崇永記 作:三寸法師
〜1〜
現代の
しかし、南朝軍という視座で捉えた時、果たして同じ事が言えるのだろうか。関東の一部豪族で南朝派に鞍替えする動きが出始め、九州では懐良親王の勢力が蠢動し続けていた一方、信濃国では宗良親王をはじめ南朝勢力の肩身が以前にも増して狭くなっていた。
それもその筈。信濃国の南朝軍の主力を張るべき筈の諏訪頼継が幕府に降っていたからである。しかも、頼継は
「ね、祢津殿!今何と!?」
「……そこの弧次郎について一旦我らにお預け頂きたい。そう申しているのです、若君。信濃国における諏訪氏復権のため、何卒」
「ええ……?」
かつての中先代こと北条
無理もない。
幾ら弧次郎の育て親にして諏訪三大将の一人・祢津頼直がわざわざ
代わりに要求対象の弧次郎本人が口を開いた。勿論、弧次郎も俄かに納得し難い。
「訳を……せめて訳を聞かせてくれねェか?祢津様」
「……小次郎が京に呼ばれた。足利幕府の副将軍・直義公から内々の招聘だ。実質的に頼継様が、代理でも何でもない信濃国司になるための交換条件に近い。はっきりとそう言われた訳ではないが」
「「!?」」
あの足利直義が祢津小次郎をマークしているらしい。幾度も小次郎の影武者として戦場で軍功を挙げた弧次郎は勿論、時行や玄蕃の頭にも不安が過ぎる。弧次郎はかつて直義の義弟・渋川
しかも、渋川義季の遺児・幸王丸は成長して近い将来の幕府重鎮になるものと期待されているに違いない。更に重要なのは、幸王丸改め
「小次郎は今も体調不安。長く京に居続ければ、必ずボロが出る。逆に影武者を送ったと思われ、元より北朝や足利幕府にとって疑わしい筈の頼継様の信用が地に堕ちてしまう。それでは困るのだ」
「そうスね……直義はオレが影武者だなんて知らないでしょうし」
はっきり言って、弧次郎が
(勿論、弧次郎は……それで思い悩むほど神経は細くないが)
「なぁ。疑問なんだが、最近の幕府は楠木の倅に手を焼いているって評判らしいじゃねェか。なのに何で諏訪が下手に出て、小次郎を差し出すような真似をしなくちゃなんねェんだ?おかしいだろ」
「玄蕃。祢津殿がはっきりそう言われた訳ではないと申されたじゃないか……だから簡単には突っ撥ねられない。そうですよね?」
「若君の仰せの通り……頼継様は小笠原家が貞宗から政長に代替わりして尚、風下に置かれ続けるのはマズいとお考えです。故に京で密かに起こり始めている
幕府の中枢で骨を折り続けた京都諏訪家*2の顔にあまり泥を塗る訳にもいかない上、天下の諏訪大明神が朝令暮改のような真似をできる筈がない。大義の面でも大徳王城の戦いより遥かに難しい。
仮にも日本国で三つある内の現人神だからこそ、判断の重みに気を遣わざるを得ないのだ。在りし日の後醍醐天皇の振る舞いは置いておくとしても。ともあれ、安易に南朝有利の気配がある故と御託を並べ、帰順したばかりでありながら北朝との縁を切り、後からそれが失敗だったと分かるとどうなるか。間違いなく失笑ものだ。
もし天下の失笑を買えば、今度こそ諏訪大社は終わりであろう。
「今年五月に小笠原貞宗が逝き、やっと諏訪に復権の機が巡って参りました。早くこの機を活かさねば、諏訪は小笠原に劣るという今の序列が不動のものになってしまいます。若君、どうかお察しを」
「確かに……諏訪の皆には育てて貰った上、乱で率先して天下へ推してくれた恩義があります。頼重殿や時継殿は私のために死んだ。祖父や父を奪ったと頼継殿に思われても仕方ない。なのに頼継殿は大徳王城で確かに御助力を。既に北朝に降ってなお、私の信州住まいを黙認してくれている……もう天下を狙える立場にない私が迷惑を掛けるのは心苦しい限り。祢津殿、一旦と申されましたね?」
「その通り、向こうで何かあれば居続ける事はなく。若君におかれてはあくまで頼継様が明確に小笠原政長を超え、北朝や直義の庇護を必要としなくなるまでの一時的措置であるとお考え頂きたい」
「であれば」
「……若」
(そんなの、いつの話になるか分からねェじゃねえか……!)
