崇永記   作:三寸法師

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◆7

〜1〜

 

 

 やっぱり負けたか。京の佐々木六角邸で外出の許しが得られる筈もなく、法体の甲賀三郎(望月亜也子)の監視を受ける生活を始め、早幾十日。

 俄かに騒然とした屋敷の様子で悟った。遂にその時機が来たと。

 詳細を聞きに行った甲賀三郎(望月亜也子)曰く、六角軍は藤井寺の周辺でこっ酷く負けたらしい。数日も経つと今度は細川顕氏(ブタちゃん)が教興寺で夜襲のため敗北と聞いた。方や三郎(氏頼)は既に天王寺に戻っていたようだ。

 

 

「で?あいつは無事なの?怪我したの?どうなのさ」

 

 

「分からない。十七日に負けた後、教興寺に寄らずに直接帰ってきた人たちが言うには、殿様は顔に矢を受けたらしいし、天王寺からの報せでは、どこからどう見ても無事だって。でも、光綱(六郎)様が討たれたのは確かみたい。戦死者は推定二十人余りだって三井殿が」

 

 

「ちょっと前に聞いた話と違うな……この前は大勢討たれたって聞いたよ……いや、兵たちの話は後だ。光綱が死んだ。これは私も少し意外だね。前に光綱は絶対強くなるって言われてなかった?」

 

 

「よくある話だよ。死んだ若武者が生前は有望だって周りに思われてたなんて。それでも生き残った者が猛者だって讃えられるの」

 

 

「あーはいはい。それで三郎は結局生き残った訳だ」

 

 

 三郎(氏頼)が生き延び、正直目障りだった後継代理の六郎(光綱)が死んだ。

 恐らくそろそろ三郎(氏頼)が負けて自尊心が傷付くだろう。傷心につけ込んで一気に盤上をひっくり返してやる。そう思っていたところの意外な訃報だ。差し詰め、天から餅が降ってきたようなものだ。

 賽の目を手繰り寄せる感覚が久々に蘇った。ただし、油断が禁物なのは言うまでもない。ここで喜色を浮かべれば家中の反感を買う事必至だし、かと言って神妙にし過ぎても逆に睨まれかねない。

 目の前の甲賀三郎(望月亜也子)は戦後、私の反応を事細かく三郎に報告する可能性が高い。妙に聞き分けが良くないかと疑われない程度に悪態を吐きつつ、六角党(甲賀三郎たち)伝いに三郎(氏頼)の不興を買わない塩梅を見極める。

 

 

「次の戦……あんたは出るの?」

 

 

「出たいよ。出たいけど……多分無理」

 

 

「なんでさ?」

 

 

「自分の胸に手を当てて聞いてみなよ……お魅摩様」

 

 

「……はン。私の勝手を防ぐためか。飽きないねェ。三郎も」

 

 

 まだ完全に三郎(氏頼)の鼻っ柱が折れた訳ではない筈だ。きっと今や唯一従軍中の弟・山内定詮(五郎)と一緒になって、敗因は総大将の細川顕氏(陸奥守)にあると言い合っている。あの二人の剣幕が目に浮かぶようだ。

 勿論、三郎(氏頼)自身の落ち度については棚に上げているに違いない。

 三郎(氏頼)が京の出陣式で将軍印の鎧を着る事によって総大将の自尊心を傷付け、討伐軍の輪を乱す行動をしたなんて情報は、とっくに私の耳にも入ってきている。あの討伐軍は幕府の誇る守護たちを揃えるまで良くても、団結力(人の和)という重要な要素が今一つだったのだ。

 恐らく今頃、幕府で今後の対処が話し合われると同時に、責任の所在は誰にあるのか究明しようとされているに違いない。京に直冬という将軍庶子が現れて以来、三郎(氏頼)は直義派を離れて師直派に近いようだ。だが、師直派では私の親父(京極道誉)が幅を利かせている。これまでは氏頼(三郎)が血筋や武力の差で物を言わせて来られたとしても、河内国の戦で一敗地に塗れたせいで、そうもいかなくなってくる筈だ。

 

 

「御両人……入っても宜しいでしょうか?」

 

 

「……」

 

 

「三井さん。どうぞ」

 

 

「失礼致します……京極家の御当主がお見えに。光綱様のお悔やみに参られたと。お魅摩様、お相手をお願いできますでしょうか」

 

 

「へぇ……とうとう」

 

 

 今まで戦後になって本家当主の三郎(氏頼)に睨まれる事を懸念してか、同じ京に居ながら私と直接会わず手紙のやり取りだけだった親父が訪れた。弔問なら六角党も断れまいという打算もあってだろう。

