崇永記   作:三寸法師

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◆8

〜1〜

 

 

 早いもので貞和三年(西暦1347年)の十一月下旬。京より時氏(山名伊豆守)たちの軍勢が到着してから優に数十日が経過している。いつになったら楠木正行(まさつら)との再戦となるのか。いい加減、仰々しい篝火も見飽きたところだ。

 確かに夜襲対策は欠かせない。教興寺の戦いで豚カツ(細川顕氏)がその手で敗れてからそれなりの日数が経った今だからこそ、再発防止のために更なる警戒が必要という時氏(山名伊豆守)の言い分も分からないではない。

 しかし、これでは戦場においてあまり良くないと分かっているとはいえ、焦れてしまう。今のままでは兵たちの集中力も低下する一方である。こんな状態では幾ら精鋭でも力量に影響しかねない。

 

 

時氏(山名伊豆守)殿……仕掛けるなら早急に仕掛ける!仕掛けないなら国清(畠山阿波守)殿に頼むか、京の幕府にお願い申すかして、河内国以外の敵方拠点を攻めて楠木軍を揺さぶる!どちらかではござらぬか?今のままで勝てるとは到底思えん!そうでなくとも、幕府軍は攻め気を失って、襲撃に日夜怯えておると天下の物笑いの種となりましょうぞ!」

 

 

「六角殿。何度申されても同じ事にござる。今はじっと堪えて攻め時を待つ事こそ肝要。篝火のせいで眠れぬから前掛かりになってしまわれるのであろう?ならば、いっそ昼に寝られては如何か?」

 

 

「ッ!何十日経っても攻め時とやらが来ぬ故、自分たちから作りに行くべきではと申しおりまする。受け身の戦で正行(まさつら)に勝てると思われますな!あれは藤井寺や教興寺の合戦から楠木正成(軍神の父)と同じ器量の持ち主と言われておるそうですが、本質は全く別!新田義貞や北畠顕家に近うござりまする!くれぐれも見誤ってはなりませぬ!」

 

 

「六角殿。若輩の貴殿はお忘れかもしれないが、楠木正成は野戦でも天下一等。新田義貞や北畠顕家をも凌いでいた。正行(まさつら)も同様の力を秘めておる。六角殿こそ藤井寺の戦いで敗れて尚、正行(まさつら)の力を見誤っておられますまいか?再三申しておりますが、気の長い根比べこそ最も確実に勝てる策だと心得られよ。急がば回れにござる」

 

 

「で〜す〜か〜ら〜!」

 

 

 二十三日になって行われた軍議で、意見は平行線を辿っていた。

 近江国守護の俺が痺れを切らして積極策を唱える一方、新たな討伐軍大将の山名時氏(伊豆守)は微塵も動揺の気配なく慎重策を口にする。

 他の守護大名──細川顕氏(兵部少輔)や赤松範資(信濃守)は黙ってそれを聞いているという現状だ。彼らなりに思案しているところがあるのだろう。

 ここで意外な人物が口を開く。時氏(伊豆守)の嫡男・師義(左衛門佐)である。それも父の時氏(伊豆守)でなく、歳の近い俺の意見を援護しようというらしい。

 

 

「父上。六角殿のお言葉にも多少の利はあるかと。父上はここ暫くの間ずっと気の長い根比べと言い続けておられますが、我らは選りすぐりの将兵ばかりで一万騎未満の数とはいえ、やはり楠木軍の何倍もの兵力を抱えております。となれば、心配なのは輜重兵糧」

 

 

「確かに……これから寒さがもっと厳しくなる。より多くの薪が入り用になろうな。ただ、それとこれとは別だ。師義(左衛門佐)、徒らに焦って身を滅ぼした武将は枚挙に暇がない。お前はそうなりたいか?」

 

 

「それは……!」

 

 

 マズい。このままでは時氏(伊豆守)の意見がまたしても通ってしまう。

 折角師義(左衛門佐)が我が意に賛同してくれたのに、それを無駄にしてしまうのは忍びない。俺は矢盾の机に身を乗り出し、時氏(伊豆守)に尋ねた。

 

 

時氏(伊豆守)殿!兵は拙速を尊ぶという道理をご存知か!?」

 

 

「無論、存じておる。だが……兵法が全て正しいとは限らん!」

 

 

 もうウンザリしたとでも言いたげに時氏(伊豆守)は拳を机に振り下ろす。

 我慢強さの重要性を訴え続けている割に、遂に諸将の前で堪忍袋の緒が切れる様子を見せた。いや、逆によく今まで平静を保ち続けた方なのか。並の武将ならもうとっくに怒り出していただろう。

