崇永記   作:三寸法師

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イベントで2期情報が有るとか無いとか?


▲6

〜1〜

 

 

 時は貞和三年(西暦1347年)九月十七日。この時代において武将は指揮官であると同時に、装甲騎兵とでも呼ぶべき存在だ。バイクの如き走行速度の馬から弓矢や刀を用い、大鎧の頑丈さで身を守る騎馬武者だ。

 当時の鎧の中には三人張りの弓すら防げるものもあったという。

 

 

「太守様!」

 

 

「御身は……御身は無事でおわすか!?」

 

 

 六角党は焦燥感に駆られる。単純な心配だけではない。後継代理の光綱(六郎)に続けて当主の氏頼(大夫判官)まで失えば、この先どうなってしまうのだろうか。新当主はすぐ下の弟で今は近江国で留守居の直綱(四郎)にするべきか、既に苗字を変えて相続権を捨てたと申せど、当主に次いで武勇誉れ高い三男の山内定詮(五郎)にするべきか。難しい選択になる。

 兄弟から選ぶだけならまだマシかもしれない。佐々木氏庶流の京極道誉(佐渡判官)を曲がりなりにも重役に据える室町幕府の判断次第で、嫡流である筈の六角家が立ち行かなくなってしまう可能性もあった。

 兎にも角にも、全ては六角氏頼(大夫判官)が矢を防げたかに掛かっている。

 新たに正行(まさつら)の本隊に加勢した正時ならび楠木兄弟の従兄弟・和田賢秀によって三弟・光綱の首を見せつけられ、氏頼(大夫判官)は確かに動揺の色を露わにしていた。とはいえ、反射的に大袖を翳したようだ。

 

 

「ぐぁ……ぐぅ……」

 

 

「無駄だ!我が強弓は分厚い鉄の板を容易に貫通する!肩の袖板でさえどうなもならぬわ!さぁ、この賢秀は弓ばかりか、刀を持たせても天下一品なるぞ!六角党よ!我ら一族の武名の糧となれ!」

 

 

「舐めるな!兄様は……兄様は近江の国守!お前たちが想像するよりずっと上等な鎧を着ておられる!それに大袖だけではない!」

 

 

「はァ?」

 

 

「節穴め!我が兄様は顔に頬当ても付けていらっしゃるぞ!」

 

 

 次弟・定詮(山内五郎)の言葉通り、氏頼(大夫判官)は頬当てを付けている。六角党以外に楠木軍総大将の正行(まさつら)も固唾を呑んで見守っていた。ここで直ぐに更なる乱戦に持ち込むのは簡単だったが、氏頼(大夫判官)が逆上して限界以上の力を見せた場合の事を憂慮していた。間違いなく泥沼になる。

 その一方、正行(まさつら)は佐々木惣領の氏頼(大夫判官)を討った事さえはっきり確認できれば、簡単に六角党が瓦解すると踏んでいた。総崩れした軍を倒す事は容易い。たとえ精鋭揃いの六角党でも抗えないだろう。

 現当主・氏頼(三郎)と後継代理・光綱(六郎)。この二人の死を立て続けに叩き付けられれば、六角党は個人個人の頭に先の事がチラつき、到底仇討ちどころでなくなるに違いない。間違いなく壊滅可能だろう。

 

 

(ここまで手を尽くしても最後は天に委ねるしかない……我が幼名と同じなる多聞天よ。我らに勝利を!氏頼が死ねば、尊氏の政権は倒したも同然。この大戦果で摂河泉は完全に南朝一色になる!同時に伊勢国の北畠顕能卿が隣国の近江国に南朝復興の機運を咲かせ、掎角の勢だ!足利幕府の実力者たちもこれには窮する筈!北条時行軍の女軍師が昔言ったという話が正しければ、当たっただけで!)

 

 

「あ、あ……あああああ!!!