 今二人きりで会うのは三郎(氏頼)の疑心の素か。だが、対策は簡単だ。

 さて、こっちはこっちで動き始めますか……なんて事を思いながら屋敷勤めの下女たちに支度を命じる。下女たちの妙に機敏な動きを白い目で見た後、甲賀三郎(望月亜也子)の姿を見た。あんたはとっくにその気を無くしたらしいが、私は違う。必ずや次の佐々木惣領の母に。

 その先に誰も彼もを見返す未来が待っている。腰の帯に一瞬だけ手を回し、私は立ち上がった。屋敷の客間でいつ以来なのか定かでない程久しぶりに見た親父の顔は、前と変わらずドス黒かった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 負けは勿論、光綱(六郎)様が討たれるなんて誰も思わなかった。でも仕方ない。乱世とはそういうものだ。仮にも僧侶らしく、手を合わせて黙祷して見せる。殿様はこの未来を見通していたのだろうか。

 きっと違う。佐々木城──今は観音寺城と呼ばれ始めている近江八幡の城──に北畠顕家の大軍が押し寄せた際、殿様は激しく狼狽していた。死んだ諏訪明神と同じで、全部が全部分かる訳ではないのだと思う。それでも殿様は、やっぱり私にとって神様だった。

 

 

「ほう……仏事の修行もきちんと積まれておいでなのですなァ」

 

 

「……道誉(佐渡判官)様。それは如何なる意味でございましょうや?」

 

 

「いえ、他意はござらぬ。ですが、本当に父娘水入らずにしてくださらないので?あまりにも情けを欠いた御対応かと存じますが」

 

 

 チクリとした言葉は、昔交戦した敵の刃より鋭く感じられる。

 思わず気圧されそうだ。これが幕府や北朝で巧みに策謀を巡らす当代一線級の知恵者の言葉らしい。北条軍に居た幼い頃、時行(相模次郎)と直義の論戦を思い出す。知恵者の抉るような言葉の刃でも、道誉様と直義公では性質が違う気がする。それでも、負けていられない。

 戦場で戦った豪傑たちに比べれば。そう私自身に言い聞かせた。

 

 

「殿様は以前、仰いました。塩冶高貞然り、飽浦信胤然り。女難はゴリゴリであると。また、出陣前はこんな事も。屋敷に誰か通す際は六角軍の陣営に早馬を寄越してからだと。これ何人たりとも例外は認めぬと。今回は一族重鎮の京極様が、光綱様の御弔問にと申されたから特別にお通ししましたが、何事にも限度がございます」

 

 

「これはこれは随分と手厳しい物言いを。別に拙僧は、魅摩に再婚話を持って参った訳でもございませんのになァ。そんな恐ろしい事とてもとても……いえ、ここは望月殿の努力に免じて同席を認めましょう。知恵の足らない田舎便女と聞いていたのですが……これも長い西国暮らしのお陰ですかなァ。公家の女子に負けず、口が回っておられる。はてさて、一体誰の入れ知恵でございましょう?」

 

 

 実を言うと魅摩の入れ知恵だ。何のつもりなのか、私が同席を希望するための口向上をすらすら言って来たのだ。一つ分かった裏の意味は、これで殿様に口利きしろよみたいな圧だ。それと本当は魅摩自身が堂々と奥を仕切るべきだと思っているからなのだとも。

 ただ、幕府の誇る謀臣(腹黒策士)の方が、何枚も上手だった。稚拙な付け焼き刃を余裕で受け止められたようにも感じる。とても敵わない。

 

 

「さて……魅摩。この通り、四方山話に花を咲かせている時間は残念だが無いようだ。この数日、幕府もてんてこ舞いでね。そのせいで光綱殿のお悔やみが遅れてしまった。拙僧も藤井寺や教興寺の合戦の結果は驚いたよ。まさか……顕氏(陸奥守)殿だけなら兎も角、赤松兄弟や宗家が副将。この渾身の討伐軍が楠木の若造に破られるとは」

 

 

「……親父。この京で最もお怒りな北朝方は誰さ?」

 

 

「……いいや、誰も怒ってなど居ないよ。ただ呆気に取られているだけださ。正行(まさつら)たちは謂わば、十年以上前に尊氏様御自ら正成殿の首を楠木家に持って行った上で、見逃した相手だ。それがこんな形で幕府に仇為した訳だからね。しかも予想外の大敗で、正行(まさつら)たちの器量の限界は全く以て不明。青天井だよ。これでは師直殿の出番はまだ無理さ。幕府は一旦、山名勢を加勢させる方針に決したよ」

 

 

「山名……」

 

 

「「?」」

 

 

 うっかり口からポロッとその名が出る。山名氏は建武大乱では言うほど目立っていなかったが、将軍宣下で足利氏の幕府が正式に樹立されてから度々聞くようになった名前だ。京を脱出して謀反人と名指しされた塩冶様を討ちに向かったり、背信の仁木家重臣を討伐したり。今の実力は桃井軍以上、下手すると新田父子かなんて話も聞いた。けれど、不意の反応の理由は決してそれじゃなかった。

