崇永記   作:三寸法師

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▲11

〜1〜

 

 

 必ず上手くいく。氏頼(大夫判官)は確信していた。その脳裏に浮かんでいたのは九年前の情景だ。丁度、この阿倍野周辺であった。あの決戦で(高武)(蔵守)率いる足利軍を途中まで押していた北畠顕家が散った地は。

 氏頼(大夫判官)は右手で矢を左手で弓を持ち、駿馬を疾風の如く走らせる。

 続けて浮かんだのは、丁度半年前の五月二十六日に京で逝去の小笠原貞宗から弟子として貰った餞別だ。射将共射馬(将を射んとすれば馬ごと射ん)という奥義を氏頼(大夫判官)が更に発展させた技に、名を付けて貰った。それ即ち──

 

 

射将共爆馬(将を射んとすれば馬ごと爆かん)。それが氏頼(大夫判官)殿の奥義の名……この先、使う相手がおるかは分からぬが……取っておくと良い』

 

 

(我が師よ!貴方の教えで軍神の再来・楠木正行(まさつら)に終焉を!)

 

 

 楠木軍征伐のため、氏頼(大夫判官)が幕府軍の武将として摂河泉の地に身を置き始めて、既に三ヶ月以上が経っている。基本的に趨勢は正行(まさつら)たちの思い通りになっていたものの、当然ながら楠木軍の犠牲者が皆無である訳が無い。鎧兜や装束を手に入れる機会は生まれ得る。

 氏頼(大夫判官)は弟の直綱(六角四郎)や友軍の武将の頼明(土岐兵庫頭)をして佐々木・土岐連合軍が幕府軍第二陣として楠木軍と交戦する素振りを示させつつ、自身は単騎変装して(楠木)軍に混ざり、正行(まさつら)本人を襲撃せんと企てていた。

 一方、この佐々木・土岐連合軍の構えのため、九死に一生を得たのが山名時氏(伊豆守)師義(左衛門佐)の親子である。後の圧倒的守護大名も、この(住吉)(合戦)では大いに傷付き、親子二人さえ負傷する事態になっていた。

 

 

「おお……やはり氏頼(大夫判官)殿。将軍・尊氏公の第一の烏帽子子よ」

 

 

「……しかし、今更過ぎるのでは?」

 

 

「いや。この時氏(伊豆守)には分かる。佐々木・土岐連合軍は三千騎居た筈が数百騎程度で楠木軍に立ち向かおうとしている。大半の兵が逃げたせいかと思いきや、あの精鋭ぶり。どうも違っているようだ」

 

 

「は……それより、父上。この間に馬を替えては如何でしょうか?頭から首に掛けて複数の疵が……これでは幾らも保ちますまい」

 

 

「……無用だ。それにどの馬と替えるのだ?無事な馬など一頭として居らぬではないか、師義(左衛門佐)。それよりこの間に顕氏(陸奥守)殿と連絡を」

 

 

 山名時氏(伊豆守)たち幕府軍に立て直しの時間が生まれようとしている。

 これに苛立ちを覚えたのは楠木軍の将兵たちだ。正行(まさつら)も大将として冷静に振る舞おうとしているが、そこはやはり母親譲りの気の短さである。このままいけば追撃の勢いで勝利は確実と思っていただけに短く吐き捨てる。氏頼(大夫判官)め、何と諦めの悪い将であるのかと。

 

 

(四つ目結と桔梗紋。土岐党や佐々木党の最精鋭を数百騎に絞って来たか。だが、我が采配なら半数以下の敵に隙を見せる事はない)

 

 

「兄者。先程の山名軍との戦で、我らも半数以上の兵が道連れにされました。油断できません……ここは一旦、氏頼(大夫判官)たちに集中を」

 

 

「問題ない。既に日は西に傾いている。阿倍野の南を通って東から突撃して来る敵軍にとってはどうだ?丁度逆光だ。これでは最精鋭だとしても、幾らか戦い難くなる。たとえ激戦で疲れた我が軍でも互角に戦える。敵は我が横腹を突く気だろうが、幾許保つか!」