 

 

 桜井宿で少年にして(正成)と永遠の別れを済ませて以来、十年以上に亘って人事を尽くし続けた甲斐だろうか。天は正行(まさつら)に微笑んだらしかった。確かに楠木党屈指の武闘派・和田賢秀による強弓は大袖を貫いた末、現室町幕府外様最強を誇る氏頼(大夫判官)の頬当てに当たった。

 だがしかし、頬当てにヒビが入っている。黒曜石の鏃の先が氏頼(大夫判官)の頬の肌を裂き、肉やその先の骨に食い込んでいるらしかった。

 

 

熱い!熱い!熱いィィィィィィ!!!

 

 

「あ、(あに)様!?」

 

 

「落ち着かれませ!そう深く刺さっておられる様子では!」

 

 

尊氏様ァァァァァァァァァッッッッッ!!!!!

 

 

「これは……楠木党に命ずる!一旦距離を取れ!今直ぐに!」

 

 

「「「は!」」」

 

 

 唐突極まる指示に疑問を挟む間も無く、楠木軍はトップの命令を即実行する。この辺りが軍神(楠木正成)の跡取りの手腕の証なのだろうか。

 一方、六角党は今も主君・氏頼(大夫判官)の錯乱に戸惑っている。六角軍副将として指示を出すべき山内定詮(五郎)も、本来の実力こそ錚々たる幕府武将たちに混ぜても見劣りしない筈だが、心酔する長兄の異変に慌てふためくばかりであった。他の郎党たちも似たような状態だ。

 故に……六角党は逃げられなかった。主君の暴走の魔の手から。

 

 

「うっ!?」

 

 

「ぐほッ……!三郎様……」

 

 

「ら、ららら……兄様が乱心なされたァ!?」

 

 

「千、いえ。太守様!どうか落ち着ギェ!?」

 

 

 勝手に氏頼(大夫判官)の面頬から鏃が抜け、矢が大袖を貫く状態になっている様子なのは良しとしても、これでは本末転倒だ。氏頼(大夫判官)は焦点も合わず血走る目で、奇声を上げて周囲の兵を見境なく巻き込んだ。

 この合戦では粟生田小太郎をはじめ、佐々木六角軍から少なからずの犠牲者が出た。古典『太平記』が敵と組み合って刺し違えるという死因だけ挙げていれば、まだマシだっただろう。何と文字通り馬に蹴られたらしい。晴れの戦にあって甚く無惨な最期である。

 重臣の青地重頼がギョッとして党随一の武辺者の信良(目賀田弾正忠)に言う。

 

 

「目賀田殿!殿を何とかしてくれ!このままでは全滅する!」

 

 

「あの御様子……ええい、このままでは戦にならん!定詮殿!殿の馬の(おいど)を東からお叩き申されよ!さすれば、殿は西にある──」

 

 

将軍ンンンンンンンンンンンンン!!!!!

 

 

「兄様、どこへ参られる!?お待ちをォォォォ!」

 

 

「あの御二方!」

 

 

 訳の分からないまま、氏頼(大夫判官)は暴走したまま西の堺方面へ駆け出していった。錯乱状態の長兄の代わりに統率するべき定詮は、役目を忘れて追い掛け始める。もはや目賀田信良(弾正忠)は叫ぶしかなかった。

 だが、一難去ってまた一難。いや、元の一難とでもいうべきか。

 

 

「あれを追い掛けても無駄に死者を出すだけだ。それより──」

 

 

「兄者。御命令を」

 

 

「ああ……六角党を討つ!将の居ない党を破るは容易く、将が党を失って生き延びたところで死んだも同然!掃討だ!掛かれェ!」

 

 

「「「応!」」」

 

 

「「ッ!」」

 

 

 この「藤井寺合戦」は楠木軍の勝利で幕を下ろそうとしている。

 楠木正行(まさつら)は南北朝時代を彗星の如く駆け抜けた、まさにスーパースターである。少なくとも日本が敗戦国となる前はそうだった。

 新たなる軍神の大進撃は、先月(八月)十日の紀伊国における隅田城攻めより始まったと見るものだろうが、真の始まりはこの合戦だったのかもしれない。それだけ佐々木六角氏頼(大夫判官)という北朝有力武将を破った事は大きかった。実際、官僚・中原師守が自著の『師守記』で、河内国の戦における氏頼(大夫判官)の敗北を強調した他、北朝公卿・洞院公賢は一連の敗戦を日記『園太暦』で「不可思議」と評価している。