 ただし、時氏(山名伊豆守)の言葉はその激情と裏腹に論理性を維持している。

 

 

氏頼(大夫判官)殿はこの幾月もの間、目の前の何を見ておられた!?湿地帯が広がり、騎馬の軍勢を展開できる場所は限られている!その後ろには山々があり、敵が伏兵を置くに困らぬ!徒らに戦線を南に押し出してみよ!あっという間に正行(まさつら)の父親譲りの軍略に絡め取られてしまうわ!今は敵がこの天王寺へ押し寄せるのを待つ事こそ上策であると何度言わせる気であるか!いい加減、お分かり下され!」

 

 

時氏(伊豆守)殿!待っている間にも輜重兵糧の消費は甚大!時氏(伊豆守)殿は先程ご子息の師義(左衛門佐)殿にそれとこれとは別と申されたが、見当違いにございましょう!戦と銭兵糧は切っても切り離せぬもの!年末、あいや来年に至るまで在陣すれば、どれだけの消費と相成りましょうや!ただでさえ、(南朝)から切り取れる土地は少ないと申しますのに!」

 

 

 ここ幾月かは正行(まさつら)が躍動して日本国を揺るがしていると言えど、依然として天下は北朝の有利である。つまり、南朝管轄の荘園は十年以上前に比べ、やはり少ない。これが何を意味しているのか。

 北朝武将の新たな取り分が限られているのである。これもあって戦費が嵩むにつれ、武将たちが憂鬱になるのだ。実際、俺の指摘で味方の将たちは気不味そうに目を逸らした。図星だからである。

 だが、これでいよいよ主将格の時氏(山名時氏)の逆鱗に触れたようだった。

 

 

「これは片腹痛うござるぞ!氏頼(大夫判官)殿は恩賞を気にしておられたか!攻め時を得るため、国清(畠山阿波守)殿や幕府の新手に頼る事を提案したばかりである事をお忘れか?それで取り分が減る事に思い至らなんだか?そもそも九月に勝っておれば良かったのだ。さすれば我らが出陣するに及ばず、恩賞は氏頼(大夫判官)殿や顕氏(兵部少輔)殿らで独占できたであろうに」

 

 

「何を……!」

 

 

「ああ、いや……この顕氏(兵部少輔)、不甲斐ない限りにござる」

 

 

「……いやいや、細川殿を責めている訳では」

 

 

 突然の豚カツ(細川顕氏)の自戒で、軍議の席に微妙な空気が立ち込める。

 幾ら建武の乱から長い下積み期間を終えて、今や名のある武将として討伐軍を仕切っている時氏(山名伊豆守)であっても、将兵の心的疲弊はいつ迄も誤魔化し続けられるものではない。鬱憤を貯まるばかりだ。

 状況を見兼ねてか、この摂津国の守護の貞範(赤松信濃守)が漸く口を開いた。

 

 

「一旦、中座と致しませぬか?時氏(伊豆守)殿も氏頼(大夫判官)殿も頭を冷やされた方が宜しかろう。興奮するばかりでは良き戦略も浮かびますまい」

 

 

「相分かった……六角殿もそれで宜しいな」

 

 

「……応」

 

 

 ヒートアップした軍議にやるせない思いを抱きつつ、俺は弟の()()に目配せをして、一緒に六角軍陣営まで小腹を満たしに戻る。

 時氏(山名伊豆守)の言う通りだ。およそ二ヶ月ほど前の藤井寺合戦で勝ってさえいれば、三弟の光綱(六郎)を失う事も、今こうして戦費に鬱々とする事も無かった。勿論、幼馴染の楠木正行(まさつら)に武名で抜かされた事を悔やしがる必要も無かった。いつまで不甲斐ない思いをし続ければ。

 南の空を見る。正行(まさつら)、早く攻めてこい。俺は焦れに焦れている。

 京に(おわ)す尊氏様を思えば、勝手に陣を引き払って帰る事なんぞ有り得ない。手詰まりの気配に、俺は歯痒さで身を焦がしていた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 そもそも山名氏は鎌倉時代末期、血筋の割にまるで百姓のような暮らしをしていたらしい。少し前にこの話を聞いて、時氏(山名伊豆守)の兜の()()()()()という前立てにやっと合点がいった。要するに、山名時氏(伊豆守)はかつて在りし日の呂蒙(呉下の阿蒙)のようであったのだ。それが刮目すべき事に幕府軍の主力武将にまで昇り詰めている。立身出世の好例だ。