 

 

 古典『太平記』によれば、楠木正行(まさつら)たちが山名軍追撃へ移ろうとした時、土岐・佐々木両氏の数百騎が駆け付け、応戦したという。

 彼らは()()持ち堪えていたらしい。そう、あくまで()()である。

 

 

(何という強さだ。亡き頼遠(弾正少弼)兄貴でもまともにぶつかり合えば──)

 

 

(くっ……兄上、まだですか?個々の武勇頼みでは限界が!我が変装では正行(まさつら)ならいつ見破るものか。どうか、どうか、お早く!)

 

 

(この手応えは……氏頼(あいつ)の指揮じゃない?連合軍であるせいか?)

 

 

 正行(まさつら)は不審に思う。六角党の勇将・目賀田信良(弾正忠)ら個々の奮戦に目を奪われそうになるが、肝心の氏頼(大夫判官)──実際はそれらしく振る舞っているだけの弟・直綱(四郎)──は、指揮も武勇も精彩を欠いている。

 さては二ヶ月前、正行(まさつら)の従兄弟・和田賢秀が浴びせた黒曜石の矢が氏頼(大夫判官)の身体を蝕んだのか。確かめてみる必要を俄かに感じた。

 

 

「賢秀。どうも氏頼(大夫判官)の様子が変だ。お前が直接……」

 

 

「直接?成る程、手を下せと。御意のままに」

 

 

「待て」

 

 

「……正行(まさつら)様?」

 

 

「兄者。如何なされた?」

 

 

「正時!賢秀!後ろだ!西から来るぞ!備えろ!」

 

 

「「!」」

 

 

 軍神の再来・楠木正行が叫ぶや否や、その言葉通りに脅威が決着を付けんと迫り来る。当たれば人馬諸共に爆散する一射である。

 その威力はかの源為朝にも匹敵しかねない。射手は言うまでもないだろう。為朝の父・為義の猶子にして娘婿であった、佐々木秀義の血を綿々と受け継いだ名族・佐々木一門惣領こと六角氏頼(大夫判官)だ。

 貞和三年(西暦1347年)十一月二十六日、弓馬の巨匠・小笠原貞宗の死から丁度半年の月命日。名勝負・住吉合戦は終局へ向かおうとしている。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 ものの見事に防がれた。氏頼(大夫判官)は迂回突撃が失敗し、目を疑う。

 正行(まさつら)の命令で、正時と和田賢秀の二名の薙刀が一点に交差した。

 その瞬間、氏頼(大夫判官)渾身の正真正銘、爆裂の一射が地面に叩き落とされたのだ。人間業ではあるまい。神業としか形容できなかった。

 

 

「嘘……何で、嘘だ。あり得ない!あり得ない!あり得るか!」

 

 

氏頼(大夫判官)……意外と元気そうだな。空元気ではあるようだが」

 

 

「てめぇ!」

 

 

(相変わらず血気盛んだ。とはいえ、必殺の矢を放つために大きく遠回りしてでも西日を借りようとする理性は健在だった。我が弟(楠木正時)従兄弟(和田賢秀)の対応が功を奏したが、氏頼……本当にお前という奴は)

 

 

 かつて京で建武の新政が施行されていた頃、二人はちょくちょく顔を合わせていた。幼少の佐々木六角氏当主・千寿丸と楠木家の跡継ぎの多聞丸は同じ年頃であり、意気投合するところがあった。

 それが今はどうか。方や千寿丸改め氏頼(大夫判官)は加冠の儀を誇りに尊氏を信奉し、方や多聞丸改め正行(まさつら)は父の仇として尊氏を憎悪する。

 二人はもはや水と油だ。その戦闘スタイルはどこか似ている節があるものの、合戦となれば正行(まさつら)の方に軍配が上がり続けている。

 

 

直綱(四郎)!土岐党と共に退却しろ!お前が勝てる相手ではない!」

 

 

「兄上……兄上は!?」

 

 