 つまるところ、正行(まさつら)は逆転の見込み無しと北朝政権に思わせた大陣容に対し、果敢に戦って勝利を収めた。非常に短い活躍期間でもスーパースターにのし上がれた訳は、その高潔な志に加え細川顕氏(陸奥守)や六角氏頼(大夫判官)などという倒した武将たちの濃密さにあったのだ。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 応神天皇陵(誉田御廟山古墳)の周辺から西に向かうと丁度、仁徳天皇陵(大仙陵古墳)がある。

 本能の赴くまま、氏頼(大夫判官)は古墳の広い堀を飛び越える。妙に殺意のある遺構の数々が侵入者に仇なそうとしたが、氏頼(大夫判官)とその馬の暴走には関係ないようだ。その代わりと言って良いのか、大古墳の内堀の中を右往左往する間、次第に氏頼(大夫判官)は思考を取り戻していった。

 

 

「熱……くない。ここは?俺は今どこに?美濃部?山中?どこに居るのだ!?てか戦は?敵は?あの下郎ども、よくも我が弟を!」

 

 

(無人の森?……いや、腐った水の匂い!堀!て事は古墳か!)

 

 

 次に氏頼(大夫判官)は理性で認識した。防御施設のような遺構がある事に。

 それと同時に訝しむ。只の古墳にこんな物々しい戦の匂いが立ち込めているものなのだろうか。通常ならまずあり得ないだろう。

 しかし、氏頼(大夫判官)の疑問はそれ以外にもある。審美眼が光っていた。

 

 

(この罠……どれも千年近く前のものとは思えん。精々があっても十年と言ったところか。どうしてこんなところに……ん?あの旗)

 

 

「……おのれ!」

 

 

 氏頼(大夫判官)の額にピキピキと青筋が浮かぶ。残骸の一つの旗を手に持って勢いよくその場に破り捨てた。興奮の余り、激しく息をする。

 思い返すのはおよそ九年前に堺浦の近辺で発生した合戦である。

 そうしたところへ、やっと追い付いたと次弟の定詮(山内五郎)が現れた。

 

 

「兄様!先程はどうされたのです!?(たか)が矢傷で、兄様があれ程取り乱されるとは夢にも思いませなんだ!せめて理由をお聞──」

 

 

「定詮、ここは何処だ?」

 

 

「え……まず間違いなく、仁徳天皇の陵墓かと」

 

 

「あの自称侍王子の万年野党!無駄に世を騒がせて官民に要らぬ出費を強いただけで飽き足らず、我が佐々木一族が大明神として祀り申し上げる、仁徳天皇の古墳を戦に使おうとしていたな!?何という厚顔無恥か!二度と正義面をするな!北朝貴族のパイプを通じ、南朝公卿(四条辺り)に吹き込んでやろうか!そうすれば、お前はもう二度と南朝軍を名乗って戦に出れまい!無論、北朝軍としても!ハ!これで観応の擾乱でヤツが暗躍せぬか、気にする必要は無くなった!」

 

 

 小さな穴のある頬当てを地面に怒りで叩き投げ、氏頼(大夫判官)は次弟の(山内)(五郎)に一部始終を聞かれているのも忘れ、一心不乱に捲し立てる。

 四半刻が経ち、今度こそ氏頼(大夫判官)はやり場のない怒りに身を任せ続けるのを止めた。そこでまず目に入ってきたのは次弟・山内定詮(五郎)の姿であった。定詮(山内五郎)は両手を合わせ、年甲斐もなく恍惚としていた。

 

 

「ん?どうした?定詮」

 

 

「兄様こそ……兄様こそ」

 

 

 この山内定詮(五郎)というのも、中々どうして氏頼(大夫判官)に劣らず興味深い武将である。観応の擾乱に突入すると、定詮(山内五郎)はひょんな事からその気になれば兄の血筋にとって代わっても何らおかしく無いポジションに収まるのだが、変わらず氏頼(大夫判官)を尊重する姿勢を持つ。乱世において異常とも取られかねない、非常に高い忠誠心の持ち主だった。