 山名氏はこれから赤松氏や一色氏、更に京極氏と共に室町幕府の四職に成り上がる。これが世の道理として受け入れるべき事だ。

 それ自体は、分かっている。頭では分かっているのだ。頭では。

 

 

「兄上……先程のお振る舞いは」

 

 

「今のままでは勝てぬ。そう思ったから言ったのだ。俺は山名氏の郎党に成り下がった覚えはない。直綱(四郎)、何を憚る事があろう?」

 

 

「さりながら……京方のお耳に入れば如何なる仕儀と相成るやら」

 

 

「むぅ」

 

 

 俺は小腹を満たすための湯漬けを手に持ちながら、顔を顰めた。

 直綱(四郎)の言わんとする事は手に取るように分かる。俺が佐々木惣領のプライドに固執するあまり、細川顕氏(兵部少輔)や山名時氏(伊豆守)からの心象が穏やかなものでなくなっていると言いたいのだろう。確かに彼らは討伐軍大将として幕府に幾らでもあれこれ報告できる立場にある。

 妙な讒言をされては外様大名の俺自身に不利だ。だが、今こそ軍議での山名時氏(伊豆守)の言葉を借りたい。それとこれとは別であると。

 

 

「兄上……そもそも我ら幕府軍が一貫して精鋭兵のみ厳選して編成しているにも拘らず、寡兵の楠木軍に苦戦し続けている理由を何と心得ておられますか?単に正行(まさつら)の方が戦巧者である故ですか?」

 

 

「……いや。ずっと昔から楠木軍にどこか相性が悪いという顕氏(兵部少輔)殿は兎も角、俺は決してそんな事ない筈だ。武勇、指揮、兵法のどれをとっても、この氏頼(大夫判官)正行(まさつら)に劣ると思えん……将兵の質も定詮(五郎)や目賀田たちを見よ。敵軍に何一つ負けておらぬ。もし理由があるとすれば、俺自身が総大将でないからだ。俺が総大将であったなら、こんな事にはなっておるまい。そもそもそもそもそもそも──」

 

 

「兄上」

 

 

 弟の直綱(四郎)の短い呼びかけを聞き、()()とする。本当の事だと思っているが、負け惜しみのような物言いは慎むべきかもしれない。

 正直なところ、自分でも敗戦が腑に落ちないのだ。確かに楠木軍は強い。だが、何とか五分以上に持っていけると思っていたのに、気付いたらジリジリ負けていた。だから今も釈然としないのだ。

 

 

「すまぬ、取り乱した。で、お前の敗因分析を聞こうではないか」

 

 

「は……地の利と人の和。これらが我々に欠けているためかと」

 

 

「……ほう」

 

 

 凡才と思っていた直綱(四郎)だったが、ここに来て中々どうして面白い事を言ってくれる。孟子の言うところの()()()を引く気らしい。

 戦略でよく言われる、天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かずという格言である。直綱(四郎)は三要素の内、重要な二つが欠けているための苦戦と考えているようだ。逐一聞かずとも分かる。

 

 

「地の利は先程、時氏(伊豆)殿の申された通り……ですが、余程の天変地異でもない限りは、如何ともし難い事ですから、今は置いておきましょう。問題は人の和です。この点で我らは決定的に劣るかと」

 

 

「……楠木軍は湊川の戦いの落とし前、あるいは南朝復興のために一致団結している。一方、我ら幕府軍は武将たちが各々欲得ずくで動いているため、てんでバラバラ……そう言いたいのか?直綱(四郎)

 

 

「誤解を恐れずに申せば……そうなります」

 

 

「ならば良い」

 

 

 湯漬けを掻き込むための箸を机にゆっくりと置く。それからジッと直綱(四郎)の顔を見つめた。直綱(四郎)は言いたいのだ。俺の気ままな振る舞いのため、諸将は団結し切れない。故に身の振り方を見直せと。

 随分と御大層な話だ。それならば、直綱(四郎)に御手本を見せて貰おうではないか。団結力さえあれば勝てるというのなら、直綱(四郎)の繋ぎ力に現状打破を期待するのが筋だろう。その器量を見せて欲しい。

 

 

「次の戦……直綱(四郎)。お前、やってみろ」

 

 

「え?……え?あの、兄上?」

 

 

「俺の名前だけ貸してやる。土岐家当主の頼康(刑部大輔)殿が叔父の頼明(兵庫頭)殿を名代に出してるんだ。佐々木惣領の俺だって名代を立てて構わんだろうよ。うん、それが良い。これで万事解決さ。後はよろしく」

