崇永記   作:三寸法師

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〜1〜

 

 

 貞和三年(西暦1347年)十一月二十六日、瓜生野で幕府軍本隊の山名勢と南朝軍の楠木軍の激戦が繰り広げられている。通常、この時代の合戦は双方念入りに矢戦を繰り広げた後、鍔迫り合いに移るものである。

 しかし、この住吉合戦は違った。両軍は鬨の声を一回のみ上げ、早々に競り合い始めたという。これに面食らったのは瓜生野、もとい遠里小野の様子を伝え聞いていた阿倍野の二部隊だった。言い換えれば、東西二ヶ所に分かれて布陣の土岐・佐々木両軍である。

 この二つの軍は現在、当主を欠いている。前者の土岐頼康(刑部少輔)は伊勢国に睨みを利かせるため、そもそも征西に不参加で一部郎党の派遣に留まっている。後者の佐々木六角氏頼(大夫判官)は九月以来駐屯の天王寺に愛着が湧いたのか──当然そんな事はなく、実態としては弟・直綱(四郎)の諫言に逆ギレして──今も同地に留まり続けている。こうした事情から、それぞれ土岐頼明(兵庫頭)と六角直綱(四郎)が代理の大将になっていた。

 

 

直綱(四郎)殿、何をしておられる!?急ぎ山名軍救援に向かわねば!」

 

 

()頼明(兵庫頭)殿。しかし──」

 

 

「何を躊躇う理由が……もしや」

 

 

「只今、天王寺まで兄上をお呼び致しておるところです」

 

 

 この六角直綱(四郎)という武将は後年の戦績を鑑みても、兄・氏頼(大夫判官)や弟の定詮(五郎)に比べ、些か将器に寂しかったような節がある。あまり大した実績がないのだ。強いて言えば、とある合戦において山で成り行きを静観し続けた挙句、麓の敵軍の勢力が増大したと見るや否や、城を捨てて味方の本陣へ駆け込んだ程度だろうか。要は突出した点が無い。武将としては氏頼(大夫判官)定詮(五郎)の方が遥かに名が轟いていた。

 実際、直綱(四郎)はこの住吉合戦でも山名軍と楠木軍がぶつかり合っている最中、静観を貫いた。後世からも不審がられる選択である。

 とはいえ、最大の要因は、阿倍野と天王寺はほぼ同地の隣同士という地理的事情かもしれない。ともすれば兄・氏頼(大夫判官)に出陣を要請できるかもしれないという甘えが、直綱(四郎)の判断力を鈍らせていた。

 

 

「それに東からの斥候も待たねば。我らが南へ駆け付けた後が心配なのです。天王寺には顕氏(細川陸奥守)殿が居られる。もしこれを敵の別働隊が狙うとすれば、必ず東の大和川*1を渡って押し寄せる筈。西に海、北には天下の大河・淀川がございます故に。もし我らがこの阿倍野を空ければ、天王寺は急襲され易くなる。その前に万全の──」

 

 

「ああ、直綱(四郎)殿。そのように慎重な姿勢は平時なら褒められるかもしれませぬが、これは生の戦。万事が万事、敵に一切の隙を見せずに事を運べられるとは限りませぬ。時には思い切って臨機応変に決断せねば、機を逃す恐れが。その方が余程敗因になり得ますぞ」

 

 

「……恥ずかしながら私では無理です。それは兄上や定詮(五郎)が得意とする事。不測の事態に対応できる自信も無いのに危ない橋など」

 

 

(何と弱気な……まるで氏頼(大夫判官)殿から繊細さだけ取り出したようだ)

 

 

 消極的な直綱(六角四郎)の姿勢に面食らい、頼明(土岐兵庫頭)は六角党の表情を見る。

 誰しもが当主・氏頼(大夫判官)の不在に歯痒さを抱えているようだ。中には明らかに、よくも余計な諫言をして御当主の臍を曲げてくれたと(六角)(四郎)への苛立ちを顔に出す者まで居る。勿論、表立って言う者は居ないものの、そんな空気感が漂っている。氏頼(大夫判官)本人への不満が無い様子である辺り、魅摩が見れば「これだから六角党の連中は」と呆れかねない状況だ。不健全な有り様を見て、部外者は何を思うか。

