崇永記 作:三寸法師
〜1〜
決戦を前に何を悠長なと思わないでもない。しかし、
更に言ってしまえば、進んで参加すべき理由は他にも存在する。
「おお。六角殿、心配しておりましたが無事お越しのようで」
「
「ふふ。
「……」
連合軍として決戦を前に大将格が決起集会を行う。これ自体に異論はない。まして俺と
足利一門における従来の細川家の序列の低さはこの際目を瞑る。今や
「分かっております。それより……確認ですが、佐々木惣領としての誇りは捨てなくて宜しいのですね?ここは容易く譲れませぬ」
「ええ、勿論。足利幕府は外様を見下す政権ではない。佐々木惣領を適切に遇してこそ、源氏諸家を代表して征夷大将軍になられた尊氏公の地位は盤石となり、細川家など足利庶流の時めきに繋がる。その道理は
「……ならば安心です」
十数年以上前の六波羅探題勤めの北条一門ですら尊重しなければならなかった時代を思い出す。一族郎党の安全のため、平姓の北条一門に対し、表向き従順な姿勢を示さなければならなかった屈辱的な時代だ。あの頃に比べ、現幕府がどれだけ真っ当である事か。
細川氏は庶流は庶流だが、足利一門。つまり、源氏の端くれだ。
「
「ほう……流石は西国武将の六角殿だ。武勇だけでなく知力もまた我が父円心に劣らず、一級品と見えますなァ。是非お聞かせを」
「些か褒め過ぎですが……ゴホン。
「お続けください」
「ええ。では敢えてここで結論から申しましょう」
しかし、俺も俺とて佐々木惣領だ。弁舌の術は人並み以上に心得ているつもりである。一拍置いて
「良いですか?
「……ん?」
宇多院の後胤・佐々木一族の本家に生まれて二十余年が経った。
その俺が言うのだ。間違いない。そんな自信に満ち溢れていた。
〜2〜
誉田八幡宮での戦勝祈願の儀式直前、佐々木惣領の俺は同じ幕府軍の将にして
これでも
「前に今川家の御曹司より聞いたのです。尊氏様の御祖父、家時公が御自害に至った
「六角殿、御口挟み失礼を。今川家の御曹司というと範氏*1殿?」
「いえ、その弟の貞世*2殿です……話を戻しましょう」
家時公御自害。この件の背景に霜月騒動があったのではないかと考える者は多い。当時既に有力御家人の安達氏が敗れ去り、得宗家や御内人の増長傾向が強まろうという最中、奇しくも当代の足利兄弟と同じく、北条氏ではなく上杉氏が生母の家時公は、心許ない立場にあった。そうした折に家時公は自害し、北条氏出身の正室との間に生まれた子どもが家督を継承。如何にも裏を感じる顛末だ。
もし生母が上杉氏の尊氏様が甘んじて北条氏による鎌倉幕府の私物化を見過ごしていた場合、
このように考えれば、義時泰時贔屓の生真面目な
しかし、それだけが理由ではない。いや、むしろそれ以上の重大な理由がある。源氏の誇りに関わる事である。事の発端は、家時公よりずっと前に遡る。誰もが知る英雄・八幡太郎義家公である。
「源義家公といえば──確か家時公より七代ほど前の」
「ええ。どうやら足利家に受け継がれていたらしいのです。七代後の子孫に生まれ変わりて天下を取らん。こうした義家公の御意思を示す文書が。足利家時公は、御自分の代では源義家公の宿願を果たせそうにないため、自ら命を断って三代後の子孫に生まれ変わり、悲願成就をと願ったそうです……それが御自害の真相のようで」
確信めいた口調を保ち続けたまま、俺は心の内で思う。この話を今川貞世が知っているという事は、いずれ『難太平記』に記されるに違いない。足利の天下掌握の妥当性を示す論拠の一つとして。
何はともあれ、結果的には貞氏、
家時公は自害の際、八幡大菩薩に祈ったという。これ即ち、尊氏様の天下は八幡大菩薩に寿がれているのである。そう思うと俺ではなく尊氏様の神力こそ、応神天皇と同一の存在である八幡大菩薩の御威故ではないか。こう考えるのが妥当だろう。考えてみるに我が力は佐々木大明神──宇多天皇をはじめとする四座五柱──が根源なのではなかろうか。ここまで考えを巡らしたところ、
「……しかし、どうしてまた足利家に?足利家の祖は、義家公の三男の義国公の子、義康公でいらっしゃった筈。御子孫は他にも多く流れが……ああ、いえ。決して御話を疑う訳ではありませぬが」
「そら、他の主だった源氏が次々滅んだからでしょう。足利氏は北条氏に近かったからこそ、逆に安全、いえ、家時公の件を含めても
つまり、足利家は源平の時代から、後の初代将軍・源頼朝の系譜と密接な繋がりがあったのだ。不幸にも頼家・実朝が命を落とし、足利氏は頼朝肝入りの北条氏との縁戚を保って残ったが、尊氏様の代になって遂に長い長い
また、義家公から数えて六代目の河内源氏の棟梁が鎌倉幕府最後の源氏将軍・実朝である。北条氏がお飾りにするために据えた摂家将軍や親王将軍を無効と考え、足利家時公を仮想的に実朝の後継として考えてみよう。これもまた七代目である。ひょっとすると八幡太郎義家公には不完全ながら神力があったのではないか。それで足利氏に志を託したのではないか。こんな考えすら浮かんでくる。
