崇永記 作:三寸法師
〜1〜
やっぱり負けたか。京の佐々木六角邸で外出の許しが得られる筈もなく、法体の
俄かに騒然とした屋敷の様子で悟った。遂にその時機が来たと。
詳細を聞きに行った
「で?あいつは無事なの?怪我したの?どうなのさ」
「分からない。十七日に負けた後、教興寺に寄らずに直接帰ってきた人たちが言うには、殿様は顔に矢を受けたらしいし、天王寺からの報せでは、どこからどう見ても無事だって。でも、
「ちょっと前に聞いた話と違うな……この前は大勢討たれたって聞いたよ……いや、兵たちの話は後だ。光綱が死んだ。これは私も少し意外だね。前に光綱は絶対強くなるって言われてなかった?」
「よくある話だよ。死んだ若武者が生前は有望だって周りに思われてたなんて。それでも生き残った者が猛者だって讃えられるの」
「あーはいはい。それで三郎は結局生き残った訳だ」
恐らくそろそろ
賽の目を手繰り寄せる感覚が久々に蘇った。ただし、油断が禁物なのは言うまでもない。ここで喜色を浮かべれば家中の反感を買う事必至だし、かと言って神妙にし過ぎても逆に睨まれかねない。
目の前の
「次の戦……あんたは出るの?」
「出たいよ。出たいけど……多分無理」
「なんでさ?」
「自分の胸に手を当てて聞いてみなよ……お魅摩様」
「……はン。私の勝手を防ぐためか。飽きないねェ。三郎も」
まだ完全に
勿論、
恐らく今頃、幕府で今後の対処が話し合われると同時に、責任の所在は誰にあるのか究明しようとされているに違いない。京に直冬という将軍庶子が現れて以来、
「御両人……入っても宜しいでしょうか?」
「……」
「三井さん。どうぞ」
「失礼致します……京極家の御当主がお見えに。光綱様のお悔やみに参られたと。お魅摩様、お相手をお願いできますでしょうか」
「へぇ……とうとう」
今まで戦後になって本家当主の
今二人きりで会うのは
さて、こっちはこっちで動き始めますか……なんて事を思いながら屋敷勤めの下女たちに支度を命じる。下女たちの妙に機敏な動きを白い目で見た後、
その先に誰も彼もを見返す未来が待っている。腰の帯に一瞬だけ手を回し、私は立ち上がった。屋敷の客間でいつ以来なのか定かでない程久しぶりに見た親父の顔は、前と変わらずドス黒かった。
〜2〜
負けは勿論、
きっと違う。佐々木城──今は観音寺城と呼ばれ始めている近江八幡の城──に北畠顕家の大軍が押し寄せた際、殿様は激しく狼狽していた。死んだ諏訪明神と同じで、全部が全部分かる訳ではないのだと思う。それでも殿様は、やっぱり私にとって神様だった。
「ほう……仏事の修行もきちんと積まれておいでなのですなァ」
「……
「いえ、他意はござらぬ。ですが、本当に父娘水入らずにしてくださらないので?あまりにも情けを欠いた御対応かと存じますが」
チクリとした言葉は、昔交戦した敵の刃より鋭く感じられる。
思わず気圧されそうだ。これが幕府や北朝で巧みに策謀を巡らす当代一線級の知恵者の言葉らしい。北条軍に居た幼い頃、
戦場で戦った豪傑たちに比べれば。そう私自身に言い聞かせた。
「殿様は以前、仰いました。塩冶高貞然り、飽浦信胤然り。女難はゴリゴリであると。また、出陣前はこんな事も。屋敷に誰か通す際は六角軍の陣営に早馬を寄越してからだと。これ何人たりとも例外は認めぬと。今回は一族重鎮の京極様が、光綱様の御弔問にと申されたから特別にお通ししましたが、何事にも限度がございます」
「これはこれは随分と手厳しい物言いを。別に拙僧は、魅摩に再婚話を持って参った訳でもございませんのになァ。そんな恐ろしい事とてもとても……いえ、ここは望月殿の努力に免じて同席を認めましょう。知恵の足らない田舎便女と聞いていたのですが……これも長い西国暮らしのお陰ですかなァ。公家の女子に負けず、口が回っておられる。はてさて、一体誰の入れ知恵でございましょう?」
実を言うと魅摩の入れ知恵だ。何のつもりなのか、私が同席を希望するための口向上をすらすら言って来たのだ。一つ分かった裏の意味は、これで殿様に口利きしろよみたいな圧だ。それと本当は魅摩自身が堂々と奥を仕切るべきだと思っているからなのだとも。
ただ、幕府の誇る