 十年以上お仕えして分かった事がある。殿様はごく偶に何かを呟く癖がある。四六時中お側にお仕えして初めて分かる癖だ。(ただ)の便女の前だからと気が緩んでいるせいなのかは分からないけれど。

 それで釣られて言葉が出てしまった。決して意図してないのに。

 

 

「おや、望月殿。父娘の会話に立ち会うばかりか、お口挟みか?」

 

 

「待って、親父……ねぇ、殿()()絡みで何かあるでしょ?」

 

 

「……偶にその……殿様が山名の名前を聞いたら六分の一って呟くなって思って……思うところがありまして。そう大した事では」

 

 

「……親父。山名と六分の一で心当たりは?」

 

 

「はて……六分の一とは。意味を測りかねるなァ」

 

 

「……ふーん」

 

 

 どうやら二人の間に言外のやり取りがある。それは分かった。

 だが、それが何なのかは分からない。随分と昔、尊氏公の触手の露と消えた雫なら何か分かっただろうか。遠い目をして考える。

 

 

「何はともあれ、魅摩。宗家は昔からやや先走り過ぎるきらいがあるようだ。この十年近く、頑なに尊氏様の御息女を正室に迎えんとされた事、先を見据えての面もあろう。だが、宗家もそろそろ」

 

 

「目先を固めて貰わんとねェ……光綱(六郎)様が亡くなられて、後継者に誰を据えるつもりか。早くお決め頂きたいよ。定詮(五郎)は大人しく幕府に従うタマじゃないし、直綱(四郎)殿の器量は私もよう分からんしさ」

 

 

「……左様。でも、これだけは確かだ。佐々木一族でなければならないよ。この近江国を統べるのはね。もし宗家が尊氏様への崇敬溢れる余り、将軍家の幼子をとお考えなら……拙僧も手段を選ばず、止めさせて頂くよ。それだけは一族全員、見逃せないだろうさ」

 

 

 この時何気なく聞いていた言葉が長い時の果てに突き刺さる。

 そんな事は私も魅摩も、当の幕府謀臣・京極道誉さえ知らない。

 ただ、思いは不思議と一致していた。当面の正行(まさつら)の難局を乗り越えて貰わない事には何も始まらない。鎌倉幕府(北条政権)のように楠木軍のせいで屋台骨が揺れるなんて事は、考えたくもない未来記だった。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 藤井寺合戦の後、俺や赤松兄弟(範資&貞範)、安保直実(肥後守)らは天王寺にて守りを固めていた。続く教興寺の戦いで豚カツ(細川顕氏)の軍が夜襲を受けた際も斥候を放つのみで、決して正行(まさつら)たちに隙を見せないように務めた。

 そのお陰か。貞和三年(西暦1347年)十月を迎えても、特にこれと言った危機に陥る事なく、天王寺は我ら源氏の拠点であり続けている。九年前の顕家軍の戦で足利軍は天王寺を少しの間奪われていたが、今回は当時よりマシだ。天王寺ある限り、南朝軍の北上を抑制できよう。

 だが、このままで済まされるのか。勿論、そんな事はない。正行(まさつら)軍の台頭を受け、地方で南朝軍が息を吹き返し始めているという情報もある。遅くとも年内には片付けたい。それが幕府の方針だ。

 

 

「山名時氏(伊豆守)様!只今ご着到〜!」

 

 

「「「お〜!」」」

 

 

 十月一日に下向開始の軍勢が、摂津国天王寺に続々やって来る。

 やはり何と言っても最大の目玉は山名軍だろう。当主の時氏(伊豆守)は勿論であるが、弟の兼義(三河守)たちに加えて嫡男・師義(左衛門佐)を筆頭とした若い世代が居て、多士済々だ。彼らが将来、室町幕府三代将軍・足利義満公を警戒させる程の大勢力を築くと思うと感慨深いものがある。

 ただ、本音を言えば、時氏(山名伊豆守)前立の文字(一文字不通)が気になって仕方ない。

 

 

「細川顕氏(陸奥守)様!只今お戻り〜!」

 

 

「「「お、おお……」」」

 

 

 夜襲で敗北の教興寺合戦後、豚カツ(細川顕氏)たちは京へ逃げ帰っていた。

 まず間違いなく師直(高武蔵守)にこってりと絞られた筈だ。天王寺に駐留し続けたお陰で、戦場以外でも()()()()()を喰らわずに済んで良かったと感じる。見ての通り、他の者も酷く微妙な反応をしている。