 

 

「取り敢えず、直綱(四郎)殿。ここに居られる六角党の方々は、誰もが腕に覚えを持っておられると存ずるが、一先ず更なる強者だけを選抜しませぬか?それなら瓜生野の山名軍が窮地に陥った際、阿倍野(この地)に牽制の兵馬を置き、少数精鋭で素早く駆け付けられましょうぞ」

 

 

「……それならば」

 

 

(さて、六角党はそれで良しとして……肝心の我ら土岐党はどうしたものか。確かに六角党のみ残し、我らだけ救援に向かうという手は無いでもなかった。だが、それで六角党は血を流さず、我々が過剰に血を流したとあらば、後になって頼康殿(我が甥)が何と申されたか)

 

 

 この時代、一族が必ずしも一枚岩で居られる保証はない。六角党でさえ佐々木氏という括りで見れば、道誉(佐渡判官)の稀有な知謀のため室町幕府で厚遇される庶流の京極家を程度の差はあれ、睨んでいる始末である。一騎当万の頼遠(弾正少弼)死後の土岐氏も、その運命を免れない。

 閑話休題。住吉合戦は瓜生野(遠里小野)で早くも勝負所を迎え、山名氏以外の北朝武将たちは各々の持ち場で次の展開に備えている。阿倍野の土岐・佐々木両軍も例に漏れず、合流して後顧を見据えていた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 瓜生野(遠里小野)における山名勢四千騎と楠木軍二千騎の合戦は熾烈を極めながらも明らかに正行(まさつら)たちが押していた。時氏(伊豆守)師義(左衛門佐)も傷を負い、当主実弟の師兼(三河守)は討ち取られた。他にも猛者が数多く死傷した。

 この時、天王寺の細川顕氏(陸奥守)が引くか進むかの選択に迫られていた事は想像に難くない。細川顕氏(陸奥守)は九年前、北畠顕家軍を相手に粘りに粘った事からも、間違いなく時代を代表するべき名将である。

 とはいえ、長年との楠木残党との戦績に加え、藤井寺や教興寺での敗戦の記憶は新しい。この住吉合戦こそ「豚カツ(細川顕氏)は楠木軍との相性が悪い」というレッテルを剥がす最後のチャンスである。それ自体は顕氏(陸奥守)も理解し、闘志を燃やしていた筈だった。天王寺に駐屯している間、着々と西国・四国勢を集めて兵力を倍増させていた。

 

 

(今この天王寺に北朝武士は五千騎ほど居る。各所の部隊の兵を足して一万三千騎弱。飾りで討伐軍総大将をやっておる訳ではない。一万騎足らずというところから、短期間でこれだけ精鋭兵を嵩増しできた。この陣容で悪党のガキ風情の二千騎に負ける筈が──)

 

 

「申し上げます!山名勢の死傷者数は甚大!既に半分以上の兵が討ち取られている模様!武名のある一騎当千の強者たちに絞っても、野木与一殿ら四十余名が犠牲になっておられると!劣勢です!」

 

 

「ぐっ。の、野木まで死んだか。当代の浄妙房が……誰か、氏頼(大夫判官)殿を叩き起こすのだ!あれと野木は同族の筈!直ぐに知らせろ!」

 

 

「は!」

 

 

 元は佐々木一族の野木与一をはじめ、将軍執事直轄の精鋭部隊より討伐軍大将として顕氏(細川陸奥守)時氏(山名伊豆守)に貸し与えられた武者たちが瓜生野で次々討ち取られているという現状に愕然とする。今までの敗戦と相まって、細川顕氏(陸奥守)にとって楠木党はもはやトラウマ級である。