 しかも下手をすると氏頼(大夫判官)以上の狂気を感じさせる。現代では徳川家康が恐れた男という呼び名が巷で横行しているが、定詮(山内五郎)の場合、佐々木道誉が恐れた男という賛辞が似合っているかもしれない。

 罷り間違えば、足利尊氏という名前を借りるべきなのだろうか。

 

 

「兄様こそまさに神です!この僅かな間で御傷が……何も無かったように完治していらしゃる。佐々木大明神の四座五柱──宇多天皇や敦実親王や少彦名神や大彦古神、そして仁徳天皇といった神々に通じる御力を一身にお持ち!楠木正行(まさつら)は不敬にも八幡様を逆手に源氏軍を陥れましたが、兄様は四座五柱の応神天皇に祝福された……この戦で本当に勝ったのは誰でしょうか。間違いなく兄様です」

 

 

「あっ、そう……そうだった。正行(まさつら)が古墳を戦争利用したばかり。これじゃ今の策もご破産だ。南朝が古墳の活用を問題視しないのでは元も子もない。だが、絶対に許さんぞ。正行(まさつら)も時行も。正行(まさつら)(楠木)(正成)の血筋と思えば兎も角、時行だ。今度我が前に姿を現したら八つ裂きにしてくれる!あんなのは佐々木一族の敵だ!源氏の誇りに懸けて絶対に討つ!戚夫人と同じ目にでも遭わせてくれようか!」

 

 

「戚夫人……と言えば人豚、もとい細川顕氏は今どうしているのでしょうか。そもそも今回の戦犯は細川顕氏……顕氏はいつも楠木軍との戦になると精彩を欠いておられませぬか?昔も大将不在の楠木軍に敗れたという噂です。かつて北畠顕家の脅威に必死に粘り抜いた実績はあれど、相性が悪過ぎる気がします。もし連敗でもするようであれば、流石に守護交代という運びになるのでは……その」

 

 

「かつての俺のようにか?別に連敗は……良い。今、心配なのは郎党たちのその後だ。小太郎たち。今思い返すだけでも腑が煮え繰り返るわ!正行(まさつら)め!以前、北条軍の悪魔軍師が俺に向けさせた黒い矢を隠し持っていたな!だが、どうだ!俺は結局こうして五体満足!詐欺師の一味の話を真に受けおってからに!……等と申せ、こうして強がっても、死んだ者たちは二度と帰って来ないのであるよ」

 

 

 氏頼(大夫判官)は虚しく肩を落とした。この敗戦で背負う汚名は、将来の軍功で多少取り戻せるかもしれない。だが、死別は全く話が違う。

 遺族に何と詫びたら良いだろう。あれから青地重頼や目賀田信良(弾正忠)といった郎党たちは無事に逃げ延びられたのだろうか。後継代理としていた弟・光綱(六郎)を失い、どんな対応を講じるべきか。そんな事を思いながら、氏頼(大夫判官)は日本最大の超有名古墳からの退去を決める。

 まず、氏頼(大夫判官)次弟(山内定詮)を促して、騎馬武者姿という古墳にありまじき格好で立ち入った非礼を二人で謝罪した。適当な場所を見定めて拝礼をする事で。最後にあたかも楠木正行(まさつら)や北条時行(相模次郎)への当てつけをするかのように、古墳の罠という罠を駆け破……もとい掃除してから二人の姿が消える。微かな光の粒が森の間で舞い散っていた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 さて、ここで翌月(十月)の戦に本題を移す前に、正行(まさつら)たちの足跡を追ってみよう。大きな成果を得た筈の藤井寺合戦の最終盤、正行(まさつら)たちは勝利の美酒に浸る事もなく、思いも寄らない恐れ知らずの強敵たちに面食らっていた。追撃の真っ最中、六角軍随一の武辺者こと目賀田信良(弾正忠)将軍執事(高武蔵守師直)直属部隊最強の安保直実(肥後守)の反撃を受けたのだ。