 正行(まさつら)との戦が始まる以前、豚カツ(細川顕氏)の存在感は顕家討伐の功績から高師直(武蔵守)にも並び得るものであった筈だ。しかし、正行(まさつら)との戦では精彩を欠き、再びその実力が訝しまれている。豚カツ(細川顕氏)さえしっかりしていれば勝てた筈という思いを我ら将兵は抱かずに居られない。

 それを誤魔化すかのように豚カツ(細川顕氏)は気味の悪い笑みを浮かべた。

 

 

「……ブヒヒヒヒ」

 

 

「チッ」

 

 

 衝動的に舌打ちをする。流石に先月(九月)十九日の教興寺合戦の決着以降は別だったとはいえ、どうも十七日の戦い(藤井寺の戦い)が終わって暫くの間、俺が多くの兵を失ったという話ばかり京に伝わっていたらしい。

 だが、それはどうも豚カツ(細川顕氏)が方便のために情報操作した結果だと既に調べが付いている。一瞬チラッと豚カツ(細川顕氏)が俺に向けた視線が、その事を如実に証明していた。もし次も豚カツ(細川顕氏)のせいで負けようものなら、もはや()()()ではなく()()()()と呼んでやるつもりだ。

 (ペイ)の響きが(パイ)に似ていて丁度良い。そう心中で吐き捨てていた。

 他に再会が楽しみな面々は居る。見慣れた四つ目結の旗を掲げた隊列が来た途端、俺の表情は喜色ばんだ。すぐ下の弟の直綱(四郎)が兵馬を連れて参ったのだ。弟・直綱の拝謁を諸手を挙げて歓迎する。

 

 

「兄上、直綱(四郎)が参りました」

 

 

「おお!よう来た!よう来た!」

 

 

 これまで近江国で留守番の直綱(四郎)が、新手の六角党二千騎ばかりを連れて到着だ。当然、伊勢国の南朝軍・北畠顕能たちの動きを警戒しなければならないため、万の軍隊はとても連れて来られないし、代わりに次弟の定詮(山内五郎)を国に帰さざるを得なくなったが、楠木軍に敗れ新たな風を欲する今、若干凡才の直綱(四郎)と言えども心強かった。

 直綱(四郎)は他家の武将との仲を深めるのが不思議と上手だ。連合軍においては、真っ当に強い定詮(五郎)よりも価値があるかもしれない。

 

 

「軍議までにまだ少し時間がある。差配等は目賀田にでも任せて、二人で事前の擦り合わせというものをしておきたい。良いな?」

 

 

「無論、異存ございませぬ。ただ、その前に兄上。ご紹介しておきたい御仁がおりまする。此度、土岐頼康(刑部大輔)殿よりも援兵があった事はご存知でしょう?……頼明(兵庫頭)殿!参られよ!兄上に紹介したい!」

 

 

 連合軍ともなれば、こうした顔合わせの機会は度々発生する。

 今回の場合は土岐一族の将だ。現当主頼康(刑部大輔)は伊勢国を牽制する必要があって手を離せないので、代理の武将を寄越したのだろう。

 兵馬の数自体も多くはなさそうだ。ざっと千騎前後であろうか。

 さて、結果から言えばこの出会いが俺のやる気を削いだ。それもその筈かもしれない。今から聞く名前は、大体の者の言葉を失わせるに違いない。未来の事を知る者ならという条件は付くのだが。

 

 

「兄上。この御仁は故頼遠(弾正少弼)殿の末弟です。さあ、頼明(兵庫頭)殿」

 

 

「六角殿。土岐家名代として罷り越しました、頼明(兵庫頭)にござる。我が一族の明智兵庫助らを率い、この摂津戦線を支えに参った次第」

 

 

「……ん?誰を率いたと?相済まぬが、良く聞こえなかった」

 

 

「ぬ。明智兵庫助!……らを率い参った!まぁそれは兎も角──」

 

 

明智光秀ぇ!?

 

 

 後の時代で悪名高き名が俺の脳裏を猛烈に駆け巡る。平姓らしい信長を討った点は良しとしても、足利義昭(最後の足利将軍)の事を思えば、今の幕府重臣として何とも言い難い人物だった。俺は先入観に囚われる。

 亡き一騎当万(土岐頼遠)の末弟・土岐頼明(兵庫頭)の戸惑う顔なんぞ目に入らない。

 そんな奴と関わりたくない。その思いで一杯になる。光秀の名前を叫ぶのみで、本音までぶち撒けなかったのが不幸中の幸いか。

 各々の郎党たちと話し合う、山名時氏(伊豆守)と細川顕氏(陸奥守)の訝しげな目線に晒されたまま、俺は頭を抱えて衝動的に陣外へ走る。こんな状態で楠木正行(まさつら)と戦えるのか。客観的に見ても難しい有り様だった。

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