「今ここで……命を懸けて戦う!二度は言わすな!」

 

 

「……はい!」

 

 

(間違いない……間違いない!楠木正行(まさつら)、お前こそ吉野朝廷開闢以来最強の南朝武将!お前を討ち取らなければ、俺は永遠に──)

 

 

 氏頼(大夫判官)は敵の歩兵に掴み落とされないよう、小回りを効かせつつ、常に馬を駆け巡らしながら思いを馳せた。あの一射のため全身全霊を込めたつもりだった。楠木正行(まさつら)を討ち取って逆転勝利はおろか、軍功第一の座を得て将軍(足利尊氏)の娘婿になる芽を復活させる気でいた。

 だが、現実には一縷の望みが絶たれた。この間に六角党の最精鋭が三十騎ほど犠牲になったらしい。こうなれば、後の保身も何もあったものではない。このまま負けを認めれば、幾年も掛けて尊氏配下最強武将となったところで、果たして甲斐があるのだろうか。

 一生ついて回るだろう。六角氏頼(大夫判官)は南朝最強・楠木正行(まさつら)に及ばなかったのだという格付けが。生き残ったとしても、忸怩たる思いを味わい続ける日々が待っていよう。佐々木六角氏の本家としての武名にもケチが付くに違いない。それで喜ぶのはあの腹黒坊主(京極道誉)だ。

 氏頼(大夫判官)は刀を抜いた。楠木軍は今、一千騎足らず。一人一人の強さが尋常でないとはいえ、幕府最強にならんと欲するなら個人で全滅させる勢いを示さなければならない。その先に正行(まさつら)の首がある。

 

 

正行(まさつら)ァァァァァァァァァ!

 

 

「正時は土岐・佐々木軍を。賢秀は山名軍を追え。天王寺の先の渡辺橋に追い込めば、幕府軍の大混乱は必至。赤松兄弟や細川顕氏(陸奥守)でも簡単に収集をつけられまい。間者を潜り込ませ、各々の兵が好き勝手動くように差し向けろ。それだけで敵軍は勝手に自滅する」

 

 

「「御意!」」

 

 

(さて……あの勢い、龍虎の如しだ。近頃、昼間も眠りこけているらしいと間諜より聞いたのに。だが、今の拙者が何を恐れようか)

 

 

「……氏頼(大夫判官)!一騎討ちを所望するか!京を攻める前の肩慣らしに丁度良い!相手してやる!仮想尊氏にお前はもってこいだろう!」

 

 

「ほざけ!」

 

 

 楠木正行(まさつら)の顔には溢れんばかりの自信が漲っている。藤井寺合戦における氏頼(大夫判官)の太刀筋を思い返して尚、勝つ気満々でいるのだ。

 互いの馬が接近し、氏頼(大夫判官)正行(まさつら)の刃が交差する。辺りに鳴り響く金属音は、十二年以上前に童二人が稽古を称して戯れていた頃の比ではない。まさしく猛将同士の晴れの戦を象徴し得る激しさだ。

 二人は互いに果敢な攻撃を示しながら、北へ北へと進んでいく。

 日が沈む頃、二人は天王寺を通過し、淀川に辿り着いていた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 さしもの勇将・佐々木六角氏頼(大夫判官)も息が絶え絶えだ。淀川前で楠木軍の兵たちが幕府軍を追い詰めている様に遭遇したが、既に形成を逆転させる程の力は残っていない。正行(まさつら)との一騎討ちがそれ程堪えたのだ。目で闘志を燃やしているが、悪足掻きが精一杯だろう。

 次に戦闘に入れば、本当にもうどうなるか分からない。氏頼(大夫判官)は自身の武力に絶対的な信頼を置いていた。今や新田義貞(左中将)や土岐頼遠(弾正少弼)が墓から這い出ようと微塵も恐れまい。その筈が、正行(まさつら)相手に個の武力でも勝ち切れなかった。訳が分からず、氏頼(大夫判官)は疑問を溢した。

 

 

「本当……その強さは一体。この俺をここまで消耗させるとは」

 