「これは不躾な質問を致しました。六角殿、ひらに御容赦を」
「いえ。八幡大菩薩の御神威を分かって頂けたのであれば、何よりと存じまする。
「つまり……
「まさしく。この
足利の天下の背景にある源氏の悲願。誉田八幡宮で集会しようと呼び掛けるとは、
尊氏様の天下も完全ではない。擾乱で直義と師直がぶつかる前に南朝の有望株・楠木
これだけでも戦場祈願に足を運んだ甲斐があった。この時、俺はそう思って舞い上がっていた。後にどうして誉田八幡宮と目と鼻の先の古墳・応神天皇陵の木々の静けさを訝しまなかったのかと悔やむ事になるとも知らず、源氏の氏神の厳粛さに魅せられていた。
〜3〜
幕府軍の武将が誉田八幡宮の境内に集結している。総大将の細川
その人数に合わせてか、数千もの
「ッ……細川様。あれが?」
「応よ。近江国守護の佐々木六角殿だ」
「……
見覚えのない武士を隣に控えさせている
八尾城攻撃部隊や天王寺残留部隊などを除き、誉田八幡宮での戦勝祈願に顔を出すべき武将は、これにて一通り集まったらしい。
「
「ブヒヒ。六角殿のお越しを嬉しく思うぞ。八幡様にお祈り申すのに佐々木惣領が不在では片手落ち故な。ブヒ、そうじゃ。紹介しておこう。地元武士の誉田殿だ。この者のお陰で抜かりなく此度の戦場祈願の準備ができた……さて、誉田殿。早速式を執り行おう」
この戦勝祈願式が終われば、いよいよ
正直なところ、気持ちが昂っていたせいか、式を通して
ただ八幡大菩薩──尊氏様の神威に圧倒されつつ、在りし日に思いを馳せていた。尊氏様に加えて、新田・楠木らの英雄たちが御新政の名の元、京に集っていた時代だ。あの時はあの時で、希望に胸を膨らませて前途洋々だった気がする。北条氏が滅び、もうすぐ建武政権も傾き、本当の意味で源氏による武家政権が誕生すると。
「では、六角殿。乾杯の音頭をお頼み申す。ここは八幡宮故な」
「
守護大名が複数参加の幕府軍らしく、源氏の連合である事を改めて明確にしておこうという趣向だろうか。総大将の
無碍にはできない。俺の土器にも景気付けの神酒が波々と注がれている。溢さないよう注意しつつ、俺は皆の前に立った。建武大乱から十年以上が経ち、とっくに少年武将ではなくなった。こんな仕事も涼しい顔で引き受ける。佐々木惣領は健在なりと示すのだ。
「総大将たる
「「「……」」」
「さぁ、尊氏様のため、敵を討とう!幕府軍の将兵たちよ、尊氏様は軍功にきちんと報いてくれる御方だ。
「「「ウオオオ!!!」」」
やけに将兵たちの呼応の叫びが大きい。一瞬そんな馬鹿げた考えを持ってしまった。眼前の皆々も面食らっているようだ。一体誰がそんな大声を張り上げたのか。ただの雄叫びではないようだと。
冷や水を掛けられたような思いとなって、俺は平静に帰った。
するとどうした事であるか。酒の匂いの異質な事に気が付いた。
同時に、外から兵が急ぎ駆け込む。尋常ならざる血相だった。
「敵襲!敵襲!墳墓の森から敵の伏兵が押し寄せて参ります!」
「「「!?」」」
合戦の火蓋は不意に切られた。ここに居た武将も、後になって聞いた武将も、源氏の心を持っていれば皆思った。事もあろうに応神天皇の墳墓を戦に利用するとは何事かと。罰当たりが過ぎると。
しかし、敵は楠木軍である。
長文注意!できれば最新刊読了後にお読みください
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原作最新刊で松井先生が『太平記』についてコラム的なものを書いていらっしゃいましたね。敢えてこの場で一読者として補足させて貰うとするなら、一口に『太平記』と言っても様々な伝本・写本(西源院本、南都本、神田本etc.)があります。それはもう沢山。
それぞれ記述の違いが大なり小なり見られます。例えば、同じ合戦でも赤松軍が頑張った、佐々木軍が頑張ったみたいに記述が別れるケースです。有力大名が一族の関係する箇所に関して書き換えるよう動いたのではと考える向きもあります。別の切り口から例を挙げると、佐々木氏が「天正本」で活躍を盛ったのではないか等。
それと『難太平記』の存在は指摘しておきたいです。受験日本史でご存知の方も少なくないでしょう。『太平記』の記述はいかがなものかと今川了俊が考え、筆を執ったなんて言われるものです。
『太平記』を扱う専門家にも、史学系の方もいれば国文学系の方もいます。松井先生以外にそうした方々にも頭の上がらない人間としては、自説云々の話は因果が違うのではないかと思う訳です。
勿論、エンタメ作品として面白さのために各種史料を恣意的に摂取するのは自由だと思っています。ただ史学系は一次史料と矛盾しない範囲で自説の参考にして当然でしょうし、国文学系は各媒体の違いを突き詰めて考えるもの。必要に応じて逆も然り。両者とも先行研究の殻を破るため、先のものに過剰な肩入れはせず、距離を置いて考えて然るべき。こんな風にあれこれと愚考した次第です。