が微妙に誤りである事を示していた。首を掻き、直弟の貞範の方をチラと見ている。
「あ、いや。そっちではなく……貞範」
「鎧にござるよ。元服の折に将軍より賜ったという」
「ッ!まさか」
「ほれ。ひけらかしているように見えよう?征夷大将軍の烏帽子子である事を……そうした佐々木惣領の御振る舞いは、総大将の顕氏殿にとって心穏やかで居られるものでは無かろうて。決してな」
「実に……遺憾だ」
あの鎧は、俺の持ち物の中で最も大切なものと言っても過言ではない貴重な品だ。それを着たせいで、という貞範の物言いに反発せずには居られない。しかし、腑に落ちたのもまた事実であった。
将軍猶子の大友が援軍に来る云々の噂も、今考えると豚カツが流させた言説だろうか。同烏帽子子の俺の反応を見定めるために。
連合軍において武将同士の不和は敗北に直結しかねない。まして敵将が先日、畠山軍を破りし超新星の楠木正行であれば尚更だ。
これはどうにかしなければ──そんな思いを抱いたまま、一週間以上に亘り、俺は心の内で沸々と煮えたぎるものを感じ続けた。
〜3〜
貞和三年も九月を折り返して十七日になった。楠木党の和田助氏による八尾城攻撃開始から暫く経ったが、戦況に特にこれといった変化はない。城内の守備隊と味方の兵の挟み撃ちで、敵将を窮地に陥れている筈なのだが、よもや正行は配下を見捨てる気なのか。
あるいは懸念通り、豚カツの策が敵に漏れ伝わったのだろうか。
次第に苛立ちが募り、俺は不満を露わにする。幸い、この数日の間に敵の救援部隊対策のため、俺は手勢を率いて八尾城より南の藤井寺に移ったので、味方の将兵の目を心配するに及ばなかった。
「これで敗れたら大変だぞ。顕氏殿はまず確実に、軍記か何かで今回の件についてあれこれ言われる。よしんば、後の細川家が如何なる圧力を駆使しようとも、佐々木一族が語り継いでくれようぞ」
「三郎兄上……もしや敵は、兄上と細川殿の間の不仲の気配を察知しているのでは?そのために、この一週間動いておらぬのやも」
「……して、その対策は?光綱」
勿論、後の三管領として知られる細川家の一員で、今や代表的な幕府の主力武将である豚カツとは、あまり深刻に揉めたくない。
いずれ細川一族内では、その従兄弟の頼春──その息子が、現時点では有望株止まりで特に権限はないものの、三代将軍・足利義満の時代において著名な頼之──の系譜に、主導権が移るだろう。
だが、かと言って豚カツとの間に遺恨を作っておくのは、やはりリスクが大き過ぎる。少なくとも今やるべきでないのは確かだ。
「……僭越ながら意地の張り合いをやめてみては如何かと」
「はァ……光綱。こういうのはな、先に謝った方の負けだ。仮にも我が後継代理なれば、西国武将らしく駆け引きの術を十分に覚えておいてくれ。さもなくば、幕府の権力闘争を生き残り難くなる」
「は……では、向こうから歩み寄られたら?」
「その時は無論応ずる。あくまでも尊氏様印の鎧を着た俺に対して要らぬ勘繰りをした向こうに非があるのだから、そっちが先に謝るべきという話だ……これで下手に出れば、ヤツは間違いなくつけあがるだろう。調子に乗った豚カツが上手いこと勝った例はない」
兎に角、豚カツの策──八尾城攻めを目論む和田助氏を逆に窮地に追い込み、せっかちな楠木正行が救援に駆け付けたところを一気に伏兵で討ち取るというもの──は分かっていても避け難い代物であるのも、また確かだ。下手に郎党を見捨てれば、河内国周辺で正成の代から築き上げた楠木氏の名望が地に堕ちてしまうからだ。
今は味方同士で睨み合わず、一度実行を決めた策に沿って敵を滅ぼす方向で考えるべき……そう思考を切り替える。下手に討伐軍の総大将を敵に回せば、報告書に有る事無い事を記されかねない。
そこまで考えた時、ふと有力同族武将のドス黒い顔が浮かんだ。
「まさか……何もかも道誉の読みの内、だったなんて事は」
「三郎兄上?」
「……いや、何でもない。正行めの静観が不気味なせいだろうな。つい余計な事を考えてしまった。俺たち六角軍が成すべき事は至って明瞭だ。顕氏殿敗戦の際、どう巻き返すべきか。もしくは正行の才が北畠顕家や新田義貞を超え、軍神にも比するものであるか否かを見極める。それ次第で、幕府首脳も後顧の策を立て易くなる」
今は敵に集中したい。そのためにも豚カツとの連携に支障があってはならないのだ。時代柄最も大事な面子の問題で、佐々木惣領の俺の方から折れる訳にはいかないが、どうにかならないものか。
そう悶々としていると幼馴染の郎党・楢崎太郎左衛門が斥候任務を終え、陣に戻ってきた。自分でも顔が明るくなる心地がする。
「太郎左、苦労。如何であった?」
「は。遥か遠方に煙が見えました。恐らく刈田をしているのかと」
「正行め……兵糧で遅れをとるまいという魂胆か。此方が天王寺からの糧道をきっちり確保している上に、堺を占領しているからには意味がないだろうに……いや。攻勢前の予兆と捉えるべきだな」
「三郎兄上、では」
「ああ。定詮や目賀田にも伝えよ。出撃準備だ!」
待ちくたびれた。そう思いながら嬉々として命令を発していく。
一通り出し終えると再び楢崎と目が合う。何やら気まずそうだ。
「ん?何ぞ、太郎左?」
「……その、殿。他にもお伝えする事が」
「申せ」
「先程、お味方の使者とばったり行き会いまして……細川顕氏殿が誉田八幡にて源氏軍の戦勝祈願を修するため、是非ともお越し願いたいと。使者殿は趣旨を伝えるや否や、東へ戻って行きました」
「えぇ……何だ、それは」
現行の軍略の成就を前に、儀式なぞ行うだけの猶予が許されているのだろうか。無いとも言い切れない一方、有るとも言い難い。
しかし、豚カツとの仲が拗れ始めた矢先だ。戦前最後の関係修復の機会を蔑ろにするのも、あながち得策ではないかもしれない。
そう言えば、戦国時代の織田信長は桶狭間へ向かう直前、熱田大社で兵たちが揃うのを待って祈願を行い、士気を高めていたか。
ここから誉田八幡宮までそう大した距離はない。馬を駆使すればあっという間だ。然して、源氏軍の戦勝祈願に佐々木惣領が参加しなかったとなれば、後で波風が立つかもしれない。ちょっと顔を出して戻ってくるだけなら差し障りはあるまいか。俺はそう考えた。