 

「お前の自滅だ、氏頼(大夫判官)。空元気なぞ何時迄も続かない。ここ数日、体調を逆に悪くするほど寝過ぎたな?舐めやがって。それで拙者を討ち取らむと……ただ強いて言うなら、毘沙門様の御加護だな」

 

 

「毘沙門……?」

 

 

 その瞬間、氏頼(大夫判官)の脳裏をかつての記憶が駆け巡った。幼少の頃に京に建てられた楠木邸を初めて訪れた時を思い出したのである。

 氏頼(大夫判官)、もとい千寿丸は尋ねていた。多聞丸という幼名の謂れを。

 

 

『やっぱり毘沙門天なんだ?多聞天とも言うもんな、あれ』

 

 

『ちょっと顔近いぞ、千寿丸殿……ゴホン。元は父上の出生に毘沙門様が関わっておられたんだ。お祖母上が信貴の毘沙門様に百日ほど参詣して玉を授かる夢を見た。後日、父上が産まれて幼名を多聞と名付けられた。その幼名を今度は拙者が世襲したという訳だ』

 

 

『あ!だから正成殿の異名が……へぇ、成る程。面白い!』

 

 

「……そんな事もあったか。すっかり忘れていた」

 

 

 氏頼(大夫判官)はからから乾いた笑いを溢した。神の祝福を受けていたのは氏頼(大夫判官)に限った話ではないらしい。南朝武将の正行(まさつら)もまた信仰心で彩られている。それも軍神の再来として天下の注目を浴びる身だ。

 道理で強い訳だ。氏頼(大夫判官)正行(まさつら)の身体を凝視し、納得して頷いた。

 

 

(勝って勝って天下の畏怖を集めたか。元祖ではなく再来にというのも数奇な話。ひょっとして……戦国時代の上杉謙信。あれは)

 

 

正行(まさつら)。今更だが、俺とお前が相入れる事は絶対にない」

 

 

「……本当に今更だな」

 

 

「俺は身も心も尊氏様の虜になった。対してお前はあの日、御父上の首を届けられて以来、うどんをお啜りになる尊氏様への敵意で頭が一杯になっている。だがな、これだけは言っておく。南朝に未来などない。蝋燭の灯火だ。いつか燃え尽きるもの。斜陽に身を任せても、待っているのは破滅のみ。百年後、楠木氏の力は微塵も残っていないだろう。きっと次の合戦にでも、お前は討たれる筈だ」

 

 

「何を言っても、今のお前では敗軍の将の戯言だぞ。佐々木氏頼(大夫判官)

 

 

 もう六角氏頼(大夫判官)と楠木正行(まさつら)は絶対に同格たり得ない。その事を正行(まさつら)は遠回しに、されど簡潔な言い方で幼馴染の氏頼(大夫判官)に叩き付けた。

 正行(まさつら)はゆっくり刃を下ろした。あたかも今や氏頼(大夫判官)に殺す価値もないとでも言うかの如く。勿論、氏頼(大夫判官)にとっては屈辱でしかない。

 氏頼(大夫判官)は刀を首元にすっと当てる。自らの血管をなぞるように──

 

 

(尊氏様!申し訳ございません……氏頼は()()()()にございます)

 

 

「自害なぞ止めておけ。お前の弟たち──確か六角直綱と山内定詮だったか?──が家督争いするぞ。それか、幕府の命で京極道誉が佐々木惣領織を継ぐ事になるだろうな。それでお前、満足か?」

 

 

「ッ!」

 

 

 あまりにも正論だった。直綱(四郎)は冷静さこそあれ、名門武家を率いる者として相応しくない臆病さを戦で露呈した。定詮(五郎)は既に家督継承権を手放しているものの、弟ながら後継代理となっていた光綱(六郎)に続き、長兄の氏頼(大夫判官)も戦死して直綱(四郎)が次期当主という運びとなれば、不満を暴発させかねない危うさを持っている。無論、道誉(佐渡判官)が漁夫の利を得て、ほくそ笑む結果に終わる可能性も十分にあるだろう。