三大将の頼直の言い分は事実上の無期限勧告にも等しかった。
祢津家で育てられた身として異を唱えづらい弧次郎だが、主従がそんなに長期間離れて良いものなのかと
「弧次郎。このまま信濃国で燻っているのは不本意だろう?私の代わりに足利幕府の力の程を見極めて来て欲しい。それと……尊氏は十二年前の例がある。だけど、執事の師直は別だ。暗殺が狙えそうならサクッと殺って来るんだ。弧次郎なら十分できるだろう?」
「はぁ……そういう事なら」
近年、高
結果、やはり渋々ではあったものの、弧次郎は戦場に出ていた時と同じように小次郎として京という表舞台に立つ事を承諾した。
古典『太平記』を読み進めていくと、祢津小次郎という人物に京都滞在期間がある事が分かる。それも緊張状態の京に居たのだ。
果たして病弱な武将にそんな危ない真似ができたのであろうか。
「若君。応じて頂き、痛み入ります……詫びと言っては何ですが、幾らかの金品を御用立て致す。今後の生活にお役立て頂きたい」
「……ありがとうございます。ですが、祢津殿。私は決して何もかも諦めたという訳ではありません。直義派が師直派に勝った後は必ず尊氏との力関係が崩れて軋轢が生じ、私ども南朝方がつけ入る隙を見せる。そう判断して弧次郎を遣わすものとお考えください」
(どうなってんだ。弧次郎まで。これじゃ残りの逃若党は俺と──)
まるで手切れ金のやり取りだ。玄蕃は狐面の裏で顔を顰めた。
さては頼直は、甥の弧次郎がこのまま潜伏生活の時行軍に身を置き続け、天下の騒乱に関わる事なく一生を終えては不憫だと思い、こんな話を持って来たのではなかろうか。北条軍から祢津弧次郎という猛将がたとえ一時的であっても離脱するリスクは重かろう。
そもそもあの宗良親王がこの話を聞いて良い顔をするだろうか。
懸念事項が次々頭に浮かび、風間玄蕃は嗜めるように言った。
「おい、坊。良いのかよ。大体、その説明が親王に通じるか?」
「どうあれ、頼継殿の協力無しに挙兵は無理だ。是非もなく御納得頂くしかない。ただ、祢津殿。弧次郎の京行きについては出来る限り日延べできませんか?楠木軍の行く末が明らかになり次第という方針にして貰いたく……
「……頼継様にそうお伝えしておこう」
(斯く言ったが……私は楠木
また、
だから
一体全体、南朝の気風が今どうなっているか。時行は不安げに東南の空をチラと見る。不安が言い様のない程、増した気がした。
〜2〜
十月に入り、室町幕府軍と楠木
現在、幕府軍の主将は山名
後の観応の擾乱、もしくはそれ以降の戦績を鑑みても、今挙げた幕府武将たちは綺羅星の如き面々であった。一人一人、並の武将が勝てる相手では決してない。そんな強敵たちを
勿論、他にも考慮しなければならない事はある。南朝の総本山、吉野朝廷の意思である。戦術面は現場の
「
「真だ。賢秀……十一月下旬に至るまで拮抗を保ちつつ、山名
「何と……これだから御公家が戦略に口出しすると碌な事にならぬのです!南朝の公家衆は、湊川の戦いが起こる前に千種忠顕卿がしてくれた余計な口出しをお忘れか!しかも、よりにもよってあの顕家卿の御尊父が……任せると決めたからには全て現場の我らにお任せ頂ければよいものを!戦を知らぬ者の口出しはもう沢山だ!」
「口を慎め。賢秀……言い過ぎだぞ。親房卿は十一月末頃に勝敗が明らかになれば、幕府や北朝が年末年始に大慌てとなり、行事に手が回らず権威を低下させる。ここまでお読みで命じておられる」
「ハ!お公家様は我らと視座が違っていらっしゃるようで!これなら
「……賢秀。我が従兄弟なれば、そんな皮肉は止してくれ」
「しかし!」
「もう決まった事だ。これ以上の反発は士気を下げるだけと知れ」
実のところ、九月下旬の教興寺合戦以来、室町幕府軍と楠木
幕府軍は軍神の再来・楠木
「案ずるな。山名
「
中世を生きる者にとって加護は単なる加護ではない。現代のアスリートたちでさえ、中には本気でオカルトに傾倒する者も居る。
では、名将・楠木
たとえ名将であっても、冷静に神仏の効果を利用する心と畏れ敬う心は、十分に両立し得るものだった。あの合理主義者の高
戦前に至るまで人々に持て囃され続けた
「どうあれ変わらぬ。
「そうなのですか?……所詮、高一族の前座かと」
「賢秀。その認識は危険だ。今すぐ捨てよ。足元を掬われるぞ」
「……何と。そこまで言われますか」
楠木正行と和田賢秀は従兄弟同士である。方や軍神・楠木正成の息子で、方やその弟の正季の息子という間柄だ。湊川の戦いで共に父親を失い、それ以降ずっと雪辱を晴らさんと志を同じくした。
故に気心はお互いかなり知っている。それだけに驚きは大きい。
「もし山名氏と高一族の間に違いがあるとすれば、仮に当主が敗れた時に
「要は……今の高師直が一度でも負ければ、幕府そのものの武威が疑われる。
「そう。今でさえ細川・赤松・佐々木連合軍の敗退で威信が傷付いているんだ。その点、流石に
(まだ姿を現さぬ敵将で真に万人を率いるに値する者は足利兄弟や高兄弟、
残り二つ。残り二つ勝てば積年の悲願が達せられよう。
迫り来る山名