 北畠顕家と対峙した日々でも、ここまででは無かった。あの時の顕氏(細川陸奥守)は幕府中枢の指令によく応え、一度の敗戦はあっても連敗を喫する事なく、顕家軍本隊を幾月もの間抑え込んだものであった。

 それが今はどうであるか。顕家軍よりずっと寡兵の楠木軍に苦戦続きである。胸の内の畏怖を誤魔化すように、顕氏(細川陸奥守)は苦し紛れの軍令を出そうと試みた。既に後手に回っている事を自覚しながら。

 

 

「や、山名勢に多数の死傷者が出ておるようだが、それなら楠木軍も相応の犠牲を払った筈。相手の千騎を討ち取るのに同胞の八百騎の犠牲を要するのが合戦の常ぞ。正行(まさつら)は今、疲れておる。ここを今より我らが出撃して攻めれば、勝利はまず疑い無いものと──」

 

 

「伝令!伝令!赤松勢より伝令が!瓜生野の山名勢は既に駆け付けても立て直し困難なところにまで追い込まれているとの事!これより撤退を手引き申し上げる故、細川様におかれては無理に救援を行おうとなさらず、渡辺橋で大軍を渡す算段に集中されたしと!」

 

 

「な……この天王寺を敵に明け渡せと!?範資(赤松信濃守)殿が!?」

 

 

 摂津国守護・赤松範資(信濃守)からの非情宣告を突き付けられ、顕氏(細川陸奥守)は狼狽した。直ぐに自らの側近ではなく、伝令兵を呼ぶよう命じた。

 ここで撤退すれば、摂津国が南朝派の手に堕ちる。本当にそれを分かっているのか。範資(赤松信濃守)が北朝守護として納得できるのか。名将である(円心)の顔に泥を塗るかもしれない事を赤松兄弟(範資と貞範)は承知なのか。

 顕氏(細川陸奥守)は討伐軍の大将として範資(赤松信濃守)の伝令兵に確認したかったのだ。

 

 

範資(赤松信濃守)殿はこの戦、諦めよと。断腸の決断を致せと申されたか?」

 

 

「恐れながら左様に取り計らって頂きたいと……闇雲に戦って総崩れとなるよりは、その方がずっと予後がマシだと仰せでした!」

 

 

「……相分かった。全滅するよりは、今の内に橋へ向かおう」

 

 

(淀川は大河。敵に橋桁を外さればお終いぞ。致し方あるまい)

 

 

 円心(天下の名将)のイズムを受け継いだ範資(赤松信濃守)の判断だ。間違いないだろう。

 結局、この住吉合戦において細川顕氏(陸奥守)は碌々戦わずに撤退した。

 同時代の日記『園太暦』は「顕氏不及幾合戦引退」という記述を載せている。直後の記述で山名勢が心を尽くして戦い、甚大な犠牲を払ったと分かるため、住吉合戦での顕氏(細川陸奥守)の戦意喪失は『園太暦』の著者・洞院公賢*2にとって相当印象深かったものと思われる。

 

 

「ちょっと待ったァ!」

 

 

「来るのが遅いわ……氏頼(大夫判官)殿」

 

 

「本当に……本当に諦めなさる気か?顕氏(陸奥守)殿」

 

 

 如何にも我慢の限界という様子で、細川顕氏(陸奥守)の元に佐々木惣領の氏頼(大夫判官)が現れる。まだ戦は終わっていないと目で訴え掛けている。

 顕氏(細川陸奥守)は思った。秋から冬にかけての楠木軍との戦はこの若大将と本当の意味で力を合わせて戦えていれば、もう少し違う結果になっていたかもしれないと。しかし、()()()()()()()は世の道理だ。

 既に細川顕氏(陸奥守)も六角氏頼(大夫判官)も負けたのだ。今は瓜生野(遠里小野)で山名時氏(伊豆守)が敗北寸前の状況だ。ここまで来れば、楠木正行(まさつら)に勝てる者は日本国に征夷大将軍・足利尊氏しか居ないのではないか。もし他に居るとするなら、それはもう天下人すら目指せる武将という事になる。