 だが、氏頼(大夫判官)は疑問に思った。正行(まさつら)はなぜこんな指摘をするのか。

 

 

「よもや俺の命を助けむと?何のつもりだ?正行(まさつら)

 

 

「哀れなほど見苦しいからだ。分かったら、さっさと往ね。もうお前と語り合う事など無い。お前を通して尊氏の実力は把握できた。父上のようにきっと拙者も幕府を滅ぼせる……我が南朝陛下の天下奪還が叶った時、お前がどんな顔をするか楽しみにしているぞ」

 

 

「……後悔しても知らんぞ。正行(まさつら)

 

 

(気付かないか、氏頼。大の烏帽子子が戦に負けて()()()()帰洛。これで尊氏の信望もまた大いに揺らぐ筈。ただ単に死なせて得られる利益より、ずっと我らの勝利に繋がるんだ。そもそもお前の如き敵将が一人居ようが、もはや南朝の大業成就に何の障りも無い)

 

 

 既に日が暮れようとしている。一介の兵士たちと違って、冬の冷たい淀川を、まるで見えない床でもあるが如く、馬を自在に走らせて渡り去る氏頼(大夫判官)の姿さえ、今の正行(まさうら)は眼中に入れていなかった。

 この住吉合戦を経て、楠木正行(まさつら)は完全に天下の名将と化した。

 細川顕氏(陸奥守)や山名時氏(伊豆守)、赤松範資(信濃守)、さらに佐々木六角氏頼(大夫判官)といった錚々たる守護大名たちを負かして別格たるを証明した。天下への挑戦権を得たも同然となった。既に討幕を現実に見据え、行動に移そうとしている。足利尊氏(征夷大将軍)に負けない器量があると証明するのだ。

 

 

「正時、賢秀。万事上手く進んだようだな?」

 

 

「兄者!佐々木氏頼(大夫判官)は?」

 

 

「……討ち取っておられぬので?」

 

 

「疲れた。あいつの事はどうでも良い。それより状況を」

 

 

「は。土岐、佐々木、赤松、細川、山名。名のある武将たちは皆既に去りました。特に時氏(山名伊豆守)が傑作でした。馬を捨て、配下の武将に背負われて橋から逃げ去る始末で……失礼をば、兄者。先程まで多くの敵兵が橋でごった返し、大混乱。お言葉通りでございました」

 

 

 幕府軍の潰走は見るに耐えないものであった。主君の時氏(伊豆守)を身を挺して逃したり、潔く自害したりした山名党の一部例外こそあれ、各々が親兄弟をも顧みず、思い思い必死に渡辺橋を渡って逃げようとしたという。当然、この有り様では川に落ちる者が多発する。

 今は旧暦の十一月下旬で冬真っ盛りである。しかも日没。冬の川の寒さに体力を奪われ、命を落とす例が少なからず出るものだ。

 

 

正行(まさつら)様。山名兵五百騎を捕らえてあります。如何しますか?」

 

 

「……寒いなら小袖を。傷を負っているなら薬を。無防備な者には鎧兜を。馬がない者には馬を。敵が天王寺周辺に残した遺失物は、我らの取り分にするにも手に余る程の量がある筈だ。それらを与えてやるのだ。敵兵だろうと構わん。養生させてやれ。南朝公卿たちの肥やしに奪われるくらいなら、余分なものは返してやろうぞ」

 

 

 古典『太平記』には、敵の敗残兵に慈悲深く恵みを施す楠木正行(まさつら)の姿が描かれている。ただの親切心とは思えないほど、至れり尽くせりの好待遇を示したのだ。しかも、これに心を動かされ、最期まで運命を共にしようとした幕府武士の存在にも触れられている。

 この時、楠木正行(まさつら)は紛れもない軍神の再来となっていた。度量の大きさは征夷大将軍・足利尊氏にすら匹敵する。正行(まさつら)なら南朝を復興させかねない。そんな予感を天下に与えようとしていたのだ。

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