 古典『太平記』によれば、やむに止まれず従者と二騎で敗走の目賀田信良(弾正忠)は道中、直実(安保肥後守)と偶然に会って意気投合。合計たったの三騎のみで反転攻勢に打って出た。この時代あるある──他家所属の味方同士で行う連携プレイである。これが正行(まさつら)軍にもよく効いた。

 

 

「安保殿!この調子だ!先程までの戦が嘘のようだ!」

 

 

「いやはや!建武以来、三百余度の合戦で未だ誰ぞに励まされた事は無し!だが、日の本一の剛の者は我より他にも居たようだ!」

 

 

「さっきも聞いたわ!安保殿!その賞賛に見せかけた自慢話!」

 

 

 まさに命を捨てた個々人の奮戦は、知恵者の策で咄嗟にどうこうするものではない。何だかんだ言って、ただ数にものを言わせ圧迫する方法が、小細工を弄するよりも良いと相場が決まっている。

 楠木軍は二つもの部隊が敢えなく捻られ、三百メートルほど後退させられる。ここで直実(安保直実)は阿吽の呼吸で信良(目賀田信良)らと撤退し始めた。

 

 

「彼奴ら!ちょっと様子が可笑しいからと来てみれば……我らと全く勝負せず、逃げ去るつもりか!正行(まさつら)様、このまま済ませては」

 

 

「無用だ、賢秀。彼らは戦をよく知っているようだ。間違いなく名のある武将。武勇も六角氏頼……噂に聞いた土岐頼遠の領域に近いと見える。一人一人が足利の百騎以上に相当する我が軍でも、足元を掬われかねぬ。天王寺に逃げた敵は捨て置く。今は教興寺だ」

 

 

「……天王寺で守りを固める敵より、教興寺に逃げた細川軍でございますか?細川軍は……我らなら何時でも勝てるかと存ずるが」

 

 

 この戦で楠木軍が得た最大の財産は、自信なのかもしれない。

 特に若い面々にとっては、伝説級の活躍をした父親世代のプレッシャーがある分だけ、勝利に手応えを得て()()とした事だろう。

 しかし、慢心はない。特に総大将の正行(まさつら)は地に足がついている。

 

 

「忘れるな。あの付近で畠山国清軍が八尾城を攻めている。細川顕氏と畠山国清が決死の覚悟で力を合わせ、我らに向かって来れば、厄介になろう。だが、逆にここで二人を叩き潰せば、後の戦で憂うことは無い。大切なのは我らの力が疑いなく正成(父上)正季(叔父上)に劣らぬと知らしめること……勝利はまぐれでも何でも無いと天下に示す」

 

 

「……承知。今夜にでも攻めますか?」

 

 

「いや。流石にこの戦で我が軍も堪えた。六角軍の犠牲者なぞあれだけ手を尽くして二十数人だ。一日は休みたい。だが、折よく藤井寺や誉田の合戦で、北朝軍は兵糧を置いていった。再補充したいだろうさ。次の戦まで猶予は数日ある。その間に……夜襲決行だ」

 

 

「は……正行(まさつら)様。思うに昼も攻める振りはした方が」

 

 

「うん。その方が油断を誘えるな。楠木軍は演技力も天下一だ」

 

 

 既に二十歳過ぎの若手武将は、まごう事なき天下の名将の風格を帯びている。正行(まさつら)だけでなく、亡き楠木正季(正成の弟)の子・和田賢秀もかなりの力量を感じさせる。楠木軍は何ら虚飾なく少数精鋭だった。

 貞和三年(西暦1347年)九月十九日、今度は教興寺で合戦が起こった。敗残兵の多くを結集した細川顕氏(陸奥守)はこの戦、途中まで有利に事を進めていたと言われている。しかし、正行(まさつら)軍の夜襲によって勝敗は決した。

 今再び、南朝方に反撃の狼煙が上がろうとしている。軍神(楠木正成)の再来とはつまり、嫡子・正行(まさつら)の事なり。そう天下に予感させていた。

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