 勝手になされよ。そう言って、顕氏(細川陸奥守)は天王寺の陣を捨て去った。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 幕府軍の大将・山名時氏(伊豆守)は一族郎党からかなり慕われていたようである。古典『太平記』では、数多の郎党が手や口が汚れるのも厭わずに重傷の時氏(伊豆守)を治療するだけでなく、敵兵から守るために武者が身命を賭す様子が克明に描かれる。しかし、形勢は無情にも楠木軍の圧倒的有利であり、時氏(伊豆守)は戦死上等で突撃を命じたという。

 この時、山名軍の兵と交替する形で敵軍と戦える味方は、周りに居なかったらしい。だからこそ大将・時氏(伊豆守)は半ば自棄になって重傷の身を厭わず、戦を続けようとしたのであるが、歩兵たちがこれを食い止めた。馬の綱を引っ張って天王寺への退却を始めたのだ。

 

 

「ああっ!山名軍が退き始めようと……!直綱(四郎)殿、今からでも撤退支援はできる!もう兄君を待つも限界とお分かりでしょう!?」

 

 

「今暫し……今暫し、お待ちを。兄上が事態を知れば、すぐに目を覚まして下さる。兄上がその気になってくだされば、風よりも早く此方へ駆け付けて下さる筈。さすれば、形勢逆転も十分に──」

 

 

「そんなだから定詮(五郎)に見下されるのだぞ。直綱(四郎)

 

 

「兄上!」

 

 

(やっと来たか、六角氏頼(大夫判官)。来るのが四半刻遅い……もしや今までずっと寝ていたか。繊細なのやら豪胆なのやら。訳が分からん!)

 

 

 他家の武将・土岐頼明(兵庫頭)が心の底から呆れ果てる一方、佐々木六角党の面々は直綱(六角四郎)をはじめ感涙で涙を流しそうになっている。同じ外様の武家とは思えぬ温度差であるが、今はそれどころではない。

 瓜生野(遠里小野)の山名軍が潰走状態になり始めたのだ。こうなると楠木軍の勢いが増すのは言うまでもない。掃討戦の様相を呈する筈だ。

 

 

「細川勢も赤松勢も撤退する気だ。このままでは間違いなく淀川の渡辺橋で大混乱になる。撤退しようと味方同士で先を争うところを後ろから討たれ放題。川に落ちて溺死する者も出るであろうな」

 

 

「兄上。では、如何なさいますか?」

 

 

「ふん。直綱(四郎)よ、仮にもお前がこの軍の大将代理だ。結局はこの兄におんぶに抱っこになるのなら、諫言なんぞ金輪際慎むのだぞ」

 

 

「あ……」

 

 

 決して許された訳ではない。この中世において諫言という代物は主君に対する挑戦的行為でもある事を忘れてはならないものだ。

 どうしても行う必要が生じた場合は、主君の不興を買わないようにするため、機嫌や面子に細心の注意を払わなければならない。

 事ここに至って、氏頼(大夫判官)は大層根に持っているようである。実際、氏頼(大夫判官)が簡単に恨みを捨てる将でない事は後の行動が示す通りだ。

 直綱(四郎)は無力感や劣等感を噛み締め、心の底から恭順の意を示す。

 

 

「兄上。六角直綱(四郎)は兄上に絶対服従。幼少の頃より、兄上は北条氏滅亡や足利様の隆興を予見しておいででした。この直綱(四郎)が到底及ぶところではございません。先日の軽率な発言……何卒お赦しを」

 

 

「……良い。忘れよう。この兄とて、判断を誤る場合はないでも無いからな。現に藤井寺の戦いで光綱(六郎)を死なせてしまった。されど、今度ばかりは違うぞ。決してお前を死なせはせん。同時にお前の武功の機会を奪う気もない。道中、策を講じた。直綱(四郎)、よく聞けよ?それと、頼明(兵庫頭)殿。貴殿に御協力を願いたいが、如何でしょう?」