 

 

「ちょ、兄上……!?まさか近江国に帰るおつもりで!?」

 

 

「まさか、まさか。それでは尊氏様に申し訳が立つまい。俺はただ弟のお前の成長を喜び、機会を与うだけだ。俺は夜襲対策のため、昼寝して身体を休める。さぁ、直綱(四郎)。そろそろ軍議再開の時間ではないか?ゆっくり話し合うて参るが良い。我が名代としてな?」

 

 

 困惑気味の小姓を呼び、戸板の上に布団を敷かせて横になる。

 思いの外、ぐっすり眠れる。夜の轟々しい篝火に比べ、昼の軍営の喧騒の何と心地よい睡眠導入剤である事か。困り果てた直綱(四郎)の挙動に興が削がれるでもなく、俺は冬日の微睡みに溶けていった。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 あれから一体どれだけ寝たのだろう。気付けばすっかり夜になっていたらしい。小煩い松明の音が耳障りとなって視界が開ける。

 戸板のすぐ近くに他家の武将が座り込んでいた。時氏(伊豆守)の嫡男の(左衛)(門佐)である。さては俺が起きるまで待ち続けるつもりだったのか。

 

 

師義(左衛門佐)殿、どれだけ待たれた?」

 

 

「はて……そんな瑣末な事、気にしてなど」

 

 

「おお、宗家!ようやっと御目覚めですかな?この与一が盥に御湯を持って参りますぞ。ああ、そこの者、手を貸してくれまいか」

 

 

「……与一(野木兵衛)までおったか」

 

 

 武人・野木与一。我が佐々木一族の庶流出身で、十一年前の建武の乱では大渡山崎合戦において古の浄妙坊*1に劣らぬ一騎当千ぶりを発揮した優秀な武者である。佐々木一族ながら当時は師直勢に所属していたが、今回の戦役では討伐軍本隊の山名勢所属である。

 それにしても師義(左衛門佐)与一(野木兵衛)の二人が何故この佐々木六角軍陣営に居るのか。大体察しがつくが、並々ならぬ理由があるに違いない。

 

 

「御用があれば、起こして下されば良かったものを」

 

 

「何を申される。寝ながらにして我が手を払いのけたでしょうに。これでは日々仕える六角党たちもさぞかし苦労しておられよう」

 

 

「……ハハ」

 

 

 直感の赴くがまま、師義(左衛門佐)の言葉に乾いた笑いを溢す。特にこれと言って心に響くものはない。確か師義(左衛門佐)の齢は俺より二つ程下だ。

 しかし、近年は現当主の時氏(伊豆守)の元、順調に軍功を挙げつつある。

 今の時点でも一族郎党からの期待は想像以上に大きいようだ。

 実のところ、山名氏の成長は、眼前の師義(左衛門佐)のそれと連動しているのかもしれない。師義(左衛門佐)の器量は傍目には未知数であるが、とはいえ侮り難い強さがありそうだ。まだ伸び代があるかもしれない。

 

 

「して、御用向きを伺っても宜しいか?師義(左衛門佐)殿」

 

 

「は……氏頼(大夫判官)殿。作戦変更です。我が父時氏(伊豆守)はようやっと御心を決め申した。軍を二つに分けまする。細川勢が天王寺を守ったまま、残る部隊が南の阿倍野方面へ繰り出します。かつて顕家軍と師直軍の合戦があった場所にて、討伐の吉例に倣い、正行(まさつら)軍に引導を」

 

 

「!」

 

 

 一体どのような風の吹き回しなのか。討伐軍はこの幾十日も拘泥し続けた耐久作戦を捨て、積極策へと方針を転換させるらしい。

 さては俺の昼寝が山名時氏(伊豆守)へのストライキか何かと思われたか。

 時氏(伊豆守)の嫡男師義(左衛門佐)の顔を見る。不覚にもどこか憐れみさえ感じる目をしている。前途の明るい武門・山名氏の後継として佐々木惣領の俺を中古の産物とでも思っているのだろうか。心外極まりない。

 十一月二十三日夜、楠木軍との再戦まで残り三日となっていた。

*1
治承年間の源頼政と平家軍の橋合戦で名を轟かせた三井寺の僧兵。




改めまして、新年明けましておめでとうございます。
今年もあまり執筆時間を取れそうにないので、2期放送時期前後で巻き巻きできそうなら快調ぐらいに思ってくだされば幸いです。
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