「さて……魅摩。この通り、四方山話に花を咲かせている時間は残念だが無いようだ。この数日、幕府もてんてこ舞いでね。そのせいで光綱殿のお悔やみが遅れてしまった。拙僧も藤井寺や教興寺の合戦の結果は驚いたよ。まさか……
「……親父。この京で最もお怒りな北朝方は誰さ?」
「……いいや、誰も怒ってなど居ないよ。ただ呆気に取られているだけださ。
「山名……」
「「?」」
うっかり口からポロッとその名が出る。山名氏は建武大乱では言うほど目立っていなかったが、将軍宣下で足利氏の幕府が正式に樹立されてから度々聞くようになった名前だ。京を脱出して謀反人と名指しされた塩冶様を討ちに向かったり、背信の仁木家重臣を討伐したり。今の実力は桃井軍以上、下手すると新田父子かなんて話も聞いた。けれど、不意の反応の理由は決してそれじゃなかった。
十年以上お仕えして分かった事がある。殿様はごく偶に何かを呟く癖がある。四六時中お側にお仕えして初めて分かる癖だ。
それで釣られて言葉が出てしまった。決して意図してないのに。
「おや、望月殿。父娘の会話に立ち会うばかりか、お口挟みか?」
「待って、親父……ねぇ、
「……偶にその……殿様が山名の名前を聞いたら六分の一って呟くなって思って……思うところがありまして。そう大した事では」
「……親父。山名と六分の一で心当たりは?」
「はて……六分の一とは。意味を測りかねるなァ」
「……ふーん」
どうやら二人の間に言外のやり取りがある。それは分かった。
だが、それが何なのかは分からない。随分と昔、尊氏公の触手の露と消えた雫なら何か分かっただろうか。遠い目をして考える。
「何はともあれ、魅摩。宗家は昔からやや先走り過ぎるきらいがあるようだ。この十年近く、頑なに尊氏様の御息女を正室に迎えんとされた事、先を見据えての面もあろう。だが、宗家もそろそろ」
「目先を固めて貰わんとねェ……
「……左様。でも、これだけは確かだ。佐々木一族でなければならないよ。この近江国を統べるのはね。もし宗家が尊氏様への崇敬溢れる余り、将軍家の幼子をとお考えなら……拙僧も手段を選ばず、止めさせて頂くよ。それだけは一族全員、見逃せないだろうさ」
この時何気なく聞いていた言葉が長い時の果てに突き刺さる。
そんな事は私も魅摩も、当の幕府謀臣・京極道誉さえ知らない。
ただ、思いは不思議と一致していた。当面の
〜3〜
藤井寺合戦の後、俺や
そのお陰か。
だが、このままで済まされるのか。勿論、そんな事はない。
「山名
「「「お〜!」」」
十月一日に下向開始の軍勢が、摂津国天王寺に続々やって来る。
やはり何と言っても最大の目玉は山名軍だろう。当主の
ただ、本音を言えば、
「細川
「「「お、おお……」」」
夜襲で敗北の教興寺合戦後、
まず間違いなく
それを誤魔化すかのように
「……ブヒヒヒヒ」
「チッ」
衝動的に舌打ちをする。流石に
だが、それはどうも
他に再会が楽しみな面々は居る。見慣れた四つ目結の旗を掲げた隊列が来た途端、俺の表情は喜色ばんだ。すぐ下の弟の
「兄上、
「おお!よう来た!よう来た!」
これまで近江国で留守番の
「軍議までにまだ少し時間がある。差配等は目賀田にでも任せて、二人で事前の擦り合わせというものをしておきたい。良いな?」
「無論、異存ございませぬ。ただ、その前に兄上。ご紹介しておきたい御仁がおりまする。此度、土岐
連合軍ともなれば、こうした顔合わせの機会は度々発生する。
今回の場合は土岐一族の将だ。現当主
兵馬の数自体も多くはなさそうだ。ざっと千騎前後であろうか。
さて、結果から言えばこの出会いが俺のやる気を削いだ。それもその筈かもしれない。今から聞く名前は、大体の者の言葉を失わせるに違いない。未来の事を知る者ならという条件は付くのだが。
「兄上。この御仁は故
「六角殿。土岐家名代として罷り越しました、
「……ん?誰を率いたと?相済まぬが、良く聞こえなかった」
「ぬ。明智兵庫助!……らを率い参った!まぁそれは兎も角──」
「明智光秀ぇ!?」
後の時代で悪名高き名が俺の脳裏を猛烈に駆け巡る。平姓らしい信長を討った点は良しとしても、
亡き
そんな奴と関わりたくない。その思いで一杯になる。光秀の名前を叫ぶのみで、本音までぶち撒けなかったのが不幸中の幸いか。
各々の郎党たちと話し合う、山名