 

 

 佐々木惣領の氏頼(大夫判官)からの要請に、頼明(兵庫頭)はほんの一瞬考え込む。

 はっきり言って、立場で言えば土岐家当主代理の頼明(兵庫頭)より将軍烏帽子子の氏頼(大夫判官)の方が明確に上だ。正式な頼遠(弾正少弼)の後継者・土岐頼康ならいざ知らず、頼明(兵庫頭)では絶対的に分が悪い。本来ならぶっきらぼうに命じられても、頼明(兵庫頭)は断り難い。にも関わらず、氏頼(大夫判官)は下手に出ている。これをどう捉えたものか。氏頼(大夫判官)の奥ゆかしさ故なのか。

 だが、それにしては先程の弟・直綱(四郎)への態度は実に尊大だった。

 

 

(どんな無理難題を隠して……いや、断るのも後が怖いぞ)

 

 

「……それはもう。氏頼(大夫判官)様の参戦、心強く存じまするぞ。是非とも策をお聞かせください。今日は我らを手足の如く、お使いあれ」

 

 

「かたじけない。ただ使い手はこの氏頼(大夫判官)ではなく直綱(四郎)です」

 

 

「何と」

 

 

「……兄上?」

 

 

 頼明(土岐兵庫頭)の半ば警戒するような視線と弟・直綱(四郎)の戸惑いに晒されて、氏頼(大夫判官)は嘆息するような素振りを示す。如何にも勿体ぶっている。

 とはいえ、当然ながら時間的猶予は無い。氏頼(大夫判官)は心の内の興奮を取り繕い、自身の考えた大逆転策について手短に披露し始めた。

 

 

(強者の数千騎を()()ぶつけても楠木軍に勝てない事は山名軍が示してくれた。山名軍の敗走に押し出されて結果何も出来ないというリスクも考えれば……楠木軍の精鋭に勝つにはこれしかない!)

 

 

「まず……我こそはという最精鋭を除いた者どもを土岐軍副将の明智殿にでも率いて退却して頂きましょう。全員を用いては頼康(刑部少輔)殿に申し訳が立ちませぬ故。逆に言えば、これで心置きなく戦える」

 

 

「は、はぁ……氏頼(大夫判官)殿。かたじけない」

 

 

「丁度、六角党も土岐党も人員は振り分け済みです。直ぐにでも」

 

 

「うん、それでこそ。流石の用意だ……此度用いるのは最精鋭の五百騎のみぞ。それを直綱(四郎)……お前と頼明(兵庫頭)殿が指揮し、この阿倍野より南下。楠木正行(まさつら)の追撃を側面から突け。少数精鋭で不意討ちだ。佐々木・土岐両軍の最高級の質を頼みに驚愕させろ。これで正行(まさつら)の注意がお前たちに向く。それを利用し……我が奥義で葬り去る」

 

 

 氏頼(大夫判官)が矢を取り出し、弟の直綱(四郎)ははっとした。奥義が何を指すのか分かったからだ。氏頼(大夫判官)は文字通り、一矢報いるつもりらしい。

 段取りは整った。実のところ、戦はまだ終わっていない。山名勢が敗走を開始したとはいえ、土岐・佐々木の精鋭三千騎から更に選りすぐった五百騎と、氏頼(大夫判官)の強烈な個の武勇を以てすれば、何とかなるかもしれない。兎にも角にも、正行(まさつら)を討たない事には逆転は無理だろう。赤松勢や細川勢に退却を思い止まらせる材料が要る。

 住吉合戦はまだまだクライマックスを迎えていないようだった。

*1
当時は阿倍野の南ではなく、東を北に向かって流れていた。江戸時代に大規模な付け替え工事が行われ、現在の形となる。

*2
北朝公卿。後の「正平の一統」にも関与する重要人物。

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